差し入れその二

 翌日。


 本署の玄関に立つ、昨日とは違う衛兵。経験豊富なベテランらしく、厳つい顔で、堂々と通りを睥睨している。


 昨日は、署内の空気がおかしかった。

 油断なく周りを見回しながら、衛兵はその出来事を思い出していた。



 若い衛兵が受け取った差し入れ。エム商会の社員からの、衛兵たちへの差し入れ。


「何でこんなものを受け取るんだ!」

「申し訳ありませんでした!」


 怒鳴る上官に、部下は平謝り。


「受け取らないと、俺、一生後悔するような気がして……」

「アホか!」


 理解不能な言い訳をする部下の前で、上官が真っ赤な顔で怒っている。

 そこに、冷静な声がした。


「俺には事情がよく分かりませんが、あの社長の扱いが特別なことを考えると、無下に断るのもどうかと……」

「ムムッ」


 中堅の衛兵の言葉に、上官が黙り込む。


「とりあえず、中身を確認してみませんか?」

「……まあ、そうだな」


 少し落ち着いた上官は、中堅の意見を受け入れた。


「では」


 その衛兵が、一つ目の包みを解いた。中身は、木の皮でできたバスケットだ。それが三つ重なっている。

 そのうちの一つのふたを、ゆっくりと開けた。

 途端。


「おおぉっ!」


 周りの衛兵たちが一斉に声を上げる。

 バスケットの中には、彩りも鮮やかなサンドイッチがびっしり詰まっていた。ほかのバスケットの中身もサンドイッチだ。


 別の衛兵が、もう一つの包みを解く。同じくバスケットが三つ。そのうちの一つのふたをゆっくり開けると……。


「おおおおおおぉっ!」


 中には、鳥の唐揚げや卵焼きなどがびっしり詰まっていた。残りのバスケットの中身も同じだ。


「うまそう……」


 誰かの言葉に続いて、ゴクリと喉が鳴る音が聞こえた。衛兵たちが、六つのバスケットを凝視している。

 突然。


「意見具申!」


 差し入れを受け取った若い衛兵が叫んだ。


「な、何だ!?」


 視界にサンドイッチしか入っていなかった上官が、慌てて答える。

 その上官を見もせずに、若い衛兵が言った。


「私が、責任を取って毒味を致します!」


 意味不明な意見だった。

 それなのに。


「ムムッ!」


 上官は、なぜか唸ったまま黙り込む。

 そこに、また声がした。


「申し上げます!」

「な、何だ!」


 今度は別の若い衛兵が叫ぶ。


「わ、私も、その任務お引き受けいたします!」

「ムムッ!」


 噛み合わないやり取りが、また。

 すると。


「若いもんには無理だ!」

「若くないと無理です!」

「いや、ここは階級順で……」


 室内に混乱が渦巻く。バスケットを囲んで衛兵たちが怒鳴り合っている。

 それを見ていた上官が、大いなる決断をした。


「静まれ!」


 衛兵たちが、ビクッと体を震わせて上官を見る。

 部下たちを黙らせ、険しい顔で全員を睨み付けた後、その上官が言った。


「わしが、毒味をする」



 まあ、うまかったけどな


 自分もしっかり相伴にあずかっていたベテランの衛兵が、頬を緩める。

 そこに。


「こんにちは」


 艶やかな声がした。


「何だ?」


 厳つい顔に戻った衛兵が、声の主を見下ろす。その目が、わずかに広がった。

 目の前に、二人の女がいる。


「お勤めご苦労様でございます」


 アメジストの瞳が婉然と笑った。女を追い掛けてきた風が、紫の髪をゆるやかに揺らしている。


 美しい……


 頬を緩め掛けて、しかし衛兵は、そこで耐えた。


「何かご用ですか?」


 だが、言葉は格段に柔らかくなっている。

 魅入られそうな笑顔を浮かべて、女が衛兵に一歩近付いた。途端に、どこからか華やかな香りが漂い出す。


「突然申し訳ありません。私、エム商会の、フェリシアと申します」

「エム商会!?」


 思わず衛兵は叫んでしまった。


「こちらで、うちの社長がお世話になっていると思うのですが」


 衛兵は、どう答えていいか分からずに黙っている。その困惑をさらに深めることを、女が言った。


「お世話になっているお礼に、皆さんに差し入れをお持ちいたしました」

「差し入れ……」


 これか!

