客人

「お前、食ったか?」

「いや。お前は?」

「俺も、食ってない」


 扉の前の会話。低く抑えられたその声は、部屋の中には聞こえていないはずだ。


「何で食わないんだよ」

「そりゃあ……何となくだ」


 前を向いたまま会話は続く。


「なあ」

「何だ?」

「この仕事、いつまで続くんだろうな」


 問い掛けたその声には、分かりやすいほどの不満が含まれている。


「知るか!」


 冷たく答えたその声も、やっぱり不満そうだった。


 客人を捕らえてから、今日で五日目。応接室の警備を始めてから五日目だ。

 逮捕の翌日から昨日まで、三日連続でエム商会から差し入れが届いた。客人宛ではない、衛兵たちへの差し入れ。仲間たちは、それをうまそうに食べていた。鳥の唐揚げが最高だとか、あの子が一番可愛いとか、バカみたいに騒いでいる。

 その騒ぎは署長の耳にも届いているはずだが、署長は何も言わない。客人のために仲間が持ってきた差し入れの扱いを署長に確認した時も、好きにしろと言うだけで、まるで素っ気なかった。


 不愉快だ。

 署内で、六人だけが割りを食っていた。どうしようもなく不愉快だった。


「なあ」

「何だ!」


 答えた衛兵が自分で驚く。思った以上に大きな声が出てしまった。

 チラリと仲間がこちらを見る。そして言った。


「俺たち、やっぱ間違ってたんじゃ……」


 トントントン

 ビクンッ!


 突然のノックに、二人は本気で驚いた。肩が跳ね上がる。心臓が強烈な鼓動を刻む。

 一人が、ぎゅっと胸を押さえた。


「な、何だ!」


 ほとんど怒鳴るように、もう一人が返事をする。


「すみません、ちょっと外の空気を吸いたいと思うのですが」


 中から声がした。

 客人には、トイレはもちろん、署内にある風呂の使用も許されている。だから、日に数回は部屋から出ることがあった。

 だが、外の空気を吸いたいというのは……。


 隣の仲間は、胸を押さえてじっとしている。いつものことだから、しばらくすれば治まるだろうが、今はこいつに頼れない。


 署長に確認してくるか?

 いや、だめだ。署長は外出中だ


 慌ただしく思考を巡らす。


 くそ、どうすりゃいいんだ!


 その時。


 ガチャ


 内側から、扉が開いた。


「き、貴様!」


 そう叫んだ衛兵の声は、動揺で完全に裏返っている。

 ここはただの応接室だ。内側から鍵を開けて出てくることなど当たり前にできるのだ。

 それなのに、二人は客人が出てきたことに驚愕の表情を浮かべていた。胸を押さえる衛兵の顔がさらに青ざめていく。


「さすがに、ちょっと飽きてきました。中庭でいいので、外に出させてください」


 そう言って、客人は何の躊躇いもなく歩き出す。


「ちょ、ちょっと待て!」


 狼狽えるその声を無視して、やけにゆっくりと歩きながら、客人が言った。


「二人とも、ついてきてください」



 本署の中庭は、それなりの広さを持っている。訓練の場として、あるいは式典や集会の場としてよく使われていた。今は静かなその中庭で、休憩中の衛兵たちが思い思いの時間を過ごしている。

 そこに、二人の衛兵を引き連れて客人が現れた。


「おい、貴様!」


 客人の後ろで、一人が大きな声を上げている。そのくせ、決して客人に触れようとはしない。

 もう一人は、青ざめた顔で何も言わずに立っていた。


「うーん……」


 そんな二人の目の前で、客人が思い切り背伸びをする。

 中庭にいた衛兵たちが、何事かと注目していた。


「やっぱり外の空気はいいですね」


 背伸びに続いて深呼吸を始めた客人が、とても気持ちよさそうに言った。

 二人の衛兵が、為す術無く立ち尽くす。客人に対してどう接すればいいのか、まったく分からなくなっていた。

 そこに。


「お二人も、一緒に深呼吸をしてください」

「はぁ?」


 衛兵が素っ頓狂な声を上げた。

 客人が、もう一度言う。


「深呼吸ですよ。特に、俺の左後ろにいる衛兵さんは、必ずやってください」

「!」


 声を出すこともできない衛兵を、客人がチラリと見る。


「腕を横に広げたりしなくていいです。大きく鼻から息を吸って、ゆっくりと口から吐いてください。はい、どうぞ」


 すぅー、はぁー


 目の前で、客人が深呼吸を始めた。


 すぅー、はぁー


 客人が深呼吸を繰り返す。

 それを黙って見ていた二人は、半ばやけくそになって、深呼吸を始めた。


 すぅー、はぁー


「目を閉じてください。体の力も抜いてくださいね」


 言われた通りに目を閉じて、だらんと腕を垂らす。


「お腹を膨らませて、息を肺一杯に吸い込むイメージで……」


 すぅー


「そこで、少し息を止めます」


 んっ


「今度はゆっくりと、息を全部吐き出すイメージで……」


 はぁー


「はい、もう一回」


 すぅー、んっ、はぁー

 すぅー、んっ、はぁー


「あいつら、何やってんだ?」


 周りの衛兵たちの視線がイタい。

 冷たい視線を感じながら、それでも二人は、客人の声に合わせてゆっくりと深呼吸を繰り返した。


 やがて。


「はい、結構です」


 客人の声がした。

 続いて。


「心臓は楽になりましたか?」


 左後ろをチラリと見ながら、客人が言った。


「えっ?」


 衛兵が胸を押さえる。

 そして。


「そう、だな」


 小さな声で答えた。


「それはよかった」


 客人の言葉に、二人は揃って驚いた。


「あなたの胸が痛んだり、脈が乱れたりするのは、寝不足だったり、ストレスを感じたりした時なんじゃありませんか?」

「!」


 衛兵が目を見開いた。


「あなたの心臓は、たぶん病気とかじゃないと思います。原因はおそらく、強いストレス、もしくは過労です」


 その目がまん丸くなる。


「何か悩み事があるのなら、それを解決した方がいいでしょうね。解決できないなら、もう少し楽になれる方法を探すべきだと思います」

「き、貴様、何でそんなことが……」

「言ったでしょう? 俺はね、見なくても、触れなくても、人の体の中が分かるんです」

「……」

「ただね、正直に言いますと、触れずに人の体をいじることはできません」

「嘘をつくな! この間は俺の胸を……」

「あの時あなたの脈は、すでに乱れていました。そこに強いストレスを与えれば、きっとあなたの心臓は異常をきたす。そう思ったから、ちょっと脅してみただけです」

「そんな……」


 客人が振り返る。

 そして。


「すみませんでした」


 衛兵に向かって、客人が深く頭を下げた。


「え、あ、いや……」


 混乱する衛兵の前で、顔を上げた客人が真顔で言う。


「ずっと悩んでいる問題っていうのは、一人ではなかなか解決できないものです。仲間とか他人とか、誰かの助けを借りることも必要だと思いますよ」


 そう言って、客人は笑った。

 その笑顔は、男でさえもハッとするほどの、優しい笑顔だった。


「さて、戻りましょうか」


 客人が歩き出す。


「こ、こらっ、ちょっと待て!」


 慌てて衛兵が追い掛ける。

 客人は、相変わらず衛兵のことなど無視するように、もと来た通路をのんびりと歩いていった。

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