ベヒモス

 ズシン、ズシン……


 重たい足音と共に、それは姿を見せた。


「ベヒモス……」


 マシューの口から、絶望的の声が漏れる。

 扉の高さいっぱい、幅いっぱいのその巨体が、一歩近付くごとに六人の心を威圧していく。


「そりゃあないわよ」


 マギの手から、折れた剣が地面に落ちていった。


 ベヒモス。

 陸上型の中でも大型に分類される魔物。なぜそれで二足歩行ができるのか疑問に思うほど、暴力的な上半身を持つ悪魔。

 その腕の一振りは、岩を一撃で粉砕する。

 その強靱な表皮は、生半可な武器も魔法も受け付けない。

 秘宝を手に入れる試練として、ダンジョン制覇の障壁として存在する強力な魔物。

 それがベヒモス。

 だが、今の六人にとって、その魔物は試練でも障壁でもない。まともに動くことすらできない六人を葬り去るために現れた、死に神に等しかった。


 誰も何も言わない。

 もはや、言うべき言葉も、為すべきことも思い付かなかった。


 その、絶望の中。


 思い出せ、思い出すのよミア!


 ミアだけは、まだ諦めていなかった。


 以前フェリシアに見せてもらった魔導書。その中にあった攻撃魔法。今のミアにはまだ早いと言われて、眺めるだけで終わった、光の魔法の第五階梯。

 野外の、それも太陽が出ている時にしか使えないその魔法は、しかし発動させることができれば、ドラゴンでさえも一瞬で焼き尽くすと書いてあった。

 間違いなく最強クラスに分類される、究極の攻撃魔法。

 ミアの魔力は、驚くべきことにいまだ底をついていない。格段に進歩した魔力制御と、光の魔法との抜群の相性の良さが、ミアに余力さえ残している。

 ここは野外。見上げれば、眩しい太陽が輝いている。発動条件は満たしていた。

 だが、ここで第五階梯を使えば、自分がどうなるかは分からない。


 またあの時みたいに……


 それでも。


 今なんだ


 ミアが顔を上げる。


 今しかないんだ!


 ミアが、ベヒモスに向かって立つ。


「ミア、いったい……」


 マギが目を見開いた。

 その目の前で、ミアが呪文を唱え始める。


「グオォォォォォッ!」


 ベヒモスが咆哮を上げた。

 耳をつんざく大音量にも、ミアは一切怯まない。


 ズシン、ズシン……


 一歩一歩、その巨体が近付いてくる。

 ミアが詠唱を続ける。


「何の呪文?」


 エイダも知らない長い呪文を、ミアは唱え続けた。


 ベヒモスの目がミアを捕捉する。

 ミアの目が、ベヒモスを睨み付ける。


 ベヒモスの足が止まった。地響きもしなくなった。

 聞こえるのは、ミアの声だけ。


 ベヒモスがミアを見下ろす。

 そして。


「ガアァァァッ!」


 風圧を伴うほどの雄叫びと共に、ベヒモスが腕を振り上げた。それが振り下ろされれば、何があろうとも助かることのない凶悪な鉄槌。


 終わった……


 誰もが思った瞬間。


「太陽の神よ、忠実なる汝の僕にその偉大なる力を与え給え!」


 ミアが叫んだ。


「サン・レイ!」


 ミアの魔力が急激に膨れ上がる。

 その右手に恐ろしいまでの魔力が集約されていく。


「いけぇっ!」


 気合いと共に、ミアが魔力を解放した。

 直視できないほどの眩い光が、ミアの右手に発現する。

 そしてそれは……。


 放たれる直前、白い光を残してあっという間に拡散してしまった。


「不発!?」


 五人がうなだれた。

 ぶっつけ本番の第五階梯を発動するのは、やはり無理だった。


 ベヒモスの腕がミアを押し潰す。そして次は、自分たちの死体がこの地面に転がる。

 誰もが覚悟した、その時。


 ドゴーーーーーンッ!


 突如飛来した何かが、ベヒモスに激突した。


 ドオォォォン!


 ベヒモスの巨体が、衝撃で後ろにひっくり返る。


「ななな、なに!?」


 驚いて、ミアも後ろにひっくり返った。

 その、目の前。


 シールドを解除して、土埃を払い、服の乱れを直しながら、一人の女が悠然と立っている。

 その女が、振り向きざま、ミアに人差し指をビシッと突きつけて言った。


「ミア! あなた、嘘ついたでしょ!」

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