過去との再会

 泣きながら抱き合う二人の回りにみんなが集まってきた。


「シンシア、どうしてお前がここに」


 一人の団員の声で、二人が体を離す。


「久し振りだねぇ」

「会社をクビになったのか?」

「つまらないこと言うんじゃないよ!」


 あちこちから話し掛けられて、シンシアが涙を拭いた。

 一番近くにいた団員が、シンシアに聞く。

 

「元気だったか?」


 もう一度涙を拭き、しっかり団員を見て、シンシアが答えた。


「うん、元気」

「おおぉっ!」


 どよめきが広がっていく。


「お前、話せるようになったのか?」

「話せるようになった」

「笑えるようになったのか?」

「いちおう、笑える」


 恥ずかしそうにシンシアが微笑む。


「おおぉ!」


 歓声が上がった。

 話すことができる。笑うことができる。たったそれだけのことなのに、団員たちは大騒ぎだ。


「シンシア」


 呼ばれて、シンシアがシャールを見た。


「あなたは今、幸せ?」


 シンシアが、自信を持って答えた。


「うん、幸せ」


 シャールの目に再び涙が滲む。

 それを指で拭って、シャールが笑った。


「よかった!」


 本当に嬉しそうに、シャールが笑った。

 微笑み合う二人を、微笑みながら団員たちが見つめる。それを微笑みながら見ていたヒューリに、団長が声を掛けた。


「ありがとうございました。また助けられてしまいましたね」


 笑う団長の顔は、だが少し複雑だ。シンシアの足元で呻き声を上げている男を、どうしたものかと見下ろしている。

 同じく男を見下ろしながら、ヒューリが答えた。


「助けたことになるのか、ちょっと微妙ですけど」


 シンシアが飛び出さなければ、もう少し穏やかに収められたかもしれない。だが、結局そこにいた全員をぶちのめしてしまった。


 さて、どうしたものか


 ヒューリも団長も、同じことを考えて黙り込む。

 その二人の後ろから、太く、渋い声が聞こえた。


「お取り込み中失礼する」


 見れば、いつの間にか数人の男たちが立っていた。しかも、またもやカタギとは思えない人間たちだ。


 うえぇ、またかよ


 ヒューリが顔をしかめる。

 すると。


「親父!」


 うずくまっていた男が叫んだ。

 呼ばれた男が、ギロリとそれを見る。


「ずいぶんと情けねぇ格好してるじゃねぇか」

「す、すいやせん」

「テントの入り口で、てめぇの舎弟たちがノビてたぞ」

「えっ?」

「まったく。みっともねぇ野郎どもだ」


 凄みと年季を感じさせるドスの利いた声。うずくまっている男とは明らかに格が違う。

 その佇まい、その醸し出す空気は、間違いなく組長クラスだ。


「面目ねぇ。ほんとにすいやせん」


 わき腹を押さえ、ペコペコと謝りながら、男はどうにか組長の前にやってきた。

 その時。


「姉さん!?」


 組長の後ろにいた男がうわずった声で叫んだ。


「!」


 ヒューリが目を見開いた。それ以上ないというほどに、限界までその目が開いていく。

 組長が、後ろの男に聞いた。


「なんだお前、こいつを知ってるのか?」

「へ、へい」


 叫んだ男がうつむいた。


「えっと、その……」

「はっきり言え!」


 重低音にビクッと体を震わせ、ヒューリをちらりと見てから、男が答えた。


「イルカナの王都アルミナにある、エム商会の、ヒューリさん、です」

「なんだと?」


 組長が、完全に後ろを振り向いて男に確認する。


「間違いないのか?」

「へい、間違いありません」


 目を伏せて答える男をじっと見つめ、組長は再びヒューリを見た。

 その組長に、わき腹を押さえたまま男が言う。


「こいつら、いきなり現れて俺たちを……」


 ガコッ!


