反撃の狼煙

 夜が明けて辺りが見えるようになると、シスターたちはその光景に呆然と立ち尽くした。

 畑のほとんどが掘り返され、納屋は破壊されている。飼っていた鶏は、一羽残らず殺されていた。

 その中で、薬草園だけは大きな被害を免れている。


「ファンが守ってくれたのね」


 フローラがぽつりとつぶやいた。

 隣に立つミアの目から、涙がこぼれ落ちた。


 これほどの被害にあっては、さすがの院長も黙っている訳にはいかない。朝一番で衛兵に通報した。

 衛兵たちはすぐにやってきて、聞き取りや現場検証を行った。ミアも、襲われた時の状況を聞かれた。


「犯人は、少なくとも男が二人と、ほか数人ということですね?」

「はい」

「男の顔は見ましたか?」

「暗かったので、はっきりとは見ていません」

「何か覚えていることはありますか?」

「一人は魔術師でした。何ていう魔法か分かりませんが、魔法でファンを……」

「なるほど、分かりました」


 通り一遍のことを聞くと、衛兵は「ご協力ありがとうございました」と言って、別のシスターの話を聞きに行く。

 ほかの衛兵たちも、手際よく検証や聞き取りを行っている。

 そして、「また何かあったら連絡をください」と院長に伝え、早々に引き上げていった。

 何となく、淡泊な印象だ。


 衛兵たちを見送った院長が、ミアのもとにやってきた。


「ケガはもう大丈夫なのですか?」

「はい、何ともありません」


 男に蹴られて痛めたミアの脇腹は、完全に治っていた。

 ファンに向けたヒールは、ミア自身の体にも効果を及ぼしていたようだ。


「それは良かった」


 良かったと言いながら、院長はやはり表情をほとんど変えない。

 いや、いつにも増して、その顔は無表情に見えた。


「院長先生」


 ミアが、院長に問い掛ける。


「犯人は、教会に嫌がらせをしている人たちなんですか?」

「それは……分かりません」

「どうして教会がこんな目に遭わなきゃいけないんでしょうか?」

「……」

「院長先生は、犯人が誰だかご存じなんじゃないですか!?」


 ずっと堪えていたものが、ミアの中で弾けた。


「私、もう我慢できません! こんなことをしたのは誰なんですか!」


 院長にミアが詰め寄る。

 ミアの全身には怒りが満ちていた。


「黙ってないで答えてください! 院長先生は犯人を知ってるんでしょう?」


 一言も発しない院長に感情をぶつける。


「私、ファンを殺した犯人を絶対に許さない! 絶対絶対許さない!」


 その目からはとめどなく涙が溢れていた。


「ミア、そのような考えは捨てなさい」


 院長が、冷静な声でミアを諭す。

 だが、そんな言葉では、激しく渦巻くミアの心は鎮まらなかった。


「いやです! 院長先生が教えてくれないなら、私が犯人を突き止めます!」

「ミア!」

「院長先生みたいに、何をされてもじっと耐えるだけなんて、私はいや!」

「お黙りなさい!」

「黙りません! ファンが死んじゃったんですよ! ファンはもう帰ってこないんですよ!」


 髪を振り乱してミアが叫ぶ。


「あなたの考えは危険です。それでは……」

「じゃあ院長先生が何とかしてくださいよ!」

「……」

「何にもできないんでしょう? 院長先生は、何にもしてくれないんでしょう?」


 強烈な言葉だった。

 修練を積んできたはずの院長の体が、震える。


「もういいです! もういや! 私は……私は!」


 その時。


 スパーンッ!


 鋭い音とともに、ミアの頬が平手で張られた。

 衝撃で、ミアが後ずさる。


 痛みではなく、驚きでミアの目が見開かれた。

 その目の前には、険しい表情のマークがいた。


「ミア、頭を冷やせ」


 静かにマークが言った。

 その後ろには、ミアと同じくらい大きく目を見開いている、ミナセとフェリシアがいる。


 何が起きたのかよく分からない。

 なぜここにマークがいるのかも分からない。


 ただミアは、急に悲しくなった。

 悲しくて、情けなくて、どうしようもなくなった。


 ミアの目から、再び涙が溢れる。


「ごめんなさい」


 小さな声で、ミアが言う。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 誰に対して謝っているのか、よく分からない。

