証拠
「ミア! あなた、嘘ついたでしょ!」
女は怒っていた。
プンプン怒っていた。
「あなたが言った町に、私ちゃんと行ったのよ! 散々探して歩いたのに、結局見付からなかったわ! 親切な宿のご主人が、”もしかして、アッサムの町では?”って言ってくれて、その町に行ってみたら、案の定よ!」
「あ、あの……」
「あなた、私たちに”アールグレイの町”って言ったのよ! ”ア”しか合ってないじゃない! 何なの? 紅茶つながりなの?」
怒りの収まらない女が、畳み掛けるようにミアを責める。
その背後で、見上げるほどの大きな体が動き出した。
「えっと、その……」
ミアが何かを言い掛けるが、女は何も言わせなかった。
「ここに辿り着けたのなんて、奇跡みたいなものなのよ! 私のスケジュールも、社長が一生懸命調整してやっと空けてくれたのに、ほんとにあなたってば……」
「グオォォォォォッ!」
ついに立ち上がったベヒモスが、吠えた。
「うるさいわね!」
その残響も消えぬ刹那、女はくるりと向きを変えると、腰のナイフを抜き放ち、ベヒモスの懐に飛び込んでいった。
「なっ?」
マシューが声を上げたのと、女が軽やかに跳んだのが同時。
「そんなんじゃあ……」
マギから言葉が出たのと、ベヒモスの胸にナイフが突き刺さったのが、ほぼ同時だった。
次の瞬間。
ドカーーーーーーン!
轟音と共に、ベヒモスの上半身が吹き飛んだ。残った体が、衝撃で後ろにズシンと倒れ込む。
ふわりと着地した女の後ろで、大きな魔石だけを残して、ベヒモスはきれいに消え去っていった。
「うふふ。このナイフ、やっぱりいいわ」
女がご機嫌な表情を見せる。
「何を、したの?」
驚くエイダに、女が答えた。
「このナイフね、刀身から直接魔法を放てるの。ちゃんとエクスプロージョンも使えたし、なかなかいいナイフだわ」
「エクスプロージョンって、第四階梯の!?」
何もかもがあり得ない。
ベヒモスを体当たりで弾き飛ばし、ナイフ一本でその巨体に向かっていって、第四階梯を瞬時に発動?
エイダは言葉を失った。
ほかの四人も、言うべき言葉が見付からない。
そんなパーティーの目の前で説教は続く。
「そんなことより、ミア! あなたさっき、とんでもない魔法を使おうとしてたでしょ! 発動しなかったから良かったようなものだけれど、危険なことはしちゃダメだってあれほど……」
「フェリシアさん、もう勘弁してください」
「えー、改めまして、こちら、私と同じエム商会の、フェリシアさんです」
「こらっ! 社外の人に社員を紹介する時は、呼び捨てって言ったでしょ!」
「うぅ、すみません」
怒られっぱなしのミアは、半泣き状態だ。
そんなミアを放置して、フェリシアが名乗った。
「エム商会の、フェリシアと申します。よろしくお願いいたします」
フェリシアが嫣然と笑う。
ガロンの目が、だらしなく垂れた。
「到着が遅くなってしまって申し訳ありませんでした」
「あ、いや、俺たちはぜんぜん……」
勇ましかったマシューが、頬を染めて目を泳がせる。
マギがつり目を一層つり上げる。
エイダが、シーズの視線を不自然な動きで遮る。
ミアが、うなだれる。
「ところで、状況を教えていただけますか?」
「あ、そ、そうだよな」
その質問で我に返ったマシューが、コホンと一つ咳払いをしてから話を始めた。
「ファルサとかいう奴と戦った後は、ここまで人っ子一人見ていない。最後にとんでもないトラップはあったけどな」
話を聞き終えたフェリシアが、少し考えてから聞いた。
「そのファルサという男は、シーフかアサシンだって言うんですね?」
「ああ。まともに喋らないくせに、そこだけは律儀に答えてたからな。っていうか、もうちょっと楽に話してくれてもいいぜ」
