接待
手をつないだまま、二人は料亭の門の前に立っていた。
「やっぱ緊張するな」
表情の硬いヒューリの手を、シンシアが強く握る。
「行くよ」
そう言って、シンシアが前に出た。
シンシアに手を引かれ、うつむきながら、ヒューリは木造の門をくぐっていった。
中に入ると、すぐに女将がやって来た。
「ヒューリ様とシンシア様ですね? お待ちしておりました」
艶やかな笑みを浮かべて女将が頭を下げる。
二人は、なかなかに高級感のある店の、そのもっとも奥にある部屋へと案内された。
「お二人がお見えになりました」
中に声を掛けて、女将が静かに扉を開ける。
昼間の組長が、素早く立ち上がって二人を招き入れた。
「ご足労いただき恐縮です」
「ど、どうも」
緊張しながら二人は部屋に入った。見れば、十人ほどの男たちがテーブルを囲んで座っている。
男たちの面構えは、一人一人が組長級。ひたすら重い。ひたすら怖い。
だが、その中に昼間出会った山賊の男はいなかった。
かわりに二人は、別の見知った顔を見付けた。
「あ、お頭!」
「よぉ、覚えててくれたか」
そこにいたのは、カサールの有力貴族、ガザル公爵から汚れ仕事を請け負っている集団のお頭だった。フェリシアが入社する前に、二人は一度顔を見ている。
「どうぞこちらへ」
組長に導かれ、二人は部屋の奥、つまりは上座へと案内された。
非常に落ち着かないその席に二人が腰を下ろしたところで、組長が話し出す。
「改めてご紹介する。こちらが、エム商会のヒューリさんとシンシアさんだ」
男たちが一斉に頭を下げた。
「ここにいるのは、カサールの裏社会の顔役や、その代理の者たちです。今日は、お二人にお礼を申し上げるために集まりました」
「お礼?」
ヒューリが首を傾げた。
すると、今度はお頭が話し始める。
「キルグの暗殺集団、インサニア。頭のイカレたあいつらを、あんたらが潰してくれただろう?」
「ああ、そう言えば」
フェリシアに異常な執着心を持っていたガザル公爵が、社員たちを皆殺しにすべく送り込んだ刺客、それがインサニアだ。
たしかにエム商会は、それを壊滅させていた。
「じつはな、インサニアは、キルグ帝国がカサールを潰すために送り込んだ刺客でもあったんだ」
「?」
意味が分からなかった。
キルグが、カサールを潰すためにインサニアを送り込んだ?
再び首を傾げるヒューリに、お頭が説明する。
「インサニアのやり方は滅茶苦茶だった。暗殺対象を護衛ごと吹き飛ばす。対象を、住んでいる屋敷ごと焼き払う。そんな連中をガザル公爵が重用し始めたら、カサールはどうなると思う?」
「えっと」
ヒューリはうまく答えられない。
答えを待つことなく、お頭が続けた。
「ガザル公爵の権力は、ますます強くなっていくだろう。敵対勢力は、それに対抗し得る力を求めていく。結果、裏家業の連中はインサニアと同じことを始め、そしてこの国は混乱していく。そうなるように、陰でキルグが糸を引いていく」
ヒューリが目を丸くした。
「カサールを内側から崩しておいて、それを一気に攻め取る。軍事力にものを言わせてきたキルグらしからぬ方法だが、これはキルグの裏社会からの情報だ。間違いない」
「……」
完全にヒューリは言葉を失った。
インサニアは、キルグの裏社会でも浮いた存在だった。だから、裏社会がインサニアを監視していた。その中で掴んだ情報なのだろう。
「あんたたちがインサニアを潰してくれたおかげで、カサールは救われた。キルグに付け入る隙を与えずに済んだって訳だ」
エム商会が、意図せずキルグの陰謀を未然に防いだということになる。ヒューリもシンシアも、まさかに事実に驚くばかりだ。
「俺たちは裏の人間だ。それでも、この国がキルグに蹂躙されるところなんて見たくない。だから、俺たちはあんたたちに感謝しているんだよ」
熱く語っていた声が和らぐ。
ヒューリとシンシアを見て、お頭が微笑んだ。
「偶然にも、今日この町で顔役たちの会合があったんだ。で、あんたたちがこの町にいると分かって、この席を設けさせてもらった」
「な、なるほど」
ヒューリがどうにか頷いた。
「と言うことで」
お頭が立ち上がる。
ザザッ!
