招待?
「いやあ、本当に助かったよ」
「……」
満面の笑みのヒューリに、男は無言。
「助かったのは、あなたのおかげ。ありがとう」
シンシアにお礼を言われて、男はなぜか、顔を赤くして横を向く。
カサールの王都に続く街道を、三人は馬を並べて進んでいた。
「こいつらをご存じなのですか?」
「知っている。イルカナ王国の要人だ」
「えっ! そ、それは失礼なことを……」
「気にするな。お前の対応は間違っていない」
「はっ、恐縮です。しかし、この二人は、たしかキルグに行くと……」
「俺が事情を聞いておく。二人をすぐに釈放しろ」
「ですが」
事情聴取も持ち物検査もしていない。一切の手続きをせずに釈放することを、衛兵は躊躇った。
すると。
「何か問題があるのか?」
ギロリ
目が、動いた。
「ありません!」
衛兵が体を震わせる。
「貴様の上官には俺から言っておく。心配するな」
「はいっ!」
叫ぶように返事をして、衛兵は大慌てで二人の縄を解いた。
馬で東へと向かう三人を、たくさんの衛兵が見送る。検問所の責任者までもが、直立不動で見送っている。その中の一人が、小声で言った。
「噂には聞いてたけど、噂以上の恐ろしさだったな」
隣の衛兵が小さく答える。
「お前はまだいいさ。俺なんか、あの二人を拘束しちまったばっかりに、すげえ怖い思いをしたんだぞ」
そして衛兵は、ぶるりと体を震わせた。
「狂犬リスティ。俺はもう、二度とやつの目を見ないにようにするよ」
救国の英雄リスティ。
カサール軍最強の兵士。
戦場で敵兵を怯ませるその目は、味方にとっても恐怖の対象となっていた。
「ところでよかったのか? 仕事の途中だったんだろ?」
何も言わず、何も聞いてこないリスティにヒューリが聞いた。
「あ、でもお前、あんまり仕事しないんだっけ? たしか、軍の訓練には出るけど、それ以外は何にもしないって聞いたことがあるぞ」
まったく反応しないリスティに遠慮なく話し掛ける。
「なんでお前が国境の検問所なんかにいたんだ? もしかして、サボりか?」
遠慮のない言葉にシンシアが呆れていた。
だがヒューリの疑問は、シンシアにとってもやはり疑問だった。
「仕事、大丈夫?」
シンシアが、リスティの顔をのぞき込むように聞く。
すると、黙っていたリスティが答えた。
「問題ない。終わったところだ」
「なんでシンシアには答えるんだよ!」
すかさずヒューリが突っ込む。
リスティは、無言。
「かぁー、可愛くないな、お前!」
文句を言うヒューリにも無反応。
するとシンシアが、わざと大きな声で言った。
「ヒューリ、嫌われ者」
「シンシア!」
からかうように笑うシンシアに、ヒューリが馬を寄せていく。
「やっぱりお前の方が可愛くない。覚悟しろ!」
伸ばしたヒューリの腕を、シンシアがひらりとかわす。
「キィーッ、シンシア!」
顔を真っ赤にするヒューリに、シンシアが呪文を唱えた。
「食事とベッド」
「うっ!」
ヒューリが動きを止める。
シンシアがほくそ笑む。
そのやり取りを見て、リスティが、小さく笑った。
それは、狂った笑いではない。歪んだ笑顔でもない。それはまさに、微笑みと呼ばれる表情だった。
呪文の効果でおとなしくなったヒューリが不満をこぼす。
「やっぱり一人の方がよかった」
ブツブツとつぶやくヒューリを横目に、リスティがシンシアに聞いた。
「お前たち、キルグに行くというのは本当か?」
聞かれたシンシアは、迷った。
さすがにすべては話せない。とは言え、何も答えない訳にはいかないだろう。
覚悟を決めて、シンシアが答えた。
「行く。でも、カサールには迷惑を掛けない」
「どうやってキルグに入るつもりだ?」
キルグに行く目的を、なぜかリスティは聞いてこない。
「今回みたいなヘマはしない。ちゃんと密入国する」
「ルートは調べてあるのか?」
密入国という言葉を気にするでもなく、さらなる質問が飛ぶ。
シンシアが答えた。
「少しは……」
「甘いな」
リスティが厳しく言った。
「キルグがクランを滅ぼしてから、南東の国境警備は厳しくなっている。お前たちなら強行突破もできるだろうが、目立たないように入国したいのなら、もっと考えるべきだ」
ヒューリがぴくりと肩を震わせた。
ヒューリをちらりと見てから、シンシアが聞いた。
「そう、なの?」
「そうだ」
リスティが、即座に頷いた。
カサールから見て、キルグは南東にある。その国境線は比較的短く、両国を結ぶ街道は一つしかなかった。正式にキルグに入国するには、その街道にある両国の検問所を通る必要がある。
検問所を抜けて、街道を徒歩で一日ほど南に下り、途中の分かれ道を東に折れると、やがて道は登りとなる。渓谷を経て山を超えると、そこには広大な盆地が広がっていた。
盆地と周辺の山々一帯は、クラン地方と呼ばれている。キルグ帝国直轄の鉱山がある、もとのクラン王国だ。
「街道を通らずとも、国境の山を越えていけば、クランとカサールの行き来は可能だ。以前は、そうやってクランから逃げてくる奴らもいた」
