狂気来襲
「ミナセちゃん、いつものやつね!」
「はい、これですね」
「姉さん、弁当二つ!」
「はい、ありがとうございます」
ミゼットの店は今日も活気付いている。
ミゼットも活気付いている。
ミナセが働き始めてから仕込みの量は日々増えていき、今日もミナセが苦笑するほどのお惣菜が用意されていた。
ミナセが店の警備(?)を始めて六日目。あの日以来柄の悪い奴らは姿を現すこともなく、平穏な日が続いている。
「ミナセちゃん、明日が最後なんだって? 寂しいなぁ」
連日やってくる向かいの雑貨屋の主人が、心から残念そうに言う。
「そうだな。ずっとこの店で働くなら、タダで髪を切ってやってもいい」
同じくにわか常連となった床屋のおやじも、ボソッとつぶやく。
「あははは」
苦笑しながらミナセは接客を続けた。
なぜみんながミナセの名前を知っているのか、どうして明日が最終日だと分かっているのか、いろいろ疑問は湧いてくるが、細かいことは抜きにして、ミナセは思う。
何だか、楽しいな
接客など自分にはできないと思っていたし、社交的とは言えない自分がこんな風に人とやり取りできるとは思ってもいなかった。
ましてや、過去に縛られて生きている自分なんかに。
「何ボーッとしてるんだい。ほれ、追加の揚げ物!」
突然目の前で声がした。ミゼットがお皿を二つ持って立っている。
「あ、すみません!」
短い時間だったのだろうが、ミナセは少し気が抜けていたようだ。
「大丈夫かい?」
ミゼットがミナセをのぞき込む。
「大丈夫です。すみませんでした」
慌ててお皿を受け取りながら、ミナセは笑ってみせた。
「毎日忙しいからね。疲れもたまってると思うけど、あと少し頼むよ!」
「はい!」
ミナセが力強く答えた。
「よろしく!」
ミゼットが背中をポンと叩いた。
その時。
「!」
ミナセが、店に近付いてくる異様な気配を感じ取る。
店の右手側、いつもならそれなりに人が歩いている通りに、人がいない。
いや、人はいた。
通行人全員が、建物の壁に張り付くようにして通りの中央を見ている。その視線を浴びながら、堂々と歩いてくる大男たちがいた。
一人は長剣を持っていた。
一人は斧を持っていた。
一人はメイスを持っていた。
このご時世、身を守るために武器を携行するのは珍しくない。商人や、場合によっては一般の人であっても、自衛のために剣を腰に差して歩くのは普通のことだ。
だが、それを抜き身の状態で、手に持って歩くというのは異常だ。
男たちは黙ったまま歩き続け、そして、店の前で立ち止まった。
「この店か?」
「そうだろうな」
「間違いないと思うぜ。何たって、強そうな美人の店員がいるからな」
三人が一斉にニヤリと笑う。
その表情に、ミゼットは体を震わせた。店の前にいた客たちも、今は離れたところから成り行きを見守っている。
「ミゼットさんは、下がっていてください」
険しい顔でミゼットに言うと、ミナセが三角巾とエプロンを外す。そして、いつもの場所にある剣を躊躇うことなく手に取って、店の前に出た。
「何の用だ?」
低い声でミナセが問う。
「俺たちさぁ、この町にも飽きたから、そろそろ旅に出ようと思ってるんだよねぇ」
「だからさぁ、最後にちょっと旅の資金を稼いでいこうと思ってねぇ」
「つまらない依頼だったけど、相手が強くて美人さんって聞いたから、頑張っちゃおうかなって思ってさぁ」
話し方はのんびりしているが、言っていることは普通ではない。
「そう言えば、お姉さんどっかで会ったことある?」
男の一人が首を傾げた。
獰猛な空気をまとう三人の大男たちを、ミナセははっきりと覚えている。
フードを被ったマークを脅していた男たち。真正面で対峙していたはずだったが、向こうはよく覚えていないようだ。
あの時と同じ凶悪な気配を、三人は今も放っている。
「もう一度聞く。お前たち、何をしに来た?」
