解かれた封印と解かれた心
翌日、ヒューリとシンシアは、サーカス一座を訪ねて組長の言葉を伝えた。
みかじめ料がいらなくなったと聞いて、団長が目を見開く。
「お前、やっぱりヤクザに……」
「違う!」
団員にシンシアが叫ぶ。
「シンシア、ありがとう」
シャールに抱き締められて、シンシアは嬉しそうに笑った。
カサールを主な活動拠点にしている一座にとって、みかじめ料を支払わなくて済むのは非常に大きい。
「これで給料も上がるな!」
「その前にテントの補修な」
「えー!」
楽しげな団員たちを見て、ヒューリも笑った。
その日二人は、公演を招待席で楽しんだ。妙技を満喫した二人は、また来るからと言って宿に戻る。
ちょうどそこに、組長の使いが来た。
「例の件、申し訳ありませんが、数日お待ちください」
それだけ言って使いは帰っていった。
昨日の今日だ。そんなに簡単に手掛かりが掴めるとは思えない。
「まあ、待つしかないな」
「うん」
固い表情のヒューリの腕を、シンシアがそっと握った。
それからの数日間、二人は思い思いに時間を過ごした。
ヒューリは、武具店やアイテムショップを見て回る。
シンシアは、料亭を訪ねて料理人からいろいろなことを聞き出していた。
ちょっとした休日気分だった。
だけどやっぱり、二人の気持ちが落ち着くことはなかった。
そして、数日後。
「お客様がお待ちです」
揃って宿に帰ってきた二人に亭主が言った。
その声で、食堂にいた男が振り向いた。
男を見て、ヒューリの顔がこわばる。
男が、ヒューリから視線をそらす。
シンシアが、ヒューリに聞いた。
「お部屋で、いい?」
ヒューリが固く頷く。
男に歩み寄って、シンシアが言った。
「お部屋で、いい?」
「へい」
男も固い表情で頷き、小さな袋を持って立ち上がった。
テーブルの向こうから男が言った。
「お久し振りです」
男をちらりと見て、ヒューリが答えた。
「そう、だな」
そして沈黙。
この状況を何とかしたいのだが、シンシアの性格ではそれは難しい。シンシアには、黙ってお茶を淹れることくらいしかできなかった。
出されたお茶を、ヒューリが飲む。
同じく男もお茶を飲む。
ヒューリの隣にそっと座って、シンシアも静かにお茶を飲んだ。
やがて。
「えっと、まずは仕事を片付けちまいやしょう」
男が、テーブルの上に袋を置いた。
「俺と同じく、カサールに来ていた仲間が持ってました。お探しの物かどうか、確かめてください」
ヒューリの喉がごくりと鳴った。
黙って頷き、そっと袋に手を伸ばす。
「売ろうとしたけど、どの店も気持ち悪がって買ってくれなかったらしいっす。呪いのアイテムかもしれないって言われて、捨てることも考えたらしいですが、結局そのまま持ってたって、そいつが言ってました」
男の説明を聞きながら、ヒューリは慎重に袋を開けた。
中にあったのは、指輪。台座に輝くのは、紺碧の石。
「これだ!」
ヒューリが叫んだ。
「ヒューリ!」
シンシアも叫んだ。
「お探しの物でしたか? それならよかったっす」
男がホッとしたように微笑んだ。
「本当に助かった。ありがとう」
ヒューリに言われて男がうつむく。
「あ、いえ」
うつむく男を見て、ヒューリもうつむいた。
またもや沈黙。
それを、男がまた破った。
「姉さん」
ヒューリが拳を握る。
「お元気そうで、何よりっす」
男の声は固い。しかし、そこにヒューリの恐れる感情は感じられなかった。
ヒューリが聞いた。
「私が生きてるのは、分かってたんだな」
男が答えた。
「窪地に、死体が無かったっすから」
ヒューリが苦笑する。
聞くまでもないことだった。
「それと、俺たちも時々町には行きやす。酒とか食いもんとか、えっと、女とか」
