北へ

「おい、聞いたか?」

「ああ、聞いた」


 アルミナの町は、ここ数日ある話題で持ち切りだった。どこに行ってもその話で盛り上がっている。だが、盛り上がっているという割に、その話をする人の顔はみな沈んでいた。


「寂しくなるな」

「そうだな」


 酒場や食堂は、まるでお通夜のよう。


「高くついても構わん、腕の立つ護衛を確保しろ!」


 商人たちは、慌てて人材確保に走っている。


「いったいどうすりゃあいいんだい」

「何とかするしかないだろう」


 町の人たちが、ため息をついた。


 エム商会が、休業する。


 衝撃的なこの知らせは、数日と経たずにアルミナの町全域に伝わっていった。


「詳しいことは言えませんが、必ず戻ってきますから」


 頭を下げ、かわりの業者を紹介しながら、みんなで得意客を回った。社員たちは、行く先々で質問攻めにあい、納得のいかない人たちが事務所に押し寄せる。


 ファルマン商事のご隠居が、「何とかならんのかのぉ」と言って肩を落とした。

 教会の院長は、「毎日お祈りをいたします」と言って、寂しげに笑った。

 イルカナ三公爵の一人、ロダン公爵からは、息子のロイが会いたがっているという名目でフェリシアとミアが屋敷に招かれて、それとなく事情を聞かれたりしている。


 アルミナの町に、マークが逮捕された時を超える大きな波紋が広がっていった。


 その異様な雰囲気の中、社員たちは粛々と休業に向けて動く。旅に出る準備を手際よく進めていく。


「一日も早く、俺たちはここを離れなければならない。一日も早く、俺たちは強くならなければならない」


 マークは毅然と言った。

 うつむくシンシアを気にしながらも、社員たちはしっかりと頷いた。


 そして、その日。


 早朝の澄み切った空気を思い切り吸い込んで、気持ちよさそうに茶色の瞳が空を見上げる。


「私、じつは、アルミナの町を出るの初めてなんです」

「そうなの?」


 感慨深げなリリアの声に、先頭を歩くミアが驚いて振り向いた。


「はい。生まれも育ちもこの町でしたし、仕事で遠くに行くこともありませんでしたから」


 答えたリリアは、止まることなく振り返ると、後ろ向きのまま歩く。


「それと、北に行くのも、じつは楽しみなんです」

「どうして?」

「母方のおばあちゃんが、北のオーネス王国の生まれらしいんです。私が生まれる前に亡くなっちゃったから顔も知らないんですけど、おばあちゃんの故郷に少しだけ近付けると思うと、何となく嬉しくて」


 ミアに返事をしながら、くぐったばかりの門の脇で小さく手を振る衛兵に、リリアが両手で思い切り手を振り返す。


「だから私、ちょっとだけワクワクしてるんです」


 楽しげに言って前を向き、突然シンシアの手を握った。


「シンシア、一緒に頑張ろうね!」


 ……こくり


 間を空けてシンシアが頷く。今回の話が出てからというもの、シンシアは塞ぎ込むことが多くなっていた。


「三人には、人間を相手に戦えるようになってもらう」


 マークが言った言葉が、シンシアに重くのし掛かる。


 身を守るためには、相手の命を奪うことになっても仕方がない。この世界の常識ではそうだ。

 ミナセもヒューリもフェリシアも、そしてミアも、そうやって生き残ってきた。

 

 でも。


 リリアが努めて明るく接してくれているのは分かっていた。シンシアも、覚悟を決めようと思って頑張っている。


 だけど。


 空は雲一つない青。シンシアがサーカスの一座から旅立った時と同じように、きれいな空が広がっている。

 その空の下で、空色の髪が風に揺れる。ブルーの瞳が不安に揺れる。

 うつむくシンシアを連れた一行は、真っ直ぐに伸びる街道を、北に向かって歩いていった。



 アルミナを離れた七人は、数日後、小さな町に辿り着いた。ここまでは人の往来も多く、また衛兵や軍による見回りもされているため、治安も悪くなかった。

 だがこの町から先は、沼地や荒れ地、そして深い森の続く地域となる。ここから先が、まともでない人間たちの住む地域となっていた。


「そこに宿屋があるっていうのに、何で私たちは泊まれないのかねぇ」

「そこに食堂があるっていうのに、どうして私たちは入れないんでしょう」


 ヒューリとミアが、恨めしそうに店の看板を眺める。


「いい加減諦めろ」


 呆れたように、ミナセが言った。

 一行は、人の多い場所に長居することを避けていた。インサニアが仕掛けてくれば、他人を巻き込む危険性がある。必要な買い物を除いて、店に入ることもしていない。

 ただし、一つだけ例外があった。それは武器屋。シンシアの使える武器を探すためだ。


 アルミナを出る前に、リリアとミアは、自分用の武器を買っていた。

 リリアは、細身で軽い、だが頑丈な素材でできている、やや小振りの両刃剣。それを、予備を含めて二本買った。一本は左の腰に差し、もう一本は、フェリシアのマジックポーチにしまってもらっている。

 そしてミアは。


「また棒……」

「ミア、違うわ。これはメイスっていうのよ。ちゃんと柄頭も付いてるでしょ」

「私も剣とか……」

「ミアにはこれが一番似合っているわ」

「せめてナイフとか……」

「まあミア! 今日もあなたは可愛いわね!」

「……」


 ミアが諦めるまでフェリシアの説得は続いた。

 ミナセとヒューリ、そしてフェリシアのミアに対する見解は、残念ながら一致している。


 ミアには、武術の才能がない


 ミアは、毎朝欠かさず修行に励んでいた。その甲斐あって、賊の下っ端程度になら負けない強さを手に入れている。だが、実力としてはそこまでだ。リリアやシンシア相手ではまるで話にならない。

 フェリシアが攻撃魔法を教えようとしているが、それもまだ修得できていなかった。よってミアには、攻撃方法が単純で、身を守ることもできる、柄頭の小さめなメイスが選ばれたのだが。


「私ってやっぱり才能ない……」

「あなたの可愛さは世界一よ! 私はあなたが大好きよ!」


 一生懸命なフェリシアの前で、ミアは、泣いていた。


 そんな騒ぎを経て二人の武器は決まったものの、シンシアだけは決まらなかった。

 武器を持つと、シンシアの目は落ち着きを無くし、その体は震え出してしまう。武器を選ぶ以前の問題だった。

 結局シンシアは、アルミナで武器を買うことを諦め、修行で使っている二本の木刀を左右の腰に差して旅に出た。


 町や村を通る度に武器屋に立ち寄るのは、少しずつでも慣れていきたいというシンシアの希望だった。

 並んでいる武器の一つを、青い顔をしながら手に持って、すぐにそれを戻す。そんなことをシンシアはずっと繰り返している。この町の武器屋でも、それは変わらなかった。結局シンシアは、今も木刀を腰に差していた。


 落ち込むシンシアをみんなで慰めながら、通り沿いの店で食料を買い込んで、一行はすぐに町の北側へと抜けた。

 急激に人がいなくなった道を、七人が歩く。

 

「ベッドが恋しいなぁ」

「焼きたてのパンが食べたいですぅ」


 いつまでも愚痴を言い続ける二人に、今度はフェリシアが言った。


「あなたたち、ほんとに往生際が悪い……」


 そこまで言った時、フェリシアが、ギョッとしたように振り向いた。ほとんど同時に、ミナセとヒューリも後ろを向く。その様子を見たほかのみんなも、続けて後ろを見た。


 そこには、一人の女がいた。

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