はっきり用件を言わない男たちに、ミナセが聞いた。
それに、メイスの男が答えた。
「まあいわゆる、借金の取り立てってやつかなぁ」
斧の男が続く。
「ありったけの金を、根こそぎ取って来いだってさ。ひどい話だよねぇ」
最後に、長剣の男がニタリと笑った。
「抵抗したら殺しちゃってもいいって言われててねぇ。でもその前に、お姉さんと楽しめたら嬉しいかなぁ」
まだ日は高い。人目もかなりある。
そんな状況で、男たちはとんでもないことを平然と言い放った。
「お前たちは」
ミナセの声が、一段低くなる。
「どれだけの人間を不幸にしてきたんだ?」
静かにミナセが聞いた。
「んー、どうなんだろうねぇ」
「よく分からないなぁ」
ニタニタと男たちが笑った。
奪うことを躊躇わない。
殺すことさえも躊躇わない。
男たちの狂気は演技などではなかった。
間違いなく本物の狂気。
残酷な話など、世の中のいたる所に転がっている。
弱い者が、強い者に奪われる。命も財産も、小さな幸せでさえも。
そんな当たり前の事実を、そんなありふれた出来事を、だがミナセは許すことができなかった。
理不尽に絶たれる命。
突然奪われる幸福な日常。
ミナセはそれを、何があろうとも、絶対に許すことができなかった。
長く、大きくミナセが息を吐く。
そして、ゆっくりと剣に手を掛けた。
剣は抜かない。
片足を引いて、姿勢を落とす。
「あれ、お姉さん怒ってる?」
メイスの男がとぼけた顔で言った。
「まあ、いいんじゃない。どうせすぐ死んじゃうんだし」
斧の男が笑う。
「ちょっともったいないけどねぇ」
そう付け加えながら、二人は一歩前に出た。
「気を付けろよ。そいつ、強ぇぞ」
長剣の男が声を掛ける。
「分かってるよ。こいつ、俺たちを前にしても全然動揺してねぇ」
男の一人が、獰猛な笑みを浮かべる。
「久し振りに、全開でいってみるか!」
そう言うと、二人は次々と呪文を唱え始めた。
身体強化魔法。
スピード強化、筋力強化、反応強化、皮膚強化。
男たちの体が、魔法によって強化されていく。
その様子を、ミナセは黙って見つめていた。
相手は三人。しかも、間違いなくかなりの手練れだ。強化が終わる前に仕掛けるのが常道だと思われるが、男たちがすべての魔法を掛け終わるまで、ミナセは動かなかった。
「おめぇ大丈夫か? 魔法を掛け終わるまで待ってるなんて、どうかしてるぜ」
「それだけ強いってことだろ。せいぜい楽しませてくれよなぁ」
二人はヘラヘラと笑うが、その目はまったく笑っていない。
ミナセの武器は、細身の剣。レイピアなら突きが主体になるはずだが、ミナセは剣を抜いていない。あれで突きは打ちにくいはずだ。
よく見ると、刀身が少し反っている。
ありゃあ、”斬る”剣だな
斧の男が分析する。
「珍しい剣だなぁ。それ、何ていうんだ?」
メイスの男がミナセに話し掛けた。
見たことのない武器に見たことのない構え。男たちは、そのふざけた言葉遣いとは対照的に慎重だった。
獲物は確実に仕留める。息の根を止めるまで決して油断しない。
凶悪な猛獣と変わらない男たちは、だが同時に戦いのエキスパートでもあった。
男の問いに、ミナセが答える。
「これは、太刀だ」
「タチ?」
聞いたことのない武器だ。
だが、いずれにしても攻撃の方法は読めている。
低い姿勢から前に出て、剣を抜きざま相手を斬る。
斧の男が、ニヤリと笑った。
「タチだか何だか知らねぇが、とりあえず掛かってきな!」
女は、こちらの動きに合わせて剣を抜いてくるはずだ。斧のように軌道が読まれやすい武器の場合、仕掛けるのは不利。先に仕掛けさせて、それをかわした後一撃で仕留めたい。
挑発して女が動いてくれれば儲けもの。そんな計算を、斧の男はしていた。
その挑発に、ミナセが表情を変えずに答える。
「では、行く!」
次の瞬間、ミナセが前に出た。
速い!
