天罰
事件の翌日、ミアはいつも通りの時刻に目を覚ました。着替えて顔を洗い、いつも通り朝食の準備に入る。
いつもと違うのは、鶏小屋ではなく倉庫に卵を取りに行くことと、その帰りに、ファンのお墓に花を供えることだった。
ファンは、孤児院の玄関を出てすぐのところにある、大きな木の根本に葬られた。ファンがよく寝そべっていたお気に入りの場所だ。
「ファン。今日はすごくいい天気だよ」
昨日とは打って変わって、今日はきれいな青空が広がっている。
ミアは、墓標がわりの大きな石に手を合わせた。
そして、そっと左の頬に手を当てる。
「まだ、ちょっと痛い」
マークに平手打ちされたあとが、ヒリヒリと痛んだ。
ミアなら簡単に治せるはずなのだが、なぜかそのままにしている。
「ファン。私、負けないよ。あなたの分まで頑張るからね」
微かに笑いながら、ミアは孤児院へと入っていった。
「院長先生、そろそろいい返事をいただきたいものですな」
コクト興業の社長が、相変わらずの横柄な態度で言った。
「時間が経てば経つほど、おつらい思いをすることになると思いますがね」
余裕の表情でにやりと笑う。
「土地をお譲りすれば、これ以上の不幸は訪れないと?」
「土地だけでなく、シスターもですな」
「ワイバーンはもういなくなったのに、シスターも差し出せとおっしゃるのですか?」
「まあ、そうです。状況は、当初より悪くなっているのですよ」
ぬけぬけと社長が言った。
そんな社長に対して、いつもなら厳しい表情で応対をする院長が、だが今日は穏やかに返事をする。
「残念ながら、答えはいつもと同じです。その話は、お断りいたします」
「……なかなか強情ですな」
社長は、その態度に苛立った。
「そんなことをしていると、ますますひどいことが起きますよ?」
声を押し殺して、恫喝するように言う。
だが院長は、やはり静かに、そして妙なことを話し出した。
「昨夜、お告げがありました」
「お告げ?」
意表を突かれた社長が、怪訝な顔で院長を見つめる。
「はい。神様が私のところにお出ましになって、おっしゃったのです。近いうちに、悪しき者たちに天罰が下るであろうと」
「天罰だと?」
「そうです。あなたと、あなたの後ろ盾の方に、天罰が下ります」
「ははは。何を言っているのか」
「どうぞ、その方にもお伝えください。間違いなく、神様は私たちをお救いくださいます」
「世迷い言はよせ! そんなことで俺がビビるとでも思っているのか?」
恐ろしい形相で社長が凄む。
しかし院長は、まったく恐れることなく社長を見つめていた。
「もうお帰りになったほうがよろしいかと思います。しばらくは、健康にご留意くださいませ」
そう言うと、院長は立ち上がって静かに頭を下げる。
「ふ、ふざけるな! 神なんてものはこの世に存在しないんだよ! 貴様こそ、後悔しないようにせいぜい気を付けることだな!」
捨てぜりふを吐いて、足を踏みならしながら社長は部屋を出ていった。
荒々しく閉じられた扉を見つめながら、院長がつぶやく。
「マークさん、信じていますよ」
コクト興業の社長は、機嫌が悪かった。
部下に当たり散らし、怒鳴りまくった。
「何が天罰だ! 何が健康に留意しろだ!」
社長は神など信じていない。そんなものは、人間が作り出した空想上の存在だ。
それでも社長は、院長の落ち着き払った態度が気になって仕方がなかった。
「くそっ! 念のためだ。あくまで念のためだ!」
そう言いながら、社長はジュドー伯爵を訪ねた。
院長の言葉を伝えると、伯爵は鼻で笑った。
「貴様はバカなのか? 天罰などというものが、この世にあるはずないではないか」
もう帰って寝ろと、虫を追い払うような態度で言われた社長は、顔を真っ赤にしながら屋敷を出る。
「ちくしょう、院長め!」
怒りをぶちまけながら、社長は屋敷をあとにした。
翌日。
朝食を終えたジュドー伯爵は、執務室に籠もって仕事をしていた。
「まったく、面倒だ」
陳情、裁判、災害復旧その他、領地で起きるいろいろな問題について、部下が書類を送ってくる。報告だけのもの、許可を求めるものなど内容は様々だ。
その一枚一枚に目を通し、必要なものにサインをしていく。
暑がりの伯爵は、常に用意してある冷たい水を飲みながら仕事を進めていった。
「領民などと言うものは、黙って税を納めていればよいのだ」
悪態をつきながら、何枚目かの書類を眺めていた伯爵は、その文字が霞んで見えることに気が付いた。
「何だ、この書類は。文字が霞んでおる」
そう言いながら顔を上げると、視界全体がぼやけている。
「これは?」
何が起きたのかと立ち上がろうとして、だが伯爵は、立つことができなかった。
体に力が入らない。
まずい!
伯爵が慌てて呼び鈴を鳴らす。
メイドが部屋に入ってくる頃には、伯爵の意識は朦朧としていた。
「旦那様!」
メイドの声をぼんやりと聞きながら、ドサリと床に倒れ込み、伯爵はそのまま意識を失った。
伯爵が倒れたという知らせは、その日のうちにコクト興業の社長にもたらされた。
「何だと、伯爵が?」
部下の報告を聞いた社長の顔が、青ざめていく。
「まさか、天罰……」
居ても立ってもいられなくなった社長は、すぐに伯爵の屋敷に見舞いに行く。そこで、メイド長から伯爵の容態を聞いた。
伯爵の意識はまだ戻っていないようだ。医者に診てもらったが、原因が分からないため対処のしようがないとのことだった。
伯爵が目覚めたらすぐ連絡をくれるようメイド長に頼んで、社長は屋敷をあとにした。
「これは天罰などではない。たまたまだ。偶然だ」
ぶつぶつと独り言を言いながら帰宅した社長は、夕食を取った後、一人書斎で本を読んでいた。
家族から嫌われている社長は、就寝までこうして時間を潰すことが多い。
お気に入りの酒を飲みながら、ページをめくる。
「ふん、この世に神などいないのだ」
何度目かの独り言をつぶいた社長は、パタンと本を閉じた。
今日は、内容がまったく頭に入ってこない。
「院長め! 今度は孤児院の子供かシスターを……」
そう言いながら、荒々しくイスから立ち上がって、本を棚に戻しに行く。
だが、立ち上がった社長は、そのまま動けなくなってしまった。
視界が霞む。
頭がグラグラする。
これは……何だ?
酒の量は大したことはない。この程度で酔うはずがなかった。
まさか、これが!?
社長の額に脂汗が滲む。
頼む、やめてくれ!
心の中で叫びながら、大きな音を立てて、社長は床に崩れ落ちていった。
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