私にできること
「今だ!」
マシューの声で、全員が一斉に駆け出した。
唯一敵がいない右手に向かって全力で走る。
マシューは、見えない敵を睨み付けながら走った。集中していれば、遠くから飛んでくる矢など問題にならない。
来るなら来い!
無言の挑戦状を叩き付ける。
そのマシューの耳に、突如メンバーの叫び声が飛び込んできた。
「うわぁ!」
「なっ!?」
ズザザザッ!
「どうした!?」
慌てて前を向くマシューの目の前で、先頭を走っていたガロンとシーズの体が、落ちていった。
落とし穴!
二人に続いていたミアの体も沈んでいく。
「いやーっ!」
悲鳴を上げるミアの体は、だが踏み切った右足の力で宙を舞い、穴の向こう側に見事に着地した。
「すごっ!」
マギが驚きの声を上げる。
しかし、エイダはそうはいかなかった。
ズザザザッ!
勢いを殺すことができずに、そのまま穴の底へと落ちていく。
「大丈夫か!?」
マシューが怒鳴るが、その返事を待っている余裕はなかった。
ヒュンヒュン!
体制を立て直した男たちが、容赦なく矢を放ってくる。
キィン、キィン!
マシューとマギは、必死に矢を弾いていた。
その後ろで、ミアが穴底に向かって叫ぶ。
「大丈夫ですか!?」
「俺とシーズは大丈夫だ! だが、エイダが気を失ってる!」
落とし穴の深さは、おそらく四、五メートル。手を振るガロンがはっきり見える。逆茂木などの仕掛けはなかったらしく、単なる穴のようだ。
しかし。
「壁がもろい。登れない」
シーズの声が聞こえる。
「ちょっと待っててください。今ロープか何かを……」
ザクッ!
ミアが立ち上がったその足下に、矢が突き刺さった。
顔を上げると、懸命に剣を振るうマシューとマギの足や肩に、すでに矢が一本ずつ刺さっている。さすがの二人も、次々と浴びせられる矢をすべて防ぐことはできていなかった。
仲間が落とし穴にいる以上、二人はここから移動することもできない。矢の雨に耐えるしかない。
どうする?
どうしたらいい?
ミアは考える。
今の私にできること……
顔のすぐ横を、音を立てて矢が通り過ぎる。
私にしかできないこと!
ミアは、穴底に向かって叫んだ。
「そこで待っててください!」
それだけ言うと、穴を避けてマシューたちの後ろに駆け寄っていく。
「マシューさん、マギさん、私が治します! だから頑張ってください!」
「何だって?」
マシューが聞き返すが、ミアは答えなかった。マシューの背中から手を伸ばして、太ももに刺さっていた矢を握る。
そして。
「ごめんなさい!」
ミアはそれを、一気に引き抜いた。
「ぐあっ!」
マシューが呻き声を上げる。
次の瞬間。
「ヒール!」
血を流していた傷は、跡形もなく消えていた。
「ちょっと、それイヤなんだけど……」
隣のマギがひるんでいたが、ミアは構わずマギの肩の矢を引き抜く。
「くっ!」
「ヒール!」
苦悶の声を上げながら、それでもマギは前を向いて剣を振るう。
そこにマシューの声がした。
「最悪だ! 最悪だが、これしかねぇ! マギ、急所だけはかばえ。それ以外に当たるのは無視だ!」
「ほんとに最悪よ!」
マギが叫ぶ。
ミアから顔は見えないが、もしかしたら、二人とも涙目になっているかもしれなかった。
幸い、矢に毒は塗られていないらしい。魔法を使う敵も、エイダのファイヤーボールで倒されたようだ。あとは矢に集中するのみ。
二人は、突き刺さる痛みと引き抜かれる痛みに耐えながら矢を防ぎ続けた。
「ミア、隠密野郎には気を付けろ!」
「分かりました!」
矢を引き抜き、ヒールを掛けながらミアが返事をする。
ミアは、最初に向かっていた方向に目を向けた。その方向に、索敵に引っ掛からない敵がいるはずだ。
そのミアの目が、光を反射する何かを捉えた。
来た!
神経を集中させ、ミアがわずかに頭をずらす。
シュッ!
