第十六章 神殺し

黒幕

「急に呼び出してすまぬな」

「公爵のお呼びとあれば、いつでも参ります」


 相変わらず腰の低いロダン公爵にマークが微笑む。


「ヒューリ殿も、忙しいところすまない」

「いえ」


 マークの隣で、落ち着かない様子のヒューリが答えた。

 ミナセたちがエルドアへ飛び立ったその数日後、ロダン公爵から急な呼び出しがあった。そこには、なぜかヒューリの同席が求められていた。


 どうして私が?


 ロダン公爵の意図は、マークにも分からないようだった。だが、公爵が意味のないことをするはずがない。緊張しながら、ヒューリは公爵の言葉を待った。


 公爵がヒューリを見つめる。

 その視線をマークに移して、公爵が話を始めた。


「昨夜、影の老人が訪ねてきた。王族の方々が決断をされたようだ」


 マークが頷く。

 挨拶もそこそこに始まった公爵の話。いきなり核心に迫る雰囲気だ。平然と頷くマークと違って、ヒューリは穏やかでいられない。


「エルドアは、わしにすべての情報を伝えてきた。わしも、老人にすべてを伝えた。そして、わしと老人は同じ結論に至った」


 公爵が言葉を切る。

 マークが静かに待つ。

 ヒューリの喉が、ごくりと鳴る。


 二人を見据えて、公爵が言った。


「エルドアの混乱の裏には、キルグ帝国がいる」

「!」


 ヒューリの目が大きく広がった。

 キルグ帝国。父を陥れ、家族を奪い、祖国を滅ぼした国。


「やはりそうでしたか」

「えっ?」


 マークの答えに、ヒューリは驚いて隣を見た。

 ちらりとヒューリを見て、公爵が続ける。


「武術大会の前に話していた懸念が現実となった訳だ。だが、これではっきりした。確証が得られたのはマーク殿のおかげだ。礼を言う」

「公爵に先見の明があったからです。私は老人のことをお伝えしただけ。私に功などございません」

「相変わらず謙虚だな」


 微笑む二人を、驚きながらヒューリが見つめた。


 武術大会開催にあたって、ロダン公爵は、選手を出してくれるようマークに依頼をしていた。その際に語られたいくつかのこと。その中の一つに、エルドアの件があった。


 ロダン公爵は、イルカナの軍事を司っている。いついかなる国が攻めて来ようとも、それを撃退するために兵を鍛え、軍備を整えていた。

 しかし、ロダン公爵がもっとも心を砕いていたのは、戦に勝つことではなかった。


 いかにして戦を回避するか


 そのために、公爵は独自の情報網を築いている。

 東のカサール、南のエルドア、西のコメリアの森、北西のウロル。

 往来の困難な北のオーネス王国を除く、周辺のすべての国に部下を送り込んで、常に動静を探らせていた。ウロルの軍備拡張を知ることができたのも、その情報網のおかげだ。

 その情報網が捉えた。


 エルドアの王が暗殺された可能性がある。

 さらに。

 教団の背後に、非常に大きな組織がいる。


 公爵は、それをマークに伝えていた。明らかに機密事項と言えるそれを、”今後に備えて”伝えていたのだった。


「教団を支援しているのがエルドアの南の国であれば放置しておくつもりだったのだが、相手がキルグとなると、話は別だ」


 険しい顔で公爵が言う。


「キルグとエルドアの間には、広大な荒野がある。それを越えてまでキルグがエルドアに侵攻するとは思えぬ。キルグには、何か別の目的があるはずだ」


 マークが静かに頷く。


「だが、その目的が何であれ、それが達成されることは防がねばならぬ。それが達成されれば、おそらくキルグは、また大規模な侵攻を開始するはずだ」


 キルグは強大な軍事国家だ。その領土は大陸でも有数の広さを誇っている。

 常に領土拡張を狙うキルグは、しかしここ数年大きな戦争をしていなかった。ヒューリの故郷クランを滅ぼしてはいるが、残念ながら、それは大規模な戦争とは言えない。


「仮にカサールが狙われた場合、本来なら我が国から援軍を送るところだが、エルドアにキルグの影が見えている以上、慎重にならざるを得ない」


 キルグがカサールを破れば、当然その次はイルカナが狙われる。それが分かっていたとしても、今の状況では大規模な支援は躊躇われた。


「しかも」


 公爵の表情が、一段と険しくなる。


「老人の話では、エルドアで暗躍している謎の人物が、国境を越えて北に向かう姿を何度か確認しているそうだ」

「謎の人物?」


 マークも初めて聞く話らしい。


「うむ。エルドアの見立てでは、その人物が魔物の大量発生に関わっている可能性が高いとのことだ」


 ヒューリが目を見開いた。


「その人物に近付いた諜報員は、誰一人として戻って来なかったそうだ。ゆえに、重要な監視対象でありながら行動は把握できず、その素顔さえ分からない。その人物が、国境を越えて北に向かった。すなわち、このイルカナに何度か侵入しているということになる」


