セルセタの花
マークが、昼下がりの町を歩いている。馴染みの客に、依頼が受けられなかったお詫びをしてきた帰りだった。
ありがたいことに、エム商会への依頼は日に日に増えていて、いくら調整しても受け切れないほどだ。顧客獲得のために歩き回っていた頃がずいぶんと昔に感じられる。
そんな状況でも、マークは既存客を大切にしていた。どんなに忙しくても、時間を作っては、手土産片手に顧客を訪問している。
「ちょっと休むか」
それほど疲れている訳ではなかったが、ひと休みできるカフェを探してマークは辺りを見回した。お茶でも飲みながら、最近ずっと考えている教会の件を整理してみようと思ったのだ。
店を探して、マークが通りを眺める。その視線が、少し先を歩いている立派な体格の二人の男を捉えた。
「カイルさん! アランさん!」
それは、漆黒の獣の団長と副団長、カイルとアランだった。
「おっ! 社長じゃないか」
カイルが陽気に振り返る。
「ご無沙汰しておりました」
アランが丁寧に頭を下げる。
二人に会うのは、フェリシアと出会うきっかけになった魔物討伐以来だ。
「お二人とも、お元気そうで。団員の皆様もお変わりないですか?」
「ああ、みんな元気だよ」
「まだこの町にいらしたんですね」
「まあね。ありがたいことに、ロダン公爵から途切れることなく依頼をいただいているんだ」
ロダン公爵は、この国を仕切る三公爵の一人で、軍事を司る人物だ。
十年前、北西の強国ウロルと全面戦争になった時、数で勝るウロル軍を打ち負かし、イルカナを勝利に導いた英雄として尊敬されていた。
用兵の巧みさはもちろんだが、最前線で槍を振りかざして戦うその姿はさながら鬼神のようだと言われ、敵味方の間で伝説となっている。
十年経った今、公爵が最前線に出ることはなくなったが、ここしばらくイルカナが他国の侵攻を受けていないのは、公爵の名が近隣諸国に轟き渡っていることも大きい。
衛兵を統括し、国内の治安を司っているカミュ公爵と、軍を統括し、国境警備や魔物の討伐を行っているロダン公爵が、イルカナの平和を守っていた。
そのロダン公爵から受けた二千体の魔物討伐がきっかけで、漆黒の獣は公爵の信頼を得たようだ。
国境付近の魔物討伐を中心に、多くの依頼をもらっている。
「あの時は本当に助かったよ」
「いえいえ」
「そう言えば、フェリシアさんがエム商会に入ったと聞きましたが」
「はい。お二人に引き合わせていただいたお陰で、いい社員を迎えることができました」
「残念だ! うちに欲しかったのに」
「あんな美人がうちにいたら、今頃団員たちの間で血で血を洗う争いが起きているでしょうよ」
「うーん、まあたしかにな」
フェリシアが大のお気に入りのカイルは、本当に残念そうに首を振っている。
そのカイルが、マークをしばらく見つめた後、まじめな顔で言った。
「社長、今少し時間あるか? よかったら、話だけでも聞いて欲しいことがあるんだが」
三人は、カフェでテーブルを囲んでいた。ほかの客から離れた端の席だ。
壁際にアランが座って、周囲をさりげなく警戒している。
「それで、お話というのは?」
マークの問いに、カイルが説明を始めた。
「じつは、ロダン公爵から相談されてることがあるんだよ」
公爵からの相談。それは、公爵の長男ロイのことだった。
公爵には子供が二人いたが、男子は、今年十才になるロイだけだった。
ロイの下には、妹が一人。
公爵は、すでに四十才を越えている。この世界の慣習からすれば晩婚だった公爵にとって、ロイは、目の中に入れても痛くないほどのかわいい跡取りだった。
だがロイは、数年前にかかった病気が治らず、ほとんどの時間をベッドの上で過ごしている。国内はもとより、国外からも医者を招いて診てもらったが、病気の原因は不明のままだった。
日に日に弱っていくロイは、特殊な医療結界の中で、かろうじて命をつなぎ止めている。
医者の見立てでは、持ってあと三ヶ月。その命はまさに風前の灯火だった。
「だけど、一つだけロイ様の病気を治せるかもしれない方法があるらしい」
カイルが、回りを気にしながら小声で言った。
「それが、セルセタの花だ」
セルセタの花。
医療を志すものなら、必ず一度は聞く花の名だ。
その花を煎じて飲めば、どんな病気でも治すことができると言われていた。
伝説級の薬草とも言われるセルセタの花は、しかし、伝説という響きとは裏腹に、様々な文献に記録が残されている。
花の咲く場所は、大陸の中でも非常に限られていた。その場所の情報は、機密情報として国家レベルで管理されている。つまりその花は、伝説などではなく、明確に存在するのだ。
ならばなぜ”伝説級”と言われるか。
それには明確な理由があった。
