ジュドー伯爵
「来ました!」
その言葉で、ミナセは瞬時に戦闘態勢に入る。
不覚!
そんな思いが浮かんだのもほんの一瞬だった。
見れば、フードで顔を隠して移動する怪しい四人組がいた。周囲を警戒しながら、四人は崩れた塀に近付いていく。
その動きをじっと見ていたミナセが、マークに言った。
「あの四人、大して強くないと思います。おそらく、ただのチンピラです」
「分かりました。それなら、ミナセさんが出るまでもありません」
マークは、窓をそっと開けてから、床の石をいくつか拾い上げた。そのうちの一つを右手で握り、塀に手を掛けようとしている人間に狙いを定める。
大きく振りかぶって、第一球を投げようとした、その時。
「いてっ!」
マークの狙っていた人間が、短い叫び声を上げて頭を押さえた。
「?」
マークは、まだ石を投げていない。
何が起きたのかと周りを見ると、四人に近付いていく、ローブをまとった別の二人組を見付けた。
その二人を見たミナセが、フッと笑ってつぶやいた。
「まったく、あいつらは」
マークとミナセの視線の先で、両者が接近していく。四人組は、ナイフを取り出して迎撃体制を取っているようだ。
それをまったく意に介することなく、二人が四人の前に立つ。
そして。
バキッ! ボコッ! ギャーッ!
二人は、四人をあっという間にぶちのめしてしまった。
マークと一緒に商館から出てきたミナセが、ローブの二人に声を掛ける。
「なんで二人がここにいるんだ?」
その質問に、一人がフードを取りながら答えた。
「それはこっちのセリフだ!」
赤い瞳が怒っている。
「教会の見張りをするなら、なんで声を掛けてくれないんだよ!」
ミナセに迫るように、ヒューリが言った。
「そうよ! 私たちだけ仲間外れなんてずるいわ!」
同じくフードを取りながら、フェリシアが言う。
フェリシアも、やっぱり怒っていた。
「ヒューリが気付いてくれなかったら、今頃私、まだベッドで呑気に寝てたわよ!」
「そうだぞ。珍しく酒を飲まないから何かあると思って気にしてたら、宿を出ていく気配を感じたんだ。だから、フェリシアを起こしてあとを付けてきたら、こんなことになってて」
「ミナセに気付かれないように尾行するの、難しいんだからね!」
いや、大丈夫だと思うぞ
さすがの私も、三百メートル離れてついてくる奴を感知はできない
とミナセは思ったが、ここは黙っておく。
ミナセに詰め寄る二人に、マークが言った。
「ミナセさんを責めないでくれ。今回は俺が悪かった」
そう言うと、ここまでの経緯を説明する。
「いつ奴らが動き出すか、そもそも動くのかも分からなかったから、みんなには声を掛けづらくてね。すまなかった」
マークが頭を下げた。
それを見たヒューリが、気まずそうな表情を浮かべ、頭をガシガシと掻きながら言う。
「いや、まあ、社長のおっしゃることは分かりましたが……とにかく、悪いのはミナセだ!」
「何でそうなる!?」
「そうよそうよ! なんか悔しいじゃない。ミナセだけが社長の心を読んでいたなんて!」
「いや、だから、社長が言ったのと同じだよ。いつ動くかも、そもそも社長がいるかどうかさえ……」
「それでも言って欲しかったんだもん!」
フェリシアが、駄々をこねる子供みたいにミナセを責める。
ヒューリも、腕を組んでミナセを睨んでいる。
分からず屋め!
