逃げない魔物
翌日、早朝から行動を開始した一団は、予定通り川の向こう側に陣を敷いた。偵察部隊の最新情報でも、魔物たちの数や位置は昨日と変わっていない。
「さて、やるか!」
「やりましょう」
二人の表情はいつもと同じだ。油断はしないが、気負いもしない。
そんな二人の雰囲気が、漆黒の獣のパフォーマンスを常に最大限引き出してきた。
全体を見渡せるように設置した櫓の上から、カイルが全軍の状態を確認する。
皆、いい顔だ。
カイルは大きく息を吸い込み、そして、号令した。
「作戦開始!」
号令を受けて、数隊の騎馬兵が飛び出した。そのまま草地を抜け、散開しながら森の縁まで駆けていく。
そして、馬の足を取られない程度に森の中へ分け入り、森の奥に向かって一斉に矢を放った。
幾筋もの矢が、森の中に消えていく。
やがて。
ドガーン!
木の幹か岩か、それとも魔物か。何かに”着弾”した矢は、大きな音を立てて爆発した。
鏃に魔法を仕込んだ特別製の矢。漆黒の獣自慢の強力な武器だ。
瞬間、森の中が静まり返る。
直後。
ドドドドドドドドッ!
地響きを立てて、魔物の大群が迫ってきた。
「引けぇっ!」
隊長の掛け声で、騎馬隊が森から飛び出す。それを追って、大量の魔物が草地に現れた。
先頭にいるのは、足の速いウルフたち。その後ろからゴブリンが続く。足の遅いオークはまだ見えない。
騎馬隊が、魔物を誘導しながら逃げてきた。
「いい仕事してますね」
つぶやくアランの見つめる先で、騎馬隊が、見事な連携で魔物を陣の真正面に集めていく。
陣との距離が百メートルほどになった時、再び騎馬隊の隊長が叫んだ。
「全速力、駆け抜けろ!」
一気に速度を上げて魔物たちを引き離し、陣の空いている隙間に駆け込んだ。
直後、速やかに隙間が閉じられる。
そして。
「打てーっ!」
カイルの命令が下った。
ヒュンヒュンヒュン!
魔法と矢が一斉に放たれる。
放たれた魔法は、ファイヤーボール。その直径は、二十センチから三十センチ。
初心者で十センチ、慣れてくれば二十センチと言われる中、直径三十センチは、熟練した魔術師しか使えない高威力のファイヤーボールだ。
漆黒の獣は、魔術師たちもよく鍛えられていた。
炎の球が、魔物の集団の先頭に襲い掛かる。
それらが魔物に当たった瞬間。
ドガガガガーン!
周囲を巻き込む爆発を起こし、数十体の魔物を吹き飛ばした。
その頭上を数十条の矢が飛び越えていき、集団の中ほどに”着弾”する。
ドガガガガーン!
矢は、着弾したその地点で爆発した。
二カ所で起きた爆発。これで魔物の集団は分断され、混乱し、その勢いが止まる。
ここで騎馬隊を突撃させて、一気に形勢を有利な展開に持ち込ば作戦通りだ。
カイルが騎馬隊突撃の指令を下そうとした、その時。
「団長! やつら、止まらねぇ!」
団員の一人が叫んだ。
「くそったれ!」
カイルにも見えていた。魔物の勢いが止まらない。
爆発で吹き飛んで倒れている仲間を乗り越えて、速度を落とさずにこちらへと向かってきていた。
「魔術兵は下がれ! 歩兵は前へ出てやつらを止めろ! 弓兵は、下がりながらありったけの矢を打ち込め!」
想定外の状況にも、カイルは的確に指示を飛ばす。兵たちが指示に従って動き出した。
歩兵が前に出て横一列に並ぶ。余裕があれば地の魔法で壁を作るところだが、そんな時間はない。盾を構え、足を踏ん張って衝撃に備えた。
その壁に、魔物の集団がぶち当たった。
「キャイィーン!」
見境なく突進してきたウルフたちの頭や顔が、潰れた。
これが普通の獣なら血を噴いて倒れるところだろうが、魔物に血は流れていない。そのまま動かなくなり、やがて、魔石を残してその肉体は消えていった。
致命傷を逃れたウルフがヨロヨロと立ち上がり、再び壁に向かって牙を剥く。それを、壁の隙間から繰り出された槍が貫いた。
一方的に、次々と魔物が倒されていく。
だが魔物たちは、まったく恐れることなく、壁に向かって襲い掛かってきた。
「こりゃあまずいな」
カイルが眉間にしわを寄せる。
狂ったように前に進むことしかしない魔物たちは、歩兵の厚い壁に阻まれて、それ以上進むことができない。
弓兵の放つ矢で、後方の魔物の勢いもある程度削ぐことができている。
だが。
「数が多過ぎる」
カイルは、撤退を決めた。
「輸送部隊に連絡。速やかにそこから離れて村へ向かえ!」
「はっ!」
伝令が走り出す。
「騎馬隊、輸送部隊を後方に下げる支援をしろ! 魔術部隊は、川を渡って向こう岸で待機!」
それぞれの部隊も動き出した。
「歩兵隊は、壁を維持しながら徐々に後退。気を抜くなよ!」
歩兵の隊長や中隊長が兵に指示を飛ばし、叱咤激励する。
歩兵たちが、壁を維持しながらゆっくりと下がっていった。治癒魔法や補助魔法を使う部隊も、兵士たちを支援しつつ後退を始める。
集団の先頭にいたウルフの数は、だいぶ減っていた。後ろにいるゴブリンは、足がそれほど速くない。ウルフを倒し、ゴブリンが前に出てきたその時が撤退のタイミングだ。
みんな、堪えてくれ!
