双剣の秘密

「ヒューリ殿は、”神殺し”という言葉をご存じかな?」


 ロダン公爵が、ヒューリに向かって静かに聞いた。

 小さく首を傾げ、記憶を辿るようにしばらく考えてから、ヒューリが答える。


「はい。小さい頃に、父や伯父から聞いたことがございます。たしか、神の力をも打ち破ることのできる、非常に強力な武器、だったかと」


 ヒューリの答えは曖昧だった。


「それ以外に、何か知っていることはあるか?」

「いいえ、ございません」

「そうか」


 申し訳なさそうなヒューリに、ロダン公爵が頷いた。

 たしかにヒューリは、神殺しという言葉を聞いたことがあった。しかし、改まった場でそれを聞いた訳ではない。何かの拍子に、あるいは会話の中で、父や伯父がそんなことを言っていたという程度。しかも、それはせいぜい二、三回。

 神の力をも打ち破るという刺激的な説明があったからこそ覚えてはいたが、公爵に聞かれなければ思い出すこともなかっただろう。

 不思議がるヒューリをロダン公爵が見つめる。

 その視線が、ヒューリの座る椅子の横、床に置かれた双剣に注がれた。


 ヒューリの双剣。父から譲り受けた家宝の剣。

 通常、剣であろうと何であろうと、武器を持ったまま貴族の部屋に入ることなどできはしない。しかしヒューリは、初めてロダン公爵と会った時から帯剣を許されていた。今では気にすることもなくなったが、最初の頃は非常に恐縮してしまったものだ。

 公爵が、顔を上げて話し出した。


「この世界には、神器と呼ばれる強力なアイテムがある。昔、人がまだ神と話すことができた頃、契約によって神から与えられたアイテムだ。契約を交わした人間と、その子孫のみが使うことができると言われている」


 ヒューリもマークも頷いた。

 突然その話が出てきたことには驚いたが、神器のことは、影の老人から聞いて知っている。


「大陸に現存する神器は、知られているもので二つ。エルドア王室に伝わる神の石と、キルグの皇帝が持つ神の鎧だ」


 これも老人の話と同じ。

 ロダン公爵も老人から聞いたのだろうか?


「エルドアは、神器の力を借りて国を守ってきた。キルグは、神器の力を利用して国土を拡張していった。神から授かった貴重な宝も、使い方は持ち主次第ということなのだろう」


 エルドアに伝わる神の石と違って、キルグに伝わる神の鎧は血塗られた歴史の中にあった。皇帝の権力を維持するため、そして他国を侵略するために、神の鎧は利用され続けてきたのだ。


 キルグの軍は強い。しかし、その強さは群を抜いているというほどではない。現に、隣国カサールはキルグの侵攻を防いでいるし、キルグと一進一退の戦いを繰り返している国もいくつかあった。

 しかし、キルグの皇帝が戦陣に加わった時、その軍は無敵となる。

 どんな物理攻撃も、どんな魔法攻撃も跳ね返すと言われる神の鎧。その鎧をまとった皇帝が、近衛の精鋭とともに突撃すれば、どれほど不利な戦況もあっさりと覆った。


 常識では考えられない戦術。

 どんな軍隊も、どんな強者も破ることのできないデタラメな攻撃。


 実際に皇帝が一線で戦うことは、そう多くはない。しかし、皇帝が控えているという事実が兵を強くする。神の鎧の存在が、相手の兵を弱くする。

 キルグの皇帝が親征を行って負けたことは、過去一度もなかった。


「そのキルグ皇帝が、唯一恐れているものがある。それが神殺しだ」


 ヒューリを見つめてロダン公爵が言った。


「神器と違って、神殺しの存在は確認されていない。キルグの皇帝も、それが実在しているという確証は持っていないだろう」


 実在するかどうかも分からない。そんなものをキルグの皇帝が恐れているということが、今一つピンと来ない。

 ヒューリが小さく首を傾げた。


「神殺しは、それを知る者自体が少なく、伝わる内容も曖昧だ。形状も使い方もほとんど分かっていないと言っていい。しかし、それが持つ特徴は、どの伝承でも一致している」


 ロダン公爵が、再びヒューリの双剣に視線を移す。

 双剣を見つめたまま、公爵が言った。


「この世界で唯一つ、神器を破壊することのできる武器。それが神殺しだということだ」

「神器を破壊できる?」


 あり得ない、とはヒューリも思わない。神器というアイテムがある以上、それを破壊できる武器があってもおかしくないと、ヒューリも思う。

 だが。


「まさか、この双剣がそうだと、おっしゃるのでしょうか?」


 父から受け継いだそれは、たしかに名剣だった。安物の防具なら、それがプレートアーマーであろうと貫くことができた。どんなに激しく斬りつけても、刃こぼれ一つすることはなかった。