ちらりとシンシアを見て、気まずそうに男が続けた。
「酒場で飲んでれば、いろんな噂も聞きやす。特にエム商会の話なんて、そりゃあもう行くたんびに聞かされます。だから、赤髪のヒューリが姉さんだってことは、みんな分かってました」
「そっか」
ヒューリの声は消え入りそうだ。
その小さな声で、ヒューリが聞いた。
「みんなは、その、何て言ってた?」
聞かなければいけないと思った。
知っておかなければいけないと思った。
だからヒューリは聞いた。
だが、言葉の最後は掠れてしまった。本当は、そんな質問したくなかった。
「そうっすね」
男が答える。
「文句を言う奴も、怒った奴もいたっすね」
「まあ、そうだよな」
山賊をしていたという事実。それが、喉に引っ掛かった異物のようにずっとヒューリを苦しめていた。
だが、異物は一つではなかった。
一度は仲間になった山賊たち。それを裏切った。そればかりか、山賊を倒す側に回った。
それが、ヒューリの心に影を落としていた。
ヒューリの良心が、それをずっと責め続けていた。
「すまなかった」
うつむくヒューリが、さらに頭を下げる。
「えっと」
急に謝られて、男が戸惑っているのが分かった。
それはそうだろう。ヒューリが何に対して謝っているのか、男に分かるはずがない。仮に分かったところで、男は余計に戸惑うだけだろう。
それでもヒューリは謝った。それしかヒューリにはできなかった。
男がヒューリを見つめる。
ヒューリがテーブルを見つめる。
重い空気の中、ふいに男が話し出した。
「姉さんが俺たちと一緒にいた頃、姉さん、よく俺たちに聞きましたよね。”お前たちは、なんで山賊なんてやってんだ?”って」
「えっと、まあ、そうだったかな」
突然昔のことを言われて、今度はヒューリが戸惑う。
「聞かれるたんびに、これしか生きる方法がないからだって、俺たちは答えてました」
そう言えば、そんなやり取りをしたような気がする。
ヒューリの脳裏に当時の記憶が甦ってきた。
「そうやって答えるのに、姉さんは何度も聞いてきた。そりゃもう、しつこいくらい何回も」
男の声に棘はない。ヒューリを責めているということではないようだ。
「で、そうやって何度も聞かれてるとね、俺たちも考え始めるんすよ。俺たちは、何で山賊なんかやってんだろって」
ヒューリが少し、顔を上げる。
「黒髪のミナセに姉さんがやられて、でも窪地に姉さんの死体がないって分かった後ね、俺たちは、何だか調子が狂っちまいました」
「?」
ヒューリが完全に顔を上げた。
そして、わずかに首を傾げる。
「姉さんは俺たちとは違う。だからきっと、ちょうどいい機会だって思ってカタギの世界に戻ったんだろう。そんな風に話してたんす」
ヒューリの目が広がった。
「でね、仲間の一人が言ったんすよ。”で、俺たちはどうする?”ってね」
ヒューリの目が大きく広がった。
「だからね、町で姉さんの話を聞いた時、文句を言う奴も、怒った奴もいたんすけど」
男が言った。
「姉さんのことを恨んでる奴は、誰もいなかったっす」
笑いながら、男が言った。
「姉さんがいなくなった後、結局俺たちは解散ってことになったっす。それでよかったって、俺は思ってます。だから姉さん」
男が立ち上がる。
「俺なんかに言われても、嬉しくも何ともないとは思うんすけど」
男が、大きな声で言った。
「姉さんと会えてよかったっす。姉さん、ありがとうございました!」
「あぁ……」
ヒューリの魂が声を上げた。
喉元に引っ掛かっていた二つの異物。それが消えた訳ではない。
しかしヒューリは、その異物を、今飲み込むことができた。自分の体に取り込んで、自分の体の一部として、今日初めてそれを受け入れることができた。
