ミアの決断

「まったく、他人事ながら心配しちゃうわ」


 フェリシアが、呆れたように言う。


「コクト興業の社長宅はともかく、貴族の屋敷にあんなに簡単に忍び込めるなんて、キルグじゃ考えられないわよ」


 フェリシアは、マークの指示で、コクト興業の社長宅とジュドー伯爵の屋敷の調査をしていた。その過程で、伯爵の屋敷のメイドたちについて気になる情報も掴んでいる。

 メイドたちについては、マークの判断でそれ以上の調査はしていない。かわりに、社長と伯爵の身辺については徹底的に調べ上げていた。

 そしてあの事件の後、野次馬の中にいた男を尾行したフェリシアの報告で、伯爵の関与を確信したマークは、二人に”毒”を盛るようフェリシアに指示を出したのだった。


「警備はお粗末、屋敷内外のトラップは未熟、番犬もいない。使用人も本人も、ほとんど毎日同じ行動パターン。あれじゃあ誰だって入れるわ」


 フェリシアのぼやきは止まらない。


「でも、どうやってあの二人に毒を盛ったんだ?」


 ヒューリが興味津々という顔で聞く。


「伯爵は、仕事中に水を飲むから、その時使うコップの内側に毒を塗っただけ。社長は、いつも飲むお酒の中に毒を混ぜただけ。どっちも夜にちょっと忍び込んで、チャチャッと済ませておしまい。ほんとに簡単だったわ」


 簡単とフェリシアは言うが、”フェリシアだから簡単にできた”が正解だろう。

 索敵魔法や隠密魔法はもちろん、自分の姿を視認しにくくする闇の魔法、インビジブルなど、高度な魔法や技術を駆使して侵入しているのだから。


「ところで、毒の量はちゃんと調節したんだろうね」


 マークの問いに、フェリシアは微笑みながら答えた。


「はい。ほんの少しだけ、サービスで増量しておきましたけど、一日か二日で意識は戻りますし、一週間もすれば、元気になっちゃうと思います」


 残念ながらと添えて、フェリシアは報告を終えた。


「とりあえず、これでしばらくは大丈夫だろう。次は、根本解決に向けての最後のステップだ。フェリシア、大変だと思うけど、もう少し頼む」

「もちろんです」


 フェリシアが、嬉しそうに答えた。



 翌日、マークとフェリシアは、教会に院長を尋ねた。

 ”天罰”の結果を報告すると、院長はホッとしたようだった。


「ですが、これはあくまで一時凌ぎでしかありません。この後の最大の難関を乗り越えなければ、教会の災難は続くでしょう」


 マークがそう言った時、扉がノックされた。


「どうぞ」

「失礼します」


 入ってきたのは、ミアだった。


「あっ、社長さん!」


 あの事件の時、思い切り感情をぶつけてしまった院長には、すぐに謝った。それでもやっぱり気まずくて、今も院長の顔をまともに見ることができない。

 マークとは、あれ以来会っていなかった。

 やっぱりちょっと気まずい。


「お掛けなさい」


 言われて、ミアは院長の隣にちょこんと座った。


 何なの?

 私、また何かしちゃった?


 斜め前にマーク、隣には院長。

 正面のフェリシアの笑顔が唯一の救いだった。


「マークさんから、あなたにお話があるそうです」


 院長に言われて、ミアはますます緊張する。


「ミアさん」

「はい!」


 うわずった声で返事をするミアに、マークが言った。


「この間は、いきなり叩いたりしてすみませんでした」


 マークが頭を下げる。

 いきなりのお詫びに、ミアは動揺した。


「い、いえ! こちらこそ、ありがとうございました!」


 ミアも慌てて頭を下げる。

 フェリシアが、クスッと笑った。


「叩かれておいてありがとうって、変な返事ね」

「あははは」


 照れたようにミアも笑う。

 たしかに妙な返事だ。

 だがミアは、あの平手打ちに感謝していた。


「私、あの時ちょっと混乱してました。社長さんに叩いてもらわなかったら、もっとひどいことを院長先生に言っていたかもしれません。だから、ありがとうございました」


 もう一度頭を下げるミアに、フェリシアが言う。


「あなたって、ほんとにいい子ねぇ」

「そんな……」


 顔を赤くするミアを、フェリシアが笑った。


「さて、ミアさん。改めてお話があります」


 マークが話し始める。

 直後、ミアが言った。


「えっと、ミアで、いいです」


 マークが驚く。

 そして、小さく微笑んだ。


「じゃあ、ミア」

「はいっ!」


 呼び捨てにされて、ミアは元気に返事をした。

 年上からさん付けで呼ばれるのに抵抗があったというのもあるが、何となく、マークとの距離が近くなった気がして嬉しかった。


「ここで聞いたことは、他言無用にしてほしい」


 表情を引き締めるマークを見て、ミアが姿勢を正す。


「イルカナ三公爵の一人、ロダン公爵のご子息ロイ様が、今重い病気に罹っている」


 マークは、ロイの病気やセルセタの花のこと、そしてロイの命を救うための作戦について、詳しく説明をした。

 作戦については、すでに漆黒の獣と詳細を詰めてきている。


「作戦を成功させるためには、ミアの力が必要になる。だが、正直言って、この作戦には不確定要素が多い。フェリシアのフライ、ミアの魔力、ロイ様の体調、経路や休憩地の確保に、グレートウィルムの討伐。すべてをクリアしなければならないのに、すべてに不安要素がある。それでも、現時点ではこれしか教会を救う方法がないんだ」


 マークの話に、ミアは真剣に耳を傾けていた。


「あなたも知っていると思うけど、光の魔法は、制御を間違えれば命に関わるわ。あなたにとっても、大きな危険を伴う作戦よ」


 フェリシアの補足もじっと聞いている。

 そんなミアに、マークが聞いた。


「ミア。この話、受ける気はあるか?」


 ミアは、すぐには答えなかった。

 テーブルの一点を見つめて考えている。


「無理をする必要はないのですよ」


 院長が、珍しく心配そうな表情を浮かべて言う。

 それでもミアは考えていた。

 やがてミアが、逆に質問を始める。


「私がうんと言えば、この作戦は実行されるんですよね?」

「正確にはロダン公爵の承認が必要だが、状況から言って、間違いなく実行されるだろうね」

「この作戦で、何人くらいの人が死ぬと思いますか?」

「何とも言えないが、グレートウィルムの討伐に苦戦すれば、十人か、それ以上の人が死ぬ可能性はあるだろう」

「その傭兵団の人たちは、どうしてこんな危険な作戦に挑もうとするんですか?」

「あくまで想像だが、公爵からの信頼をより一層得たいという打算はあると思う。ただ、それ以上に、公爵のお役に立ちたいっていう純粋な気持ちがあるように感じた」

「お役に立ちたい?」

「少なくとも、団長と副団長はそういう気持ちを持っていると思う」

「お役に立ちたい……」


 何か感じるところがあったのだろうか。

 ミアが、マークの言葉を繰り返す。


 しばらく黙ったミアが、再び質問を始めた。


「この作戦以外に、ロイ様が助かる方法はないんですか?」

「今のところはね」

「ロイ様を助けることができれば、教会も救われるんですよね?」

「俺は、そう信じている」


 ここまで聞いて、ミアはまた黙った。


 ミアが何を考えているのかは分からない。

 ただ質問の中に、自分自身についてのものは何もなかった。


 ほんとにおもしろい子


 フェリシアがそっと微笑む。


 しばらく考えていたミアが、ゆっくりと顔を上げた。

 そして、大きな声で、はっきりと言った。


「そのお話、お受けします!」

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