運命のいたずら

 伯父がうつむく。ヒューリもうつむく。

 伯父もヒューリも、口をつぐんだまま、自分の手元をじっと見つめていた。

 その時。


「少し休憩が必要。待ってて」


 ふいにシンシアが立ち上がった。

 驚く二人に笑顔を見せて、シンシアは食器棚へと向かう。そこにあったティーポットに、鞄から取り出したお茶の葉を入れて、シンシアが小さくつぶやいた。


「お願い」


 直後、ティーポットから湯気が立ち上る。それを見て、伯父が驚いた。

 水を作り出すことは誰にでもできる。しかし、いきなりお湯を作り出す魔法は知られていない。しかも、シンシアは一切の詠唱なしにそれを発動していた。


「ヒューリ、あの子はいったい」


 苦笑しながらヒューリが答えた。


「あいつは、ちょっと特別なんです。あんまり気にしないでください」


 その特別さは”ちょっと”どころではないのだが、それはさすがに話せなかった。


 お茶の葉が開くのを待つ間に、シンシアは窓際から小さなテーブルを持ってきて二人の側に置いた。続けて食器棚からカップを三つ持ってくると、それをテーブルに並べる。

 そのカップに、シンシアがゆっくりとお茶を注いでいった。

 華やかな香りが広がっていく。二人の心が溶けていく。


 シンシアが、カップを伯父に手渡した。

 双剣を脇に置いて、伯父がそれを受け取る。


「ありがとう」


 シンシアをじっと見つめ、しかし伯父は、何も問うことなくそれを一口飲んだ。


 ふぅ


 伯父の顔が綻ぶ。


「ヒューリも」

「おう」


 シンシアからカップを受け取って、一口。


 ふぅ


 ヒューリの顔も緩む。

 二人揃ってさらにもう一口。また一つ息を吐いて、二人はカップをテーブルに置いた。


「さて、ずいぶん遠回りをしてしまったが、石の話に戻ろう」


 伯父が再び話し始めた。


「剣から離れた二つの石は、わしがそれぞれ指輪にして、肌身離さず持っていた。剣と石は別々の者が持つ。それは、神器破壊の判断を一人に委ねないための昔からの習わしだった」


 静かにヒューリが頷く。


「ハミルに疑いの目が向けられ始めた頃、裏にキルグの匂いを感じた私たちは、万が一キルグが神殺しを狙っていた場合に備えて、石の一つをティアス坑道に隠したのだ」

「ティアス坑道? あの上級ダンジョンの?」

「そうだ」


 クランにもダンジョンはいくつかあった。その中の一つ、ティアス坑道。

 大昔に鉱脈の涸れたその坑道には、いつの頃からか魔物が発生するようになった。しかも、複雑に入り組んだその最深部には、秘宝持ちのボスがいる。秘宝を求めて冒険者たちが集まってくるが、上級と位置付けられるそのダンジョンから秘宝を持ち帰ることのできる者は、ごくわずかだった。


「石は、その最深部に埋めてある」


 そう言うと、伯父は石を埋めた場所をヒューリに説明した。

 ヒューリも、冒険者の救援や捜索のために、ティアス坑道には何度も行ったことがある。最深部、つまりボスのいる部屋に入ったことはなかったが、行けば何とか石は探し出せそうだ。


「場所は分かりました。それにしても、あのダンジョンの最深部まで、父と伯父上の二人で行ったのですか?」


 驚いたようにヒューリが聞く。


「そうだ。これでもわしは、”受け継ぐ者”の兄だからな。兄弟が揃った時の強さはなかなかだぞ」


 やつれた顔が笑った。


「だがな、じつは、わしらはボスを倒していないのだよ」

「そうなのですか?」


 またもやヒューリが驚く。


「ちょうどその頃、名のあるパーティーが最深部から秘宝を持ち帰ったと聞いてな」


 伯父が、少し照れくさそうにヒューリを見た。


「ティアス坑道のボスは、倒されてからしばらくの間は復活しない。この機を逃してはならぬと、ハミルと二人で夜のうちに最深部に行って、石を隠して来たのだよ」

「なるほど」


 あのボスは、少人数で倒すことは非常に困難だと聞いている。

 納得という顔で、ヒューリが頷いた。


「さて、もう一つの石だが」


 伯父が続けた。


「それはわしが持っていた。しかし、クランが降伏したその日、キルグの司令官に奪われてしまったのだ」


 悔しそうに伯父が顔を歪める。


「石には、触れた者の魔力を奪う性質があった。その性質は、特に一族以外の者に対して強く働く。わしがはめていた指輪にたまたま目を留めたキルグの司令官が、石に触れて、その力を知ってしまったのだ」


