差し入れその三
翌日。
本署の玄関に立つ、昨日とはまた違う衛兵。部下を怒鳴りつける上官に冷静な意見を述べていた、中堅の衛兵だ。
昨日も、署内の空気がおかしかった。
油断なく周りを見回しながら、衛兵はその出来事を思い出していた。
ベテランの衛兵が受け取った差し入れ。エム商会の社員からの、衛兵たちへの差し入れ。
「貴様もか……」
「面目次第もございません」
呆れる上官の前で、部下がうなだれる。
「受け取ることが衛兵の使命だと、そう思いまして」
「……」
理解不能な言い訳をする部下に、上官は困った顔をする。そこに、冷静な声がした。
「もう二回目です。あまり深く考えなくてもよろしいかと」
「ムムッ」
中堅の衛兵の言葉に、上官も黙り込む。
黙り込んだものの、上官の心は、じつはすでに決まっていた。
「コホン」
一つ咳払いをしてから、上官が言った。
「では、いただこうか」
「了解です!」
一斉に衛兵たちが群がる。
その日の差し入れも、あっという間にみんなの胃袋に収まっていった。
「ところで、手提げ袋の中身は確認したのか?」
満足げにお茶を飲みながら、上官が聞く。
差し入れを受け取ったベテランが、それに答えた。
「はい。女が言った通り、着替えが入っておりました」
「そうか。後で”客人”に渡しておけ」
どう扱っていいか分からないマークのことを、衛兵たちは”客人”と呼んでいた。容疑者に対して使う表現ではないはずだが、誰かが言い出したこの言葉が、今では署内共通の呼び方になっている。
「そう言えば」
やはり満足げにお茶を飲んでいた中堅の衛兵が、ぽつりと言った。
「全部食べちゃって、よかったんですかねぇ」
「……」
その一言で、室内が静まり返る。
そこに、落ち着き払った声がした。
「食べてしまったものは仕方がない。次回の差し入れは、客人にも少し残しておくように」
上官が、顔色一つ変えずに、人生経験の豊富さを発揮させていた。
今日こそはあれを返さないとな
中堅の衛兵が、入り口の内側に置いてあるバスケットをちらりと見た。本当は昨日返すことになっていたのだが、ベテランはすっかり忘れていたらしい。
合わせて十二個のバスケットが積んである。
おとといは、可愛らしい美少女が二人。
昨日は、魅惑的な美女が二人。
さて、今日は……
冷静な表情の奥にほのかな期待を隠しながら、衛兵は前を見る。
そこに。
「衛兵は市民の敵なのかい!」
罵る声がした。
「何だ!?」
びっくりした衛兵が、声の主を見下ろす。
目の前に、一組の男女がいた。
「あの男が悪いことをするはずないじゃろ!」
箒を握り締める中年の女と、杖を振り上げている老齢の男。
何で俺だけ……
ため息をつきかけて、しかし衛兵は、そこで持ち直した。
「いったい何の話……」
「社長のことだよ! エム商会の社長!」
「黒い髪に黒い目をした男だ! マークのことだ!」
まくしたてる二人を、衛兵がじっと見つめる。
何なんだこいつら?
「お二人は、エム商会の関係者か何かですか?」
「わたしゃ客だよ! エム商会の客!」
「客?」
「わしもそうじゃ!」
「えーと……」
状況が飲み込めない衛兵は、ただ黙って二人を見つめるしかない。
すると。
「社長を返せ!」
「釈放しろ!」
気が付けば、目の前に何十人もの人間が集まっていた。
「ミナセちゃんを悲しませるな!」
「ヒューリさんを泣かせないで!」
口々にバラバラなことを言っているが、総合すると、みな社長の逮捕に憤っているらしい。
「皆さん、落ち着いて……」
「落ち着いてなんていられるか!」
「そうだ!」
鎮めようとする衛兵の言葉が怒号に掻き消されていく。
何事かとほかの衛兵たちも飛び出してきたが、数人の衛兵では、興奮した群衆をどうすることもできなかった。
その群衆の後ろで、呆然としている二人の女がいる。
「ヒューリ、お前、何かしたのか?」
「するはずないだろ!」
包みを抱えたミナセとヒューリが、そこにいた。
社員たちは、ことさらにマークの逮捕を言って歩いた訳ではない。ただ仕事先では、ほぼ例外なく「社長は元気か?」と聞かれるので、正直に答えてはいた。
改めてマークの重みを感じていた時に、リリアがぽつりとつぶやいた一言がみんなの記憶に残っている。
「やっぱり、手土産代って必要経費なのかなぁ」
それはさておき。
順番に差し入れを持って行くことにした、その三日目。ミナセとヒューリは、本署に近付くこともできずに、どうしたものかと立ち尽くす。
