ニーナ

 フェリシアが、ギョッとしたように振り向いた。ほとんど同時に、ミナセとヒューリも後ろを向く。その様子を見たほかのみんなも、続けて後ろを見た。


 そこには、一人の女がいた。


「あの……皆様、北に行かれるのでしょうか?」


 鞄を前に抱き、伏し目がちに一行を見ながら、女は声を掛けてきた。


 血色のよくない顔と弱々しい声。汚れてはいないが、あまりきれいとも言えない服。短めの髪はパサパサしていて、少しまとまりがない。

 にも関わらず、女からは、不思議と汚らしい印象を受けなかった。

 リリアと同じ栗色の髪と、やはりリリアと同じ茶色の瞳。華はないが、その顔立ちはまず美人と言ってよく、線は細いが、その体はやせ細っている訳ではない。


「どうされたんですか?」


 真っ先に反応したのは、リリアだった。直接問いに答えることはしなかったが、明るい笑顔で女に声を掛ける。


「えっと……」


 女は、チラリと前を見て、怯えたように一歩下がった。

 ミナセとヒューリ、そして、特にフェリシアの表情が険しい。


「もしも、その、北に行かれるのでしたら、私も一緒に連れていっていただけないかと、そう、思いまして……」


 女の声が尻すぼみに小さくなっていく。鞄をぎゅっと抱きかかえ、女は完全にうつむいてしまった。


「どうして北に行きたいんですか?」

「親類が、北の村にいるんです。そこに行きたいと思うのですが、ここから先は、その、女一人で行くようなところではないと、宿屋のご主人が……」


 リリアをチラチラ見ながら女が答える。

 怯えた小動物のようにと言えば可愛らしく聞こえるが、女は、おそらくそれほど若くはない。三十代前半か、もしかするともう少し上。

 オドオドするその姿は、年下のリリアから見ても頼りなかった。


「どうしてもその村に行かないといけないんですか?」


 重ねて問うリリアに、女が言った。


「夫の……亡くなった夫の骨を、故郷に帰してあげたいんです」

「旦那さんの、お骨……」


 つぶやいたリリアが、じっと女を見つめる。

 そしてリリアは、マークを見た。


「社長……」


 それだけ言って、今度はマークをじっと見つめる。

 リリアの後ろでは、ミアが目を潤ませていた。両手を胸の前でぎゅっと握り、涙と鼻水をぐっとこらえながら、やっぱりマークを見つめている。


 縋るような視線と懇願するような視線を、マークが見つめ返す。

 そのまましばらく考えていたマークが、女に向き直った。


「俺は、アルミナの町で何でも屋をやっている、エム商会のマークと言います。ここにいるのは、うちの社員たちです。失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


 真っ直ぐに女を見て、マークが聞いた。

 その視線を受け止めることなく、目線をそらしたまま女が答える。


「ニーナと、申します」

「ニーナさん!」

「いいお名前です~」


 リリアとミアが反応する。

 ニーナをじっと見つめていたマークが、やがて言った。


「俺たちも、北の村に行くところです。何かあった時には、あなたよりも我々の安全を優先させていただくことになりますが、それでもよろしければ、ご一緒にいかがですか?」

「社長!」


 フェリシアが強い声を上げた。ミナセは無言、ヒューリは渋い顔をしている。

 ピリピリとした空気の中、リリアとミアが前に進み出た。


「一緒に行きましょう!」

「そうしましょう!」


 ニーナに手を差し伸べて、にっこりと、あるいは鼻をすすりながら笑っている。

 ニーナは安心したように、しかし二人の手は取らずに言った。


「すみません。よろしくお願いします」


 頭を下げるニーナの姿を、ミナセとヒューリ、そしてフェリシアが、厳しい目で見つめていた。



 野営の準備をしながら、ヒューリがつぶやく。


「何となく、いやな感じなんだよなぁ」


 その目は、少し離れたところにいるニーナを見ていた。

 ニーナと、そしてリリアとミアの三人が、話をしながら夕食の準備をしている。


「フェリシアはどう思う?」


 マークに聞かれて、フェリシアが答えた。


「魔力がもの凄く小さくて、気付くのが遅れたからびっくりしましたけど、それだけと言えば、それだけです。でも……」


 歯切れの悪い答えを返して、やっぱりフェリシアもニーナを見る。


「ミナセは?」

「そうですね」


 同じくはっきりしない調子でミナセが言った。


「彼女からは、何というか、感情が感じられないんです」

「感情が?」

「はい。怯えているように見えても、笑っているように見えても、心は全然動いていない。冷静とかそういうことではなく、心が空っぽというか、そんな感じなんです」

「空っぽか」

「だから、私も気付くのが遅れました。こちらを見ているのに視線を感じないほど、極端に気配が薄いんです。もしかしたら、何かつらい経験をして、心を閉ざしてしまっているのかもしれません」


 ミナセの話を聞いて、シンシアがうつむいた。

 その途端。


 ポカッ!


