第十七章 人ではない者
個人的な思い
エム商会の事務所では、久し振りに全員が揃って打ち合わせが行われていた。
報告を終えたヒューリとシンシアに、マークが笑顔で声を掛ける。
「ヒューリ、シンシア。本当にお疲れ様」
「いやあ、大変でしたよ、ほんとに」
大きく胸をそらすヒューリを見て、シンシアがマークに言った。
「ヒューリの単独行動は、これからも控えさせるべき。危なっかしくて、見ていられない」
「なにをー!」
ヒューリがシンシアに掴み掛かる。
ミナセが、その襟首を握って引き戻した。
「ミナセ、止めるな! 私はこいつを……」
真っ赤な顔のヒューリの前で、澄まし顔のシンシアがお茶を飲む。
「帰ってきたって感じよね」
「やっぱりここが一番です!」
楽しそうなフェリシアと一緒にミアも笑った。ウロルに行っていた二人も、ちょうど昨日帰ってきたところだった。
いつものやり取りが終わったところで、リリアが遠慮がちに聞いた。
「あの、ヒューリさん。その剣を見せていただいてもいいでしょうか?」
神器を破壊することのできる武器、神殺し。その封印が解かれたと聞いて、リリアは何となく落ち着かずにいた。
「ああ、そうだな」
ヒューリが足元から双剣を拾い上げて、その片方をすらりと抜いた。
「おぉっ!」
歓声が上がる。
紅い光を放つ剣。それは、まるで炎のように揺らめいて見えた。
続けてヒューリが、もう片方の剣を抜く。
「おおぉっ!」
「かっこいい!」
ミアが叫ぶ。
青白い光を放つ剣。それは、まるで氷のように透き通って見えた。
「これが、神殺し」
「不思議な力を感じるな」
リリアの大剣ともミナセの太刀とも違うそれは、まさに神秘的な存在感を放っている。
みんなが双剣を見つめる中で、リリアがつぶやいた。
「もし、私の剣が三つ目の神器だとしたら、これで壊せるってことなんですよね」
ヒューリの叔父が言っていた三つ目の神器、神の剣。神殺しを受け継ぐ一族でさえ、それがある場所も、その形状も分からないという謎の剣。
リリアの大剣が神器だという確証はない。しかし、リリアの大剣は神器の特徴を完全に備えている。
「試して、みますか?」
ポカッ!
「あいたっ!」
「冗談でも言わないの!」
「すみませ~ん」
フェリシアに怒られるミアを見て、みんなが笑う。
「帰ってきたって感じだな」
「うん」
ヒューリとシンシアが、目を合わせて笑った。
「さて、本題に入るか」
微笑みながらマークが言った。
その声でヒューリが剣を収め、全員が姿勢を正してマークを見た。
「ロダン公爵から依頼された、エルドア混乱の元凶排除と謎の人物の排除。それはつまり、エルドアからキルグ帝国を排除するということだ」
ミナセが頷く。
「キルグがいなくなれば、教団も謎の人物も、活動の源泉を失うだろう。そうすれば、国の統治機構も回復して、エルドアの混乱も落ち着いていくに違いない」
フェリシアも大きく頷いた。
アルバートのことを思い出したのだろうか。その顔は真剣そのものだ。
「だが、俺はそれ以上の成果が必要だと思っている」
「それ以上の成果?」
「そうだ」
ヒューリに向かって、力強くマークが答えた。
「自分たちの邪魔をした俺たちを、キルグが放っておくはずがない。今回の依頼を達成するということは、キルグを敵に回すことと同じ意味になる。俺たちは、過去最大級の脅威に晒されることになるだろう」
ミアがごくりと唾を飲み込んだ。
みんなの表情が引き締まった。
当然と言えば当然。膨大な時間と費用を費やしてきた計画が潰されたとなれば、キルグが黙っているはずがない。
「だから」
マークが全員を見た。
「俺たちは、キルグを完全に黙らせる必要がある」
全員が、目を見開いてマークを見た。
「まさか、キルグを滅ぼす、とか?」
ミアが恐る恐る聞いた。
普通なら、そんな問いは冗談にしか聞こえないだろう。しかし、今のマークの顔は「そうだ」と答えてもおかしくないほどに険しい。
全員が答えを待つ。
マークが答えた。
「いや、さすがにそれはない」
ふぅぅぅ
全員が息を吐き出した。
それを見て、マークが笑う。
「いくら俺でも、できることとできないことの区別くらいはつくぞ」
「ですよねぇ」
脱力しながらミアが言うが、全員が内心思っていた。
社長なら、何を言い出してもおかしくない
「だが、場合によっては、キルグの帝都に乗り込むくらいのことは必要になるだろう」
軽~く言われて、みんなはまた思った。
やっぱりそうなのね……
そうは思ったが、マークの言葉に怯む者は一人もいない。この依頼を受けた時、すでにみんなの覚悟は決まっていた。
「エルドアに向かうのは、ロダン公爵と話をした後になる。公爵邸には明日にでも伺うつもりだから、ヒューリは予定しておいてくれ」
「はい」
ヒューリが頷いた。
ロダン公爵は、アルバートの護衛を終えてアルミナに戻っている。マークの来訪、すなわちヒューリとシンシアの旅の報告を心待ちにしていることだろう。
「エルドアからいつ戻って来られるか分からない以上、会社もまた休業しなければならない。すでに準備は始めているが、より一層急ぐ必要がある。ミナセ、みんなと一緒に引き続き頼む」
「……分かりました」
ミナセが、やや遅れて頷いた。
それをちらりと見て、しかしマークはすぐに視線を戻す。
「この依頼が困難なものには違いない。だが、俺たちはそれを達成して、必ずこの場所に戻ってくる。みんな頼むぞ」