「ヒューリ!」
シンシアがヒューリを抱き締める。
「姉さん?」
男が首を傾げる。
シンシアに抱かれ、男に不思議そうな顔で見つめられながら、ヒューリは泣いた。
座ったまま、天井を見上げて、いつまでも、いつまでも、ヒューリは泣いていた。
「元気でね」
「シャールも、お幸せに」
「え?」
驚くシャールが周りを見た。団員たちがニヤニヤしているのに気付いて、顔を真っ赤にする。
「別に隠す必要ないだろ? うちの花形スターのハートを、うちの団長が射止めた。めでたい話じゃないか」
シンシアに告げ口した団員が笑いながら言う。
「シャールと団長、お似合い」
「シンシア!」
真っ赤な顔でシンシアを睨むが、そんなシャールが怖いはずがない。
隣の団長が、やっぱり顔を赤くしながらヒューリに手を差し出す。
「ヒューリさんもお元気で」
「はい。皆さんもお元気で」
晴れやかにヒューリが笑った。
手を振る団員たちに、思い切り手を振り返しながら、二人はテントを後にした。
ちらりと見れば、物陰に組長の姿があった。静かに頭を下げるその横には、お頭もいた。
小さく手を振り、また笑って、二人は町を出た。
馬にまたがるヒューリが、双剣をそっと撫でる。
「よかったね」
「ああ、よかった」
シンシアの声に、ヒューリは明るく答えた。
昨夜二人は、石を持ってきた男が帰った後、指輪の台座から石を外して、それを双剣にはめてみた。
少しずつ形の違う二つの石。深紅の石と紺碧の石。双剣の柄頭の窪みにそれをはめると、溶け込むように石が柄と一体化する。
そして。
「おおっ!」
剣が輝き出した。
一本は炎のように。
一本は氷のように。
それぞれの剣が、不思議な光を帯びていく。
「伯父上の言っていた通りだ」
真の姿を現したヒューリの双剣。
封印の解かれた神殺し。
「父上……」
泣いてばかりのヒューリの腕に、泣いてばかりのシンシアが抱き付いていた。
鞘に収まっていれば、あの光が漏れ出すことはない。暗闇の中で、ヒューリはそれを確かめている。だが、これからはこの剣を簡単に抜くことはできないだろう。
炎と氷の剣。そんな剣は、秘宝の中にもない。
「この状態だと威力が増すのかな?」
「確かめるのはあと。社長たちが待ってる」
シンシアが馬を走らせる。
「あ、こら!」
いきなり駆け出したシンシアを、ヒューリが慌てて追い掛けていった。
帰りの旅は順調だった。
カサールの検問所は、ほとんど顔パス。
「その節は失礼いたしました!」
大勢の衛兵に見送られながら、二人は国境を越えた。
イルカナの検問所でも、やはり衛兵たちに出迎えられた。
「お帰りなさい!」
二人揃って苦笑いをしながら無事入国も果たした。
二人は駆ける。マントを翻して、みんなの待つ場所へと真っしぐらに駆けていく。
そしていよいよアルミナの町が視界の彼方に見えた時、突然ヒューリが言った。
「なあ、シンシア。旅の資金って、まだ残ってるんだよな?」
シンシアの眉間にしわが寄った。
警戒心剥き出しで無視を決め込む。
「ティアス坑道で拾った魔石も、まだ換金してなかったよな?」
ヒューリがシンシアに馬を寄せていく。シンシアが馬を逃がしていく。
負けじと馬を寄せながら、ヒューリが言った。
「どうせなら、二人で打ち上げでもしていかないか? うまい料理とうまい酒。お疲れ様ってことで、二人で豪華に……」
「ヒューリ」
冷たい声で、シンシアが言った。
「旅の資金は、会社のお金。魔石も、仕事中に拾ったもの。社長に確認すべき」
それを聞いたヒューリが、大げさに首を振ってシンシアを見る。
「シンシア、固いよ、固過ぎだよ。女の子はさあ、もっと柔らかい方が可愛いと思うんだよねぇ」
ピキッ!
