北に吹く風

「南の地竜、動きます!」

「北の飛竜、羽ばたきを始めました!」

「くそっ!」


 滅多に感情を見せることのない公爵が、悔しさを吐き出した。


 西は何とかなる。

 東も大丈夫だ。

 しかし、南と北は兵力が足りない。

 そして、援軍はこれ以上来ない。


 陛下、申し訳ございません……


 公爵が、爪が食い込むほど強く拳を握り締めた。




 南から魔物がやってくる。

 その知らせを受けた公爵は、即座に王宮を訪れて国王に上奏していた。


「国内に不穏な動きがある以上、一定の兵しか動かすことができません。迎撃するには兵が足りない可能性がございます」


 それを聞いた国王が、普段聞くことのないような鋭い声で答える。


「わしが、森とカサールに頭を下げる。おぬしは魔物の迎撃に全力を注いでくれ」


 驚きながらも、ロダン公爵が頭を下げた。


「かしこまりました」


 公爵に向かって、王が小さく言った。


「わしの力不足が招いたことじゃ。許せ」




 力不足。

 そんなことはないと、ロダン公爵は思っている。あの王だからこそ、イルカナはここまで発展してきたのだ。

 現に今回も、他国の兵を国内に導き入れるという英断を下している。しかも、公爵が考えていた以上に援軍の到着が早かった。大きな見返りでも約束しない限り、両国がこれほど素早く軍を動かすことはなかっただろう。

 その英断が、戦況の好転をもたらした。

 だが、その英断でさえ、この異常事態には対応できなかった。


 大型種を含めた十万の魔物。

 一晩で塹壕や泥地を消すことのできる恐るべき敵。


 兵士たちはよく戦った。すでに小型の魔物は激減していて、全滅も視野に入ってきている。

 しかし。


「地竜はともかく、飛竜は倒せない」


 魔法で強化した盾を使えば、ドラゴン系のブレスを軽減できる。地竜一体に二百人の兵士を向かわせれば、倒せないことはないだろう。

 だが、飛竜はそう簡単にはいかない。

 大弓は用意してあるが、それだけで飛竜に致命傷を与えられる可能性は、じつはほとんどなかった。大弓の矢は、槍を少し太くした程度。そんなものが一本や二本刺さったところで、飛竜の動きを多少鈍らせることくらいしかできない。

 太い縄を結んだ大弓を何本も放って、縄を飛竜に絡ませる。それを大勢の兵士が引っ張って、飛竜を空から引きずり下ろす。

 それが対飛竜の基本的な戦い方だ。だが、この場にそれほど多くの大弓は用意していない。そもそも、魔物がひしめく戦場で、飛竜だけに集中できるはずもない。


 飛竜を見たら逃げろ


 冒険者ならそれが鉄則だ。

 だが、今は逃げてよい状況ではない。


 公爵が北を睨む。

 振り向いて、南を睨む。

 そして公爵は、決断を下した。


「この陣地を放棄、全兵力を南に回せ! 魔物を操る人物を探し出して、それを討ち取るのだ!」

「え?」


 さすがの部下たちも、すぐには動けなかった。

 動かない部下を無視して、公爵が天幕を飛び出していく。


 南側の魔物の後方に、必ず敵の将はいる。

 異常事態の根源がそこにいる。

 地竜や飛竜に立ち向かう余裕がない以上、その人物を倒す以外に勝つ方法はなかった。


「飛竜も地竜も相手にするな! 狙うは敵の将のみ!」


 ひらりと馬に飛び乗って、公爵が怒鳴った。


「者共、我に続け!」


 槍を振りかざし、公爵が馬首を南に向ける。

 その前に、突然部下が立ちふさがった。


「お待ちください!」


 叫びながら、公爵の馬の手綱にしがみつく。


「放せ! もはやこれしか……」


 血走った目に、同じく血走った目が答えた。


「北を! 北をご覧ください!」

「北だと?」


 公爵が、改めて北を見る。

 押し寄せる魔物たち。必死に戦う兵士たち。その後方で、数体の飛竜が羽ばたきを始めている。

 その飛竜たちは、しかし、羽ばたきというより、もがいているように見えた。必死に羽を動かしているのに、その体がなぜか浮き上がっていかない。


「何が起きているのだ?」


 公爵がつぶやく。

 その目が、あり得ない光景を捉えた。


 ズバッ!


