パーセル病
「水、持ってきたぞ」
「ありがとう。何もかも任せっきりで、ごめんなさい」
「そんなことは気にするな。それより、具合はどうだ?」
「大丈夫よ、心配しないで」
夫が差し出すコップを両手で受け取って、妻は笑った。
しかし、その笑顔に力はない。
落ち窪んだ目に、やつれた頬。
「すまないな。薬さえ買えれば……」
「なに言ってるんですか。育ち盛りの子供が二人もいるんです。あの子たちが元気なら、私はそれで……」
二人の身なりや部屋の調度品から見ても、この一家の貧しさが窺える。
「カーラは元気かしら」
妻が、ふとつぶやいた。
「カーラのことは心配ないさ。伯爵様のお屋敷で働かせていただいてるんだ。あの子は幸せ者だよ」
そう言って笑う夫の顔は、だが寂しげだ。
カーラがならず者たちにさらわれて、身代金が払えずに困っていた時、伯爵が助けてくださった。その上、屋敷の人手が足りないからと、カーラにメイドとして来てほしいと言っていただいた。
カーラは、長女として家事も仕事もこなす一家の大きな支えだったが、こんな村にいるより貴族のお屋敷で働く方が何倍もいい生活ができる。
躊躇うカーラの背中を、両親は笑顔で押したのだった。
その時伯爵と交わした約束。
屋敷に勤めている間は実家に戻らないこと
会えなくなるのはつらかったが、娘の幸せと引き替えにならと、二人は涙を飲んだのだった。
それでも、どうしてもカーラの笑顔を妻に見せたくて、夫は手紙を書いていた。
もう妻は長くないかもしれない。
せめて最後に……。
手紙の返事はなかったが、今やカーラが帰ってくることだけが、小さな、そして唯一の希望だった。
「悪いな、俺は店に戻る。ゆっくり休んでくれ」
「ありがとう」
かすかな微笑みを浮かべて、妻は横になる。しばらくすると、落ち着いた寝息が聞こえてきた。
妻の寝顔をしばらく見つめた後、夫は店に戻っていった。
一家は武器屋を営んでいた。住居部分から一つ扉を開けると、そこが店になっている。
沈んだ表情のまま、夫は店に通じる扉を開ける。
「ふうぅぅぅ」
長く、深く息を吐き出して、ふと店内を見た夫が驚いた。
「あっ、いらっしゃいませ」
そこには、一人の男と二人の女がいた。
久し振りのお客様、と思うより先に、夫は女たちの美しさに目を奪われてしまう。
深く澄んだ紫の瞳が、手に取ったナイフを興味深げに見つめていた。
煌めく金色の瞳が、物珍しげに商品を見回していた。
見蕩れて立ち尽くす夫は、男の声で我に返る。
「すみません、勝手に入ってしまって」
「あ、いえ」
とっさに答えた夫は、”しっかりしろ!”と自分を叱咤して、男に向き直る。すると、男が予想外の質問をしてきた。
「こちらは、カーラさんのお宅でよろしいでしょうか?」
「はい、そうですが」
カーラの名前が出たことに驚きながら、夫が返事をする。
「俺は、アルミナで何でも屋をやっている、エム商会のマークと言います。後ろの二人は、うちの社員です」
マークに合わせて、女たちもお辞儀をした。
客じゃないのか?
戸惑う夫に、マークが言った。
「今日は、カーラさんからの依頼で伺いました」
「カーラの依頼?」
「はい。手紙を読んだけど、すぐにこちらに帰って来られないから、かわりに病気のお母様の様子を見て来てほしいと言われまして」
「カーラがそんなことを……」
「よろしければ、お母様に会わせていただけないでしょうか?」
そう言うと、マークがにっこりと笑った。
マークとフェリシア、ミアの三人は、カーラの母親が眠る寝室で、その寝顔をそっと見ていた。
真っ白なその顔は、息をしているのか心配になるほどだ。
「手紙にはあまりいいことが書いていなかったようですが、奥様の容態は、やはりよくないのですか?」
「はい。いいとは言えません」
「お医者様には診ていただいたんですか?」
「そうですね、一応は……」
「お医者様は、何て?」
「妻の病気は、パーセル病というそうです。薬を飲み、滋養のある食べ物を食べてゆっくり休めば治ると、そうおっしゃっていました」
「なるほど」
夫の答えは明快だった。だが、その表情は苦渋に満ちている。
話を聞いたマークが、今度はミアに話し掛けた。
「ミア。パーセル病って知ってるか?」
「はい。極度の疲労とか、栄養失調が原因でなることが多い病気です。教会にも時々患者さんが来てました」
「治癒魔法の施術で治るってことか?」
「パーセル病は、言ってみれば重い風邪みたいな病気です。魔法でも薬でもいいので、体の抵抗力を高めてあげて、ゆっくり休めば治るはずです」
「そうか」
ミアの説明を、夫は歯を食いしばって聞いている。
その姿と、家の中の様子を見て、三人は状況を理解した。
「立ち入ったことを伺ってしまって申し訳ないのですが、お店の商品は、あまり売れていないのですか?」
マークが、うつむく夫に尋ねる。
「はい。お恥ずかしい話ですが、ここ一年くらい、ほとんどお客様は来ていません」
「品物は割といいと思ったのですが……」
「ありがとうございます。少し前まではそこそこ繁盛していたのですが、ダンジョンの入り口が塞がれてからは、冒険者がパッタリ来なくなりまして」
夫の話では、この村のすぐ近くに、魔物が出る洞窟、つまりダンジョンがあるらしい。強い魔物がいない、初級パーティー向けダンジョンとして人気のある場所だった。
この店も、手頃な価格でそれなりの武器が手に入る店として、冒険者たちがよくやってきていたようだ。
だが、一年前の暴風雨で、洞窟のある岩山が崩れて入り口がふさがってしまった。人力ではとても動かせないような巨石と大量の土砂は、村人総出で掛かってもどうにもならなかった。
「領主様にもお願いしたのですが、あまりいいお返事がいただけないまま、一年が過ぎてしまいました」
主要な街道から離れ、特産物もない僻地の村は、領主にとって優先度の低い土地なのかもしれない。
途中で見てきた村の様子もさびれた印象だった。
黙ったまま床を睨む夫を、マークがじっと見つめる。
やがてマークが、夫に向って唐突に言った。
「ご主人。よろしければ、先ほどこちらの、フェリシアが見ていたナイフを売っていただけませんか?」
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