フェリシアの過去ー1-
漆黒の獣は、魔物が棲息している場所に向かって再び進軍していた。その最中、中軍にいるカイルの元に、一人の団員が寄ってくる。
「団長。あいつら、本当に大丈夫なんですか?」
ちらっと後ろを振り返りながら、団員が聞いた。
「大丈夫だ。俺が直接実力を確かめたんだから、間違いない」
そう答えるカイルは、なぜか渋い顔をしている。
あいつらとは、フェリシアと、ミナセとヒューリのことだ。
どういう訳か、マークまでいる。
「団長がそう言うなら、まあ信じますけど」
不服そうな団員に、アランも声を掛ける。
「私も彼女たちの力を見ています。大きな戦力になるはずですよ」
アランにまで言われたら仕方がない。それ以上は何も言わずに、団員は下がっていった。
「みんなが心配するのも、無理はないな」
「まあ、そうですね」
カイルとアランは、次の作戦に必要となる”強力な戦力”を探してくると言って、アルミナの町に向かっていった。
その二人が連れてきたのは、魔術師が一人と剣士が二人。付き添いのマークを除いて、たったの三人。しかも、三人とも女だ。
そしてその三人は、揃いも揃って美女ときた。それはそれで嬉しいのだが、本当に三人が戦力になるのか、ほぼすべての団員が疑問に思っていた。
微妙な空気を抱えたまま一行は進軍を続け、やがて川岸に到着する。
今日はここで夜営の予定だ。
女性三人とマークは、兵たちから隔離されている。余計なトラブルを起こさないための、カイルの配慮だった。
食事を終えた四人が、焚き火を囲んでくつろいでいる。
ミナセは、丁寧に愛刀の手入れをしていた。マークから、この仕事に限っては持っていくようにと渡されていたのだ。
「フェリシア、ちょっと聞いていいか?」
お茶の入ったカップを置いて、ヒューリがフェリシアに話し掛ける。
「いいわよ」
気軽な感じでフェリシアが応じた。
四人は、出発前に自己紹介を済ませている。カフェにいた二人の少女がエム商会の社員だということも、フェリシアには伝えてあった。
「今回の仕事を受けるかどうかを、リリアに聞いたんだって?」
「そうよ」
フェリシアがあっさり答える。
「やっぱりそうなのか。でもさぁ、今回の仕事って、割と危険な仕事だよな。それを他人に決めてもらうって、どうなの?」
ヒューリが疑問に思うのも当然だろう。
フェリシアが世間知らずのお嬢様というならいざ知らず、そんな風には見えないだけに、マークやミナセも不思議に思っていたところだ。
三人に注目されながら、フェリシアがのんびりと答える。
「私ね、じつは、お願いされたのって初めてだったの」
「はぁ?」
ヒューリが驚いて声を上げた。
お願いされたのが初めて?
全員が首を傾げる中、フェリシアが、ゆっくりと語り出した。
イルカナの東にある王国、カサール。そのさらに南東に、ヒューリの故郷クランを滅ぼした強大な軍事国家、キルグ帝国がある。フェリシアは、その国の孤児院で育った。
戦争の多いキルグでは、孤児など珍しくも何ともない。物心がついた時には、大勢の孤児の中の一人としてフェリシアはそこにいた。
キルグの孤児院では、男の子はすぐに引き取り手が現れる。引き取り手のほとんどは、その町を支配している貴族たちだ。
幼い頃から戦うことを教え込み、死を恐れない”優秀な”兵士を作り出すのが目的だった。
女の子は、ある一定の年齢になると引き取り手が現れることが多かった。
フェリシアは、八才の時に、町の有力な商人に引き取られていった。ほかの子供たちと比べても、引き取られる年齢が少し早い。
理由は、フェリシアの美貌にあった。
小さい頃から可愛らしい子供だったフェリシアは、早くからその商人に目を付けられていた。
引き取られる直前に孤児院のシスターが言った言葉を、フェリシアは今も覚えている。
あなたには、苦難の道が待ち受けています
どんなことが起きても、どうか自分を見失わないで
シスターは、フェリシアを強く抱き締めた後、馬車が待つ玄関までフェリシアの手を引いていった。
商人の家に引き取られたフェリシアは、孤児院とは比べものにならないくらい贅沢な暮らしをすることができた。
たくさんの食べ物、きれいな洋服、清潔な部屋。昼間のフェリシアは、一見裕福な家庭の子供と変わらない生活をしていた。
だが、夜になると、フェリシアは毎晩のように苦痛な時間を過ごさなければならなかった。
「お前は本当に可愛いなぁ」
商人が、フェリシアの体を隅々まで堪能する。
フェリシアは、引き取られたその日、店の大番頭からきつく言われていた。
「お前がこうしてきれいな服を着て、うまい食事にありつけるのは、すべて旦那様のおかげだ。そのご恩は決して忘れてはならない。お前は、旦那様の言うことをすべて聞かなければならない」
幼いフェリシアは、それに従った。
何が起きているのか、何をさせられているのか分からないまま、フェリシアは、商人が満足するまでそれに耐えた。
十才になった頃、フェリシアは、ほかの商人や貴族の屋敷に連れていかれるようになる。そこでは必ず、品定めをするような気持ちの悪い視線にさらされた。
そんなことがあると、決まってその数日後、フェリシアはその屋敷に送られて苦痛な時間を過ごすことになる。
フェリシアにとって忍耐の日々。
そんな日々の中でも、フェリシアには一つだけ楽しみがあった。
それは、魔法の研究。
研究と言っても、大したことをする訳ではない。生活の中で使う魔法を覚え、それをいかに素早く、いかに効率的に発動するかを研究するだけだ。
小さな火を起こすファイヤー。
少量の水を発生させるウォーター。
弱い風を起こすウィンド。
土を砂に変えるサンド。
誰もが使える初歩の魔法を皮切りに、次々と魔法を覚えていく。
フェリシアは、メイドたちや出入りの職人、商人が面白がって買い与える魔法の教科書から知識を吸収し、日に日に魔法の質を高めていった。
夢中になって魔法を覚えるフェリシアは、自覚のないまま高度な魔法を使えるようになっていく。
その一つが、ウェイトセービング。物に魔力をまとわせて軽量化する魔法だ。
同系統の魔法、フライ。空を飛ぶことができるその魔法は、風の魔法の第四階梯に分類されている。第五階梯が最高と言われる中で、フライはかなり高度な魔法に属していた。
そのフライの応用で、物を軽くするのがウェイトセービングだ。
ただし、自分の中の魔力を利用できるフライと違って、魔力のない物に干渉するのは難しい。ウェイトセービングは、フライと同じく第四階梯に分類されてはいるが、修得が非常に困難な魔法とされていた。
フェリシアは、自分の部屋の模様替えをしたいがためにそれを覚えた。フライよりも先に、ウェイトセービングを覚えてしまったのだ。
昼間は大好きな魔法の研究をし、夜は苦痛に耐える。
フェリシアの日々は、こうして過ぎていった。
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