こっちが気を遣って何も言わなかったのに、何なんだもう
まったくこいつらは
こいつらは
ほんとに
「すまなかった」
ミナセが、頭を下げた。
頭を下げながら、ミナセは微笑んでいた。
「仕方がない。今回は許してやろう」
「しょうがないわね。次やったら、私暴れるからね」
「それは勘弁してくれ」
「そうだ、暴れちゃえ!」
「うふふ」
静かな夜の町に、三人の楽しげな声が響く。
「ところで、こいつらどうします?」
ヒューリが、地面に転がっている四人のフードを取りながら聞く。
「あ、やっぱりコクト興業だ」
三人目の顔を見て、ヒューリが言った。
薬屋に押し掛けてきたうちの一人で間違いない。
「放っておこう」
マークが即答する。
「こいつらが”なぞの二人にやられた”と報告すれば、向こうも動きにくくなるはずだ。もちろんうちが疑われるが、それは構わない。うちが何者なのかがはっきりするまで、手を出してくることはないだろう」
「フード付きのローブを着てきて正解だったな」
ヒューリが得意げに言った。
「前回は意味なかったものね」
「うるさい!」
自爆のヒューリを、フェリシアが笑った。
笑いが収まったところで、マークが言う。
「これで教会の襲撃もやりにくくなったはずだ。しばらくは大丈夫だろう。だが」
そう、これは一時凌ぎでしかない。
本質的には何も解決していないのだ。
「院長先生が衛兵に相談しないのは、衛兵でも手が出せない人物が関わっているからだろう。まずは、コクト興業の後ろ盾を調べる必要がある」
マークの言葉に三人は頷く。
やはりマークも同じことを考えていたようだ。
「とりあえず、今日のところは帰ろうか」
考え込む三人に声を掛けて、マークが歩き出す。
三人も、黙ってそれに続いていった。
その事件から、数日後。
「面倒なことになりましたね」
ミナセが眉間にしわを寄せる。
「何とかなるんでしょうか?」
リリアは心配そうだ。
マークがもたらした情報が、みんなの表情を沈ませていた。
「コクト興業のバックに、伯爵家がついている」
その日マークは、ファルマン商事のご隠居と会ってきていた。
「コクト興業のぉ」
「はい。何かご存じでしょうか?」
ご機嫌伺いという名目で、マークはご隠居を訪ねた。もちろん、目的は情報収集である。
教会の件を、マークは正直にご隠居に話した。その上で、コクト興業について聞く。
「もとは中堅の土建屋だったのが、近頃いろいろな商売に手を出して急激に業績を伸ばしていることや、何かと黒い噂が絶えないことまでは、分かっています」
「ふむ。まあ、その通りかの」
「ただ、どうして黒い噂があるのに、衛兵が動かないのかが分からないのです」
「おぬし、それを聞いてどうする気じゃ?」
「具体的には考えていません。でも、何とかしたいとは思っています」
「ほっほっほ。まったく面白い男じゃの、おぬしは」
ご隠居が、細い目をさらに細めて笑った。
そして、まるで独り言のようにつぶやく。
「ジュドー伯爵。この国の治安維持を担っている貴族の一人じゃ。しかしのう、何ともまあ、面倒なお方じゃよ」
それだけ言うと、ご隠居はゆっくりと立ち上がって、窓から外を眺める。
「ありがとうございました」
その後ろ姿にそっと頭を下げて、マークは退出した。
「この国の治安維持、つまり衛兵組織を統括しているのは、王を補佐する三公爵のうちの一人、カミュ公爵だ。アルミナの町は、カミュ公爵が直轄している。ジュドー伯爵は、自分の領地がある南部地域の治安を任されているが、この町の衛兵隊にも影響力を持っているらしい」
マークの説明を、みんなは真剣に聞いていた。
「ジュドー伯爵は、ほとんど領地に帰ることをせず、この町の屋敷に留まっているそうだ。そして、伯爵もまたいろいろと噂が絶えない人物だ」
どこの国にも、民衆を食い物にする輩はいる。
だが、それが貴族となるとやっかいだ。
渋い顔をいていたヒューリが、ふとフェリシアに聞いた。
「フェリシア。お前の経験上、こういう場合はどうするのがいいと思う?」
フェリシアが、それに淀みなく答える。
「オーソドックスな手としては、その貴族の弱みを掴むことね。ただ、その使い方を間違えれば、握り潰された上に、私たちが消されちゃうリスクがあるわ」
「なるほど」
「もう一つは、その貴族よりも強い権力を使うこと。うちの会社では難しいと思うけれど」
「そりゃそうだな」
「あとは、別のことに目を向けさせるっていうのもあるわね。教会とかコクト興業なんかに構っていられないような状況を作り出す、みたいな」
「たしかに、そんな手もあるな」
「ほかにも方法はあるけれど……。とりあえずは、こんなところじゃないかしら」
フェリシアが”ほかの方法”について口にしなかったのは、フェリシアが変わってきた証拠だろう。
その方法は、きっと教会側が望まない。
ミナセが、そっと微笑んだ。
「伯爵がコクト興業のバックにいるという裏付けは、まだ取れていない。バックにいたとして、伯爵が教会の件に積極的に関与しているのか、それともコクト興業単独の動きなのかで今後の対応は変わってくる。院長先生が衛兵に相談しない理由も分かっていない。まだまだ調べることはありそうだ。みんな、引き続きよろしく頼む」
「はい!」
マークの話に全員が頷いた。
教会の件は、いまだ解決の糸口が見えないままだった。
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