 この国は危険なのじゃ


 ヒューリの脳裏に老人の言葉が甦る。

 それを聞いた時、マークは老人に何も問うことをしなかった。

 

 どうして社長は……


 ヒューリが隣をちらりと見る。

 すると公爵が、ヒューリの疑問に答えるようにマークに言った。


「大会前に、マーク殿は言っていたな。”この国に大きな危険が迫っているのではないか”と。どうやらそれが、具体的に形を成してきたようだ」


 ヒューリが今度ははっきりと隣を向いた。

 静かなままのマークを驚きの表情で見つめる。


「教団の暴走も、謎の人物の暗躍も魔物の発生も、間違いなくキルグが裏で糸を引いている。もしかすると、キルグは、エルドアとイルカナを大いに混乱させた上で大規模な侵略を開始するつもりなのかもしれぬ」

「キルグが、侵略を開始する……」


 ヒューリが、強く拳を握った。


 エム商会に入ってからは、あまり思い出すこともなくなっていた。

 幸せだと思うことも増えていった。


 しかし。


 体が冷たくなっていく。それなのに、汗が止まらない。

 決して消えないヒューリの記憶。決して消えることのないあの時の感情。


 ふと。


「ヒューリ」


 隣から声がした。


「大丈夫だ。俺たちがいる」


 落ち着いたマークの声がした。


 ふうぅぅ


 ヒューリが息を吐き出していく。


「はい」


 ヒューリが答えた。


「ありがとうございます」


 両手を数回開いて閉じて、肩を回して背筋を伸ばし、一度だけ天井を見上げる。


 そうだ、私にはみんながいる

 私はもう、一人じゃない


 ヒューリが微笑んだ。

 それを見て、ロダン公爵も微笑んだ。


「さて、状況説明はここまでにして、今日の本題に入ろう」


 表情を引き締めて公爵が言った。


「マーク殿とヒューリ殿に、折り入って頼みがある」

「謹んで伺います」


 マークが答える。

 ヒューリも、しっかりとロダン公爵を見た。


「キルグが侵略を開始すれば、大変な事態になることは明白だ。ゆえに、キルグの企みを早い段階で潰したい。しかし、今話した内容には多分に推測が含まれている。よって、現時点でイルカナが国として動くことはできぬ」


 マークが頷く。


「キルグの企みを妨害する。その活動にイルカナは関係していない。少なくとも表面上はそう見せなければならんのだ」


 ヒューリも大きく頷いた。

 公爵の話は当然と言えるだろう。キルグがイルカナを害しているという明確な証拠はない。それなのに、イルカナがエルドアの内政に干渉するばかりではなく、キルグを黙らせるというのだ。

 イルカナの影をちらつかせる程度が精一杯。それ以上は、周辺諸国とキルグを刺激してしまう。


「ゆえに、だ」


 ロダン公爵が、身を乗り出した。


「エム商会に、エルドア混乱の元凶の排除、ならびに謎の人物の排除を依頼したい」

「!」


 ヒューリが息を呑んだ。


「かしこまりました」


 マークが即答した。


「社長!?」


 ヒューリが目をまん丸くしてマークを見る。

 ロダン公爵でさえ、その即答ぶりに驚いていた。


「この件は、社員全員で当たりたいと思います。一日も早く準備を始めたいので、恐れ入りますが、今ミナセたちが行っているアルバート様の護衛を、途中から公爵に引き継いでいただくことはできますでしょうか」

「……分かった」

「コメリアの森にイルカナの軍は入れないと思いますので、国境から先の護衛は、私からターラさんに依頼をしておきます」

「……助かる」

「お持ちの情報は、可能な限りお知らせください。新たな情報が入った時は、都度ご連絡を頂戴できればと思います」

「そうだな、もちろんだ」


 話が早いどころではない。完全にマークが話を進めている。

 さすがのロダン公爵も返事をするのがやっとだ。


 一国の命運を左右するほどの依頼。いや、一国どころではない。イルカナとエルドア、キルグ、そしてキルグと国境を接するすべての国に影響を与えるほどの依頼だ。社員七人の小さな何でも屋が受けるような話ではない。

 と、ヒューリは思ったのだが、そんな常識的な考えはマークにないようだった。


「ところで」


 少し間を空けたマークが、公爵に聞いた。


「この場にヒューリを同席させた理由を、お聞かせいただけますでしょうか」


 ヒューリの肩がピクリと動く。


「ふむ、そうだな」


 すっかりマークのペースに呑まれていたロダン公爵が、きちんと座り直して、お茶を一口飲んだ。

 そして、ヒューリに向かって静かに聞いた。


「ヒューリ殿は、”神殺し”という言葉をご存じかな?」

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