生まれ育った場所

 坑道を出ると、空がかすかに明るくなり始めていた。

 二人は、男たちが拾った魔石を鞄に詰められるだけ詰めると、その場で別れを告げる。


「この斧、本当にもらっちゃっていいんですか?」

「私たちは使わないからな。いいよ」

「残りの魔石、本当にもらっちゃっていいんですか?」

「私たちは、これ以上持てない。だからいい」

「ありがとうございます!」


 男たちが一斉に頭を下げる。


「そのかわり、私たちのことは、誰にも言わないで」

「はい!」

「もちろんです!」

 

 大きく返事をする男たちに手を振ると、二人は足早にそこから去っていった。

 その背中を見送りながら、男の一人がつぶやく。


「何だか得しちゃったな」


 隣の男もつぶやく。


「このダンジョンに来て正解だったな」


 別の男が続く。


「でも俺たち、全員ランクBなんだけどな」


 最後に、斧を担いだ男が拳を握った。


「この斧が似合うように、俺たちも強くならなきゃな」


 決意を新たに、男たちも坑道をあとにした。


 以下、余談。

 この出来事以降、男たちはまじめに修行を行い、コツコツと経験を積んでいった。秘宝の斧の力を借りながら、いくつものダンジョンを制覇していく。

 ある時、その実績を認めたギルドが男たちに言った。


「あなた方の実力なら、全員ランクAに昇格していただいても問題ないと思います」


 それを聞いた男たちは、激しく首を横に振る。


「とんでもない! 俺たちがランクAなんて」

「ランクAの皆さんに失礼です!」

「そ、そうですか……」


 どれだけ実績を重ねても、あくまで謙虚に。

 どれほど凄い秘宝を手に入れても、奢ることなく控え目に。


 男たちが追い掛けるのは、二人の背中。

 その目に焼き付いた、驚異的な剣技と驚愕の魔法。


 いつの頃からか、男たちは尊敬を込めてこう呼ばれるようになった。


 史上最強のランクB


 そしていつの頃からか、ギルドの職員のため息が増えていった。


 あの人たちが昇格しないから、みんなランクAを辞退しちゃうのよねぇ


 それはさておき。


 男たちと別れた二人は、山に潜んで夜を待った。

 やがて日が暮れると、山を下りて平地を駆ける。町を横切り、再び山に入ると、行きに一夜を明かした鉱山を素通りして、盆地を見下ろす山の尾根へと辿り着いた。

 町の灯りとクランの城と、何もない丘の上を見ながらヒューリが言う。


「また来ます」


 そっと体を寄せるシンシアの頭をワシワシと撫でて、ヒューリは北を向いた。


「石はもう一つある。行くぞ」


 歩き出したヒューリの後を、シンシアが無言でついていった。



 行きと反対のルートでカサールに戻った二人は、リスティの住む王都を経由せずに、真っ直ぐ西へと向かった。

 目指すのは、イルカナ南部の峠道。ヒューリが山賊たちと過ごしていた場所だ。

 マークの配慮もあって、ヒューリがその方面に行くことは一度もなかった。そこに行くのは、覆面の山賊としてミナセと戦った時以来だ。


 出会いの場所。

 運命の場所。

 因縁の場所。


 しかしヒューリは、そこに石がある可能性は低いと考えていた。

 以前ミナセが、護衛の仕事から戻ってきた時に言っていたからだ。


「ヒューリと一緒にいた山賊たちは、もうあそこにはいないかもしれないな」


 ミナセは、比較的近くであの山賊たちを見ている。その山賊たちを、ある時からまったく見掛けなくなったという。


「少し前までは、森の中からこちらを窺う気配を感じてたんだけどね。いつの頃からか、その気配が無くなった。それが今回、私がいるのに商隊を襲ってきた山賊がいた。たぶん、あの山賊たちはどこかに行ってしまったんだろう」