「そうですか? じゃあ、マシューさん」
「お、おう」
急に柔らかくなったフェリシアの雰囲気に、マシューの目がまた泳ぎ始める。
マギの目が、またつり上がり始めた。
「まだ調べていないのは、あの建物だけなのよね?」
「ああ、そうだ」
フェリシアの指した建物を見て、マシューが頷いた。
「そう……」
フェリシアがじっと建物を見つめる。
その建物は、敷地の一番奥にあった。ほかとは明らかに作りが違う立派な建物。おそらく、そこが幹部の居場所。
だが、人の気配はまったくない。
「四十人からの部下がやられたんだ。ランクAの用心棒も撃退された。馬小屋に馬もいない。やつら、たぶん逃げたんだろうな」
マシューの言葉を聞きながら、フェリシアはやっぱり動かない。
建物に視線を送るフェリシアは、しかしそことは違う場所に意識を集中していた。
「俺たちは、アジトを潰した証拠を持って帰らなきゃあならない。いずれにしても、あの建物は調べるつもりだ」
「それは私たちも同じだわ」
そう言うと、フェリシアは視線をマシューに戻した。
「でもその前に、念には念を入れておきたいと思うのだけれど」
フェリシアが、にっこりと笑う。
「皆さん疲れてるみたいだから、ここでちょっと待っててね」
直後、フェリシアの体が何の前触れもなく浮いた。
「フライも無詠唱!?」
エイダが目を見開く。
二メートルほど上昇したフェリシアは、そのまま建物に近付いていった。そして右手を建物に向け、突然魔法を連射し始めた。
ズバババババババッ!
パリンパリン!
バキバキッ!
窓ガラスが次々と割られ、扉が砕かれていく。フェリシアは、魔法を放ちながら建物の周りを一周して、あっという間に元の場所に戻ってきた。
地面に降り立つフェリシアを、全員が呆然と見つめる。その視線を気にすることもなく、今度は正面玄関の前に行き、そこでフェリシアは再び右手を建物に向けた。その手から、強力な風が建物に向かって吹き付ける。
原形を留めていない玄関扉がバタバタと音を立てる。屋内を駆け抜けた空気が、割られた窓から押し出されていくのが分かる。カーテンが、内側から外側に激しくはためいていた。
フェリシアは、風を送りながら建物の中にゆっくりと入っていった。
「いったい、何をしてるんだ?」
ガロンが誰にともなく問い掛けるが、誰もそれに答えられるはずがない。
時々激しい音が中から響いてくる。
「大丈夫なのか?」
マシューのつぶやきにも、みんなは顔を見合わせるばかりだった。
やがて。
「終わったわよ。休憩が済んだら、調査を始めましょう」
玄関から、フェリシアが笑いながら手を振った。
フェリシアに先導されて、みんなは正面玄関から中に入った。
「ここにいた連中が逃げたにしても、証拠品を全部処分する時間なんてなかったと思うの。だから、建物の中に何かを仕掛けて、侵入者を全滅させようとするんじゃないかなって考えたんだけど」
歩きながら、フェリシアが説明する。
「短い時間で簡単に設置できる仕掛けって言ったら、間違いなく毒ガスだわ」
「毒ガス?」
「そう。それがあれよ」
フェリシアが指すその先、部屋の片隅に、フタの開いた金属製の容器が転がっていた。その周りの床が、しっとりと濡れている。
「種類はいくつかあるけれど、手練れが使う毒ガスは、臭いなんて全然しない。逃げる直前にあの液体を撒いておけば、気化した毒ガスが部屋に充満する。そこに人が入ってくれば、一分もしないうちに全滅させられるわ」
「まじか……」
ガロンが、怯んだように一歩下がった。
「でも、もう大丈夫よ。気化したガスは全部吹き飛ばしたから」
見れば、各部屋を仕切る扉が、わずかに木片を残すのみで消え去っていた。
