最高難度
翌日ヒューリは、マークの手紙とロダン公爵の手紙を携えて、コメリアの森へと向かった。
マークの手紙は、アルバートの護衛依頼だ。加えてもう一つ、もしもの時の依頼が添えられていた。
ロダン公爵の手紙は、ターラへの返答だ。連邦国家樹立の動きを認めてほしいという請願への回答だった。
公爵からの手紙ではあったが、当然それは、イルカナ王国として答えとなる。そこには、連邦国家樹立後の森を”国として扱う”と書いてあった。
現在、森はイルカナ王国の庇護下にあると言っていい状態だ。十年前の戦争の後、イルカナは、主権を無視して森を非武装地帯とする条約をウロルと結んだ。結果、森はウロルの侵攻を免れている。
連邦国家が成立すれば、イルカナとウロルの間にあった”地域”が”国”になる。国になれば、軍事、外交、内政のすべてを自分たちで行わなければならなくなる。イルカナとウロルが結んだ条約の見直しを、両国に迫る必要も出てくるだろう。
それらを自分たちでやれと、公爵の手紙は言っているのだ。つまりイルカナとしては、連邦国家樹立の動きを承認するということでもある。
そんな重要な手紙を持って、ヒューリは森に向かって行ったのだった。
そのヒューリが、コメリアの森から戻ってきた。結果をマークに報告しているところに、ちょうどミナセとフェリシアも帰ってくる。
商隊護衛に出ているリリアを除く五人が揃ったところで、マークが打ち合わせを始めた。
「ミナセ、フェリシア。無事に戻ってきてくれて何よりだ。お疲れ様」
「いえ」
二人が固い表情で答える。
何も知らされないまま急遽戻ってきた二人は、緊張しながらマークの説明を待っていた。
「では、二人が出発した後に起きたことを話そう」
背筋を伸ばす二人に、マークが説明を始めた。
ロダン公爵が語った驚くべき話。
キルグの影と謎の人物。ヒューリの双剣と神殺し。
そして、公爵からのとんでもない依頼。
「とりあえず、現状説明は以上だ」
聞き終えたミナセとフェリシアが、目を丸くしたまま沈黙する。マークの説明は理解できたが、それを消化するためには、さすがの二人でも少し時間が必要だった。
「次は、二人からの報告を聞かせてもらおうか」
「はい」
ミナセが答えた。フェリシアを見て互いに頷き、マークをしっかりと見つめて、ミナセは護衛中の出来事を話していった。
エルドアの現状と、教団の勢力拡大の方法。
アルバートが使ってみせた神の石とその強大な力。
そして、魔物を操る謎の男。
「報告は……以上です」
短い時間、少し不自然な間を空けて、ミナセが話を終えた。
マークがミナセを見つめる。ミナセが、目をそらす。
「ミナセ、まだ何か……」
マークが言い掛けた、その時。
「男を逃したのは私のミスです」
突然フェリシアが立ち上がった。
「本当に申し訳ありませんでした」
フェリシアが、マークに向かって深く頭を下げた。
ミナセには許してもらったが、やはりマークには詫びなければならない。フェリシアは、それを会社に戻る前からずっと考えていた。
しかも、マークから現状説明を受けた今、それはなおさら致命的とも言える失敗に思えた。
ちょっと驚いたミナセも、素早く立ち上がって同じように頭を下げる。
「その件は、私も同罪です。申し訳ありませんでした」
フェリシアが強く目を閉じる。ミナセが、じっと床を見つめる。
室内が静まり返る中で、穏やかな声がした。
「とりあえず、二人とも座りなさい」
その声で、二人は座った。
うつむくフェリシアに、マークが言う。
「フェリシア。お前のことだから、男を逃した後は、ずっと深刻な顔をしていたんだろうな」
「え?」
思わずフェリシアが顔を上げた。
「フェリシアの責任感が強いのは、よく分かっている。たっぷり悩んで、たっぷり反省したなら、それでもう十分だ」
フェリシアが目を見開いた。
ミナセが、そっと微笑んだ。
「二度と同じ失敗をするな、とも言わない。人間はそんなに都合よくできていないからな。だけど、次に似たような状況になった時、今回よりもうまくやれるようになっている必要はある」
フェリシアが真剣に頷く。
「ミスをしたら、ちゃんと反省する。そしてまた前に進む。そうやって人は成長する。そうあってほしいと俺は思っている。だからフェリシア、明日から、また頑張れ」
マークが笑った。
フェリシアが泣いた。
その肩を、ミナセが抱いた。
