手紙
「また休業するのか」
アルミナの町は、またもやエム商会の話で持ち切りとなっている。
「でも、ちゃんと帰ってくるんだろ?」
「だと思うけどな」
しかし二度目とあって、みんなの顔に悲壮感はない。
「今回はどこに行くんだ?」
「さあな。まあ、門の衛兵に聞けば方角くらいは分かるさ」
前回の休業の時、社員たちは北に向かった。その情報は、北門の衛兵からもたらされている。
「今のうちに、顔を拝みに行っとくか?」
「そうだな。今日はあの宿屋に一番乗りだ!」
困惑する人や、休業を酒の肴にする人。
エム商会の休業は、今回もアルミナの町に様々な影響を与えていた。
そんなある日。
「会社が休業するのですか?」
「はい。よくご存知で……」
「あなた方は、この国の上流階級に大きな影響力を持っているのです。その動向は、あっという間に知れ渡るのですよ」
「そ、そうなんですね」
久し振りに訪れた屋敷の、久し振りに訪れた部屋。そのソファに座って、ミアは緊張気味に答えた。
ミアが緊張しているのは、目の前に座る夫人のせいではない。その斜め後ろに立っている侍女のせいだ。
「えっと……」
相変わらずの視線で見下ろされて、ミアが意味のない言葉をつぶやく。
すると。
「その節は大変お世話になりました。ありがとうございました」
侍女が、頭を下げた。
「はい!?」
驚くミアに、侍女が続ける。
「それから、あの時は大変失礼なことを申し上げてしまいました。心からお詫びを申し上げます」
再び頭を下げる侍女を見て、ミアが慌てて立ち上がる。
「こ、こちらこそ、生意気なことを言ってすみませんでした!」
侍女よりもはるかに深く、ミアが頭を下げた。
しばらく頭を下げ続けて、同時に顔を上げた二人は、どちらからともなく笑った。
「これで仲直りですね」
二人を見てイザベラも笑う。
その笑顔は、初めて会った時と比べると格段に柔らかかった。そして何よりその顔は、初めて会った時と比べて驚くほどすっきりしていた。
「夫人、もしかしてあれからも……」
座り直したミアが、イザベラに言う。
「言ったはずよ。わたくしは頑張るって」
楽しそうに笑うイザベラの後ろで、侍女も嬉しそうに笑っている。
「ところでミア。休業するのは、皆さんでエルドアに向かうからでしょう?」
「はいっ!?」
ミアがまたもや大声を上げる。
意表を突かれて、その声は完全に裏返っていた。
「どどどど、どうしてですか!?」
動揺しまくり、慌てまくりでミアが聞く。
エム商会がエルドアに行くことは極秘事項だ。それは、社外秘などというレベルではなく、国家の機密事項なのだ。
脂汗を流しながら口をパクパクするミアに、イザベラが言った。
「安心なさい。そのことを知っているのは、この国の中でも数名しかいないわ。もっともその人たちは、わたくしが知っているだなんて、思いも寄らないでしょうけれど」
あの無愛想だったイザベラが、いたずらっぽく笑っている。それはとてもいい変化だと思うのだが、それを喜ぶ余裕は今のミアにない。
「それでね、旅に出る前にお願いがあるの」
そう言うと、イザベラが侍女を見た。侍女がイザベラに歩み寄り、一通の手紙を手渡す。
それを、イザベラがテーブルの上に静かに置いた。
「これを、エレーヌに届けていただけないかしら」
「エレーヌ様に、ですか?」
どうにか動揺を収めてミアが聞いた。
ロダン公爵夫人、エレーヌ。ダイエット支援事業の窓口をお願いしていることもあって、社員たちは比較的話をする機会が多い。
そのエレーヌが、イザベラと幼馴染みだと言っていたことをミアは思い出した。
「とても大切な手紙なの。お願いできるかしら」
イザベラの表情は笑顔のままだ。しかしミアは、その目を見て息を呑んだ。
ミアが、姿勢を正す。
「分かりました。間違いなくお届けいたします」
真剣に答えて手紙を受け取った。
「ありがとう」
イザベラの目に、笑顔が戻った。
「これで話はおしまいよ。では、今日の本題に入りましょう」
「本題?」
「そう。今日来てもらったのは、久し振りにあなたと運動がしたいと思ったからなの」
「はい……」
戸惑うミアを無視してイザベラが立ち上がる。
手紙を鞄にしまいながら、ミアも立ち上がった。
イザベラは、そのまま屋敷の庭へと向かった。最初から動きやすい服装をしていたので、着替えることもなく、ミアと一緒にストレッチを始める。
その後もイザベラは、二人で庭を歩いたり、芝生の上でミアにマッサージをしてもらったりした。使用人や警備の衛兵たちが驚きながら二人を見ていたが、それを気にすることもなく、穏やかな日差しの下で時間を過ごす。
