差し入れ

「こんにちは」


 軽やかな声が聞こえた。


「何だ?」


 衛兵本署の玄関で、背筋をピンと伸ばして宙を睨んでいた若い衛兵が、声の主を見下ろす。その目がわずかに広がった。

 目の前に、二人の少女がいる。


「お勤めご苦労様です」


 茶色の瞳がにこやかに言った。少女の運んできた風が、栗色の髪をさらさらと揺らしている。


 可愛い……


 頬を緩め掛けて、しかし衛兵は、そこで踏ん張った。


「何かご用ですか?」


 だが、言葉は格段に柔らかくなっている。

 少女が、またニコッと笑って、衛兵に一歩近付いた。途端に、どこからか不思議な香りが漂い出す。


「突然すみません。私、エム商会の、リリアっていいます」

「エム商会!?」


 思わず衛兵は叫んでしまった。


 昨日、仲間が連行してきた男。それがエム商会の社長だった。

 麻薬の違法所持で逮捕したと言っていたが、その様子は明らかにおかしい。容疑者に縄も掛けなければ、そもそもほとんど近付くことさえしなかった。

 容疑者は、留置所ではなく、なぜか応接室に通される。隊長と署長が何やら話をした後、応接室に何人かが出入りして、そのまま静かになった。


 エム商会のことは、噂程度には知っていた。その社長が逮捕されたことには驚いたが、その扱いについてはもっと驚いていた。

 一般の衛兵たちには詳しいことが知らされないまま、応接室の前に二人の警備がついた状態で今に至っている。


 そのエム商会の社員が、自分の目の前に立っていた。


「こちらで、うちの社長がお世話になっていると思うのですが」


 若い衛兵は、どう答えていいか分からずに黙っている。その困惑をさらに深めるようなことを、少女が言った。


「お世話になっているお礼に、皆さんに差し入れを持ってきました!」

「皆さんに?」


 聞き間違いか?


 首を傾げて、衛兵が少女を見る。頭がうまく回らなくなってきた衛兵に、少女がもう一度言った。


「はい! これは、衛兵の皆さんへの差し入れです。私と、隣にいるシンシアで一生懸命作りました!」


 曇りのない笑顔。真っ直ぐに自分を見つめる瞳。

 おひさまみたいな美少女が、大きな包みを差し出している。


「これを、俺たちに?」

「はい、そうです!」


 聞き間違いではなかった。だからこそ、衛兵はますます混乱した。


「いや、そういうのは……」


 受け取ってはいけない、という規則がある訳ではない。


 この世界では、衛兵や役人が、一般市民からの差し入れや、場合によっては少額の金銭を含めたお礼を受け取ることは問題ないとされている。

 それによって便宜を図ったり図られたりも当然あったが、役所の手続きがちょっと早まったり、衛兵の巡回頻度が少し高くなるという程度のものだ。

 もちろん、犯罪を見逃してもらったり、普通ではあり得ないような便宜を図ってもらための賄賂もあったが、全体から見ればごくまれだ。

 感謝の気持ちとちょっとしたお返し。そんなものが、良心という曖昧な枠の中でやり取りされている。

 それが、この世界における役人と市民との関係だった。


 よって、差し出された包みを受け取ることに、問題がある訳ではないのだが。


「受け取っていただけませんか?」


 可愛らしい少女が、困ったような顔をしている。

 衛兵も、だいぶ困った顔をして少女を見ていた。


 すると、横にいたもう一人の少女が、やはり大きな包みを抱えたまま一歩前に出た。

 きれいな空色の髪に、透き通るようなブルーの瞳。澄んだ月明かりを連想させるその瞳が、自分を見上げている。


 こっちも可愛い……


 衛兵の目が釘付けになる。

 そこに、可憐な声が聞こえてきた。


「私、シンシア。私たち、一生懸命作った。だから、食べて欲しい」


 そう言って、少女は目を伏せる。

 静かに佇むその姿は、どこか儚げで、衛兵を動揺させた。


「私……」


 わずかに顔を上げて、上目遣いに衛兵を見る。

 その瞳は、かすかに揺れていた。

 衛兵の動揺が加速していく。


 まずい! このままだと、この少女は……


 慌て始めた衛兵に向かって少女が言った。

 弱々しく、ゆえに強烈なパワーを秘めたその声が、言った。


「食べてくれないと、すごく、悲しい……」

「いただきます!」


 奪い取るように、衛兵は少女から包みを受け取る。


 もう無理だ!


「君の気持ちはいただく! ありがたく頂戴する!」


 この少女を泣かせたら、俺は今夜眠れない!


 続けて、隣の少女からも包みを奪い取る。

 

「こっちもいただく! 心を込めて食べさせてもらう!」


 衛兵は、二つの包みを抱え、上気した顔で二人を見た。


 リリアと名乗った少女が、衛兵の腕を掴む。

 衛兵の胸が高鳴った。


「ありがとうございます! 美味しかったかどうか、後で感想を聞かせてくださいね!」

「もちろんです!」


 絶対美味しいに決まってるけど、絶対報告します!


 シンシアと名乗った少女が、衛兵の袖をつまむ。

 衛兵の息が、止まった。


「ありがとう。私……嬉しい」

「おぉぉぉぉっ!」


 俺も嬉しいっす! 最高に嬉しいっす!


 二人の美少女に挟まれて、大きな包みを抱えた衛兵は、天に向かって叫んでいた。


「今日出番で良かったー!」

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