シンシアのこめかみに血管が浮き上がった。
「全部使おうって訳じゃないんだ。お金がだめなら、魔石を換金した分だけでも……」
「ヒューリ」
氷のような声で、シンシアが言った。
「それ以上、喋らない方がいい。でないと、後悔することになる」
「おっと!」
ヒューリがすかさずシンシアから離れた。
「ふふん、もうお前の肘打ちは食らわないぜ!」
得意げなヒューリをシンシアが見る。そして、ふいに妙なことを言った。
「ヒューリ。マントに付いてるフード、頭に被ってみて」
「え?」
意味不明な言葉に、だが、なぜかヒューリは慌て出した。
「フ、フードなんて被らなくても」
「被って」
「いや、私フードは……」
「被って!」
「な、何だってんだよ!」
ヒューリが焦りまくる。
見透かしたように、シンシアが言った。
「フードの中に、隠してるものは、何?」
「うっ!」
「隠してるものは、何?」
「……魔石です」
ヒューリが白状した。
「いくつ?」
「ひ、一つ……」
「いくつ?」
「……二つです」
ヒューリがうなだれた。
「どうして、隠したの?」
「まあその……へそくり?」
「ヒューリ、みみっちい」
「ぐあっ!」
肘打ちよりも厳しい攻撃に、ヒューリは大ダメージを受けた。
「私の目は、ごまかせない」
「はい……」
「ヒューリ、人間がちっちゃい」
「はぅ……」
ヒューリがどんどん萎れていく。
「たった二つの魔石で、私に言われ放題。そういう情けないことは、しない方がいい」
いいようにヒューリを攻め立てていたシンシアが、ふと手綱を放した。鐙の上に器用に立って、両手を自由にする。
「?」
ヒューリが、不思議そうにシンシアが見た。
その顔をにこりともせずに見つめ返しながら、シンシアが、両手を自分のフードの中に突っ込む。
そして、そこから何かを取り出した。
「あっ!」
ヒューリが大きな声を上げる。
シンシアが、にやりと笑った。
「どうせなら、これくらいやるべき。たった二つじゃあ、豪華な食事はできない」
両手に二つずつ、特大の魔石を四つも持ったシンシアが、得意げに笑っていた。
「シンシア!」
真っ赤な顔でヒューリが叫ぶ。
「ヒューリ、情けない」
「くっそー!」
掴み掛かろうとするヒューリの腕をするりと避け、魔石をフードに放り込むと、シンシアは手綱を握った。
「こらっ!」
ヒューリの声を無視してシンシアが馬を走らせる。
「シンシア!」
ヒューリが追い掛ける。シンシアが逃げる。
相変わらずの、いつもの二人。
「待てっ!」
「待たないっ!」
風を切り、道行く人たちを驚かせながら、二人と二頭は、アルミナの町に向かって一直線に走っていった。
空には上弦の月が昇っているはずなのだが、雲に遮られて、その光はほとんど地上に届いていない。
人里離れた山の麓。鬱蒼と茂る林の中は、誰もが踏み入ることを躊躇うほどに暗かった。
その、闇の中。
「準備は整ったのだな?」
「はい。ご指示をいただければいつでも。それより、そちらは大丈夫なのですか? 想定外の事態がいくつか起きているようですが」
問われた男が一瞬顔をしかめた。
「手は打ってある。貴様が気にすることではない」
「それは失礼いたしました」
不機嫌な答えを、だが相手はまるで気にする様子はない。
「では、お待ちしていればよろしいので?」
「そうだ」
男がはっきりと答えた。
「決行の日が決まったら連絡する。次に貴様と会うのは、悲願成就の後になるだろう。それまで決して気を緩めるでないぞ」
「承知しております。次にお会いした時には、あなた様の笑顔が見たいものですな」
「ふん」
不機嫌な声は、最後まで不機嫌なままだった。
踵を返して男が去っていく。林を出た男は、その体型からは想像できないほど軽やかに馬に跳び乗ると、振り返ることなく北へと駆けていった。
男を見送った影が、呆れたように肩をすくめる。
「打ったその手が通用しないから、毎回想定外の事態になると思うのだが」
馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「まあしかし、たしかに奴らは手強い。あの男が手こずるのも分からないではないな」
そう言うと、影が上を向いた。
「あの男の悲願は、わしの計画の一部でもある。いざとなれば、わしが奴らを潰すしかないだろう」
突然、その体がふわりと浮き上がった。
音もなく上昇を始めた体が、木立を突き抜けて林の上に出る。そして、男が去った北の方角を見た。
「あの国は、これから大変なことになるのぉ」
他人事のように言って、その体が南へと向く。
「さてと、戻るとするか。大詰めを迎えている研究が、わしを待っておるからな」
かすかな月明かりの中で、不気味な仮面がにやりと笑った。
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