 これがうちの若いもんを惑わした差し入れか!


 さすがベテラン。心の動きを顔には出さない。だが、うまい返事ができないのは昨日の衛兵と変わらなかった。

 そんな衛兵に、女がもう一度言った。


「これは、衛兵の皆さんへの差し入れです。私と、隣にいるミアで、心を込めてお作りいたしました」


 魅惑的な笑顔。柔らかく自分を見つめる瞳。

 見たこともないような美女が、大きな包みを差し出している。


「いや、そういうのは……」


 受け取ってはいけないと、直感的に思った。


 結局昨日は全員で食べてしまったが、これは、きっと罠なのだ。

 署長と一部の仲間が腫れ物に触るように扱っている、エム商会の社長。その会社の社員からの差し入れ。受け取らないほうがいいに決まっている。

 そうは思うのだが……。


「受け取っていただけないでしょうか?」


 目の前の美女が困ったような顔をしている。

 衛兵も、かなり困った顔をして女を見ていた。


 すると、横にいたもう一人の女が、やはり大きな包みを抱えたまま一歩前に出た。

 光り輝くブロンドの髪に、煌めくような金色の瞳。陽気で明るいオーラ全開のその瞳が自分を見上げている。


 女というより少女?

 いや、やっぱり女?


 こちらもまた……


 衛兵の目が釘付けになる。

 そこに、元気な声が聞こえてきた。


「私、ミアって言います! 衛兵さん、あの……」


 そう言って、女がさらに近付いてきた。

 急激な接近に、衛兵が動揺する。


「腕を、触ってもいいですか?」

「腕を?」


 ……だめだ、分からん

 何を考えているのか全然分からん


 頭の中がぐるぐる回ってきた。


 持っていた包みを片手で抱え直し、片手を自由にした女は、何も言わない衛兵の前腕を、遠慮なく、むんずと握る。


「ひっ!」


 その顔に似合わない可愛らしい悲鳴が衛兵の口から漏れた。

 女の手が、続いて上腕を握る。


「ほわっ!」


 またもや漏れ出る不思議な悲鳴。

 女は構わず腕を握る。前腕と上腕を、女の手が行ったり来たりする。

 そして女が言った。


「衛兵さん、逞しいです!」


 キラキラな目で言った。


「かっこいい!」


 衛兵の心が、動いた。


 俺が、かっこいい?


「きっと毎日、すっごく厳しい訓練をしてるんですよね?」

「ま、まあな」

「この腕で、私たちを守ってくれてるんですよね!」

「そ、そうだな」


 直線的に衛兵を見上げて、女が大きな声を上げる。


「ありがとうございます!」


 衛兵の心が燃えた。


「私たちが安心して暮らせるのも、衛兵さんのおかげです!」


 なぜだか分からないが、猛烈に燃えてきた。


「衛兵さん、これからも私たちを守ってくださいね!」

「ああ、もちろんだ」

「絶対ですよ!」

「任せろ。この町の平和は、俺が守ってみせる!」


 入隊した時の熱い思い。

 命を捧げてもいいとさえ思っていた、あの頃のたぎるような思い。


 衛兵は、それを思い出していた。


「衛兵さん、これ食べてください!」


 女が包みを差し出す。


「これを食べて元気になって、これからもお仕事頑張ってください!」

「分かった! ありがたく頂戴しよう!」


 衛兵が力強く答えた。


「では、こちらも」


 隣の女も包みを差し出す。


「すまない、感謝する!」


 大きな声で礼を言った。


 フェリシアと名乗った女が、衛兵の手に手提げ袋を預ける。


「ついでで構いませんので、これをうちの社長に。着替えが入っておりますので」

「分かった」


 ミアと名乗った女が、腕にしがみつく。


「お願いしますね!」

「二人の……市民の頼みを断る訳にはいかん」


 二つの包みを抱え、手に袋をぶら下げながら、衛兵は上気した顔で二人を見る。

 そして衛兵は、二人の美女に挟まれたまま、天に向かって言った。


「衛兵、万歳」

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