「はい!」
気迫のこもった声で、全員がマークに応えた。
打ち合わせが終わり、みんながバラバラと立ち上がる。
「また明日ね」
「今夜はいっぱい飲んで、いっぱい寝るぞー」
「お付き合いいたします!」
宿屋組が玄関へと向かう。
その時、ふいにマークが言った。
「ミナセ。悪いが、ちょっと残ってくれないか」
「……はい」
うつむきながら、ミナセが答えた。
「じゃあ先行ってるぞ」
「ああ、悪い」
ヒューリたちを送り出して、ミナセがマークの前に立つ。
その様子を見て、リリアが少し大きな声で言った。
「シンシア、今夜は何が食べたい? 私、頑張っちゃうよ!」
「私も手伝う」
「じゃあ一緒に買い物行こっ!」
シンシアの手を引き、マークに「行ってきます」と言って、リリアたちも出て行った。
その背中に微笑んで、マークがミナセを見る。
「で、どうしたんだ?」
呼び止められた時に覚悟はしていたのだろう。ミナセが、顔を上げてマークを見た。しかし、すぐにまたうつむいてしまう。
「じつは……」
うつむいたまま、ミナセが話し出す。時々マークをちらりと見ながら、小さな声で話を続けた。
「なるほど、話は分かった」
「お時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした。でも、あの、すべては個人的な思いなので……」
どこまでも控えめにミナセが言う。いつもは凛としているミナセが、今は落ち着きなく視線を彷徨わせている。
そんなミナセを、マークがじっと見つめた。
やがて。
「今の話、本当は、アルバート様の護衛から戻って来た時に言おうとしてたんじゃないか?」
驚いてミナセが顔を上げた。
そして、またうつむく。
「すみませんでした」
まさにその通りだった。
「まったく。お前は昔から変わらないな」
「え?」
またもや驚いて、ミナセがマークを見た。
笑いながら、マークが言った。
「すべては個人的な思い。結構じゃないか」
「えっと……」
「前にも言っただろう? 世の中を動かしているのは、すべて個人的な思いなんだ」
「それは、そうかもしれませんが」
ミナセはやっぱり戸惑う。
「それに今の話には、ミナセの都合というだけじゃなく、ちゃんと合理的な理由もある。十分説得力のある話だと思うよ」
「そうでしょうか」
「そうだ。それに……」
「……?」
急にマークが黙った。
ミナセが首を傾げてマークを見た。
ミナセを真っ直ぐに見て、マークが言った。
「何より俺が、お前の望みを叶えてやりたいと思っている」
「!」
「だから、お互いに個人的な思いを叶えようじゃないか」
鮮やかにマークが笑った。
鮮やかに、ミナセの頬が染まっていった。
黒い瞳が見つめ合う。
音のない時間が過ぎていく。
突然、ミナセが両手で顔を覆った。
「うぅ……」
ミナセが泣き出した。
「なぜ泣く!?」
マークが慌てる。
「と、とにかく、その件は俺に任せろ。とりあえず、これで涙を……」
「うぅ……」
「だから!」
オロオロとハンカチを差し出すマークの前で、しばらくの間、ミナセは泣き続けていた。
翌日。
「ほぉ」
妖しく輝く双剣を見て、ロダン公爵が感嘆の声を上げた。
どんな秘宝とも、どんな神器とも一線を画すその姿は、神が最後に人に与えたアイテムという逸話にふさわしい存在感を放っている。
「ヒューリ殿、本当によくやってくれた」
「はい」
「シンシア殿にもよろしく伝えてくれ」
「かしこまりました」
ヒューリと、そしてマークを前にしたロダン公爵は、久し振りの朗報に心からの笑みを浮かべた。
「我々の準備は整いつつあります。来週以降であれば、いつでも出発が可能です」
「分かった。こちらも準備を進めておこう」
マークの言葉にロダン公爵が頷いた。
エム商会の旅を、ロダン公爵が影から支える手はずになっている。表向き関われないとは言え、エム商会にすべてを丸投げをするほどロダン公爵は無責任ではなかった。
「ところで公爵。じつは、旅の行程についてご相談がございます」
「相談?」
ロダン公爵がマークを見た。
「今までお話をせずに申し訳なかったのですが」
そう前置きをしてから、マークが話し始めた。
エム商会が創立されて間もない頃の出来事。
ミナセが出会った不思議な少女。
ミナセが掴んだ少女の手掛かり。
それは、公爵の情報網にも、影の老人からの情報にもなかった話だった。
「うーむ、そんなことが……」
話を聞き終えた公爵が、背もたれに体を預けて唸る。
マークの隣で、ヒューリも驚いていた。
「いかがでしょう。この件は、確かめておく必要があると思うのですが」
マークの声に、体を起こして公爵が答えた。
「分かった。その行程で手配をしておこう」
「ありがとうございます」
頭を下げるマークと一緒に、ヒューリも慌てて頭を下げた。
「ヒューリ。この件は俺からみんなに話をする。それまでは黙っていてくれないか」
「えっと、はい、分かりました」
驚きの収まらないヒューリが、とにかく返事をした。
「では、公爵。しばらくお会いすることはございませんが、何とぞご健勝で」
「うむ。皆も気を付けてな」
微笑むマークと固い表情のヒューリを、自ら扉を開けて公爵が見送った。
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