総力戦

 陣地を囲む魔物は、その場から一歩も動くことなくじっとしていた。迎撃体制を整え、敵に集中していた兵士たちが、拍子抜けしたように互いを見合う。


「何で攻めてこないんだ?」

「俺に聞くな」


 その会話を聞きながら、前線の士官たちも戸惑い、そして苛立っていた。


「まずいな」


 陣地内の様子を見て、ロダン公爵が唇を噛む。

 敵は魔物、心などない。しかし、こちらは人間なのだ。囲まれながら、長い時間敵が攻めてくるのを待つというのは、体力も気力も消耗する。


 まさか、心理戦を仕掛けているのか?


 このまま夜を迎えれば、魔物の姿が見えにくくなる。それは兵士の消耗を加速させる。

 さらにそのまま包囲が続けば、戦いが始まる前から軍の崩壊が始まるだろう。

 なす術がない。それでも待つしかない。


 これは勝てないか……


 さすがの公爵の胸にも、弱気の虫が顔を出し始めていた。

 その公爵の耳に、哨兵の大きな声が飛び込んでくる。


「北に白煙!」

「北だと?」


 振り向いた公爵が、目を見開いた。

 はるか北、地平線の先に白煙が上っている。


「あれはまさか」

「アルミナか!?」


 兵士たちが騒ぎ出した。

 直後。


「魔物が動き出しました!」

「四方すべての魔物が前進を開始!」


 公爵が声を張り上げる。


「北の煙は気にするな! 全軍魔物を迎撃せよ!」


 弓兵が矢をつがえ、騎馬隊が陣を出る。魔術兵が魔力を練り始め、かすみ網や大弓の準備が始まった。


 信じたくはなかったが


 公爵が唇を噛む。


 やはり、そうだったのか


 アルミナで”今起きていること”に思いを巡らせ、託してきた人々の顔を思い浮かべる。


 頼むぞ、みんな


 想いを振り切って、公爵は迫り来る魔物を睨み付けた。



「撃てー!」


 ヒュンヒュンヒュン!


 数百条の矢が弧を描いて飛んでいく。


 ドガガガガーン!