ヒューリの顔から表情が消えていく。
「だが、今はそれもほとんどない。カサールが、逃げて来た奴らを追い返しているからだ」
「どうして?」
シンシアが首を傾げた。
それに、ヒューリが答えた。
「キルグに侵攻の口実を与えたくないから、だろ?」
驚くほどの低い声。
リスティがヒューリを見る。しばらくその顔を見てから、はっきりとリスティが答えた。
「そうだ。クランから逃げてきた奴らには、入国を認めていない。抵抗したり、逃げ出したりする奴らは、力尽くで捕まえてキルグに引き渡している。キルグとの国境線は、この国の中で最も警備が厳しい場所の一つだ」
「そうか」
ヒューリが短く言った。
シンシアが、心配そうにヒューリを見た。
リスティが黙った。
突然。
「こりゃあ、ちょっと甘かったかなぁ」
ヒューリが大きな声を出す。
「お前の言ってたその山越えをしようと思ってたんだけど、難しいかもなぁ」
ヒューリが、空に向かって大きく息を吐き出した。
そのヒューリに、リスティが言った。
「お前は、山を越えて逃げてきたのか?」
空を見たままヒューリが動かなくなる。
シンシアが息を呑んだ。
「さっきも言ったが、この国は、クランからの逃亡者に目を光らせている。クランに関する情報も、当然集めている」
前を向いてリスティが続ける。
「クランが滅びるきっかけとなったハミル将軍の処刑。その家族も後に殺されたが、一人だけ、逃げ延びた奴がいた」
ヒューリが、前を向いた。
シンシアが、うつむいた。
「ハミル将軍の長女。赤い髪の双剣使い。名は、ヒューリ」
シンシアの手に冷たい汗が滲む。
知られていた。ヒューリの名前もその出自も、リスティにはとっくに知られていた。
どうしよう……
検問所で拘束された時のように冷静ではいられなかった。
頭が真っ白になっていく。何も考えられなくなっていく。
ヒューリ……
シンシアが、助けを求めるようにヒューリを見た。
そのヒューリが、また大きな声を上げた。
「ふぅ。やっぱバレてたか」
「当然だ」
リスティが即答した。
シンシアの顔に緊張が走る。ヒューリとリスティの意図が分からない。このまま二人が戦闘に入ってしまうのではないか、そんな心配が胸をよぎる。
シンシアの心配は、しかし、杞憂に終わった。
「だが、お前がカサール国内に指名手配されている訳ではない。この情報を知っているのは、中央の一部の人間と、南東の国境線を警備している者だけだ」
「そりゃあよかった」
意外なほど軽い言葉がやり取りされる。
「まあそうだよな。手配されてたら、さっきの検問所で無事に済むはずないし」
「その前に、武術大会のパーティーで、カサールの随行団が騒いでいただろう」
「あ、そうか」
リスティに指摘されて、ヒューリが頭を掻いた。
息苦しさから解放されて、シンシアが胸を撫で下ろす。そして、気になっていたことをリスティに聞いた。
「私たちを捕まえなくて、あなたは平気なの?」
「捕まえる気なら、最初から助けない」
まったくもってその通りだ。
「ただし」
急に、リスティの顔が険しくなる。
シンシアが、また緊張する。
「タダで助けた訳ではない」
「えーっ!」
驚きと抗議を込めて、ヒューリが声を上げた。
「金か? 私たち、そんなに持ってないぞ」
ヒューリの言葉に、シンシアも一生懸命頷く。
旅費は大して持っていないし、頼まれ事をされたとしても、そんな時間は二人にはない。
リスティが冗談を言うとは思えなかった。何かの対価を求めてくる可能性が高い。
心配そうな二人を見ることなく、前を向いたままでリスティが言った。
「お前たちには、うちに来てもらう」
「……はい?」
かなり予想外の話だ。
ヒューリとシンシアが首を傾げる。
「キルグに入りやすいルートは教えてやる。その情報は、寄り道をするだけの価値があるはずだ。資金が足りないのなら提供する。必要な物があるなら可能な限り手配する。だから、お前たちはうちに来てもらう」
「……」
ヒューリもシンシアも無言。何と返事をしていいのか分からない。
「お前たちに拒否権はない。いいから黙ってうちに来い」
強い言葉とは裏腹に、言っている内容は二人にとても協力的だ。
ヒューリとシンシアが互いに顔を見合わせる。そして、リスティの顔を見る。
リスティの顔は、なぜか真っ赤だった。
「何だか分からんが、お前のうちに行けばいいんだな?」
「そうだ」
ヒューリを見ずにリスティが答える。
「行って、いいの?」
「いい」
シンシアを見ずにリスティが頷く。
「じゃあ、まあ、お邪魔します」
「それでいい」
相変わらずリスティの顔は赤い。
その顔がホッとしたように緩んだのを見て、二人はまた顔を見合わせ、そして、リスティに分からないように、こっそり笑った。
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