カイルが心の中で祈ったその時、右翼が崩れ始めた。
見れば左翼も押されている。
カイルはとっさに決断した。
櫓から飛び降りながら、アランに怒鳴る。
「右に行く! ここの指揮と、左を頼む!」
「承知!」
カイルが右翼に走った。
走りながら、背中の両手剣を抜く。
「道を開けろ! 俺が出る!」
その声を聞きつけて、兵士たちが後ろを振り返った。それがカイルだと分かると、躊躇うことなく盾を引いて道を開ける。
壁に隙間ができた。そこにカイルは、全速力で飛び込んでいった。
飛び込んだその先は、見渡す限りの魔物。
ウルフよりも、ゴブリンの数が多い。
「問題ない!」
カイルは、飛び掛かってきたウルフをかわすと、剣を持つ手に力を込めて、回転しながら横殴りに剣を払った。
ザシュッ!
数体の魔物が一振りで真っ二つになる。長い刀身を生かした、両手剣ならでは攻撃だ。
しかし、両手剣は懐に入られたら為す術がない。その弱点を、カイルは素早く動き続けることで補っていた。
止まることなく、恐れることなくカイルは戦い続ける。
払い、突き、時には素手で魔物をぶっ飛ばしながら、鬼神のような強さで魔物を圧倒していった。
「相変わらずすげぇな」
兵士たちが感嘆の声を上げる。
崩れ掛けた右翼は、カイルの活躍でどうにか立て直すことができていた。
一方、押されていた左翼は。
ドガーン!
盾の壁を押していた魔物の集団に、大きな炎の球が飛来した。
それが着弾した地点の、半径五メートルが吹き飛ぶ。
「私が支援します! もうしばらく耐えてください!」
少し離れた位置から、馴染みのある声がする。その男の手には、次の炎の球が出現していた。
その大きさ、直径五十センチ。熟練した者で三十センチと言われるファイヤーボールを大きく上回っている。
「助かります、副団長!」
中隊長の叫びに笑みを返しながら、アランはファイヤーボールを放った。
ドガーン!
再び魔物たちが吹き飛ぶ。
左翼も、崩されることなく陣形を維持することができていた。
二人の力業で魔物をねじ伏せながら、全体を引いていく。
ウルフの数は激減していた。もうほとんどの兵士がゴブリンとの戦いになっている。
すぐ後ろには、川。
「そろそろだな」
「そろそろですね」
櫓に戻ったカイルと、戦況を見つめていたアランの意見が一致したようだった。
カイルが大きく息を吸い込み、ありったけの声で号令した。
「全軍退却!」
支援部隊と弓兵が、川に向かって走り出す。
続いて歩兵たちが、魔物をいなしながら、隙を見て全速力で川に向かって走り出した。
カイルとアランが、しんがりと一緒になって魔物の進軍を遅らせつつ撤退を見守る。
「もう大丈夫です。お二人も早く!」
歩兵を率いていた隊長が、すぐそばにやってきて叫んだ。
「よし、じゃあ俺たちも撤退だ!」
しんがりの兵士たちと共に、二人も走り出す。
こうして、ほとんどの兵士たちが無事に川を渡ることができた。
「魔物が来るぞ! 魔術兵、構えろ!」
兵を追って川を渡ってくるはずの魔物を迎え撃つため、魔術兵たちが向こう岸に狙いを定めた。
しかし。
「追って来ない?」
不思議なことに、魔物たちは、川の向こうでその動きを止めていた。
「なぜだ? ゴブリンもウルフも、水を恐れるような奴らじゃないはずだが」
「後ろにいるオークも動きを止めましたね」
すべての兵士が呆気にとられる中、魔物たちはしばらく水際に留まった後、何かに導かれるように森へと帰っていった。
「助かった、のか?」
兵士の一人がつぶやく。
魔物たちの謎の行動によって、漆黒の獣は大きな損害を受けることなく、無事に撤退を終えることができたのだった。
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