 それでもミアは、泣きながら謝り続けた。


 いつの間にやってきたフローラが、ミアをそっと抱き締める。


「ごめんなさい……」


 重い雲が垂れ込める教会の庭で、フローラに抱かれながら、ミアは謝り、そして泣き続けた。



 重苦しい空気の中で、マークが小さくささやく。


「フェリシア。門の外からこちらを見ている野次馬の中に、一人だけ異質な男がいる。そいつのあとをつけろ」

「分かりました」


 フェリシアは一瞬戸惑った顔を見せたが、すぐに頷いて、さりげなく門の外を見る。そして、無表情のままそっと門を離れていく一人の男を見付け、その魔力反応に集中した。


「では」


 それだけ言って、フェリシアもその場を離れていった。


「ミナセさん、今日は教会の手伝いをしてください。せっかくの非番なのに、申し訳ないのですが」

「この事態を防げなかったのは、私の責任です。全力でお手伝いいたします」

「責任というなら、俺も同じですよ。情けないことに、完全に油断していました」


 短い会話の後、ミナセもシスターたちの手伝いに向かう。

 続けて今度は、院長に向かってマークが言った。


「こんな時に恐縮ですが、後で少しだけ、お時間を頂戴してもよろしいでしょうか」



 片付けが一旦落ち着いた午後の時間。

 院長室で、院長とマークが向かい合って座っていた。

 ミナセと、尾行から戻って片付けを手伝っていたフェリシアは、シスターたちと一緒に別の部屋で休憩中だ。

 お茶を一口飲んだマークが、沈んだ表情の院長に切り出した。


「率直に伺います。教会に嫌がらせをしているのは、コクト興業ですね?」


 院長が、驚いてマークを見る。


「そして、その背後にはジュドー伯爵がいますよね?」


 さらに驚く院長が、寂しそうに笑って言った。


「何もかも、お見通しなのですね」


 院長が、小さく息を吐き出す。


「いいえ、何もかもではありません。なぜ教会が狙われているのか、何が目的なのかは俺にも分かっていませんから」


 院長は、手に持ったカップを見つめたまま黙っている。

 だが、やがてゆっくりと話し始めた。


「コクト興業からは、教会の土地の一部を譲ってくれと言われています。それと、もう一つ」


 院長の手が、強くカップを握る。

 そして、絞り出すように続けた。


「シスターを一人、差し出すようにと言われています」

「シスターを?」


 これにはマークも驚いた。


「嫌がらせが始まったのは、ちょうど一年くらい前からです。寄付が減ってきたり、お願いしても断られることが多くなってきた頃、コクト興業の社長がやってきて、土地を譲ってほしいと言われました。お断りすると、今よりもっと困ったことが起きますよと言って、帰って行きました」


 院長の眉間に、深いしわが刻まれる。


「ほどなくして、ロロの実の群生地にワイバーンが現れるようになりました。貴重な収入源を絶たれてしばらくした頃、またコクト興業がやってきて、シスターをあるお方に差し出せば、ワイバーンを追い払ってやると言われたのです」


 院長の表情が、さらに険しくなっていく。


「もちろんお断りしましたが、もう私たちだけでは対処し切れないと思って、衛兵に相談しに行きました。ところが、衛兵の対応は冷たいものでした。話は分かったが、その程度では何もできないと」

「それだけはっきり脅されているのに?」

「はい。私たちも必死で訴えました。でも、結局取り合ってはくれませんでした。その後も、柄の悪い人たちが教会の回りをうろついたり、信者の方々が嫌がらせを受けたりしたのですが、衛兵は何も……」


 マークが渋い顔をする。


「私たちもさすがにおかしいと思っていた時、お母様が教会の熱心な信者だとおっしゃる衛兵の方が、そっと教えてくれたのです。ジュドー伯爵という方が関わっているらしいと」

「なるほど」

「この教会は、政治的に中立です。教会の存在を否定する貴族はいないと思いますが、教会の過大な発展を望む貴族もいない。その意味で、”この程度”のことは、たとえ王と言えども口出しはしないでしょう。つまりは、打つ手がないということになります」


 宗教勢力というのは、どの国でもその扱いには慎重になる。教会と共に発展してきたはずのイルカナが教会を中立と定めたのも、過去に苦い経験をしてきたからだ。

 余計なことができないくらい、ぎりぎりの状態で教会が存在する。

 そんな状況が一番良いと、統治側が思っても不思議ではなかった。


「せっかくマークさんたちのお陰でロロの実が採れるようになったのに、状況は悪くなる一方です」

「申し訳ありません。俺が余計なことをしてしまったのかも……」

「いいえ、決してそんなことはありません。マークさんたちのご協力がなければ、とっくにこの教会は立ち行かなくなっていたのですから」


 謝るマークに、院長は寂しげに笑って答えた。


「でも、もう限界かもしれません。ミアの言う通りです。私には、何もできない」


 誇り高き教会の理念。受け継がれてきた先人たちの思い。

 それが、欲にまみれた一部の人間によって穢されようとしている。


 歴史ある教会を守るために、精一杯努力をしてきた。

 先人たちの思いを未来につなげようと、必死に踏ん張ってきた。

 

 だけど……


 涙はない。

 荒ぶる感情もない。


 カップを見つめる院長の目には、深い悲しみと、そして、諦めが浮かんでいた。


 そんな院長の手に、マークがそっと手を重ねた。

 驚いて、院長がマークを見る。


 その手に少しだけ力を込めて、マークが言った。


「一般市民が貴族相手にどこまでできるか分かりませんが」


 自分を見つめる院長に向かって、マークが、いたずらっぽく笑った。


「ダメもとで、最後にちょっと、足掻いてみませんか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る