インサニア

 三人は、路地の突き当たりに移動した。


「フェリシア、尾行は?」

「ありません」


 答えたフェリシアは、まだお頭を睨んでいる。

 苦笑いをしながら、マークが聞いた。


「で、頼みというのは何でしょう?」


 聞かれたお頭が、話し出す。


「あんたが言ってた通り、この女を奪われた一件は、ガザル公爵をえらく怒らせた。物を投げるわ怒鳴り散らすわで、そりゃあもう大変だったさ」


 お頭が首をすくめてみせる。余程激しく叱責されたのだろう。


「だが、公爵だって簡単に俺たちをクビにできる訳じゃあない。俺たちはそれなりに役に立っていたからな」

「それは残念だわ」


 フェリシアの嫌味を、お頭は笑って聞き流した。


「それでも、俺たちは警戒した。公爵の動きを見張っていた。その網に、今回の話が引っ掛かったんだ」


 フェリシアを奪われた後、ガザル公爵はエム商会を調べ上げた。そして、その強さを知る。

 それでも公爵は諦めなかった。慎重に調査を進め、執拗にフェリシアの様子を調べ続ける。

 やがて公爵は、新たな依頼先を探し始めた。公爵の依頼を成し遂げられそうな相手を、国内外に広く求めていく。

 そして公爵は見付けた。お頭の一団以上に腕の立つ裏の集団。


「そいつらの名は、インサニア」

「インサニア!?」


 フェリシアが声を上げた。


「知ってるのか?」

「はい……」


 マークに聞かれて、フェリシアが堅い表情で答える。


「そう言えば、お前キルグの出身だったな」


 フェリシアを見ながらお頭が言った。


 インサニア。

 狂気を意味する古語。


 キルグ帝国を根城にするその集団は、陰謀渦巻くキルグにおいて、数年前からその名を知られるようになっていた。

 暗殺の絶えないキルグでは、要人の警護は非常に厳しい。ゆえにフェリシアのような人材が暗躍することになる。

 だがインサニアは、どんな警護も気にしなかった。その暗殺方法は、従来の常識では考えられないものだった。


 彼らは、暗殺対象を警備の部隊ごと吹き飛ばした。

 屋敷ごと焼き払った。

 宿泊地の村人ごと毒殺した。


 どうやって対象に接近するのか、どうやって罠を仕掛けるのかまったく分からない。

 だが、彼らは確実に仕事をこなしていった。多くの道連れを添えて、ターゲットをあの世に送り続けていく。


 キルグの中でも特異な存在。裏社会の人間でさえ恐れる存在。

 それがインサニアだった。


「どういう伝手を使ったのかは知らないが、ガザル公爵は、奴らに渡りをつけたらしい。そして、契約することに成功した」


 お頭の話を、フェリシアが青ざめた顔で聞いている。


「奴らが国外の仕事を受けるのは、おそらくこれが初めてだろう。そんな話、聞いたことがなかったからな」

「どうして慣れない土地の仕事を?」

「さあな。公爵が、奴らの欲しがる報酬でも提示したんだろう」

「でも、彼らは暗殺専門のはず……」

「ああ、そうだ。だから、今回もお前たち全員を殺すために動いてるのかもしれねぇ」

「そんな!」


 フェリシアの顔に動揺が走った。


「で、だ」


 お頭が、マークを見る。


「そのインサニアを、あんたらにぶっ潰してほしい」

「俺たちに?」


 マークが首を傾げた。


「そうだ」


 お頭が、強く頷いた。


「あんたらは強い。それを分かっていて、奴らは依頼を受けた。今回の仕事には、少なくとも主要なメンバーが揃うはずだ。それをあんたらが返り討ちにしてくれれば、奴らは事実上壊滅する」

「どうして潰してほしいんですか?」

「奴らがこの仕事を成功させちまったら、公爵はこれからも奴らを重用するだろう。そうなれば、カサールの裏社会が崩れる。秩序が崩れちまうのさ」


 お頭の目が鋭く光る。


「奴らのやり方は滅茶苦茶だ。あんなやり方が繰り返されれば、それと同じことを始める連中が出てくるだろう。そうなったら、裏社会の秩序も、表と裏のバランスも崩れる。俺たちが仕事を失うどころの話じゃないんだ」