 魔物が吹き飛ぶ。魔石を残して消えていく。

 しかし、魔物の進撃は止まらない。魔石を蹴散らし、動けなくなった仲間を踏み越えて陣地を目指す。


「騎馬隊、突撃!」


 数百の騎馬隊が、魔物の群に突っ込んでいった。

 馬がゴブリンを弾き飛ばす。蹄がウルフを蹴散らしていく。

 それでもやはり、魔物は止まらない。


「魔法、放て!」


 陣に接近する魔物を魔法が狙い撃つ。

 それすらも掻い潜って、数十体の魔物が柵に取り付いた。


「上らせるな!」


 柵の上から兵士たちが斬りつける。

 狭間から槍で突き刺す。


 四方から一斉に攻め立てられて、兵士たちは必死に防戦していた。

 防戦しながら、兵士たちは感じていた。


 今度こそ、魔物は撤退しない


「ワイバーン来ます!」


 かすみ網を持って兵士が走る。

 弓兵でもない兵士が弓を持つ。


 陣地にいるすべての兵士が何かと戦っていた。士官たちが、武器を振りかざしながら何かを怒鳴っていた。


 総力戦。

 生きるか死ぬか。


「負けぬ!」


 ロダン公爵自らも、槍を握り締めていた。



 魔物が攻める。人間が守る。

 戦いは続く。休むことなく続く。


 人対人の戦いであれば、どんなに大規模な戦いでも、どこかで互いに休息を取る時間があった。しかし、この戦いにそれはない。


「ワイバーン全滅!」

「よし!」

「東の柵、もう持ちません!」

「応援を回せ!」


 魔物の数は確実に減っていた。しかし、兵士の数も、その体力も減っていた。


「堪えろ、諦めるな!」


 叱咤の声が飛ぶが、兵士の限界は近い。

 自ら戦うこと三度。本陣で息を整えるロダン公爵が、魔物の軍の後方を見る。


 大型種が出てくれば、一気に戦況は変わるだろう


 いまだに一体も前線に出てこない大型種。ヒュドラもベヒモスも、地竜も飛竜も無傷で健在だ。

 視線を移して、公爵の目が戦場を見る。


 馬がつまずいて倒れた。振り落とされた兵士に魔物が群がっていった。

 オークが槌を振り下ろした。柵が砕け散り、そこから飛び込んできたダイアウルフが、兵士の喉を噛み切った。


 仲間が死んでいく。

 それでも兵士は戦う。

 何かを守るために戦い続ける。


「西側、陣地内に魔物侵入!」


 ギャイン!

 ぎゃあ!

 

 魔物と人の悲鳴が響き渡る。


「こいつ!」

「助けてくれ!」


 戦う者と、逃げる者の姿が見える。


 ここまでか……


 ロダン公爵が、覚悟を決めた。


 イルカナに栄光あれ!


 ロダン公爵が、槍を握って歩き出した。

 その時。


 ヒュンヒュンヒュン!


 突如として、陣地の外、西の方向から数百もの矢が飛来した。


 キャウン!

 ゴホッ!


 柵に取り付いていたウルフやゴブリンがバタバタと倒れていく。

 続けて。


 ヒュンヒュンヒュン!


 再び数百条の矢の嵐。

 その矢は、柵の内側には届いていない。正確に、柵の外側ぎりぎりを狙って放たれている。

 味方に被害は出ていない。魔物だけが次々と射抜かれていく。


「なんだ!?」


 公爵が西を見た。

 その目が大きく広がっていった。


 後方にいる大型種の、さらにその後ろ。


 不揃いな皮鎧と、腰の手斧。左手に持つのは小型の弓。

 粗末と言ってもいい装備の男たちが、およそ二千。

 その中央にいるのは大男。どう見ても両手斧だと思われる得物を、片手に一本ずつ持っている。

 その大男が、雄叫びを上げた。


「うおぉぉぉっ!」


 大型種が振り返る。それはベヒモス。腕の一振りで岩をも粉砕するという怪力の持ち主。

 そのベヒモスに、大男が、たった一人で向かっていった。


「あり得ない!」


 西側の兵士たちが声を上げる。

 考えられない行動だった。ベヒモス一体に対して、一般の兵士なら数十人で立ち向かうのが常識。

 それなのに。


「グオォォォッ!」


 ベヒモスが吠えた。向かってくる大男を睨み付け、大きく腕を振り上げる。

 それでも大男は止まらない。真っ正面からベヒモスに突っ込んでいく。


「ガアァァァッ!」


 ベヒモスが腕を振り下ろした。それを大男は……。


 ガシッ!


「うそだろっ!」


 兵士たちが目を剥く。

 岩を一撃で粉砕すると言われる凶悪な鉄槌。それを大男は、交差した斧でがっちりと受け止めていた。

 驚く兵士たちの前で、大男がベヒモスの腕を斧で払いのける。そして、振り上げた斧をベヒモスの体に叩きつけた。


「ギャア!」


 ベヒモスの体が刻まれていった。生半可な武器も魔法も受け付けない強靱な表皮が、斧によって切り裂かれていく。


「せいっ!」


 気迫の一振りが、ベヒモスにとどめを刺した。

 ベヒモスが崩れ落ちる。大男が、たった一人でベヒモスを倒してしまった。

 振り返ることなく、大男が号令を掛ける。


「今こそ恩を返す時、行くぞ!」

「おおっ!」


 大男が、別のベヒモスに向かって走り出した。

 二千の男たちが、手斧を握って走り出した。

 すかさず公爵が指示を飛ばす。


「西側の部隊は陣を出て戦え! 挟撃するのだ!」


 叫んで、公爵が笑う。


 大国に挟まれた広大な森。その森を守る心優しき男。

 コメリアの森最強の戦士、ターラ。

 そのターラ率いる森の兵士。弓と斧の手練れたち。


 西の戦況が一変した。

 西の部隊が息を吹き返した。


 とは言え。


「東も破られました!」


 危機は続く。西に続いて、東の柵も破られた。

 公爵が表情を引き締める。


「諦めるな、押し返せ!」


 気迫が兵の背中を押す。

 兵士が歯を食いしばって踏みとどまる。


 それでもやはり、精神力だけでは限界があった。


「わしが出る!」


 四度目の出撃を決意し、公爵が足を踏み出した。

 その足が、止まる。


 ドドドドッ!