その二人の後ろから、突然声がした。
「あの男、なかなか人気者じゃのう。ほっほっほ」
振り返ると、細い目をさらに細めながら、ファルマン商事のご隠居が立っていた。
「ご隠居様!?」
ミナセが驚く。
「マークさんの人望だと思いますわ」
その隣には、アルミナ教会の院長がいる。
「院長先生!?」
ヒューリも驚く。
「お困りのことがあれば、我が傭兵団が承りますが?」
「やめてください。衛兵相手に戦争はできませんよ」
その後ろには、屈強な二人の男、漆黒の獣の団長と副団長のカイルとアランまでいた。
「お二人まで……」
ミナセとヒューリの目はまん丸だ。
「噂で聞いてきたんじゃが、本当だったとはのぉ」
「私も信者の方から伺いました」
「俺たちは町の酒場でだ。そりゃあもうみんな大騒ぎしてるぜ」
ミナセたちも、宿屋の食堂で何度か聞かれてはいたが、そんなに話が広まっているとは思ってもみなかった。
「本当なら、わしもあの中に加わりたいのじゃがな」
「立場上、私たちにはできません」
「俺たちが行ったら刃傷沙汰になっちまうからな」
穏やかな、あるいは物騒な笑みを浮かべて、四人がミナセとヒューリを見ている。
後ろの群衆からは、相変わらず「社長を返せ!」という怒鳴り声が響いていた。
大きな町の中にある、社員合わせて七人の小さな会社。
古いアパートの一室にある小さな何でも屋。
そんな会社の社長のために、こんなにもたくさんの人が集まってきている。
「これは独り言だけどな」
カイルが、横を向きながら言った。
「本当に困った時にはわしのところに来るようにって、さるお方もおっしゃってたような気がしたな」
「カイル、独り言ならもう少し声を落としてください」
アランの小言に、カイルは「ふん」と言って後ろを向いてしまった。
ミナセは思う。
どうやったら、これほど人の心を掴めると言うのだろうか
ヒューリは思う。
これは、一軍の将たる資質に匹敵するのではないだろうか
「皆さん、ありがとうございます」
ミナセが、深く頭を下げた。ヒューリも同じく頭を下げる。
二人は、しばらくの間そのままの姿勢でいた。
やがて二人は、同時に顔を上げる。
「ヒューリ、行くぞ」
「おおぉ!」
くるりと向きを変え、包みを抱え直して、二人は前に出た。
エム商会が築いてきたもの。
社長が作り上げてきたもの。
誇らしげに胸を張って、二人は歩く。
誇らしげに微笑みながら、二人は群衆に向かって歩いていった。
「皆さん、お静かに!」
「黙れ衛兵!」
「社長を返せ!」
押し問答というより、衛兵側が完全に押されている。建物の中になだれ込んで行きそうなその勢いを、壁を作って必死に抑える。
応援を呼びに、一人が署内に駆け込んで行った。一人抜けて手薄になった壁が押し込まれていく。
まずい、このままでは……
いつもは冷静な中堅が焦り出した。
その時。
突然、群衆が二つに割れた。左右に分かれた群衆の間を、二人の女が歩いてくる。
黒髪をなびかせて、女は歩く。黒い瞳が真っ直ぐに前を見つめている。
赤い髪を揺らして、女は歩く。赤い瞳が力強く前を見つめている。
美しい……
こんな時だというのに、中堅の衛兵は見蕩れた。
包みを抱えて向かってくる二人の女は、まるで神様への供物を捧げて歩く、聖なる巫女のようだった。
その二人が、目の前で止まった。衛兵たちに一礼した後、向きを変えて群衆を見る。
そして、涼やかな声を響かせて、黒髪の女が言った。
「皆さん、本日はマークのためにお集まりいただき、ありがとうございます」
隣の女と共に、頭を下げる。
「そして、ご心配をお掛けしていることを、心からお詫び申し上げます」
二人は揃って、もう一度丁寧に頭を下げた。
「そんなことは気にしなくていいんだよ!」
群衆から掛かった声に微笑みを返して、黒髪の女は続けた。
「マークの逮捕は、私たちにとっても衝撃的な出来事でした。大きな支えを失ってしまったようで、みんな動揺していました」
女が少しだけ目を伏せた。
そして、顔を上げる。
「でも、私たちはマークの帰りを待とうと決めました。会社をしっかり守っていこうと誓ったんです」
力強い声。
力強い視線。
「マークに掛けられている嫌疑は、何かの間違いだと私たちも思っていますが、だからと言って、きちんとした手続きを取らずに釈放されるのも、法治国家であるイルカナではあってはならないことだと思います」
冷静な言葉に、衛兵たちが驚いている。
女が、群衆をゆっくりと見回した。
「マークに対しては、公正な取り調べが行われていると思います。きっと、近いうちにマークは釈放されるでしょう。それまで皆様、どうかお待ちいただくことはできないでしょうか」
群衆が静まり返った。互いの顔を見合わせて、どうしたものかと考える。
やがて。
「分かったよ」
箒を持った中年の女が言った。
「あんたがそう言うなら、私らが何かを言う筋合いはないさね」
「ありがとうございます、ミゼットさん」
「礼なんていらないよ」
ミゼットが笑う。
「お前が納得しているなら、わしは何も言わん」
「ありがとう、ゴートさん」
「ふん、わしは曲がったことが嫌いなだけじゃ」
ヒューリに向かって、ゴートが無愛想に言う。
「ミナセちゃん、頑張れよ」
「ヒューリさん、応援してるわ」
雑貨屋の主人が、宿屋の食堂の常連たちが手を振る。
エム商会の顧客が、社員たちの個人的なファンが口々に励ましの言葉を叫ぶ。
「皆さん、ありがとうございます!」
黒髪の女が晴れやかに笑った。
赤髪の女が元気に手を振った。
それを見た群衆は、安心したように散っていく。
群衆の後ろにいた四人も、軽く頷き、あるいは手を挙げて去っていった。
本署の正面が静かになった。
衛兵たちが大きく息を吐き出す。そして、二人の女の背中を見た。
興奮した群衆を鎮めるのは、衛兵たちでも困難だ。それを、この女たちは見事にやってのけた。登場しただけで皆を静かにさせ、言葉だけで皆を解散させた。
大したものだ
畏敬の念を込めて、その背中を見る。すると二人が、同時にくるりと向きを変えた。黒髪の女が、正面にいた中堅の衛兵を見る。
「この度は、ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」
女が丁寧に頭を下げた。
「あ、いや……」
衛兵が、うまく答えられずに口ごもる。
「改めまして、エム商会のミナセと申します」
「同じくヒューリです」
二人揃ってきちんと名乗る。
「今日は、皆さんに差し入れをお持ちしました。どうかお受け取りください」
そう言って、黒髪の女が一歩前に出た。
抱えていたものは、やはり差し入れだった。
吸い込まれそうになるほどの、深くて神秘的な黒い瞳。その瞳が、静かに自分を見つめている。
どこまでも自然でありながら、きれいに、まっすぐに立つ姿は、その生き方を映しているかのようだ。
いい女だ
衛兵は思った。心の底から思った。
そして迷った。
昨日は”あまり深く考えなくても”と自分で言ったくせに、やっぱり迷った。
「どうぞ」
赤髪の女も、一歩前に出る。
赤い瞳が自分を見つめる。力強さの奥に感じる、複雑な深紅の輝き。
どこまでも自然でありながら、しなやかに、まっすぐに立つその姿からは、一般市民とは思えない気品が漂っていた。
こいつも、いい
二人の美しい女に間近で見つめられて、衛兵は動けない。硬直したまま、衛兵は黙って二人を見つめ返すことしかできなかった。
その衛兵が、突如背後から不気味なプレッシャーを感じる。
「もーらーえ。もーらーえ」
「うーけとれ。うーけとれ」
小さく、だがはっきりと聞こえる仲間たちの声。
怖いぞ、お前ら!
心の中で叫びながら、しかし、そのプレッシャーのおかげで衛兵は素直になれた。
「では、いただきます」
そう言った瞬間、またもや聞こえる低い声。
「よーし」
「それでいい」
まったく
苦笑しながら、衛兵は黒髪の女から包みを受け取る。
その時女が、遠慮がちに聞いた。
「あの……うちの社長は、元気でいるでしょうか?」
それに衛兵は、ちょっと困った顔をしながら答える。
「少なくとも、ひどい扱いは受けていないと、思います」
「そうですか」
女が顔を伏せた。その表情は、前髪に隠れてよく見えない。だが、続いて聞こえてきた言葉で、衛兵は女の心を知った。
「よかった……」
胸が痛んだ。生々しい人間の感情に何度も触れてきたはずの衛兵の心が揺れた。
「こちらもどうぞ」
「えっと、すみません」
赤髪の女から包みを受け取る。
「社長のこと、よろしくお願いします」
短い言葉。とても、重い言葉。
「分かりました」
思わずそう答えてしまうほどに、想いの詰まった言葉だった。
二人の美女を前にして、衛兵は天を仰いだ。
参ったな……
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