みんながフェリシアを優しく見つめていた。
「さて」
仕切り直すように、マークが声を上げる。
「各地で平和を乱す出来事や、非常識的な出来事が起きている訳だが」
フェリシアが涙を拭いた。
みんなが背筋を伸ばした。
「エルドアの混乱も魔物の大量発生も、裏で糸を引いているのはおそらくキルグだ。それを放っておけば、ロダン公爵がおっしゃっていた通り、キルグの大規模な侵攻が始まる可能性が高い。そうなれば、今の平和な日常は失われてしまうだろう」
落ち着いた声でマークが語る。
「これは国家レベルの話だ。そう言って、何もしないという選択もある。戦乱を避けて、最初から西に逃げてしまうことだってできる」
静かにみんなを見渡す。
「だが、俺たちにはできることがあると、俺は思っている。ほかの誰にできなくても、俺たちにならできることがあると、そう思っている」
みんながマークを見つめた。
「だから、俺は公爵の依頼を受けた。これは、過去最高難度の依頼だ。それでもやるべきだと俺は判断した。どうかみんな、協力してほしい」
マークがみんなを強く見た。
頭を下げることもない。嫌なら参加しなくてもいいとも言わない。
相手は謎の教団と、魔物を操る人間と、強大な軍事国家キルグ。
マークの言う”協力”とは、命をくれと言っているのに等しい。普通なら、そう思って当然。
マークに見つめられて、だが、目をそらす者はいなかった。うつむく者もいなかった。
「乗り掛かった船です。やりましょう」
ミナセが笑う。
「私は当然やるけどな」
ヒューリが胸をそらす。
「問題ない」
シンシアが頷く。
「燃えてきたわね」
フェリシアが両手を握る。
「エム商会の伝説が始まるんですね!」
瞳をキラキラさせながら、ミアが元気に立ち上がった。
「でも、リリアは?」
フェリシアが、心配そうにマークを見た。
マークが、なぜか苦笑する。
「事前に伝えてあるよ」
「じゃあリリアも?」
「大丈夫だ。ただ、厳しいことは言われちゃったけどね」
「厳しいこと?」
フェリシアが首を傾げた。
「ちゃんと代金は貰って下さいねって、釘を刺された。あははは」
「リリア……」
フェリシア、唖然。
「では、今後の方針を伝える」
表情を引き締めて、マークが言った。
「はい!」
表情を引き締めて、みんなが答えた。
国家レベルの大きな依頼。相手は、謎の教団と、魔物を操る人間と、強大な軍事国家。
何でも屋の範疇をはるかに超える仕事が動き出した。
日常を守るために、非日常的な仕事を成し遂げるべく、エム商会の七人が動き出した。
イルカナ南部を東西に走る街道。その街道のアルミナにほど近い場所で、アルバートの護衛を引き継いだロダン公爵が宿営をしていた。
その宿営地を、ヒューリとシンシアが訪ねている。ターラの言葉を伝えるためと、公爵から情報を受け取るためだ。
「ターラ殿の言葉、しかと受け取った」
「よろしくお願いいたします」
「うむ。それから、これがクランに関する資料だ。調査で分かったことはすべて書いてある」
「恐れ入ります」
「二人とも、気を付けてな」
「はい!」
ロダン公爵に深く頭を下げて、ヒューリとシンシアは天幕を出た。
警備の兵に会釈をして歩き出し、ふと右手を見ると、一人の剣士が二人の子供に稽古を付けているのが見えた。
子供の一人はロイだ。もう一人は、おそらくアルバートだろう。
イルカナの公爵家の跡取りと、次期エルドア国王。その二人が揃って稽古に励む光景は、両国の未来を映しているようで、ヒューリは思わず微笑んだ。
そこに二人の男がやってくる。
「水と餌はやっといたぞ」
カイルが、ヒューリの馬の手綱を握りながら言った。
「大変な仕事になりますが、頑張って下さい」
アランが、シンシアの馬を撫でながら微笑んだ。
「団長、副団長、ありがとうございます」
「だから、団長でも副団長でもねぇ!」
カイルが怒鳴る。
アランが笑う。
「じゃあ行ってきます」
「行ってくる」
ヒューリとシンシアは、二人にきちんと頭を下げると、それぞれの馬にひらりとまたがって、そのまま東へと駆け出した。
「気を付けろよ」
その姿が見えなくなるまで、カイルとアランが見送っていた。
「しっかし、どうしてお前と一緒じゃなきゃいけないんだ?」
「社長命令。不本意だけど、仕方がない」
「かぁー、相変わらず可愛くないな!」
いつも通りの二人は、いつも通りの迷コンビ振りを発揮しながら東に向かって馬を走らせている。
