バスケット

「参ったな」


 積み重ねられた十八個のバスケットを、中堅の衛兵が眺めている。


「また、返し忘れちまった」


 そうつぶやく衛兵は、だがそんなことよりも、はるかに気になっていることがあった。

 昨日、取り分けた差し入れを持って応接室に向かった衛兵は、入り口で仲間に止められた。


「許可された者以外、面会禁止だ」


 客人に会おうとずいぶん粘ったが、結局それは叶わず、差し入れを預けて引き下がるしかなかった。


「いったい何なんだ」


 警備についているのは、客人の逮捕に関係した連中だ。六人が交代で警備に当たっている。

 六人の所属する隊はバラバラだ。その六人が、隊を越えてチームを組んで、客人の逮捕に向かった。

 どう考えても不自然だ。

 

「下手に首を突っ込むと、やばいかもな」


 衛兵という組織が、聖人君主の集まりでないことはよく分かっている。

 権力者の駒として動かなきゃならない時があることも、よく分かっている。

 だから、目を瞑るところは瞑って仕事をしないとここではやっていけない。


 それが組織で働くということ。

 それがうまくやるということ。


 だけど。


「やっぱりあの差し入れ、受け取っちゃあダメだったんだろうなあ」


 苦笑しながら、気が付けばやっぱり衛兵は、昨日の出来事を思い出していた。


「よかった……」


 痛いほど伝わってきた黒髪の女の心。


「社長のこと、よろしくお願いします」


 苦しいほど想いの詰まった赤髪の女の言葉。


 衛兵が、髪をぐしゃぐしゃとかきむしる。


「はあ」


 何度目かのため息をついて天井を見上げた、その時。


「昨日はお疲れさん」

「あ、どうも」


 突然、後ろから声を掛けられた。

 見れば、ベテランの衛兵が立っている。


「二階から見物させてもらってたが、大変だったな」

「ちょっと、見てたんなら助けに来てくださいよ」

「悪いな、仕事中だったんだ」


 文句を言われたベテランは平然と答え、続けてさらりと言った。


「このバスケットは、俺が返しに行こう」

「は?」


 驚く中堅に向かって、さらに言う。


「町の平和は俺が守るって、言っちまったからな」

「おっしゃる意味が、分かりませんが」


 訳が分からん


 呆れ顔の中堅の目の前で、ベテランが急に表情を険しくする。


「応接室の警備をしている六人。あいつらは、全員署長のお気に入りだ」

「……」


 似たようなことを考えていた中堅は、驚きながら、しかし続きの言葉を待つ。


「客人の扱い、六人の態度。誰が考えたって、まともな事件じゃあない」

「そういうことには首を突っ込まないってのが、暗黙のルールだと思うんですがね」


 探るような言葉に、ベテランは、少し表情を緩めて言った。


「三十年以上衛兵をやってるがな、たった一人のために、あれだけの市民が署に押し掛けてくるなんてのは、見たことも聞いたこともなかった」

「……」

「ついでに言うとな、押し掛けてきた連中の後ろに、ファルマン商事のご隠居と、アルミナ教会の院長と、おまけに漆黒の獣の団長と副団長までいやがった」

「そうなんですか!?」


 騒ぎの最前線にいた衛兵は、そんなことには気付いていなかった。

 

「いったいどうやったら、あれだけの連中を引っ張り出せると思う?」

「それは……」

「金じゃあない。権力でもないだろう」


 町の実力者、信仰の象徴、そして、周辺諸国に知られた傭兵団の団長と副団長。そんな人物たちが、顔を晒してまで客人のためにやってくる。

 中堅の衛兵は唸った。


「押し掛けてきた連中の目は、狂ってなんかいなかった。昨日の女たちの態度は、本当に立派なもんだった」


 ベテランが、バスケットを見つめる。

 

「客人に義理がある訳でもなんでもないんだが」


 大きな手のひらが、バスケットをポンと叩く。


「衛兵の本分ってやつを、久し振りに思い出しちまったのさ」


 厳つい顔が笑った。

 突然。


「俺も行きます!」


 いつの間に現れた若い衛兵が叫んだ。


「あの子に約束しちゃったんです。差し入れの感想を報告するって」

「あのなぁ」

「だから、俺も行きます!」


 相変わらずこいつはズレてやがる


 呆れる中堅の横から、ベテランが声を掛けた。


「今の話、聞いてただろ?」

「はい!」

「やばい話だって、分かってんだろ?」

「はい、分かってます!」

「お前、バカだな」

「はい、バカだと思います!」


 こいつ、バカだ。本当に、大バカだ


 やっぱり呆れ顔の中堅は、しかし直後、唇を噛んだ。


 で、俺は?

 俺はどうすんだ?


 二人の前で、中堅はうつむく。床を睨んで黙り込む。

 その肩を、大きな手が掴んだ。顔を上げる中堅を、ベテランが見ている。その顔が、ニヤリと笑った。


「お前も行きたいんだろ?」

「うっ!」


 思わず漏れ出た声に自分で驚き、苦笑しながら、中堅はつぶやいた。


「参ったな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る