ミアの真横を矢が通り過ぎていった。
「こんなの、朝の特訓に比べたら何でもないわ!」
「何の話だ!?」
マシューの問いは、ミアに聞こえていない。飛来する矢を避け、直後にマギの足から矢を抜きヒールを掛ける。
ミアは、今まで生きてきた中でも最高レベルの集中力を発揮させていた。
「あいつら、どんだけ矢持ってんのよ!」
「知るか!」
「いたいっ! もーっ、やけくそになってきたわ!」
「まったくだ。ぐっ! なんだかアンデッドになった気分だぜ」
矢が手足に突き刺さる。
それが引き抜かれる。
そして、すぐに治療される。
まるで拷問のような時間を、二人はひたすら耐えていた。
「あんなのありかよ!」
矢をつがえながら、男が叫んだ。
常識外の戦い。
矢を射掛けている男たちにとっても、この状況は想定外だった。
「くそっ、もう矢がねぇ!」
「こっちもだ!」
矢の雨が止んだ。男たちは、弓を下ろしてこちらを睨み付けている。
ついにマシューたちは耐え切った。驚くべき剣技と、驚異的な粘りと、強靱な精神力で凌ぎ切った。
「はぁはぁ……どうだ、このやろう」
「もういや……はぁはぁ……もう帰りたい」
肩で息をする二人の顔は、だが笑っていた。その後ろで、ミアもホッと一息つく。
しかし、状況は大してよくなっている訳ではなかった。
「うらぁぁぁっ!」
男たちが、剣を抜いて斬り掛かってくる。
「ミア!」
「はい!」
マシューの声に、ミアが反応した。目を閉じ、高速で呪文を唱えていく。
「パワーキュア!」
底なしのミアの魔力が溢れ出した。二人の傷は完治、疲労が驚くほど軽くなっていく。
だが、二人には分かっていた。
魔法による疲労回復は、回数を重ねるほどに効果が無くなっていく。それに頼り過ぎれば、最後は効果がなくなるばかりか、反動が来て動けなくなる。
押し寄せる人数は三十人以上。
迎え撃つは、二人。
それでも。
「とっとと片付けるぞ!」
「了解!」
二人は、短期決戦を目指して気合を入れ直した。
「おらぁっ!」
マシューが雄叫びを上げる。そのたびに血飛沫が舞った。
「こんのぉっ!」
マギが剣を振る。そのたびに男が倒れていった。
ランクAとランクBの剣が男たちを圧倒していく。
「やっぱり凄い」
二人に守られながら、ミアは感嘆の声を漏らした。
その状況が、突如一変する。
「マギ、ここを頼む!」
「えっ?」
驚くマギを無視して、マシューが真横に飛んだ。
「させねぇぜ」
着地と同時に剣を構え直して、マシューが前を睨む。その剣の先には、いつの間にか一人の男が立っていた。
男は、両手に短剣を持ち、薄気味悪い笑みを浮かべている。
「おまえがファルサか?」
「さあね」
男はまともに答えない。奇襲が失敗したというのに、まるでそんなことはどうでもいいと言わんばかりにニヤニヤと笑っている。
「気持ち悪いやつだぜ」
マシューの言葉に、男は反応しなかった。
相手の武器は短剣。リーチの差は歴然。通常はこちらが有利。
それでも、マシューは攻撃を仕掛けない。
痩せこけた頬に濁った目。何を考えているのか分からないにやけ顔。目の前にいるのに気配は薄く、それでいて不気味な存在感のある男。
イヤな感じだ
「おまえ、もと冒険者なんだろ?」
「どうかな」
「ギルドの登録じゃあ、職業は剣士になってたらしいが」
曖昧に答える男に、マシューが言った。
「お似合いなのは、シーフかアサシンってとこだな」
それを聞いた男の口許が、吊り上がる。
「俺も、そう思うぜ」
初めてまともに男が答えた。
「ふん、そんなとこだけ答えんのかよ」
呆れたように言いながら、マシューの目は油断なく男を睨む。軽口のような会話の間も、いやな感じは変わらず続いている。
マシューは、男を前にして一歩も動けずにいた。
その後ろでは、マギが苦戦している。
いくらマギが強いとは言っても、全方向から攻め立てられては防ぐのが精一杯だった。必然的に、ミアをかばう余裕はなくなる。
男の一人が、ミアに迫ってきた。
「へへへ。お前がいなくなりゃあ、こいつらはもう終わりだ」
どう見ても後衛職のミアに、余裕の表情で剣を振り上げる。
「死ね!」
剣が、ミアを目がけて振り下ろされた。
ところが。
「なに!?」
ミアは、素早く後ろに飛んで剣をかわした。
「やるじゃねぇか」
苦笑いをしながら、男が改めて剣を振り上げる。
その男の前で、ミアが腰から木の棒を抜いた。
「お嬢ちゃん、遊びじゃあないんだぜ?」
嘲笑する男を睨みながら、ミアは必死の形相で棒を握り締めていた。
男の攻撃は、驚くほど単調で、しかも遅い。ミナセやヒューリの剣に比べたら、バカみたいに避けやすい。あんな攻撃当たる方がおかしい。
避けるのは簡単。
でも。
ミアが、ちらりと周りを見た。マシューもマギも、すでに返り血で全身を赤く染めている。そこらじゅうに死体が転がっている。
襲い掛かってくる相手に情けは無用。たとえ相手が死ぬことになっても、それが罪には問わることはない。ましてや相手はならず者。殺されて当然の人間。
それが、この世界の常識。
それでも、ミアは怖かった。
握り締めている棒は、樫の木かどうかはともかくとして、かなりの硬度を持っている。これを全力で叩き付ければ、相手は大ケガをするか、当たりどころによっては死ぬ。
「あばよ!」
男が、踏み込みながら剣を振り下ろしてきた。
それを、ミアがかわす。
「この!」
剣が横殴りに迫ってくる。
後ろにステップを踏んで、それもかわす。
「てめぇ!」
心臓目がけて剣が唸る。
体をひねって、ミアは横に逃げた。
「許さねぇ!」
吠える男の向こうでは、マギが戦っている。
マシューは、不気味な男を前にして動きが取れない。
ミアは、覚悟を決めた。
その目が男を睨み付ける。
「死ねぇ!」
男の剣を、ミアがかわした。
そのまま男の横に回り込んで、ミアは、両腕に全身の力を込めた。
「やぁっ!」
グシャッ!
渾身の力で振り下ろした木の棒が、男の頭にめり込む。
「ギャッ」
奇妙な声を上げながら、男は地面に倒れ込み、体を痙攣させ、そして動かなくなった。
「はぁ、はぁ……」
目を血走らせ、肩で息をしながら、ミアがそれを見る。
「やりやがったな!」
背後から別の声がした。
ミアは、振り向きざま男の顔面に木の棒を叩き付けた。
「ガッ!」
おかしな方向に頭を向けて、その男も地面に倒れて動かなくなった。
その後のことを、ミアはあまり覚えていない。
気が付いた時には、パーティーのメンバー以外動く者がいなくなっていた。
手には、途中から折れている、真っ赤に染まった木の棒。ミアの体にもあちこちに血が付いていた。
しばらく呆然としていたミアは、ドサッと音を立てて膝を付き、そのまま地面に倒れ込んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます