トラップ

 木陰から覗いたその先には、ならず者たちのアジトにしては小綺麗な建物がいくつか並んでいた。

 宿舎のような建物、倉庫、馬小屋。一番奥には、屋敷と呼ぶほど大きくないが、ほかとは明らかに作りが違う立派な建物が一つ。

 人影はなく、馬小屋には馬もいない。


「ここまでは無事に来られたが、さてどうするか」


 マシューがつぶやいた。


 休息を取って、気力と体力を回復させた一行は、再び前進を始めた。

 ここに来るまでに人による攻撃はなく、トラップも一切なし。拍子抜けするほどあっさりと、一行はアジトに辿り着いていた。


「建物の規模から考えて、ここに常駐していたのは四、五十人ってところよね」

「ってことは、いてもあと十人ってとこだな」

「ってことは、力押しでもいいんじゃねぇか?」

「俺も、そう思う」


 小声で交わされた会話は、迅速に方針を導き出した。


「よし、手前の建物から潰していく。エイダ、反応は?」

「たぶん、ない」

「隠密野郎のことは気にするな。お前が見付けられないんじゃあ、誰も奴を捉えることなんてできやしないさ」


 軽く笑って、マシューがエイダの肩を叩く。


「ミア、大丈夫か?」

「大丈夫です!」

「よし。じゃあ行くか!」


 掛け声と同時にマシューが飛び出した。全員がそれに続く。


「どうせすぐバレるんだ、大胆に行くぞ。ガロン、扉を叩き破れ! 俺とマギが飛び込む!」

「了解だ!」


 指示を受けて、ガロンが前に出る。そして、一番手前の建物の扉に全力で斧を振り下ろした。


 バキバキッ!


 もの凄い音を立てて扉が砕ける。

 続けてもう一振り。


 バキバキッ!


 豪快に破壊された扉を蹴破って、マシューとマギが中に飛び込んだ。残りの四人が周囲を警戒する。

 見える範囲に、敵の動きはない。


 しばらくすると、マシューとマギが建物から出てきた。


「誰もいない」

「外れだったか」

「次はあの建物だ」


 マシューたちは、手近にある建物から虱潰しに突入していく。だが、どの建物にも誰もいなかった。

 やがてパーティーは、大きな倉庫の前に立った。高さは二階建ての建物くらい。幅と奥行きはかなりある。扉の高さが天井付近まであって、相当大きなものでも出し入れができそうだ。


「ここに人はいないんじゃない?」

「ついでなんだ。調べていこうぜ」


 マギの言葉など聞いていないかのように、ガロンが斧を振り上げる。


「おりゃあ!」


 ガシャン!


 大きな南京錠が一撃で弾け飛んだ。

 そのまま、両開きの扉に手を掛ける。


「開けるぜ!」


 大きな声と共に、渾身の力で、ガロンが重たい扉を一気に開け放った。

 直後。


「反応!」


 エイダが悲鳴を上げる。


「なにっ!」


 とっさにガロンが真後ろに跳ぶ。それを追うように、大量の刃が倉庫から溢れ出してきた。


 ナーガの大群。

 その先頭の一体が、ガロンに斧を構える隙も与えず剣を振り下ろす。


 ガキィーン!


 マシューの剣が、かろうじてそれを弾いた。

 目の前のナーガを真っ二つにしながらマシューが叫ぶ。


「方円!」

「えっ?」


 意味が理解できないミアの腕を、エイダが強く引っ張った。引き寄せられたミアが目を丸くしている間に、ほかの四人が、二人を守るように外向きの円陣を組む。

 次々と倉庫から出てくるナーガに、六人はあっという間に囲まれてしまった。


「何でこんなところに魔物が!?」


 ガロンの問いに、誰も答える余裕などない。

 容赦なく襲い掛かってくるナーガを必死に防いでいた。


 斬りつけ、突き刺し、叩き潰す。

 剣が、槍が、斧がナーガを倒していく。


 密集状態で攻撃してくる相手に、槍は不利だ。突き刺さった槍を引き抜く間に新手がやってくる。

 素早い攻撃ができない斧も苦戦を強いられる。

 それをエイダの魔法が援護しながら、ギリギリの状態で陣形を保ち続けた。


 この状況下で、パーティーは善戦していた。足下には、妖しい光を放つ魔石がいくつも転がっている。

 全員が歯を食いしばり、押し込まれないように、足を踏ん張って耐えていた。

 それでも。


「ぐはっ」


 ガロンの左肩に、ナーガの剣が突き刺さる。


「くっ!」


 シーズの右足を、ナーガの刃が切り裂く。


 戦いが始まってから、まだわずかな時間しか経っていない。

 それなのに、ガロンとシーズの動きは鈍くなっている。

 マシューもマギも、すでに傷を負っている。

 エイダの援護も追い付いていない。


 無数の敵からの絶え間ない攻撃。一点突破で逃げ出す隙さえない。

 まともに思考を巡らすこともできない攻防の中で、全員が同じことを感じていた。


 ここで終わりか……


 五人の気持ちが萎えていく。

 少しずつ戦意が消えていく。


 肉体的にも精神的にも限界が近付いていた。

 シーズの膝が崩れ落ちていく。


「シーズ!」


 エイダが叫んだ、その時。

  

「パワーキュア!」


 円の中心から、力強い声が響いた。

 同時に、強力な癒しの光がパーティーを包んでいく。


「すみませんでした!」


 続けて、ミアの詫びの言葉。


「ギリ、セーフだ」


 ガロンが、斧を振り下ろしながらニカッと笑った。



 ミアは、魔物に囲まれて震えていた。

 突然始まった戦闘に、指一本動かすことすらできず、ただ震えながら立ち尽くしていた。


 何とかしなきゃ!

 みんなのケガを治さなきゃ!


 そんな思いが脳裏をかすめる。

 だがそれは、まるで水面に浮かぶ泡のように、瞬時に弾けて消えていった。


 怖かった。

 高い金属音が響く度、誰かの体から血が流れ出す度、恐怖がミアを縛り付けていく。


 強くなりたいって思ったのに!

 戦いますって言ったのに!


 頭が現実を受け入れてくれない。

 心に体がついてこない。


 ミアは、目を瞑った。

 ギュッと強く目を瞑った。


 私は強くなる、私は強くなる、私は強くなる……


 心に念じる。


 私はエム商会の社員、私はエム商会の社員、私はエム商会の社員……


 呪文のように心で唱えた。


 頭がまともに働いていたとは思えない。

 何かを考えていた訳でもない。

 ただひたすら、ミアは同じ言葉を繰り返し唱えていただけだった。


 そのミアの瞼の裏に、ふとみんなの笑顔が浮かぶ。

 ミナセ、リリア、ヒューリ、シンシア、フェリシア。

 みんなが笑っている。みんながミアに手を差し伸べている。

 そのみんなの向こうから、力強くも暖かな声が聞こえてきた。


「何があろうとも、絶対無事に帰ってこい」


 その声が、何の脈絡もなく過去の出来事を甦らせる。


 スパーンッ!


 ミアが、とっさに左の頬を押さえた。同時に、ミアの体が何かを思い出す。

 その体に注がれた不思議な力が、ミアの全身を駆け巡る。

 その力が、ミアの全身に溢れていった。


 震えが止まる。


 私は帰るんだ


 目を見開いて、ナーガの大群を睨み付ける。


 私は絶対、あの場所に帰るんだ!


 そしてミアは、魔法を発動した。


 光の魔法の第四階梯、パワーキュア。

 目にすることさえ滅多にない強力な癒しの魔法。

 ヒーラーならば誰もが目指す、だが、修得が非常に困難な高位魔法。


 それをミアは、詠唱なしに、たったの一言で発動した。


「パワーキュア!」


 癒しの力が五人を包み込む。

 必死の五人は誰も気付いていない。


 光の魔法の第四階梯、パワーキュア。

 ミアはそれを、この状況で、完全に自分のものとした。



「またこのパターン!?」


 マギが嘆く。


「気にするな!」


 マシューが応じる。


「アンデッドになった気分だぜ!」


 ガロンが叫ぶ。


「ミアを連れてきて正解だ」


 シーズがつぶやく。


「絶対、窒息させる」


 エイダが、笑った。


「まだ終わらねぇ! 負けんじゃねぇぞ!」

「おぉっ!」


 萎えていた五人の闘志が再び激しく燃え上がった。


 斬りつけ、突き刺し、叩き潰す。

 剣が、槍が、斧が魔物を倒していく。

 魔法が四人を援護する。


「パワーキュア!」


 ミアが五人を癒していく。

 無尽蔵の魔力が五人を支え続けていった。


 そして。


「これで最後!」


 ボロボロになったマギの剣が、ナーガの体を引き裂いた。

 のたうち回っていたナーガの尾が、動きを止める。

 そしてそれは、魔石を残してきれいにその場所から消えていった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 全員が、ただただ荒い息をしている。

 マギの剣は、最後の一撃で折れていた。

 シーズの槍は、穂先がなくなっていた。

 ガロンの斧にもひびが入っていた。

 マシューの剣は健在だが、それを構えるだけの力は残っていない。

 エイダも、その瞳は虚ろだった。


 力を出し切った。精神力を使い切った。

 魔法による回復の反動も来ている。パワーキュアは、五人の傷を癒すことはできても、体力を回復させる効果はすでになかった。

 さすがもう戦えない。


 それなのに。


「……反応」


 エイダの無情な声が響く。


 全員が、エイダと同じ方向を見た。

 それは、倉庫の奥。

 光の届かぬその暗闇から何かがやってくる。


 ズシン、ズシン……


 重たい足音とともに、それは姿を見せた。

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