「ぐあっ!」


 突然、強烈な拳骨が男の頭を打った。

 男が、今度は頭を押さえてうずくまる。

 全員が目を丸くする中、組長が半歩下がった。そして姿勢を正し、ゆっくりと、深く、ヒューリに頭を下げた。


「この度は、うちのもんがご迷惑をお掛けして、まことに申し訳ありませんでした」

「ちょ、ちょっと、親父!」


 手下全員が驚きの声を上げる。


「今回の件、エム商会のヒューリさんとは知らないでしたこと。どうかお許しいただきたい」

「えっと……」


 混乱を極めるヒューリは、うまく答えられない。驚きと動揺で、ヒューリの思考は完全に止まっていた。

 そこにシンシアがやってくる。そして、心配そうにヒューリの腕を掴んだ。

 ヒューリが、ハッとしたようにシンシアを見る。

 それを見た組長が、今度はシンシアに向かって言った。


「空色の髪にブルーの瞳。そちらはもしや、シンシアさんでしょうか?」

「……そう」


 突然名を呼ばれて、シンシアも驚いた。


「赤髪のヒューリさん、空色の髪のシンシアさん。ほかにどなたか、エム商会の方はおられますか?」

「いない。私たちだけ」

「そうですか」


 組長が大きく頷く。


「お二人に、ぜひ会わせたい者たちがおります。この度のお詫びも兼ねて、どうか一席設けさせてはいただけないでしょうか」


 何とも唐突な話だが、その言葉も姿勢も恐ろしく丁寧だ。

 シンシアが、首を傾げながら組長を見つめる。

 組長からは、騙すようなの意図は感じない。だが、何せ相手はカタギではない。さすがにおいそれとは頷けなかった。

 シンシアが困ったように黙っていると、ヒューリが、急にはっきりした声で言った。


「お誘い、お受けします。どちらに伺えばいいですか?」


 びっくりしてシンシアが振り返る。


「おおっ、ありがたい!」


 嬉しそうに顔を綻ばせ、大きく組長が頷いた。


「では早速、今夜町の料亭で」


 店の名前を告げ、もう一度丁寧に頭を下げて、組長はその場を後にした。

 子分たちも、一斉に頭を下げてバタバタと去っていく。


 団員の一人が、恐る恐るシンシアに聞いた。


「お前、ヤクザの親分になったのか?」

「違う!」


 真っ赤な顔でシンシアが否定する。

 その声にも反応することなく、黙ったまま、ヒューリはじっと立ち尽くしていた。



 ゆっくり話をする間もなく、団員たちは公演の準備に入った。昼の部は飛ばしてしまったが、夜の部にはまだ間に合うはずだ。


「明日、また来る」

「悪いね。公演時間、覚えてる?」

「当然。ちゃんと休憩時間に合わせて来る」


 シンシアとシャールが笑い合う。


「ヒューリさん、今日は本当にありがとうございました」

「いえ……」


 団長に、ヒューリが曖昧な笑みを返す。


「じゃあまた」


 手を振る団員たちに手を振り返して、二人はテントを離れた。


 歩き出したヒューリにシンシアが聞いた。


「組長の後ろにいた人、知ってるの?」


 少し間を空けてから、ヒューリが答えた。


「知ってる。私たちが探していた、山賊の一人だよ」

「!」


 驚いてシンシアが戻り掛ける。


「だったらすぐに……」


 慌て出したシンシアに、ヒューリが言った。


「ごめん。少し、考える時間をくれないか」


 思い詰めた表情でヒューリが言った。


「……分かった」


 答えて、シンシアがうつむく。

 それ以上は何も聞かず、だが明らかに不満顔でシンシアは歩く。

 会えるかどうかすら分からなかった山賊たち。その一人に会えたのだから、すぐにでも話を聞くのが当然。

 それなのに。


 ヒューリは、心の中でシンシアに詫びていた。

 ヒューリは、心の中で葛藤していた。


 ヒューリにとって、あの男との再会は、感動の再会ではない。

 それは、忘れてしまいたい過去との再会。

 それは、忘れることの許されない過去との再会。


 あの男は、”エム商会の、ヒューリさん”と言った。


 ヒューリがエム商会に入社したことを知っていた。

 ヒューリが生きていることを知っていた。


 何も整理がつかなかった。

 組長の誘いを受けることができたのは、ほとんど奇跡だ。

 この機会を逃してはならない。あの瞬間だけは、強く理性が働いた。


 しかし、その理性も今は力を失っている。

 理性の声を、感情の荒波がかき消していく。


 闇の中をヒューリは彷徨う。

 闇の中でヒューリがうずくまる。


 衝動に駆られてヒューリが叫ぼうとした、その時。


「私じゃ、だめなの?」


 小さな声がした。


「私じゃ、役に立たないの?」


 泣きそうな声がした。

 びっくりして、ヒューリが横を見る。

 ヒューリの袖を握り締め、ぎゅっと目を閉じているシンシアを見る。


「私だって、ヒューリの役に、立ちたい」


 シンシアの足が止まった。

 シンシアが唇を噛み締めた。


 ヒューリが、顔を歪める。


 あぁ、まただ……


 以前、仕事で失敗して悩んだことがあった。

 顧客から”エム商会の面汚し”と罵られ、退職という文字が頭をよぎった。

 あの時もそうだった。一人で落ち込んで、一人で最悪の結論を導き出してしまった。

 みんなに頼れなかった。

 みんなを泣かせてしまった。


 あの時から、自分は何にも進歩をしていなかった。


「シンシア」


 ヒューリが名を呼ぶ。


「ごめん」


 ヒューリが抱き締める。


「シンシア……ごめん……」


 謝りながら、ヒューリはシンシアを抱き締めた。

 驚いて目を見開くシンシアを、強く強く、ヒューリは抱き締めていた。



 昼食の時間はとっくに過ぎていて、店の中は空いていた。 

 すっかり遅くなってしまった昼食を取りながら、ヒューリはシンシアに話をした。


 触れたくない過去。振り払うことのできない過去。

 触れたくない感情。決して消えることのない感情。


 シンシアが、真剣にそれを聞く。

 シンシアは、ヒューリの話を一生懸命聞いていた。


 話を聞き終えたシンシアは、しかし、ヒューリに何も言うことができなかった。

 言葉を見付けられない自分に、シンシアが拳を握る。

 その目の前で、ヒューリが笑った。


「シンシア、ありがとな」


 そう言って、シンシアの頭を優しく撫でる。


「私にはお前がいる。会社の仲間がいる。いっつもそう思ってるのに、私、すぐそれを忘れちゃうんだよなぁ」


 天井を仰いでため息をつく。


「私、ほんとにダメダメだ。ダメダメの、ダメ人間。だからさ」


 もう一度息を吐き出して、ヒューリが前を見た。


「今夜店に行く時、その……手を、つないでてくれないか?」


 シンシアが驚く。

 恥ずかしそうなヒューリを、大きく開いた瞳で見つめる。


 やがて。


「分かった!」


 シンシアが、大きな声で言った。


「任せて!」


 力強くシンシアが言った。


「悪いけど、頼む」


 ヒューリが微笑む。

 シンシアが笑う。


 恥ずかしそうに、でも、ホッとしたような顔で、ヒューリは食事を再開した。

 何も言わず、でも、凄く嬉しそうな顔で、シンシアもパンを頬張っていた。

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