帰る場所

 マークとヒューリが事務所を出ていった後、リリアは、落ち着かない様子で部屋の中をぐるぐる歩き回っていた。


「あんな質問、意地悪です! 訳分かんない!」


 リリアが珍しく怒っている。


「リリアでも怒ることがあるんだな」


 驚いてミナセが言うと、リリアはますますヒートアップして言った。


「怒りますよ! だって採用の面接ですよ! 普通は”何でこの会社に入りたいと思ったんですか?”とか、”どんなことができますか?”みたいな質問をするでしょう? それが何ですか! ”幸せって、どんな時に感じますか?”なんて! そんなのどう答えればいいって言うんですか!」


 たしかに、採用面接でそんなことを聞かれるとは誰も思わないだろう。面接対策をしたミナセとしても想定外だった。

 だが、質問としてはそれほど難しくない。素直に考えればいくらでも答えようはある。

 とミナセは思ったが、それをリリアに言うのはやめにした。


「まあ、社長だからね」

「もー、社長! 何考えてるんですか!」


 リリアの怒りは収まりそうもなかった。

 その時。


「ただいま!」


 ドアを開けて、マークが駆け込んできた。


「社長!」


 ミナセとリリアが同時に叫ぶ。

 マークは、額にうっすらと汗を滲ませ、息を弾ませている。だがその顔は、軽いランニングを終えた後のように爽やかだ。


「いやあ、久し振りにいい運動をしました」


 開け放った扉の前で、マークが笑っている。

 笑っているのはいいのだが。


 ヒューリは?


 まさか、途中で面接終了になったのか?

 だからマークだけが帰ってきたのか?


 二人が不安げに入り口を見る。

 と、そこに。


「ゼェ、ゼェ、ゼェ……」


 苦しそうに息をしながら、汗びっしょりになったヒューリが帰ってきた。

 道を開けるマークの横をふらふらと通り抜け、部屋に二、三歩入ったところで、両膝に両手を置き、うつむいたまま必死に呼吸をしている。


「ヒューリ!」


 ミナセが駆け寄る。


「水持ってきます!」


 リリアが駆け出す。

 その二人を、ヒューリが片手を挙げて制した。


「いや……ゼェゼェ……いい……ゼェゼェ……大丈夫だ」


 とても大丈夫そうには見えなかったが、ヒューリの言葉に、とりあえず二人は立ち止まった。


「二人に……ゼェゼェ……お願いしたいことが……あるんだ」


 乱れに乱れた息の中でヒューリはそう言うと、体を起こして呼吸を整えようとする。だが、よほど激しく走ってきたのだろう。簡単には息を整えることができなかった。


 それでもヒューリは、二人に話し掛ける。


「聞いてほしい……ゼェゼェ……私は、弱い人間だ。ゼェゼェ……もしまた……以前のようなことが起きたら……私の心は、また折れてしまうかもしれない」


 ヒューリが唾を飲み込む。大きく息を吸って、大きく吐き出す。

 そしてヒューリは、ミナセを見た。


「でも……そんな時には……ハァハァ……どうか私のことを……叱ってもらえないだろうか」


 ヒューリが、リリアを見た。


「道を踏み外しそうになったら……ハァハァ……どうか私を……導いてもらえないだろうか」


 ヒューリが、二人を見た。


「二人となら……大丈夫だと思うんだ。……二人と一緒なら……耐えられると思うんだ」


 ヒューリが両手の拳を握る。


「二人と一緒なら……やり直せると思うんだ!」


 拳を握り締めたまま、直角に腰を曲げ、力の限りヒューリが叫んだ。


「だからどうか、頼む!」


 心からの依頼。

 全身全霊の願い。


 頭を下げながら、ヒューリは祈った。

 二人が応えてくれることを。

 二人が自分を受け入れてくれることを。


 沈黙が流れる。

 ヒューリの息遣いだけが聞こえてくる。


 その沈黙を、ミナセが破った。


「ヒューリ、顔を上げろ」


 静かな声だった。

 ヒューリが顔を上げる。

 そこに。


「私に任せろ!」


 大きな声がした。

 強い意志をこめて、ミナセが言った。

 リリアも続く。


「私もお手伝いします!」


 大きな声で言った。

 精一杯の声で言った。


 ヒューリが、肩で息をしながら二人を見る。


「本当に、いいのか?」


 小さな声で聞く。


「当たり前だ!」


 頼もしい答えが返ってくる。


「私みたいな人間でも?」


 弱々しい声で聞く。


「もちろんです!」


 力強い答えが返ってくる。


「私は二人の、その……仲間として、受け入れてもらえるのだろうか?」


 確認するように尋ねる。


「社長にヒューリを仲間にしたいって言ったのは、私だぞ」

「私なんて、友達になりたいって言っちゃいました!」


 二人は笑っている。

 ヒューリには、その笑顔がとても眩く感じた。


 眩しすぎて、きれいすぎて、涙が出てくるじゃないか。

 一日に何回も泣かせやがって。

 社長といい、この二人といい、本当にここの社員たちは……。


 本当に……本当に……。


「……ありがとう。本当にありがとう」


 ヒューリも笑う。

 笑いながら、涙をこぼす。


 頬を伝うのが、もう汗だか涙だか分からない。

 でも、気持ちは爽やかだった。幸福感でいっぱいだった。


 後ろから、マークが話し掛ける。


「ヒューリさんの答え、どうやら完成したみたいですね」


 マークが、にっこり笑って面接結果を告げた。


「ヒューリさん、合格です。ぜひ、うちの会社で一緒に働いていただけませんか?」


 ヒューリが、涙を拭いて振り返った。

 そして姿勢を正し、しっかりとした声で返事をした。


「はい、よろしくお願いします!」

「やったあ!」


 リリアがヒューリに飛びつく。

 ミナセがヒューリの肩を叩く。


 三人は笑っていた。

 三人は泣いていた。

 マークは嬉しそうだった。


 ヒューリの帰る場所が、そこにあった。



 エム商会三人目の社員、赤髪のヒューリ。

 新たな仲間に囲まれて、入社。



 第三章 了

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