 悪党が語るにしては妙な話だが、お頭は真剣だ。


「だから、最悪でも今回奴らには失敗してもらわなきゃあならねぇ。そこで、こうやってあんたたちに頼んでるって訳だ」

「なるほど」


 マークが頷いた。


「彼らに関する情報は、どれくらいあるんですか?」

「それがな、申し訳ないことに、ほとんどない」

「それは、困りましたね」


 マークが唸る。


「俺たちもいろいろ調べたんだが、メンバーの中に女が一人いるってことくらいしか分からなかった」

「女の特徴は?」

「そいつは常に、目と手足以外をすっぽりと布で覆っていてね。顔は分からないし、声もよく分からない。背丈は……そうだな、こいつより少し低いくらいだ」


 フェリシアを見ながらお頭が言った。


「そいつがインサニアと客とのつなぎ役だってことは、裏の世界じゃ知られた話だ。だが、そいつの居場所は分かっていない。そいつはいつも突然現れて、きれいに尾行を巻いて、消えていく」

「そんな人たちの動きを、どうしてあなたたちは捉えることができたんですか?」


 マークが聞いた。

 お頭が、にやりと笑う。


「俺たちは、公爵を”影で”護衛してきたんだ。その気になれば、公爵の性癖だって調べられるのさ」


 それを聞いたフェリシアが、体をこわばらせた。


「安心しな。その気になればってだけの話だ。寝室を覗く趣味はねえよ」


 お頭が笑う。


「公爵が裏の話をする時に使う部屋は、いつも決まっている。その部屋の天井に、ちょいと細工がしてあってね。中の様子を探れるようになっているのさ」

「そんな細工って、バレないんですか?」

「バレないさ。あの屋敷の手入れをする職人を、俺たちが買収してるからな」

「……」

 

 マークが、呆れたようにお頭を見た。

 権謀術数の限りを尽くす公爵にも、意外な隙があるということか。


「その部屋で、見知らぬ男と公爵が話をしていた。その時あんたらの名前が出た。男はその後キルグで例の女と会って、また戻ってきている」


 食い入るように、フェリシアが話を聞く。


「聞こえた会話が途切れ途切れだったのと、詳しい内容は手紙でやり取りしていたからよく分からんが」


 フェリシアを見て、マークを見て、お頭が言った。


「奴らがあんたらを狙って動き始めたってことだけは、間違いない。大した情報がなくて済まないが、事前に知らせることができたってことだけで勘弁してくれ」


 話を聞き終えたマークが考え込む。隣のフェリシアは、うつむいたまま動かなかった。

 お頭も黙って待つ。マークの答えをじっと待った。

 やがて。


 ポン


 突然、マークがフェリシアの肩を叩いた。驚いて、フェリシアがマークを見る。その顔にいつもの笑顔を投げてから、マークがお頭を見た。


「今回の件、うちの会社への依頼っていうことでいいんですよね?」

「えっ? まあ、依頼って言うか……」

「頼みがあるって、あなたは言いましたよね?」

「それは言ったが……」

「では、仕事の依頼ということで」

「おいおい」

「うちの経理担当が厳しくてね。稼げる時に稼いでおかないと、俺が怒られちゃうんですよ」

「……」

「料金は、そうですねぇ」

 

 にっこり笑って、マークが値段を提示する。

 お頭が、呆れ顔でマークを見つめた。


「まったく、あんたには敵わないな」


 そう言って、お頭は苦笑した。



 エム商会の事務所は静まり返っていた。


 リリアが不安そうにマークを見る。

 シンシアがうつむく。

 ミアが、険しい顔でテーブルを睨んでいた。


「ごめんなさい、私のせいで……」

「気にするな。私たちは、あの時のことを後悔なんてしてないよ」


 立ち上がって深々と頭を下げるフェリシアに、ミナセが笑いながら言った。


「そうだぞ。大体あの時、社長が堂々と名乗っちゃってるんだから、フェリシアのせいなんかじゃないさ」

「お前、結構と根に持つタイプだな」


 ちょっとふくれているヒューリに、呆れながらミナセが言う。

 マークは苦笑いだ。


「まあ、二人の言う通りだ。気にするなと言っても気にはするんだろうけど、フェリシア、とにかく座りなさい」

「はい……」


 マークに言われて、フェリシアはそっとソファに腰を落とした。

 