 突如として、一体の飛竜の首が飛んだ。


「なにっ!?」


 公爵が驚愕の声を上げる。

 ドラゴン系の魔物の外皮は、どんな武器でも斬ることができない。当然それは飛竜も同じだ。

 それなのに。


 公爵の頭が混乱する。

 だが、飛竜たちの混乱はその比ではなかった。


 ズバッ!


 また、首が飛んだ。

 飛竜たちが逃げる。翼ではなく、足を使って逃げていく。

 それを、一人の男が追っていた。

 右手には、妖しく輝く一本の剣。左手には、不思議な風を纏う一本の剣。

 その動きは信じられないほど素早く、そして、信じられないほど軽い。


「あれは!」


 部下が叫ぶ。


 ズバッ!


 また首が飛ぶ。


 飛竜を見たら逃げろ


 冒険者の鉄則。その真逆をいく男。

 制覇したダンジョンの数は大陸随一。所持する秘宝は数知れず。

 もとランクSの冒険者。北西の国、ウロルの化け物。

 その名は……。


「風のサイラス!」


 ロダン公爵が声を上げた。


 サイラスが、最後の飛竜を仕留めた。するとサイラスは、右手の剣を鞘に納め、左の剣を右手で持ち直す。


「さーて、全力全開、いってみようか!」


 サイラスが叫んだ。

 右手の剣が、風を呼ぶ。


「ウィンドカッター、サイラススペシャル!」


 サイラスが、横殴りに剣を払った。

 空気の刃が魔物たちに襲い掛かる。


 ズババババババッ!


 ゴブリンが、ウルフが真っ二つになっていった。

 とんでもない数の魔物が、たったの一振りで魔石へと姿を変えていった。


「相手が魔物なら遠慮は無用。オール秘宝の最強装備、リミッター解除の俺の力を見せてやるぜ!」


 サイラスが走る。

 魔物が次々と消えていく。


 圧倒的だった。北にいた一万近くの魔物が、あっという間に数を減らしていった。


「あれが、奴の本当の実力なのか……」


 さすがの公爵も、それ以上言葉が出ない。

 その公爵が、兵士の声で我に返った。


「南の地竜、来ます!」


 公爵が素早く指示を出す。


「サイラス殿に伝えよ。小型種は我らが倒す。貴殿は南の地竜を頼むと」

「はっ!」


 部下が北へと走り出した。そして、柵の上から公爵の言葉をサイラスに向けて怒鳴った。


「了解!」


 サイラスが頷く。

 サイラスが走る。

 サイラスが、跳んだ。


「なにーっ!」


 柵も、驚く兵士たちをも飛び越えて、サイラスは陣地の中に降り立った。そのまま風のように陣地を駆け抜けて、南の戦場へと飛び込んでいく。

 走りながら、サイラスは剣を持ち替えていた。風の剣ではなく、飛竜を倒した謎の剣。


「こいつがあれば、お前たちの鱗も関係ねぇ!」


 地竜に向かってサイラスが叫ぶ。


「伝説とまで言われた極レア秘宝」


 サイラスの剣が妖しく煌めく。


「ドラゴンスレイヤー、受けてみやがれ!」


 小型種の攻撃を軽やかにかわしながら、サイラスが地竜に向かって突っ込んでいった。


「地竜はサイラス殿に任せろ! 小型種を全滅させるのだ!」

「おおっ!」


 兵士たちが、最後の力を振り絞る。

 将校たちが、最後の力で鼓舞をする。


 西の魔物が全滅した。

 東の魔物も全滅した。

 北の魔物も全滅した。

 そして。


「やあっ!」


 兵士がオークに槍を突き刺す。

 オークが仰向けにぶっ倒れる。


「これで最後!」


 サイラスが剣を振り下ろす。

 地竜が大きな体を横たえる。


 公爵が、東西南北を見渡した。

 立っているのは、人間だけだった。


「者共、勝ち鬨を上げよ!」


 うおぉぉぉぉっ!


 勝利の声が大地を揺らす。

 生き残った兵士たちが、心の底から雄叫びを上げていた。

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