第四章 喋らない少女
サーカス
惣菜屋のミゼットの店の前には人だかりができている。
店先には、エプロンと三角巾があまり似合っていない、それでも十分に魅力的な美女がいた。
「次、お前行けよ」
「よし、じゃあ行ってくる!」
よく分からない会話と共に、人だかりの中から一人の男が進み出る。
「いらっしゃい!」
勢いよく女が出迎えた。
男が、美しいその顔をうっとりと見つめる。後ろの野次馬から早くしろと言われて、いかんいかんとつぶやきながら頭を振る。
そして腹に力を込め、商品棚を指さして言った。
「この、魚のフライをください!」
すると女が、ニヤリと笑う。
「このフライを選ぶとは、なかなかいい目をしている。だが」
男が、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「私のお勧めはこれだ!」
そう言いながら、女はコロッケを差し出した。
「あ、いや、俺は魚の……」
「いいや、お前にはこのコロッケがよく似合う。これを買うといい」
「でも……」
「大丈夫、味は私が保証する。うまいぞ!」
女が、男に顔を近付けて鮮やかに微笑んだ。
男が間近で美女の顔を見つめる。
何だかとってもいい匂いがした。
「えっと、じゃあ、コロッケで」
「まいど!」
嬉しそうに、女がコロッケを五つ手渡した。
「えっ、こんなに?」
「遠慮するな。これくらいあっという間だ」
こうして男はコロッケを五つ買い、ふらふらと仲間のもとに戻っていった。
「俺にはコロッケが似合うって、あの子が言ったんだ」
とっても嬉しそうに報告する。
「それと、何だかすごくいい匂いがした。あれは、コロッケ五つ以上の価値があると、俺は思う」
意味不明なことを、幸せそうな顔で言った。
「あちゃー、こいつもダメだったか」
「じゃあ、次は私が行ってくるわ!」
今度は女が店に向かう。
だが、その女も目をトロンとさせながら戻ってきた。
「どうしましょう。あの人に、コロッケを一口食べさせてもらっちゃった」
「だからってそんなに?」
「だって、コロッケを食べる私はとても素敵だって、あの人が言うんだもの」
そう言いながら、女は袋に入った十個ものコロッケを幸せそうに見つめていた。
周りには、コロッケの入った袋を抱えてぼーっとしている男女が大勢いる。
それを見渡し、両手で両頬をパンパンと叩いて、次の挑戦者が女に向かって歩いていった。
店の奥では、ミゼットと主人がひたすらコロッケを作っている。
コロッケだけを作り続けていた。
そんな店の様子を、少し離れた物陰から見つめる数人の男女がいた。
「あんな接客の仕方があるんですね」
少女が、ちょっと感動したようにつぶやく。
「あれはあれで、ありなのかもしれないですね」
男も感心したように同意する。
「いや、ダメだと思いますよ、あれは」
一人冷静な女が、バッサリと切り捨てた。
「でも、みんな楽しんでるみたいだよ」
突然背後から声を掛けられ、女は飛び上がって驚いた。
「おじさん……」
ミナセが雑貨屋の主人を睨み付ける。
その視線を平然と受け止めて、雑貨屋の主人が悪びれずに断言した。
「言っとくけど、今回も悪いのはミナセちゃんたちだからね」
ミナセは……反論できなかった。
「あの子も社員さん? ほんとにおたくたち、心配性なんだねぇ」
主人が呆れたように言う。
「いやあ、それほどでも」
マークが笑って答えた。
社長、褒められてませんよ
「それにしても」
主人が、コロッケを売るヒューリを見ながら言った。
「おたくには、いい子が揃ってるよね」
主人は楽しそうだ。
「あんなに嬉しそうにコロッケを勧められたら、たぶん俺も買っちゃうよ」
ヒューリは、本当に無邪気にコロッケを売っている。
自分が大好きだから、ほかの人にも食べてほしい。そんな雰囲気がにじみ出ている。
だから、強引にコロッケを買わされても、クレームを言う客は一人もいない。それどころか、客はそのやり取りを楽しんでさえいるようだ。
「まぁ、あの子なら何とかやれるでしょ。あの子のことは俺も時々見とくから、みんなは仕事に戻りな。いい加減、誰かが衛兵に通報しちまうかもしれないからな」
にかっと笑って、雑貨屋の主人が言った。
「じゃあ、お言葉に甘えて行きましょうか」
マークが二人に声を掛ける。
「はい。じゃあおじさん、また」
三人は、ヒューリに見付からないようにそっとその場を離れていった。
事務所に戻る途中、リリアがマークに質問した。
「社長。私の時も、ああやって見てたんですか?」
その質問に、マークはギクッとする。
「あ、まあ、そうだね」
なぜかチラリとミナセを見ながら、マークは恐る恐る答えた。
「ほかの仕事の時もですか?」
「えーと、まあ、最初のうちだけ、ね」
「そうですか」
マークはリリアと目を合わせない。