 ミナセの推測が当たっているなら、山賊たちは、あの街道筋から撤退したことになる。

 山賊たちが向かった先を推測するのは困難だ。仮に山賊たちを見付けられたとしても、彼らがまだ石を持っているという保証はない。


「信じなさい。お前たちは導かれている。お前たちなら、必ず石に辿り着ける」


 伯父の言葉を思い出して、ヒューリは腹にぐっと力を込めた。


 途中の町で馬を買って、二人は西へと向かった。

 町に立ち寄る度に、魔力を奪う石のことを聞いて回るが、これといった情報はない。イルカナから流れてきた山賊がいないかも聞いてみるが、誰もが首を横に振るばかり。


「まあ、簡単にはいかないよな」


 ヒューリもシンシアも、石を見付けることの難しさを改めて実感していた。

 やがて二人は、カサールの西の端、イルカナとの国境近くにある大きな町までやってきた。太陽がまだ真上にある時刻だったが、今日はこの町に泊まってイルカナ入りの作戦を練るつもりだ。

 行きの教訓は、ちゃんと生きていた。


 馬を宿屋に預け、情報収集と昼食を兼ねて、二人は町を歩く。すると、前から来る母子の会話が聞こえてきた。


「どうしてサーカスはやってなかったの?」

「そうねぇ、どうしてかしらねぇ」

「僕、ピエロさんが見たかった」

「ごめんね。今日から始まるって書いてあったんだけど」


 残念そうな子どもに、母親が困った顔を見せる。


「サーカス……」


 シンシアが小さく言った。


「気になるか?」


 ヒューリに聞かれて、シンシアがうつむく。

 その頭を、ヒューリがガシッと掴んだ。


「変な遠慮するなよ。気になるなら行ってみようぜ」

「……うん」


 頭を掴まれたまま、シンシアが頷いた。

 この地域で興行をしているサーカス一座と言えば、それなりに限られる。

 懐かしさと、ほんの少しの恥ずかしさ。

 母子のやってきた方向へと歩きながら、シンシアは、鼓動が早くなるのを感じていた。


 町の広場へとやってきた二人は、そこに張られた大きなテントを見付けた。


「シンシア、あれって」


 その言葉を最後まで聞くことなく、シンシアが足を早めてテントへと向かう。

 

 見間違えるはずがなかった。

 シンシアは、そこで生まれて、そこで育ったのだ。


 楽しいことがたくさんあった。

 悲しいことも、いくつかあった。

 それでもやっぱり、シンシアにとってそこは特別な場所だった。


 みんなの顔を思い出す。

 何て言おうか考える。

 シンシアの足がさらに早まる。

 その足が、ピタリと止まった。


 追い付いたヒューリが、テントの入り口を見て眉をひそめる。


「あいつら、何者だ?」


 そこには二人の男がいた。男たちは、どうみてもカタギの人間ではなかった。


「いったい何が」


 つぶやくヒューリに答えることなく、シンシアがテントの裏手へと歩いていく。

 それを見て、入り口の男たちが動いた。


「おい、そっちに行くんじゃ……うっ!」


 シンシアが、一撃で男たちを黙らせた。


「あーあ、やっちまった」


 ヒューリが天を仰ぐ。

 足早に裏手へと向かうシンシアを、ヒューリが慌てて追い掛けていった。



 その頃テントの裏手には、緊迫した空気が流れていた。


「町にはちゃんと場所代を払ってるんです。本当なら、あなたたちに金を払う必要なんてないんですよ!」

「勘違いしちゃあ困るなぁ。俺たちがもらうのは、場所代じゃなくて、警備代だ。お前たちが安心して興行に励むための、必要な経費なんだよ」


 必死に主張する団長を、男がせせら笑う。男の後ろには、ニタニタと笑う数人の子分がいた。

 興行と裏社会は、切っても切れない関係にある。”安心して興行に励むため”にみかじめ料を払うことは、旅の一座にとっての常識だ。

 とは言え。


「前回の三倍の金額なんて、とても払えませんよ!」

「前回が安過ぎたのさ。今回が本来の金額だ」


 法外な金額の要求を、簡単に呑むことはできなかった。一度呑んでしまえば、次からも同じ金額を払うことになってしまう。

 団長と男のやり取りを、団員たちが心配そうに見ていた。


「まあ、どうしても払えないってんなら仕方ねぇ」


 黙り込んでしまった団長にそう言って、男は団員たちに向かっていく。


「な、何を……」


 動揺する団長を無視して、男は、一人の美しい女の前に立った。


「金のかわりに、こいつの体で払ってもらってもいいぜ」


 男の口元が緩む。その顔がいやらしく歪んでいく。

 男が女の髪に手を伸ばした。きれいに梳かれた髪に、その手が触れる。

 途端。


 パシッ!


