漆黒の獣
「失礼」
女の前に、またもや二人の男がやってきた。
「もう! 何なのよ今日は!」
さすがの女も表情が変わる。明らかに不機嫌な顔だ。
「今の見てたでしょ! 次は、間違えて全部当てちゃうかもしれないわよ!」
やはり女は怒っているらしい。だが、残念ながらあまり怖さを感じない。プンプン怒るその姿は、むしろ可愛らしいとさえ思える。本当に不思議な女だった。
その女に、男の一人が話し掛けた。
「お茶を楽しんでいるところを邪魔してすまない。俺は、カイル。傭兵団”漆黒の獣”の団長をしている者だ」
男は、意外なほど誠実に自己紹介をしてきた。
背はかなり高い。鍛え抜かれた鋼のようなその体は、見ているだけで迫力を感じる。
背中に背負っているのは、大きな両手剣。
精悍な顔立ちと強い意志を宿した瞳は、まさに傭兵団の団長を名乗るにふさわしい面構えだ。
「私は、アランと申します。カイルと同じ傭兵団の、副団長をしております」
もう一人の男もスマートに自己紹介をする。
背は、カイルと名乗った男より少し低い。カイルと並ぶと見劣りするが、それでもかなりがっしりとした体格だ。
武器は、腰に差している短剣のみ。
色白で優しい顔立ちだが、知性を湛えるその目は鋭く女を観察していた。
この男が団長だと言っても納得できるほどの堂々とした姿だ。
そんな男たちを、女はじっと見つめていた。
やがて、女が立ち上がる。
「そんな風に名乗られたら、無碍にはできないわね。私はフェリシア。私にどんなご用かしら?」
フェリシアと名乗った女は、表情を和らげて男たちに問い掛けた。
誠実な人間には誠実に対応する。
わざわざ立ち上がって名前を告げた女は、男たちの話を聞く気になったようだ。
「フェリシアさん。突然で申し訳ないが、お願いがある」
真剣な表情のカイルとアランに、フェリシアは席を勧めた。
「とりあえず、座って話しましょうか」
三人は、テーブルを囲んで座っていた。三つのカップからは、ハーブティーの爽やかな香りが立ち上っている。
「それで、お願いって何?」
フェリシアがカイルに聞いた。
カイルが、ハーブティーを一口飲んで、話を始める。
「じつは、俺たちの傭兵団で魔物の討伐依頼を引き受けたんだ。依頼主は、この国イルカナ王国の、ロダン公爵だ」
「ロダン公爵? イルカナを仕切っている三公爵の一人ね。事実上、国からの依頼みたいなものじゃない。さすが漆黒の獣っていうところかしら」
「俺たちを知っているのか?」
「だって、わりと有名でしょ」
数ある傭兵団の中でも、漆黒の獣は、その規模と戦歴から諸国に広く知られた存在だった。
名の示す通り、団員たちの装備は黒一色で統一されている。”何色にも染まらぬ自由な意志”を表すと言われるその姿は、戦場でも異彩を放っていた。
五百名を超える団員は、歩兵、騎兵、弓兵、魔術兵などで構成され、皆よく鍛えられている。偵察や治癒などの側面支援部隊、兵站を担う部隊など、戦いを支える要員も充実していた。
戦場においては、時に勝利を決定付けるほどの活躍を見せる。賊や魔物の討伐においては、受けた依頼をきっちりこなす。漆黒の獣は、依頼主の期待を裏切ることなく数多くの実績を残し続けていた。
その規模と質を長きに渡って維持し、多くの団員を率い続けているのが、団長のカイルと副団長のアランだった。
「とりあえず、あなたたちが怪しい人じゃないってことは分かったわ」
「それはどうも」
カイルが苦笑する。
「で、だ」
カイルが話を続けた。
「依頼を受けた俺たちは、この国の南、エルドアとの国境付近の山岳地帯に向かった。事前の情報では、人が住んでいる地域から少し離れた山の麓に、少なくとも千以上の魔物がいるとのことだった」
「千以上……。結構な数ね」
「ああ。だが俺たちにとって、その程度の数の魔物は何の問題もない。そのはずだったんだが」
カイルが拳を握り締め、そして続きを語った。
漆黒の獣は、山岳地帯から最も近い村で最後の補給を済ませると、南に軍を進めた。
森林を抜けると、前方に国境を形成する山々が見えた。目の前の川を越えれば、情報にあった魔物たちがいる地域に入る。
カイルは一旦進軍を止め、川の向こうに偵察部隊を派遣した。
豪放な見た目と違って、カイルは慎重だ。どんな場合でも偵察を重視し、決して無理はしない。
漆黒の獣が今日まで生き残ってきた所以でもあった。
やがて偵察部隊が戻り、およその状況が分かる。
魔物の数は、約二千。草地を抜けた森の中でおとなしくしているようだ。
目視できる範囲では、ゴブリンやウルフなどの比較的弱い魔物が目立つ。数としては、ゴブリンが最も多い。
体の大きなオークも数体いるようだが、手こずりそうな相手はいないとのことだった。
「情報より数は多いが、俺たちの敵じゃなさそうだな」
カイルの言葉に、アランも頷く。
「うちの戦闘部隊は約四百。多少強い魔物がいても、問題ないと思います」
漆黒の獣は精鋭揃いだ。ゴブリンやウルフ相手なら、二千程度簡単に蹴散らせる。
「気になるとすれば、逃げない魔物がいるかもしれないってことかな」
ロダン公爵の説明では、不確実な情報ながら、仲間が倒されても逃げずに襲ってくる魔物がいるとのことだった。
この地域では、すでに何組かの冒険者が魔物にやられているが、その生き残りの一人が、いくら仲間が倒されても決して逃げずに襲ってくるウルフの集団がいると証言したらしい。
証言者は一人のみ、しかも証言の内容が混乱していて、真偽は不明とのことだった。
「まあ、所詮はウルフだ。何とかなるだろう」
「でも、もしすべての魔物が逃げずに襲ってきたら、どうします?」
「その時は、俺たちが全力で逃げるさ」
二人は各隊の隊長を集めて軍議を開き、方針を決定した。
輸送部隊とその護衛を残し、戦闘部隊が川を渡って向こう側に陣を敷く。いわゆる背水の陣にはなるが、魔物の種類や数から見て問題はないだろう。
目の前の川は、流れが緩やかで大して深くもないため、浅瀬をそのまま渡ることができそうだ。
川の向こう側は開けた草地。戦うには都合がいい。
山から吹き下ろす風で、こちら側がちょうど風下になる。ウルフなど、臭いに敏感な魔物たちにも気付かれずに移動できるだろう。
戦闘部隊の体制が整ったところで、騎馬の数隊が森の中にいる魔物たちを挑発、草地におびき出しつつ、陣の真正面に誘導する。押し寄せる魔物の先頭集団を弓と魔法で崩した後、騎馬隊が突入、混乱する魔物たちを歩兵が殲滅していく。ある程度数を減らせば、後は逃げていく魔物を追撃しながら倒していけばよい。
散り散りになった魔物を数日掛けて潰していけば、全滅は難しくても、ほとんどの魔物は討伐できるだろう。
相手は、知能も高くない低級の魔物だ。
漆黒の獣にとって、負けるはずのない戦いだった。
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