「そういう訳で、俺たちは、そのインサニアという集団を相手にすることになった」


 マークが話を進める。


「おそらく奴らは、俺たちが逃げようが隠れようが、どこまでも追ってくるだろう。だから俺たちは、奴らを迎え撃ち、倒す必要がある」


 全員を見ながらマークが話す。


「やっかいなのは、奴らが手段を選ばないということだ。周りの人たちが、俺たちの事情に巻き込まれてしまう可能性がある。だから、決めた」


 そう言って、マークが黙った。

 黙ったマークに社員たちが注目する。

 一人一人の目を見て、少し視線を落とし、やがて顔を上げて、マークが言った。


「エム商会は、しばらくの間休業する」

「休業!?」


 一斉に声が上がる。

 静寂がざわめきに変わっていった。


「そうだ。しばらく会社を閉めて、全員で旅に出る。行き先は、北にある山岳地帯の麓だ」

「北、ですか」


 リリアがぽつりと言った。


 イルカナ王国の北、オーネス王国との国境を形成する山脈は、同じく国境を形成する南の山々と比べても、その険峻さは桁違いだった。あまりに険しいその山岳地帯は、両国にとって絶対の境界線となっている。軍はもちろん、商人でさえもその山々を超えようとする者はおらず、よって、両国間には昔から国交すらない。

 東のカサール、南のエルドア、西のコメリアの森を挟んで北西のウロル。人の行き来があるこれらの国と違って、北のオーネス王国は、距離は近くとも非常に遠い国であった。


 その山岳地帯の麓に、魔物の湧く高原と、洞窟ダンジョンがある。出現するのは中級以下の魔物で、駆け出しの冒険者や中級一歩手前のパーティーに適した場所だと言われていた。

 ただしそこに至るには、いくつもの荒れ地や沼地、森を抜けていかなければならず、途中に町や村もない。ところどころに集落は点在しているが、そこに住むのは、衛兵の目を逃れて流れ着いたならず者や、麻薬栽培を生業にしているような無法者ばかり。

 それらを越えたその先には、それでも小さな村が一つあった。ダンジョンが発見されてからは、そこに冒険者ギルドも置かれている。

 しかし。

 魔物の数や種類で言えば、似たような場所は他にもあった。ダンジョンで手に入る秘宝も見付かっていない。わざわざ苦労してそこまで行く意味は、ほとんどない。

 ゆえに、その村も発展はせず、結局は牧畜を営む人々が細々と暮らすのみとなっていた。


「だからこそ、俺たちには最適だと思ってね」


 マークが続ける。


「インサニアは、周到に準備をしてから獲物を狙うはずだ。俺たちを襲うまでには、まだ少し猶予があるだろう。その間に、リリアとシンシア、そしてミアの特訓を行う。そして奴らを、他の人の迷惑にならない場所で迎え撃つ」


 リリアとミアが、真剣な目で頷く。

 シンシアが、視線をそらしてうつむいた。


「今回のことがなかったとしても、俺たちはこれからも誰かに狙われる可能性があるだろう。それを跳ね返すだけの力を、全員が持っていなければならない」


 マークが逮捕されたあの時、ミナセたちばかりでなく、リリアやシンシア、ミアの命までが狙われた。

 その事実を、マークは重く受け止めていた。


「三人にはイヤな思いをさせてしまうと思うが、それでも俺は、みんなを失いたくない。だから」


 リリアを、ミアをマークが見つめた。

 うつむくシンシアを、マークが強く見つめた。


「三人には、人間を相手に戦えるようになってもらう」


 人間を相手に戦えるようになる。

 その意味するところは、全員が理解できた。


 だが、ミナセはマークの言葉に驚いていた。


 マークは、他人に変わることを求めない。

 そのままの相手を丸ごと受け入れる。

 しかし、今のマークは違った。リリアたちに対して、はっきり変われと言っている。

 しかも、これは業務として命令できるようなことではないのだ。

 それでもマークは言い切った。逃げてもいいではなく、会社を辞めてもいいでもなく、戦えるようになれと言った。


 こんなに強引な社長は、見たことがない


 ミナセが、三人の様子をそっと見る。

 すると。


「はい!」


 ミアがしっかりとした声で答えた。


「分かりました」


 リリアが弱々しく答えた。


「……」


 シンシアは、目を伏せたまま、それでも小さく頷いた。


 三人の反応に、またもやミナセは驚く。

 その三人と、三人を見つめるマークを見ながら、ミナセの胸には強い決意が生まれていた。

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