シンシアの言った通り、二人でクランに向かっているのはマークの命令だ。ヒューリは単身でのクラン行きを主張したのだが、マークは一切取り合わなかった。
「シンシア、ヒューリと一緒に行ってくれ」
「分かった」
渋い顔をするヒューリの隣で、シンシアは二つ返事で頷いていた。
「どうせなら、フェリシアと一緒がよかったな」
「……」
「あいつとなら、クランまでフライでひとっ飛びだ。お前が二人で飛べないのが残念でならないよ」
「ヒューリ」
「なんだ?」
「旅費を持ってるのは、誰?」
「え?」
「それ以上余計なことを喋ると、ヒューリだけ食事もベッドもなくなる。気を付けた方がいい」
「うっ!」
悪魔のような言葉に、ヒューリが声を詰まらせた。
「私より、ヒューリの方が強い。でも、生活力は、私が上。だから社長は、私にお金を預けた」
「シ、シンシアさん……」
「私の機嫌を損ねると危険。覚えておくことを推奨する」
「分かった! もう何も言わない!」
慌てるヒューリを見て、シンシアがニヤリと笑う。
そしてシンシアは、ヒューリに見えないように、こっそり唇を噛んだ。
フェリシアほど自在にとはいかないが、シンシアも、精霊にお願いをすることで空を飛ぶことはできた。しかし、二人で飛ぶことはできない。
イメージの仕方が悪いのか、それともシンシア以外の人間に精霊が力を貸さないからなのか。
高度な魔法を簡単に発動させてしまうシンシアでも、できないことはやはりあった。
ちなみにフェリシアは、マークの指示で、ミアと一緒に北西へと向かっていた。アルミナに残っているミナセとリリアは、何でも屋としてのいつもの仕事をこなしているはずだ。
公爵からの依頼と関連業務、さらには通常の仕事。マークを含めて、社員たちはフル稼働で動いていた。
おとなしくなったヒューリと、ちょっと不機嫌なシンシアは、それでも予定通り東へと向かう。
そして二人は、国境を越えてカサールの検問所へとやって来た。
そして二人は、今、検問所の中にある留置所に拘束されている。
「私、言った。検問所は避けるべきだって」
「そ、そうだっけ?」
「急がば回れって、昔の人も言ってた。ヒューリは、もっと勉強すべき」
「うっ!」
シンシアの指摘に、ヒューリは返す言葉がない。
「せめて、応対を私に任せるべきだった。ヒューリは、正直過ぎる」
「……」
ついにヒューリは完全にうなだれてしまった。
縛られた両手で、膝を抱えて黙り込む。その姿を見て、シンシアがため息をついた。
イルカナの検問は緩い。出国も入国も、よほど怪しい素振りを見せない限り足止めされることはなかった。
しかし、カサールは違う。イルカナの検問所を抜け、狭い緩衝地帯を超えてカサールの検問所へとやってきた二人に、衛兵が聞いた。
「どこへ行くのだ?」
「えっと……」
聞かれたヒューリが言い淀む。
「どこへ行くのかと聞いている」
再び聞かれたヒューリが、思わず答えた。
「キ、キルグです」
「キルグ?」
よりにもよって、カサールが最も警戒している国の名を答える。
「何をしに行くのだ?」
「えっと、知り合いを訪ねて……」
「どんな用事だ?」
「えっと、法事?」
「なぜ疑問形なのだ?」
「それは……」
怪しさ満点の回答に、衛兵は当然の行動に出る。
「ちょっと向こうで話を聞かせてもらおうか」
「あ、いや」
「そこの青いのも一緒に来い。おい、こいつらをぶちこんでおけ!」
「はっ!」
こうして二人は、両手を縄で縛られて、暗い部屋に放り込まれた。もう少しすれば、二人の尋問が始まるだろう。
「ヒューリの気持ちは、分かる。だけど、冷静さも大事」
「ごめん」
一日も早くクランに着きたい。その気持ちが、シンシアの意見を無視させた。
叔父や王子に会えたら何て言おう。先走る想いが目前の対応を誤らせた。
黙り込むヒューリの隣で、シンシアが考える。
どうやったら尋問を切り抜けられる?
静かな瞳が考える。
最悪は、強行突破?
何を”お願い”するかを含めて、シンシアはじっと考えていた。
その時。
ガチャ
扉が開いた。
驚いて顔を上げる二人を、一人の男が見下ろしている。
その男が言った。
「お前たち、ここで何をしている?」
目を丸くする二人の前で、男もまた、目を見開いていた。
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