 しかし、ヒューリの双剣は、ミナセの太刀のようにとてつもない切れ味を持っている訳ではない。リリアの大剣のように、とんでもない性質を持っているということでもなかった。


「ヒューリ殿。それをお借りしてもよろしいか?」


 ヒューリの問いに答えることなくロダン公爵が言う。


「……はい」


 疑問を抱えたまま、ヒューリが双剣を渡す。

 公爵が、両手でそれを受け取った。そして、鞘を優しくそっと撫でる。

 二度三度、懐かしむようにそれを撫で、小さく公爵がつぶやいた。


「ハミル……」

「!」


 ヒューリが目を見開いた。


「公爵、あなたは……」


 驚くヒューリに、公爵が言った。


「神器を破壊できる武器、神殺し。そなたの父ハミルは、それを受け継ぐ者だったのだよ」


 驚愕の事実だった。

 ヒューリが言葉を失う。


「イルカナは、昔から武よりも経済に重きを置いてきた。そのせいもあって、わしが若い頃は、修行相手にも事欠く始末でな。当時わしとまともに戦えるのは、現公爵のカミュ一人だけだった」


 これもまた予想外の話。

 もはやこれ以上驚くこともできない。


「そのカミュにも負けることがなくなった時、わしは武者修行に出た。公爵家の跡取り息子だというのに、今考えれば無謀な話だ」


 微笑みのまま公爵が続ける。


「そしてわしは、そなたの故郷クランでハミルと出会った。そこでわしは、やつに負けた。わしは悔しくてな。その地に留まって槍の腕を磨きながら、何度もハミルに挑んだのだよ」


 公爵が語る。


「試合をすること十度。勝敗は五分と五分。やつは実にいいライバルだった」


 とても楽しそうに公爵は語っていた。


「わしが祖国に帰る前日、二人で飲んでいた席で、やつが教えてくれたのだ。この双剣が神殺しだということを。神器を破壊できる、この世界で唯一つの武器だということをな」

「父が、公爵に?」

「そうだ。どうしてやつがそれを教えてくれたのか、わしにも分からぬ。酔った勢いだとは思わぬが、もしかすると、明確な理由はなかったのかもしれぬ」


 ヒューリも知らない双剣の秘密。

 驚いてばかりだったヒューリの心に、小さな影が差す。


「後にわしも神殺しについて調べたが、いずれも曖昧な伝承ばかりで、やつが語った内容ほど明確なものはなかった。ゆえに、わしはこの剣が神殺しだということを疑ってはおらぬ」


 公爵の声に力がこもる。

 ヒューリが、下を向く。


「やつは、このままでは剣の力が発揮できないと言っていた。柄頭に、ある”石”をはめることで封印が解かれるそうだ」


 封印、石。

 ヒューリの知らない話ばかりだ。


「どうして」


 ふいに、ヒューリが言った。


「どうして父は、私にその話をしてくれなかったのでしょう」


 寂しそうに言った。


「父は、私の武術の才能を認めてくれていました。だからこそ、私にその剣を託してくれたんだと思います。でも、私はその剣のことを何も知らなかった。私は、何一つ剣の秘密について聞いていないんです」


 大好きだった父。尊敬していた父。

 父から剣を受け継いだことを、ヒューリは誇りに思っていた。それが、今揺らぎ始めていた。

 

「どうして……」


 悔しそうに拳を握る。

 悔しそうに唇を噛む。

 ヒューリの瞳に涙が滲んでいった。


 その時。


「ヒューリを守るためだと、俺は思うぞ」


 隣から声がした。


「クランは、キルグと戦い続けていた。もし自分がその戦いで死んだ時、ヒューリが剣の秘密を知っていたらどうするだろうか。キルグ皇帝の鎧が神器だと知ったら、ヒューリはいったいどうするだろうか」