まず、花の咲く場所が辺境にあること。
次に、そこには強力な魔物がいて、入手が非常に困難であること。
さらに、その魔物は倒した数時間後にはまた復活すること。
そして最後に、セルセタの花は、摘んでから三十分以内に煎じて飲まなければ効果がないこと。三十分を過ぎた花は、あっという間に枯れてしまう。
つまり、遠い土地まで病人を連れていき、強力な魔物を倒して、即座に花を煎じて飲ませる必要があった。それらをすべて克服しなければ、その恩恵を受けることができない。
個人レベルで手に負えないのはもちろんのこと、有力な貴族が本腰を入れてもなお成功するかどうかという、まさに伝説級の困難さを伴う花。
それが、セルセタの花だった。
「王の好意で花の情報を手に入れたものの、花に至るまでの問題を解決する手段が見付からない。そこで、ロイ様に何とかセルセタの花を煎じて飲ませる方法がないかっていうのが、公爵の相談なんだ」
「なるほど」
話を聞いたマークが、じっと考え込む。
やがて、「差し支えない範囲で結構ですが」と前置きした上で、カイルに質問を始めた。
「花を守るのは、どんな魔物なんですか?」
「グレートウィルムだ。翼のないドラゴン、地竜の一種だな。討伐には、軍隊が出動するのが普通っていうくらいの強敵だ」
「その場所は、ここからどれくらいの距離なんですか?」
「病人を馬車で運ぶとして、急いでも八日くらいだろうな」
「公爵がご自身の軍を動かさない理由は?」
「花の咲く場所は、この国の西北西、コメリアの森の果てにある洞窟なんだが、そこは、十年前のウロルとの戦争以来、非武装地帯に定められている。正規軍はもちろん、公爵の私兵であっても動かすことはできないらしい」
「ロイ様は、どのくらいの時間、結界から出ることができるんでしょうか?」
「はっきりとは言えないが、数時間が限度だろうということだ」
「数時間……」
マークが唸った。
これは難題だ。
「公爵もいろいろ検討はしたらしい。医療結界を道中に何カ所も張ってロイ様を移動させるとか、医療魔法や治癒魔法を掛け続けてロイ様の命を保つとか」
「それはできないんですか?」
「まず、ロイ様の命を保てるほどの強力な結界を張れる医者が、国内には二人しかいないらしい。そして、結界はほぼ二日おきに魔力を補強しないと効果が薄れてしまう。二人のうち一人は王家付きだから、この町から離れられない。一人では、多くの手間と魔力が必要な結界をいくつも張ったり維持することは難しいという結論だ」
「たしかに、結界案は無理がありますね」
「そうだな。そして、医療魔法や治癒魔法を掛け続けるのも、無理だと判断されたようだ」
「それはなぜ?」
「強力な医療結界が必要なのと同じで、ロイ様の命を保つためには、生半可な医療魔法や治癒魔法では効果がないらしい。強力な魔法を八日間も掛け続けられる医者やヒーラーなんていないし、優秀な医者やヒーラーを何人も集めれば可能性はあるだろうが、それでは困る人がたくさん出てしまう。だから、この案も却下だそうだ」
「そうですか」
マークはまたも唸った。
やはり難題だ。
馬車で八日の距離を、数時間で移動できる手段などない。
物語に出てくる転送魔法のような手段があれば別だが、この世界での最速の移動手段は、空を飛ぶことのできる魔法、フライだ。
それでも、数時間で到達するのは不可能だろう。そもそも、フライでは術者のみしか飛ぶことができない。
仮に移動できたとしても、ロイの到着とセルセタの花の入手に時間差があってはならない。
「やっぱりこの話、実現は無理だよな」
考え込むマークにカイルが言う。
「公爵にはお世話になっているので、何とかしたいとは思ったのですが」
アランの声は、沈んでいた。
傭兵団は、基本的に金で動く。だが、そんなこととは関係なく、二人はロダン公爵の力になりたいと思っているようだ。
ロダン公爵の人柄がそうさせるのだろうか。
「まあ社長に話したのは、藁をも掴むってやつで、そんなに期待してた訳じゃないんだ。話しておいて、何だけど」
悪かったなと言って、カイルが頭を下げた。
隣でアランも頭を下げる。
そんな二人に、マークが聞いた。
「仮に、ロイ様を花の場所まで運ぶことができたとして、そこにいる魔物を、漆黒の獣なら倒すことができますか?」
その問いに、カイルとアランは顔を見合わせた。
やがて、カイルが力強く答える。
「倒すさ。意地でもな」
それを聞いたマークが、かすかに笑った。
「お二人の滞在先を教えていただけますか?」
「それって……」
「少し時間をください。あまり期待されても困りますが、ちょっと考えてみます」
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