「ムウゥゥ」


 シンシアが、頭を押さえて唸る。

 そのシンシアに、ヒューリが言った。


「お前が落ち込む必要なんてないだろ!」


 今度はワシワシとシンシアの頭を掴む。

 シンシアは、逃げるようにフェリシアの胸に飛び込んで、ヒューリを睨んだ。


「ヒューリ、きらい」

「かぁぁぁっ! 可愛くないな、お前!」

「あら、シンシアは可愛いわよねぇ」


 シンシアを抱き締めながら、フェリシアが笑う。マークとミナセも思わず笑う。

 ちょうどそこに、リリアたちが夕食を運んできた。


「お待たせしました!」

「悪いな、全部任せちゃって」

「気にしないでください。おかげで、ニーナさんとたくさんお話ができました!」


 リリアとミアがニコニコと笑う。

 ニーナがわずかに微笑む。


「じゃあ、いただこうか」 


 漠然とした不安を抱きながら、それでも旅の夜は、みんなの笑顔とともに更けていった。


 

「ニーナさん、疲れていませんか?」

「大丈夫です」

「疲れたら遠慮なく言ってくださいね。いつでも魔法で癒してあげますから!」


 ニーナを気遣いながら、リリアとミアが元気に先頭を歩く。その背中を見ながら、ほかのみんなは、二人から聞いたニーナの生い立ちを思い出していた。


 ニーナが生まれたのは、イルカナ西部の農村だった。たくさんの兄弟姉妹に囲まれて、ニーナは大家族の中で育っていく。その家族を、危機が襲った。

 ニーナが十五才の時のこと。大雨で一帯の畑が全滅して、村は深刻な食糧不足に陥る。一家の飢えを凌ぐため、ちょうど年頃だったニーナが、売られた。

 大きな町の娼館で働き始めたニーナは、やがてある商人に気に入られて、その屋敷に引き取られていく。新しい生活を始めたニーナは、そこに住み込みで働いていた一人の男と出会った。

 やがて二人は恋に落ち、駆け落ちをする。追っ手を振り払い、遠く離れた小さな町で、二人は夫婦として仲睦まじく暮らし始めた。

 だが、ニーナのもとに幸せは長く留まってくれなかった。夫が、病で呆気なく他界してしまったのだ。

 子供のいなかったニーナは、せめて夫の骨を故郷に帰してあげたいと思い立ち、家財道具をすべて売り払って、その身一つで旅に出た。


「ニーナさんの力になりたいです」


 うつむきながらリリアが言う。


「私の人生って、やっぱりぬるま湯です!」


 ミアが鼻をすする。

 表情の乏しいニーナをそれぞれの思いで見つめながら、一行の旅は続いた。

 


 荒れ地を越え、沼地を抜けた一行は、鬱蒼とした森の中を黙々と歩いている。

 道は、北に進めば進むほど足元が悪くなり、北に近付けば近付くほど、風景が陰気になっていった。


「あの、フェリシアさん」

「なあに?」


 先頭を行くミアが、チラリと振り向いた。


「賊とか魔物とかって、近くにはいないですよね?」


 ミアの声は、やけに頼りない。

 この森に入ってから、ミアの元気は急速にしぼんでいた。


「そうねぇ。前後三百メートルの道沿いには、何もいないわよ」

「ですよね!」

「でもここの森、木と草が密集してるから、敵を見付けるのが遅れちゃうかもしれないわ」

「えっ?」

「急に真横から何かが出てきたら、ごめんなさい」

「ひえぇっ!」


 ミアがリリアにしがみついた。


「大丈夫よ。少しくらいケガしたって、あなたならすぐに治せるでしょ?」

「そういう問題じゃないです!」


 今度は完全に振り返って、ミアが大声を上げる。


「でもミア。そもそも索敵魔法じゃ、獣は見付けられないんだぞ。突然肉食動物が飛び出してくることだって……」

「ヒューリ、その辺で止めておいてやれ」


 ミナセに言われて、いたずら顔だったヒューリが黙る。

 ミアが、泣いていた。


「フェリシアさ~ん」

「よしよし」


 リリアから離れてしがみついてきたミアを、フェリシアが嬉しそうに慰める。


「フェリシア、甘やかし過ぎ」


 シンシアが冷たく言う。


「なんだ、シンシア。お前も甘えたいのか? さあいいぞ、どんと来い!」

「ヒューリの、ちっちゃいから、気持ちよくない」

「な、な、な、何だとっ!?」


 からかったつもりが思わぬ反撃を食らって、ヒューリが顔を真っ赤にした。

 リリアが笑う。マークもこっそり笑う。ニーナでさえも、かすかな微笑みを浮かべていた。


「相変わらず騒がしいわねぇ」


 ミアの髪を優しく撫でながら、のんびりとフェリシアも笑っている。

 その直後。


「あらいやだ」


 フェリシアがつぶやいた。


「どうした?」


 ミナセに聞かれて、フェリシアが答えた。


「前方に反応。何かいるわ」


 一行の表情が、変わった。

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