予想以上の速さに男は動揺する、かと思われたが、そんなことはまったくなかった。
体を逃がしながら、男が叫んだ。
「やっほー! いらっしゃーい!」
歓喜の声と共に、驚異的なスピードで斧が振り下ろされる。反応も速さも、力も強化された男は、ミナセの動きを十分捉えていた。
ミナセの美しい顔に、うなりを上げて斧が迫る。
「あっ!」
周囲の人たちが絶望の声を上げた。
だが、ミナセはそれを流れるような動作でかわす。
「ほぉ」
後ろで見ている長剣の男が感嘆の声を上げた。
「だが」
直後、メイスが横殴りに襲ってくる。
「ざーんねーん!」
男が、雄叫びを上げながらメイスを叩き付けた。
仕留めた!
確信した男が両手に力を込める。
加速したメイスがミナセの肋骨を打ち砕き、内臓を押し潰しながら、その体を数メートル先まで吹き飛ばした、はずだった。
「ん?」
メイスは振り抜かれた。しかし、何の手応えもない。
「おかしいな?」
獲物はいったいどうなったのかと、男が周囲を見回す。
だが、体がうまく動いてくれなかった。その上、なぜか視界が徐々に暗くなっていく。
「何が、どうしたってんだ?」
首を傾げながら、男はゆっくりと、自分の血で染まる地面に倒れこんでいった。
斧の男が、目を見開いてミナセを見る。
「くそっ、何が起きた!?」
仲間がやられた。だが、そんなことはどうでもいい。
こいつは、どうやって仲間を倒した?
ミナセの剣は抜かれている。剣に血は付いているようだが、滴るほどではない。
しかし、倒れたメイスの男の胸からは大量の血が流れ出していた。
男が装備していたのはチェインメイルだ。しかも、魔法で強化された一級品。加えて、皮膚も魔法で強化されている。あんな細身の剣なんかで簡単に斬られるはずがなかった。
斧がかわされた瞬間、男は即座に体をひねってミナセの動きを目で追っていた。自分の横をすり抜けて、メイスの男にミナセが向かう。その動きに反応して、ミナセの真横からメイスが襲い掛かった。
ちっ、今回は奴に譲るか
ミナセの死を確信して残念がる。
一旦ミナセから視線を外し、振り下ろした斧を構え直して振り返ってみると、仲間が血まみれで倒れていた。その傍らには、返り血を浴びることもなく、静かにミナセが立っていた。
斧を握る手が、汗でベットリと濡れていく。
額から汗が流れ落ちる。その汗が目に入って視界を塞ぐ。
「ちくしょう!」
男が汗を拭おうと片手を斧から離したその瞬間、ミナセが動いた、ような気がした。
「そんな……」
自分の首に突き刺さっている剣を見ながら、男の意識が遠のいていく。
こいつはどうやって……俺を……倒した?
剣を引き抜かれ、支えを失った男の体が、ドォッと音を立てて崩れ落ちていった。
「嘘だろ!?」
残った長剣の男が、余裕のない表情で剣を構える。
目の前には、静かにこちらを見ているミナセがいた。
たしかにこいつは強いと感じていた。だから油断もしなかった。自分もすでに身体強化魔法を掛け終わり、戦闘態勢に入っている。
だが。
強過ぎる!
