ロロの実
森を抜けてくる風が心地よい。
小鳥たちのさえずりと、涼やかなせせらぎの音。
小川に沿って続く小径を歩くミアは、緑の香りがする爽やかな空気を胸一杯に吸い込んで、大きく、ため息をついた。
タイミングが悪いよー
ミアは、おととい突然院長に呼ばれて、ロロの実を採りに行くよう言われた。護衛として同行するのは、エム商会のミナセとヒューリ、そしてフェリシアだ。
護衛が見付かったのは喜ばしいことだ。
でも、何で私なのよ
フローラと話をしたその日、ミアは、次の日曜日にフェリシアに話をしようと決心した。それが、何の因果か数日早くフェリシアに会うことになってしまった。
いつ話しても変わりはないし、逆にチャンスが早くやって来たのだからいいようなものなのだが、ミアにとってはよくないことらしい。
だって、心の準備ってものがあるでしょう?
大した話ではない。フェリシアはいつでも歓迎してくれるはずだ。さらっと言ってしまえば、後はどうにでもなることだ。
それなのに、ミアの気は重かった。
頑固なくせに、優柔不断。
人の心はままならないものだ。
道案内で前を行くミアの隣には、ミナセが歩いている。二人の後ろには、ヒューリとフェリシアがいた。
「私、やっぱりフライの研究をするわ」
「何だよ、急に」
後ろの二人が会話をしている。
「この間ね、子供たちに空を飛んでみたいって言われたから、小さな子供限定で、抱えて飛んであげたのよ。衛兵に見付かると怒られるから、低い位置を、短い時間だけだったんだけど」
町の周辺では、警備上の理由でフライの使用は禁止されている。
「おっ、いいなそれ。私も飛んでみたい」
「それは疲れるからイヤ。体重の軽い子供だからできることよ」
フライは、術者にしか作用しない。別の人間と一緒に飛ぼうとするなら、術者がその人間を抱えるしかなかった。
「だったら、この前岩をどける時に使った魔法で私を軽くすればいいじゃん。どう、このアイデア?」
「ああ、それ? 残念ながら、却下ね」
「ええっ、なんで?」
「前に一度、主だった貴族の命令でね、捕らえられていた要人を救出したことがあるの」
「なんだ、その貴族、いいこともしてるんじゃん」
「違うわ。貴族院の票稼ぎよ」
「あ、そう……」
「それでね、その時、その人にウエイトセービングを掛けてフライで飛んでいたらね、その人、空の上で吐いちゃったのよ」
「えっ、そうなの?」
「そうなの。その人、最初のうちは、自分の体重が軽くなったって面白がってたんだけど、そのうち気持ちが悪くなってきたみたいで。空から地上に、いろんなものを振りまいていたわ」
「……」
「ウェイトセービングは人体に良くないらしいって、その時分かったの」
「やっぱいいわ、私、飛ばなくても」
「そうね、それが正解よ」
「あれ? でも、この間の魔物討伐でジャンプの魔法を使った時、私とミナセも一緒に跳べてたと思ったけど、あれと同じことはフライでできないのか?」
「あの時は、瞬間的にウェイトセービングを掛けていたのよ。数秒の間なら何の問題もないわ」
「なるほどね。使い方次第ってことか」
「そういうこと。まあとにかく、例えば今回みたいな遠征の時、四人まとめてフライで飛べたら、かなり楽ができると思わない?」
「それはそうだな」
「でしょ? だから私、フライの研究をするわ!」
フライは、風の魔法の第四階梯。誰もが憧れる魔法の一つだ。
自由に空を飛ぶことを夢見て挑戦する者は多いが、修得できたとしても、ゆっくり上昇して、ゆっくり横移動、そしてゆっくり降りてくる、その程度しかできないことも多かった。
フェリシアのようにフライを自在に操れる魔術師は、大陸中を探してもそうはいない。
ミアの後ろで、フェリシアが楽しそうに言う。
「好きな魔法を好きに研究できるのって、凄く楽しいわね」
それを聞いたミアは、決心した。
今夜、食事の時に、フェリシアさんに話をしよう!
フローラがいたら、たぶん言われたことだろう。
今話せばいいんじゃない?