 断固とした意志がその手を弾いた。


「調子に乗るんじゃないよ、このゲス野郎!」


 強烈な視線が男を睨む。


「てめぇ!」

「兄貴に何しやがる!」


 後ろから怒鳴る子分たちを片手で制して、男が笑った。


「お前が拒むと、困る人間がたくさん出ると思うぜ。それでもお前は、まだ強気に出るのか?」

「くっ!」


 悔しそうな顔を、楽しそうに見る。


「お前なら俺を満足させられる。お前にはそれだけの価値がある。お前なら、この一座を救うことができるんだ」


 薄ら笑いで男が語る。


「さあどうする? この一座の運命はお前が握ってるんだぜ」


 獲物を狙う獣が女を見下ろした。

 女がそれを見上げる。エメラルドグリーンのきれいな瞳が悲しげに震えている。

 団長が叫んだ。


「分かった、金は払う!」


 男がゆっくりと振り返る。


「いーや、金はいらねぇ。俺はこいつが気に入った」

「なっ!」


 団長が絶句した。

 再び女を見て、男が言う。


「言っただろう? この一座の運命は、お前が握ってるんだ。お前がどうするべきか、考えるまでもねぇよなぁ」


 男の手が、女の髪に触れた。

 女の肩が、ぴくりと震えた。


「いい子だ。おとなしくしてれば、ひどいことなんてなーんにも……」


 その時。


「こらっ、やめろ!」


 突然女の声がした。

 全員が驚いて声の方向を見る。

 直後。


「がっ!?」


 わき腹を押さえて男がうずくまった。その呻き声に、今度は全員が男を見る。

 脂汗を流して男が苦しんでいる。

 その男の隣には、一人の少女。怒りに揺らめく空色の髪と、怒りに震えるブルーの瞳。


「あっ!」


 団員たちが声を上げた。

 すると。


「あーあ、またやっちまった」


 先ほどと同じ女の声が近付いてくる。

 声の主を改めて見て、団員たちがまた声を上げる。


「あっ!」


 驚きっ放しの団員たちの前に、赤い髪の女がやって来た。


「まったく。お前はもっと冷静に……」

「誰だ、てめぇら!」


 女の言葉を遮って、子分たちが吠えた。

 目を血走らせながら、全員が一斉に得物を抜く。


「もう三人やっちゃってるしな。今さらか」


 諦めたように言う女に向かって、子分たちが得物を振り上げた。


「何訳の分かんねぇこと言ってやがる!」

「俺たちを誰だと……」


 瞬間、赤い髪が動いた。


 バキッ!

 ボコッ!


 三秒で、子分たちは沈黙した。


「……」


 団員たちは唖然としている。

 団長は目を見開いている。


 誰もが言葉を失う中、エメラルドグリーンのきれいな瞳が、今にも泣き出しそうに少女を見ていた。

 少女がその瞳を見つめ返す。今にも泣き出しそうに、その瞳を見つめる。


 そして少女は飛び込んだ。

 立ち尽くす女の胸に、少女は飛び込んでいった。

 

 顔を埋める少女に、女がそっと触れる。

 少女が顔を上げた。

 少女が、女の名を呼んだ。


「シャール!」


 ずっと聞きたかったその声。

 ずっと呼んでほしかった、自分の名前。


 少女が、女の名を呼んだ。


「シャール!」


 女が少女を抱き締めた。

 溢れる感情で体が震える。

 溢れる涙が頬を濡らす。


「シンシア……」


 震える声で、女が言った。


「シンシア!」


 強く、強く抱き締めながら、シャールは、何度も何度もシンシアの名を呼び続けていた。

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