すると。
「ありがとうございます! 私、嬉しいです!」
「あ、そうなの?」
マークが驚いている。
「はい! だって、社長が私のことを気にしてくれてたってことですよね?」
「そ、そうだよ」
「嬉しい!」
リリアは本当に嬉しそうだ。
「今日も一日頑張れそうです! じゃあ私、このまま仕事に行ってきます!」
そう言うと、リリアは雑踏の中へと駆け出していった。
その後ろ姿を見ながら、マークがつぶやく。
「人っていろいろなんだね」
「何か言いましたか?」
ミナセの、低い声がした。
「いや、何でもないです!」
慌てて答えてミナセを見ると、その顔は何だか不機嫌そうだ。
「私も、このまま仕事に行ってきます」
その表情のまま、ミナセも人混みに紛れていく。
「ほんとにいろいろだ」
ミナセの背中を見送りながら、小さく息を吐き出すと、マークは事務所に向かって歩いていった。
その日の夜、エム商会の事務所では打ち合わせが行われていた。
「ヒューリ、今日はお疲れ様」
マークがねぎらう。
本人からの申し出で、ヒューリのことは呼び捨てだ。
「いやー、楽しかったですよ。接客って面白いですね!」
一日働いたというのに、ヒューリは元気が有り余っているようだ。
「でも、どうしてコロッケばっかり売ってたんですか?」
リリアがさりげなく聞いてみた。
見られていたことに気付くことなく、ヒューリが答える。
「開店前に、ミゼットさんからコロッケをもらって食べたんだよ。それがあんまりにも美味しくってね。あんな食べ物が世の中にあったんだねぇ」
その答えには、ミナセが驚いた。
「コロッケ、食べたことなかったのか?」
すると、ヒューリがあっさり答えた。
「私、あんまり一般家庭の料理って知らないんだよ。家では割といい食事してたし、戦場に出れば、戦闘配食の乾パンと干し肉ばっかりだったしね」
「な、なるほど」
ヒューリが将軍の娘だったということを、ミナセは改めて認識し直した。
「世の中は広いよな。私、この会社に入って本当に良かったよ」
心底楽しそうに笑うヒューリに、ほかの三人も釣られて笑っていた。
「ところで」
マークが話題を変える。
「昨日から、町の広場にサーカスの一座がテントを張っているのを知っていますか?」
三人は、揃って首を横に振った。
「じつは、お得意さんからその一座のチケットをもらったんですけど、今度の休みにみんなで行ってみませんか?」
「行きます!」
「行ってみたい!」
リリアとヒューリが勢いよく手を挙げた。
「ヒューリ。サーカスって、知ってるのか?」
ミナセがいちおう聞いてみる。
「いや、知らん」
「……」
「でも、何だか楽しそうじゃん、サーカスっていう響きが」
ミナセは、ヒューリのことがだんだん分かってきたような気がした。
「じゃあ丁度いいですね。ヒューリさんも初めてだし、私も久し振りだし」
リリアは、ヒューリの答えに突っ込みなし。
本当にいい子だ。
「では、今度の土曜日、みんなで行きましょう」
「おーっ!」
こうしてエム商会の四人は、揃ってサーカス見物に行くことになったのだった。
ピエロの楽しいショーに猛獣の火の輪くぐり。目隠しナイフ投げに空中ブランコ。
サーカスの演目は定番のものが多かったが、それでも四人は十分に堪能した。
「面白かったですね!」
「サーカスって響きの通りだったよ。最高だった!」
「目隠しをしながらあの精度、侮れん」
「……」
それぞれの感想を抱きながら、四人はテントを出る。
昼食をどこで食べるかで盛り上がりながら、テントの脇を抜けようとした時、リリアが急に立ち止まって何かを見つめた。
「どうした?」
ヒューリが、その視線を辿る。
そこには、ショーに出ていた馬に餌をやっている一人の少女がいた。
少し離れているため顔ははっきり見えないが、年はリリアより少し下だろう。
短めの淡い青色の髪が、風でさらさらと揺れている。
時々馬を撫でながら餌をやるその姿は、なぜか儚げで、今にも消えてしまいそうな印象を受けた。
「気になるのか?」
マークがリリアに聞いた。
「あ、いえ、その、何となく……」
曖昧に答えながら、リリアは少女を見つめ続ける。
その時、奥から大きな声が聞こえた。
「シンシア! 餌やりが終わったらこっちを手伝っておくれ!」
声の方向をチラリと見た後、少女はもう一度馬を撫でて、静かに奥へと歩いていった。
「シンシア……」
小さくつぶやくと、リリアは急に我に返ったように言った。
「すみません、何でもないです。お昼ご飯行きましょう!」
リリアが先頭に立って歩き出す。
ほかの三人は顔を見合わせたが、それ以上深く聞くこともなく、リリアに続いて歩いていった。
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