その夜、焚き火を囲みながら四人は談笑していた。
「噂では聞いてたんですけど、皆さんが護衛の仕事をしてたなんて、ちょっと信じられません」
院長が聞いた噂は、よく買い物で町に出るミアの耳にも入っていた。
「とっても強いって、町の人たちは言ってましたけど」
エム商会の護衛は失敗することがない。
エム商会がいれば、道中の安全は保証されたようなもの。
おまけに、エム商会は美人揃い。
野菜を切ったり子供たちと遊んだりする姿しか知らないミアは、噂を聞いてもピンと来てはいなかったのだ。
エム商会は、噂の通り、今まで失敗をしたことがなかった。護衛でも警備でも、やってくる悪党たちをことごとく蹴散らして、商品や店を守っている。
もともと依頼の多かった護衛や警備の仕事が、フェリシアの入社で楽に回せるようになったのも束の間、結局さらに依頼が増えることになり、仕事の量は増えていた。南の峠道には行きにくい事情があるヒューリも、それ以外の地域では商隊護衛を担当している。
今回のように、三人もの社員が護衛を担当するのは異例のことだ。しかも、すでに決まっていた仕事を調整してまで依頼を受けている。いかにマークがこの仕事を重視しているかが分かった。
「教会じゃあ、腕の見せ場がないからな」
「当たり前だ」
ヒューリにミナセが突っ込む。
「うふふ、いつも通りね」
フェリシアは楽しそうだ。
「まあ、自分で言うのも何だけど」
ミナセの突っ込みなど気にもとめず、ヒューリが言う。
「うちって、いいメンバーが揃ってるよね」
その顔は、どこか誇らしげだ。
「そうね。一緒にいて、とっても楽しいし」
フェリシアも嬉しそうに続く。
「いいメンバーが集まったのは、やっぱり社長のおかげなんじゃないかな」
薪をくべながら、ミナセが言った。
そんな三人を見て、ミアは、すごく羨ましいと思った。
強いかどうかはともかく、エム商会の社員がみんないい人で、とても仲がいいことはミアにも分かる。
社長のマークを中心に、ここにいる三人も、リリアもシンシアもよくまとまっている。
みんなの絆を感じる。
ミアは、エム商会のことがもっと知りたいと思った。
「そう言えば、ヒューリさんはどうしてエム商会に入ったんですか?」
フェリシアの話はヒューリから聞いていたが、当のヒューリの話は聞いたことがなかった。
「えっ、私? 私は、えーっと……」
ヒューリは、照れくさそうに鼻をポリポリ掻いていたが、やがて、ゆっくりと入社までの出来事を話し出した。
「ヒューイさん! わだじ、ヒューイさんのごと、尊敬じます!」
ミアは泣いていた。
ボロボロと涙を流しながら感動していた。
「わだじなんて、わだじなんて……」
沸き上がる感情を押さえ切れずに、何かを訴えようとしている。
「とりあえず、これ」
ミナセがハンカチを渡すと、ミアはそれで乱暴に涙を拭き、鼻をすすった。
「私、甘かったです。大した苦労もしてないくせに、偉そうなことばっかり言って」
ハンカチを握り締め、真っ赤な目でヒューリに熱い視線を送る。
その視線が、フェリシアに向いた。
「フェリシアさんも、大変な生涯を送ったんですよね!」
生涯って、私、まだ人生終わってないけれど
微妙な表情のフェリシアに、ミアが迫っていく。
「同じ孤児なのに、私なんかよりずっと苦労をされて……。私の人生がどれほどぬるま湯だったのかが、よっく分かりました!」
フェリシアがのけぞるほどの至近距離でミアが語る。間近でズルッと鼻をすする。
顔を背けないように努力をしながら、フェリシアがゆっくりとミアを押し戻していった。押し戻されたミアが、今度はミナセに向き直る。
「ミナセさん! ハンカチありがとうございました。ちゃんと洗って返しますね!」
「……」
無言のミナセを無視して、ミアはヒューリとフェリシアを讃え続け、自分の甘さを懺悔し、新しく生まれ変わることを大きな声で誓った。
「私、頑張ります!」
こうしてその夜は、ミアの熱い語りで更けていった。
フローラがいたら、間違いなく言われていたことだろう。
今夜、フェリシアさんに話をするんじゃなかったっけ?
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