 突然、東側の魔物の後方から騎馬隊が突入してきた。大型種の間をすり抜けて、小型種がひしめく戦場へと突き進む。

 その数、およそ五千。


「あの旗印は!」

「どうして!?」


 兵士たちが目を丸くした。


 馬がウルフを弾き飛ばす。騎乗の兵が、槍でゴブリンを串刺しにする。

 統一された装備と統率の取れた動き。そして、よく訓練された兵士たち。


 騎馬隊が魔物を蹂躙していく。

 柵をなぞるように走り抜け、柵に取り付く魔物たちを薙ぎ払っていく。


 突如として現れた新たな敵に、大型種が動き出した。

 東にいたのはヒュドラ。十メートルもの巨体と三本の首。強力なブレスと、不死身とも言える驚異の再生能力。

 ベヒモス同様、恐ろしく厄介な魔物だ。


 その難敵の前に、一人の男が立ちはだかった。


 両手に一本ずつ。

 左右の腰に一本ずつ。

 さらに、背中にも二本。


 計六本もの剣をその身に纏い、不気味に笑いながらヒュドラを見ている。


「ヒュドラに単身で挑むのか!?」


 誰かが叫んだ。

 さすがの公爵も、その無謀さに息を呑む。


 男がゆっくりと走り出した。

 ヒュドラが男に首を向けた。

 三つの口が、ガバッと開く。


「ブレスがくるぞ!」


 公爵が声を上げた。

 直後。


 ギュン!


 あり得ない加速だった。

 ブレスが虚しく地面を焼く。三つの首が、慌てて男を追い掛ける。

 だが、男の動きはヒュドラの反応を凌駕していた。


 ヒュドラの喉元に飛び込んだ男が、真ん中の首の付け根にズブリと右手の剣を突き刺す。

 見事な攻撃だった。しかし、そんなことでヒュドラは倒せない。驚異的な再生能力で、あっという間に傷はふさがってしまうだろう。

 誰もがそう思ったその時、男が信じられない行動に出た。

 突き刺した剣で傷を押し広げ、左手の剣を捨て、素手になったその左手を、傷の中に肩まで突っ込んだのだ。


「うおぉぉっ!」


 雄叫びを上げた男が、渾身の力で左手を引き抜く。


「ギャアァ!」


 ヒュドラが悲鳴を上げた。

 直後、巨体が地面に崩れ落ちる。その体が一瞬輝いたかと思うと、十メートルを超える大きな体が、嘘のように消えてしまった。


 言葉もない兵士たちの視線の先で、男が何かを投げ捨てた。

 それは魔石。男は、ヒュドラの魔石をその体から強引に引き抜いたのだった。


 武器を平気で捨ててしまう感覚。

 常識ではあり得ない戦い方。


「まだまだぁ!」


 男が叫んだ。

 男が、歪んだ笑みを浮かべた。


「狂犬リスティ……」


 東の柵を守る将校の一人が、ぶるりと体を震わせる。

 その体に、ロダン公爵の声が鞭を入れた。


「今こそ好機、反撃せよ!」


 将校が慌てて部下に怒鳴る。


「反撃だ、俺に続け!」


 東の戦況も持ち直した。

 陣地内の魔物をすべて倒し、その勢いで外の魔物に向かっていく。


 西から現れた森の兵士たち。

 東からやってきたカサールの兵士たち。

 白煙上るアルミナに向かって、公爵が無言で頭を下げる。


 陛下、感謝いたします


 そしてこの後、イルカナ軍は、この戦い最大の試練を迎えることになるのだった。

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