やがて。
「今日は来てくれて嬉しかったわ。体もほぐれたし、気分も晴れやかよ」
本当に嬉しそうに笑うイザベラを見て、ミアも笑う。
「私も、夫人とご一緒できてよかったです!」
お土産にいただいたお菓子の礼を言い、きちんと頭を下げて、ミアは屋敷を出ていった。
ミアを門まで見送った侍女が、イザベラの私室に戻ってくる。そして、窓辺に佇むイザベラに聞いた。
「あの手紙を、あの子に託してよろしかったのですか? 私がお届けした方が……」
「いいえ」
窓の外を向いたまま、イザベラが言う。
「わたくしは、もう何年もエレーヌと会っていません。あなたがロダン公爵邸を訪れれば、監視をしている者たちが不審に思うでしょう」
「たしかに」
「ミアなら、エレーヌを訪ねてもおかしくはありません。それに、あの子はエム商会の社員です。この町では、それがもっとも強力なお守りとなるでしょう」
「そうですね」
侍女が小さく頷いた。
「あの手紙は、絶対にエレーヌへ届けなければならないのです。何があろうとも、絶対に」
強い声で言うイザベラの背中を、侍女が泣きそうな目で見つめる。
「ミア。最後にあなたと会えて、本当に嬉しかったわ」
侍女がうつむいた。
固く閉じたその目から、涙が一粒こぼれ落ちた。
屋敷を出たミアは、地面を睨んで歩きながらブツブツとつぶやいていた。
「手紙……手紙……」
どうやら、イザベラから預かった手紙のことを考えているようだ。
イザベラとは、ダイエット支援の依頼を終えて以後、一度も会っていなかった。そのイザベラから、急な招きがあった。
マークの判断で、何とか仕事をやりくりした上で、今日ミアが屋敷を訪れている。
「大切な手紙……どうして私に……」
イザベラは、ミアと一緒に運動することを”本題”と言っていたが、どう考えても違うだろう。
どう考えても、手紙が”本題”だ。
ミアなりにいろいろ考えるが、イザベラの行動の理由も、ミアに手紙を託した理由も思い浮かばない。
「うーん、分かんない。分かんないけど、こういう時は、思い立ったが吉日よね!」
諺の使い方がちょっと違っている気はするのだが、自分に勢いをつけるためにそう言って、ミアは走り出した。
ここは町の北西部。貴族の屋敷が建ち並ぶ閑静な地域。
その静かな町の中を、ミアがまっしぐらに駆けていく。
「やあ、ミアちゃん。今日もかわいい……」
「どもっ!」
びゅん!
知り合いの商人に片手で返事をして、ミアは走り続ける。
そしてミアは、エレーヌの住む屋敷、すなわちロダン公爵邸へとやってきた。
両手を膝に置いてゼェゼェ息をするミアに目を丸くしながらも、門兵はちゃんと取り次いでくれた。
ちょうど屋敷にいたエレーヌも、すぐに私室へと通してくれた。
挨拶もそこそこに、ミアは手紙をエレーヌに渡す。
「あの子が手紙を?」
エレーヌが、封を切らずに手紙を見つめる。
「手紙を渡す時、あの子は何か言っていたかしら?」
「大切な手紙だとおっしゃっていました。それ以外は何も」
エム商会がエルドアに向かうことを、イザベラは知っていた。そのことは、さすがのミアも言わなかった。
エム商会が休業することは、マークからエレーヌに連絡済みだ。しかし、社員たちがエルドアに行くことは、エレーヌも知らない可能性が高い。何と言っても、それは国家機密なのだ。
「そう……」
それだけ言ってエレーヌが黙る。
気まずい沈黙。ミアの苦手な雰囲気だ。
それでも、エレーヌの思考を邪魔しないようにミアは待った。ミアもちゃんと成長していた。
しばらくして、エレーヌが顔を上げる。
「分かったわ。届けてくれてありがとう」
「いえ」
笑顔のエレーヌに固い笑顔で答えて、ミアは屋敷を後にした。
その日の夕方、ミアは、今日の出来事をマークに報告した。
「イザベラ様が、俺たちの行き先を知っていたのか?」
さすがのマークも驚く。
「はい。それと、エレーヌ様宛の手紙を託されたので、お届けしてきました」
「手紙?」
腕を組んで考え込むマークを、社員たちが黙って見つめる。
やがてマークが、ミアとみんなに言った。
「このことは、誰にも言わないでくれ」
「分かりました」
全員が頷く。
「出発の日も近い。何か気になることがあったら、すぐ俺に報告してくれ」
「はい」
みんなの返事を聞き、みんなに頷き返して、マークが小さくつぶやいた。
「いったいどういうことなんだ?」
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