「家の中の扉を全部壊して風通しをよくしたから、もうガスはほとんど残っていないわ。あの液体が茶色だったらどうしようかと思ったけど、透明なら問題なし。もし気分が悪くなったら、ミアに治してもらってね。ちょっとくらいガスを吸っても、キュアポイズンで対処できるはずだから」
淡々と話すフェリシアに、マシューが聞いた。
「あんた、一体何者なんだ?」
フェリシアが即答した。
「エム商会の、フェリシアよ」
建物の中は荒れていた。ガラスの破片や木片、落ちた額縁に無数の雑多な物。だがフェリシアは、ある程度風をコントロールしていたようだ。家具類は、倒れることなくほとんど無傷だ。
みんなは、手分けをして部屋を捜索する。
マシューたちは、ここがアジトだったという証拠を。
フェリシアとミアは、ジュドー伯爵とアウァールスがつながっていた証拠を。
そしてそれらは、同じ部屋で見付かった。
扉付きの重厚な書棚の中にあった、大量の書類。
「連中は、ずいぶんまめだったんだな」
マシューの言葉通り、そこには、かなり詳細に書かれた取引の記録があった。依頼主の名前だけは暗号のような文字に置き換えられていたが、日付や場所、そして”商品”についてはほぼそのまま書かれている。
「やつら、相当慌てて逃げ出したのね。これだけの証拠を残していくなんて」
「このアジトがバレるってことも、簡単に落ちるってことも考えてなかったんだろうな」
マギとマシューが書類を眺めながら話をしている。
その横で次々と書類をめくっていたミアが、やがて見付けた。ジュドー伯爵の屋敷で働いているカーラと、ほかの二人のメイドの名前。出身の町や村に、依頼の内容。
「フェリシアさん、これでカーラさんたちは……」
「ええ。たぶん解放されるわ」
嬉しそうなミアに微笑みを返して、しかしフェリシアは、まだ何かを探していた。
アウァールス討伐依頼にまつわる謎。
なぜ衛兵が動かないのか。
なぜ冒険者ギルドに依頼が出されたのか。
マークからは、その答えに近付ける手掛かりを見付けてくるよう指示が出ていた。
だが、フェリシアが見付けられたのは、不自然に一つだけ空っぽの、鍵の付いた引き出しだけだった。
持てるだけの証拠品をバッグに詰めて、マシューたちは建物を出た。ミアが見付けた書類は、フェリシアがマジックポーチに収納している。
「個人でそんなもの持ってるって、凄いな」
マシューが、フェリシアのポーチを見て感心したように言う。
「気違いな老人の命令で、昔取ってきたのよ」
小さな袋に大量のものを収納できるマジックポーチは、特定のダンジョンの奥深くでしか手には入らない貴重品だ。魔道具は様々なものが作られているが、マジックポーチは、人の手では決して作ることのできない稀少アイテムの一つとして知られている。
名のある冒険者か、資金力のある大商人、もしくは国の機関が所有しているくらいだ。
マジックポーチを、エイダが興味津々で見ている。
それを知ってか知らずか、フェリシアが言った。
「じゃあ私はこれで」
「えっ!?」
全員が驚く。
ミアも驚く。
「あ、あの、フェリシアさん……」
「証拠を見付けたらすぐ戻るように、社長から言われてるの。ミア、気を付けて帰ってくるのよ」
「は、はい……」
「それと、あなたの報告が間違っていたことは、社長にきっちり伝えておくから」
「あうぅ……」
「じゃあね」
フェリシアが軽く手を挙げる。
そしてふわりと浮かんだかと思うと、空に向かってぐんぐん上昇を始め、あっという間に見えなくなってしまった。
空を見上げながら、それぞれがつぶやく。
「いい女だったな」
「同感だ」
「窒息させる」
「また怒られる~」
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