 驚いて、ヒューリが隣を見る。


「俺には、父親の気持ちは分からない。だけど、受け継ぐ者としての責務を捨ててまで、その秘密を語らなかったハミル将軍の気持ちは、何となく想像ができるよ」


 黒い瞳が言った。


「ヒューリ。お前は、心から愛されていたんだと、俺は思うぞ」


 赤い瞳から、涙が溢れ出した。


「お父様……」


 声が震える。

 肩が震える。


「巡り巡って、今、ヒューリは受け継ぐ者となった。これからは、お前が責務を果たしていくんだ」

「はい」


 泣きながら、ヒューリは頷いた。

 何度も何度もヒューリは頷いた。


 やがて涙が止まり、ちょっと恥ずかしそうに顔を上げて、ヒューリが笑う。

 その肩をポンと叩いてマークも笑う。

 そしてマークは、公爵に顔を向けた。


「先ほど公爵は、剣の封印を解くには”石”が必要だとおっしゃいましたが、その石については、何かご存じなのでしょうか?」


 このままでは剣の力が発揮できない


 たしかに公爵はそう言っていた。


「ふむ」


 公爵が答える。


「じつは、わしもそれについてはよく知らぬのだ。だが、それをよく知っている人物なら知っておる」

「知っている人物?」


 マークが身を乗り出す。

 隣でヒューリも身を乗り出した。 


「ハミルの兄、ヒューリ殿の伯父御殿だ」

「伯父上が?」

「神殺しについて教えてくれた時に、ハミルが言っていた。石は兄が持っているとな」


 またもや驚くべき話だった。

 父であるハミル将軍が国民から非難されていた時、最後まで庇ってくれたのが伯父だった。その伯父は、父が処刑され、ヒューリたち母子が山奥の山荘に軟禁されてからも、何かと気を配ってくれていた。

 王の一族はみな処刑されたと聞いている。国の重鎮だった伯父も、おそらくは……。


「伯父御殿は、生きておられるぞ」

「えっ!?」


 うつむき掛けたヒューリが、激しく顔を上げる。


「クランが滅びた後、何かできることはないかと思ってな、調べたのだ。伯父御殿と、そして王の末のお子も生きておられる」

「王子が!?」


 ヒューリが叫ばんばかりの声を上げた。


「お二人とも、クラン城のどこかに囚われているようだ。町の人たちの口が重くてな、部下も詳しくは聞けなかったらしいが、生きていることだけは間違いない」


 脳裏に伯父の笑顔が浮かんできた。

 鼓膜の奥に、幼い王子の声が聞こえてきた。


「ヒューリ殿。伯父御殿に会って、石を手に入れてはくれないだろうか。そして、この剣の封印を解いてはくれないだろうか」

「封印を、解く?」

「ヒューリ殿への追跡が中途半端に終わっていることを考えると、キルグがこの剣を狙ってクランに侵攻したとは考えにくい。キルグは、この剣が神殺しであることを知らぬ可能性が高いだろう」


 ヒューリが頷く。


「封印を解いたとしても、それをキルグに知らしめる必要はない。キルグが攻めて来た時の対抗手段として、それを持っていてほしいだけなのだ」


 公爵が身を乗り出す。


「キルグの企みを潰すことに失敗すれば、キルグの侵攻が始まる。その第一波を防いだとしても、皇帝が自らやってくれば、我が国に勝ち目はない」


 公爵の声に力がこもる。


「そもそも無茶な依頼をしている上に、それが失敗した時のことまで頼むのは、あまりに勝手な話だろう。しかし、それ以外にこの国を守る手段を思い付かぬのだ」


 真っ直ぐな想いが迸る。


「無理も承知、危険も承知。だがどうか、頼む!」


 ヒューリと、そしてマークに向かってロダン公爵が頭を下げた。

 いつも謙虚なロダン公爵。だが、今の公爵は必死だ。謙虚だとか偉ぶらないとかそういうことではなく、国のために、公爵は必死に頭を下げていた。

 先ほどは即答だったマークが、今度は答えない。かわりにマークは、ヒューリを見た。見つめられて、ヒューリが驚く。


 私に決めろってこと?


 マークを見つめ返して、ヒューリも黙った。


 神殺し。

 封印。

 受け継ぐ者。


 様々な言葉が胸に渦巻く。


 父の背中。

 父とよく似た伯父の横顔。

 祖国の山々。


 懐かしい光景が甦る。


 仲間の笑顔。

 今ある幸せ。

 そして、ヒューリの未来。


 ヒューリが目を閉じた。

 ヒューリが姿勢を正した。

 ヒューリが、目を開いた。


 そして。


「かしこまりました。そのご依頼、お受けいたします」


 ヒューリが答えた。

 公爵が顔を上げる。ヒューリを見て、マークを見る。

 マークは、穏やかに微笑んでいた。


 公爵が立ち上がって、持っていた双剣を両手でヒューリに返した。


「すまない、感謝する!」


 心からの謝意をヒューリに示して、ロダン公爵は、ホッとしたように微笑んだ。

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