駆け出しの頃ならともかく、ここ数年は自分たちより強い奴に出会うことなどなかった。たとえ強い奴がいたとしても、そいつに戦いを挑むことなどするはずがなかった。
俺たちは楽しみたいんだ
死の恐怖に震えながら許しを乞う弱者を、泣き叫びながら必死に抵抗する女を、弄び、そして殺す。圧倒的優位な立場から相手を見下ろし、自分の気の向くままに相手をいたぶる。
それが人生における最高の楽しみだった。
それなのに。
ちくしょう、見誤った!
男は後悔した。
だが、それでも男はここでの最善策を考える。
そして。
「俺の負けだ! 降参だ!」
そう言うと、男は自分の長剣をミナセの前に放り投げた。カランと音を立てて長剣が転がる。
ミナセは、その長剣を少しの間見つめてから、男に視線を戻した。
「俺たちは、借金の取り立てを依頼されただけだ。でも、もうどうでもいい。これもあんたにくれてやる」
言いながら、腰に下げていた袋を投げてよこす。
ズシャッという重たい音と共に、袋が地面に落ちた。
その袋には一切目をやらず、目の前の長剣を避けながら、ミナセが男に近付いていく。
男が、情けない顔で続けた。
「だから頼む、許してくれ!」
男はひざまずき、胸の前で手を合わせて、哀願するようにミナセを見上げた。
その男を見下ろしながら、氷のような声でミナセが言う。
「お前たちは、そうやって許しを乞う人間を、一人でも助けたことがあるのか?」
その顔は、感情が消えているかのようだった。だが、その目には怒りの炎が燃えている。
「もうしない! 人も殺さないし、悪いこともしない、だから頼む!」
訴えながら、男は両手をついて土下座をした。額を地面にこすりつけ、まだ何かを訴えるがごとくボソボソと言葉を続けている。
ミナセが、哀れむようにじっと男を見下ろした。
やがて。
「愚かな男だ」
そう言うと、剣を大きく振って血を払う。
続いて、パチンという、剣が鞘に収まる音がした。
次の瞬間。
「てめぇは甘いんだよ!」
叫びながら、男がガントレットの内側の隠しナイフを抜いてミナセに襲い掛かった。
二人の距離は、剣の間合いの内側。
「この近さなら剣は抜けねぇ!」
ナイフがミナセの心臓を目がけて突き進む。
殺れる!
男が確信した、その時。
ガキッ!
手首に強烈な痛みを感じて、男がうずくまった。ナイフがクルクルと宙を舞い、男の背後にカランと落ちる。
ミナセの剣は、鞘ごと振り抜かれていた。表情を変えることなく、ミナセが男を見下ろしている。
「へっ、さすがだ」
痛みに顔をしかめながら、男がつぶやく。
「だがな」
勝ち誇ったように、男がミナセを見上げた。
「本命はこっちじゃねぇ!」
男が叫んだ直後、ミナセの真後ろから、唸りを上げて剣が振り下ろされる。
「俺の長剣はマジックアイテムでもあるんだ。ゴーレムが召還できるんだよ!」
男が土下座をしながらつぶやいていたのは、召還呪文。投げ捨てられた長剣は、鎧を着た騎士の姿に変わっていた。
「俺の勝ちだ! やっぱりてめぇは甘いんだよ!」
見上げる先にミナセの顔がある。そのさらに向こうに、落ちてくる剣先が見えた。
あの剣が、この澄ました女を叩き斬る!
男が残忍な笑みを浮かべた。
ミナセの頭上の剣が、轟音と共に振り下ろされる。その剣が、男の思い描いた通りにミナセの頭を……。
「かわした!?」
剣は、ミナセの頭を砕くことなく、ミナセの横を紙一重ですり抜けて、男に向かって落ちてきた。
「どうして……」
見えてもいない剣がかわせるんだ?
目を見開く男の耳に、ミナセの小さなつぶやきが聞こえる。
「お前たちでは、まるで足りない」
意味不明な言葉を聞きながら、目の前に迫り来る鈍色の剣を、男は呆然と眺めていた。
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