一斉に男たちも立ち上がった。
「なにっ!?」
ヒューリが怯んだ。
シンシアが目を見開いた。
二人に向かってお頭が言った。
「改めて礼を言わせてくれ」
組長が号令した。
「お二人と、お二人のお仲間に感謝を!」
「感謝を!!」
腹に響く重低音。
「あは、あはは……」
ヒューリは苦笑い。
シンシアは、なぜか一緒に頭を下げていた。
「さあ、お飲みください」
「さあ、お食べください」
この夜二人は、人生初の”接待”というものを経験したのだった。
豪華な料理とうまい酒。
宴席にはべる美しい女性。
賑やかな声と陽気な笑い声。
接待の席と言えばそんなイメージではあるが、その宴は、残念ながら違った。
威圧感溢れる顔が、迫力ある声で、一人一人挨拶に来る。ヒューリには酒を、シンシアにはジュースを注いで下がっていく。
とにかく落ち着かなかった。酒の味も料理の味もよく分からなかった。
居心地悪い……
二人が顔を引き攣らせる。
それでも二人はそこに座り続けた。ぎりぎり笑いながら、どうにか頑張っていた。
すると。
「では、我々はこれで」
ひと通りの挨拶が済むと、お頭と組長を除いて男たちは全員帰ってしまった。
ポカンとする二人にお頭が笑う。
「これで儀式は終わりだ。お疲れ様だったな」
組長が、改めてヒューリのグラスに酒を注ぐ。
「ここの料理は絶品です。どうぞごゆっくりお楽しみください」
カサールの裏社会を取り仕切る顔役たち。普段のその行いは、決して褒められたものではない。
しかし、二人に対する感謝の気持ちも、その気遣いも、間違いなく本物だった。
「こりゃあやられたな」
ヒューリが笑う。
「ありがとう」
シンシアも笑った。
そして二人は、料理と酒とジュースを堪能した。盛り上げ上手なお頭と、聞き上手な組長が二人の気持ちを和ませてくれた。
楽しい宴会の中、さりげなく組長が聞いた。
「そう言えば、お二人はあのサーカス一座をご存知なのですか?」
重低音も、今はプレッシャーにはならない。
ヒューリにつつかれて、シンシアが答えた。
「あの一座で、私は生まれ育った」
「おおっ、そうでしたか」
シンシアの生い立ちを聞いて、組長が大きく頷く。
「分かりました。これからは、あの一座からみかじめ料を取ることはやめましょう」
それを聞いて、シンシアが頬を上気させた。
輝く瞳で組長を見つめ、やがて静かに目を伏せる。
「ありがとう」
可憐な声がした。
シンシアが、組長にそっと身を寄せる。シンシアが、組長の袖をそっと掴む。
シンシアが顔を上げた。揺れるブルーの瞳が、組長を見つめて言った。
「私、凄く嬉しい」
「おぉ……」
強面が緩んでいく。可愛い孫を前にしたジィジのように、だらしなく目尻が下がっていく。
「ほ、ほかにも、わしがお役に立てることはないですか?」
「じゃあ、もう一つ、いい?」
「も、もちろん!」
「このデザートを作った人を、紹介して欲しい」
「デザートを、作った人……?」
組長が戸惑う。
しかし。
「承知しました!」
パンパン!
即座に組長が手を鳴らす。
「はい、お呼びでしょうか」
「このデザートを作った者を呼んでくれ」
「はい?」
女将が目を丸くする。
シンシアが、組長の袖を引く。
「今じゃなくていい。明日でいいから、会って話がしたい」
「承知しました!」
組長が頷いて、女将に言う。
「明日、その者に時間を取るよう伝えてくれ」
「はい……」
驚く女将と真剣な組長と嬉しそうなシンシアを、呆れながらヒューリが見ていた。
すると、お頭がヒューリに話し掛ける。
「お前も、何かしてほしいことはあるか?」
お頭にすれば、それほど意味のある言葉ではなかっただろう。
しかし、それを聞いたヒューリの顔がこわばった。
ヒューリがうつむく。シンシアのうつむく姿と違って、それはただならぬ空気をまとっていた。
「何か、気に障ること言ったか?」
慌てるお頭に、顔を上げてヒューリが言った。
「じつは、頼みがあるんだ」
切実な声だった。
お頭だけでなく、組長も姿勢を正す。
お頭と、そして組長を見て、ヒューリが言った。
「イルカナとエルドアを結ぶ、一番往来の多い街道。その峠道にいた山賊を探している」
「山賊?」
お頭が不思議そうに聞く。
「そうだ。その山賊は、たぶん、もうそこにはいない。その山賊は、たぶん、このカサールにいる」
「イルカナにいた山賊……」
組長がつぶやいた。
その組長を、ヒューリがちらりと見る。その視線を組長は見逃さない。
「ヒューリさん」
重低音が響いた。
ヒューリがさらにうつむいた。
ヒューリに向かって組長が言う。
「我々は裏の人間です。ほとんどの者が、人様に言えない過去を持っている。それを詮索するようなことを、我々はしません」
ヒューリがゆっくりと顔を上げた。
「言いたくないことは言わなくて結構です。我々は、あなた方のお役に立ちたい。だから、ヒューリさんの願いをズバリおっしゃってください」
重低音が腹に響いた。
重ねてきた経験が、ヒューリを打った。
「すみません」
自嘲気味にヒューリが微笑む。
「じゃあ、ズバリお願いします」
顔を引き締めて、ヒューリが組長を見た。
「昼間、組長さんの後ろにいた男の人。あの人は、さっき言った山賊の一人です」
「うむ」
驚きを見せることなく組長が頷く。
「あの人の仲間が、魔力を奪う石を持っていたはずなんです」
「魔力を奪う石……。そんな物があるのですね」
世の中に不思議なアイテムは数あれど、魔力を奪う石というのは初耳だ。
さすがの組長も少しだけ目を開いた。
「どうしてもその石を見付けたいんです。その人に、石のことを聞いていただけないでしょうか」
真っ直ぐに目を見てヒューリが言った。
その目を見つめ返して、組長が笑った。
「喜んで」
ホッとしたように、ヒューリが息を吐いていく。
ヒューリの隣で、シンシアも息を吐き出した。
お頭が、にこりと笑って酒瓶持ち上げる。
「話はまとまったな。よし、飲め!」
ヒューリがグラスを差し出した。
「シンシアさんもどうぞ」
シンシアが、組長にグラスと微笑みを向けた。
お前たちは導かれている
注がれる酒とジュースを見ながら、二人は叔父の言葉を思い出していた。
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