 その時の様子を、うつむきながら伯父が語った。



「これは何だ?」

「秘宝の一種だ。しかし、大した価値は……」

「貴様の見解など聞いておらん!」


 指輪を取り上げた司令官が、容赦なく伯父を張り倒す。


「これをどこで手に入れた?」

「……」

「なぜ貴様は、こんな危険な指輪をはめていたのだ?」

「……」


 床に倒れる伯父に司令官が質問を重ねるが、伯父は答えない。

 イラついた司令官が、伯父の腹を思い切り蹴り上げた。


「うっ!」


 呻き声を上げる伯父を、司令官が冷たく見下ろす。

 そして司令官は、後ろに向かって聞いた。


「魔力を奪う石。貴様は聞いたことはあるか?」

「ございません」


 後ろに控える兵士が答えた。

 苦しい息の中で、伯父がその兵士を睨み付ける。

 キルグの兵。キルグの、密偵。


 クラン国内に潜伏し、クランの民を煽動して、ハミル将軍を処刑に追い込んだ。

 ヒューリたちのいた山荘を襲撃して、ヒューリの母と弟を殺した。

 数日後、突如攻め込んできたキルグ軍の先頭に、その兵士がいた。


「俺はキルグの兵士。お前たちは、愚かにも騙されたのだ。お前たちは、お前たちの手でハミル将軍を殺したのだ!」


 衝撃の事実を知って、クラン軍は混乱し、そして崩壊した。

 ハミル将軍とヒューリが守り続けてきたクランは、たったの二日で陥落した。

 以来、クランの民は、うつむきながら歩くようになった。キルグの兵に馬鹿にされても、ほとんど反抗することはなかった。

 一部の国民は、いたたまれなくなって逃げ出した。

 一部の国民は、国を取り戻すために足掻いた。

 しかし、逃亡が発覚する度に、あるいは反乱が起きる度に、ヒューリの伯父、すなわちハミル将軍の兄が、町の広場の真ん中で鞭を打たれた。その横には、まだ幼い王子が立たされていた。


「貴様らは、また罪を犯すと言うのか? 貴様らの英雄を、もう一度殺すと言うのか?」


 逃亡者はいなくなった。

 反乱もなくなった。

 自分たちの罪、自分たちの愚かな行いを悔いながら、クランの民は生きていくことになったのだった。



 淡々と話していた伯父が、口を閉ざす。

 ヒューリが、唇を噛んで目を閉じる。


 分かっていたことだった。

 ヒューリの父の処刑も、ヒューリの家族の殺害も、すべてはキルグが仕組んだこと。

 伯父も言っていた。父も気付いていた。ヒューリもそう思っていた。


 だが、それをクランの民が悔い、恥じているとは思ってもみなかった。

 キルグ兵に罵られても、馬鹿にされても反抗しない。罪を背負い、自分たちを責めながら生きている。


 クランの民は大罪人だ


 鉱山で、男がそう言っていた。

 鉱夫たちが、力なくうつむいていた。


 表現できない感情がヒューリの中で荒れ狂う。

 どうしたらいいのか分からない。何を言ったらいいのか分からない。

 目を閉じたまま、苦しそうに、ヒューリが下を向いた。


 その手に、そっと手が重なる。

 驚いて、ヒューリが目を開けた。

 ブルーの瞳が震えている。ブルーの瞳が、泣き出しそうにヒューリを見ている。


 ヒューリが、緊張を緩めた。


「大丈夫だ」


 ヒューリが言った。


「心配すんな」


 ヒューリが微笑む。

 ホッとしたようにシンシアも微笑む。

 二人を見て、伯父も微笑んだ。


「では、続きを話そう」


 伯父が語り始めた。



「魔力を奪う石。貴様は聞いたことはあるか?」

「ございません」


 後ろに控える兵士が答えた。

 それを聞いて、司令官が振り向く。


「貴様が知らぬとは、相当珍しいものなのだろうな」


 密偵、すなわち情報収集のプロ。その男が知らないと答えた。

 魔力を奪うとは言っても、触れ続けてでもいない限り大きな影響がある訳ではなかった。この性質を利用できる場面はそう多くないだろう。しかし、貴重なアイテムには違いない。

 石に触れないよう、リングをつまみながらそれを見つめる司令官が、ぽつりと言った。


「呪いのアイテムか」

「は?」


 男が首を傾げる。


「物語に出てくるだろう? 持つ者に災いをもたらすアイテムのことだ」

「……」


 密偵の男は現実主義者。空想上のアイテムの存在など信じてはいなかった。

 司令官に笑みはない。本気なのか冗談なのか、その顔から読み取ることはできなかった。


「本国に送りますか?」


 男が聞く。


「うーむ」


 しばらく考えて、司令官が答えた。


「素性の知れない怪しいものを、本国に持ち込む訳にはいかぬ。こういうものは、あの男に調べさせるのがよかろう」

「あの男……。エルドアにいる、あの男でしょうか?」

「そうだ」

「あの男に指輪を届けるのは、誰が……」

「貴様に決まっているだろう」


 淡々と答えていた男の顔が、はっきりと歪む。

 その顔を見て、司令官が軽く笑った。


「指輪を渡すだけでよいのだ。いくらあの男でも、貴様を取って食いはせぬだろう」

「……」


 明らかに気乗りのしない顔に、司令官が強く言った。


「すぐエルドアに向かえ。貴様の休暇は、その仕事が終わってからだ」

「……かしこまりました」


 指輪を受け取り、表情を隠すように恭しく頭を下げて、男はその場を離れていった。



 語り終えた伯父が、ヒューリを見る。

 目を見開き、言葉を失うヒューリを悲しげに見つめた。


 クランから逃亡の途中、イルカナ南の峠道で遭遇した男。商人を装っていたキルグの密偵。

 なぜキルグの密偵がそんな場所にいたのか、それを疑問に思ったことはあった。しかし、当時のヒューリにとってそれは些細な疑問だった。当時のヒューリの心は、そんな疑問よりもはるかに大きな悲しみに覆われていた。


 ヒューリが密偵を倒した後、山賊たちがその荷物を漁っていた。石は、おそらく山賊の誰かが持っていたはずだ。

 ヒューリは、奪った荷物に興味を示さなかった。奪ったものを見ないようにしていた。だから、山賊たちが何を持っているのかを知らなかった。


 運命のいたずら。


 そんな言葉で言い表せるのだろうか。

 石を持っていた男を、ヒューリが倒したのだ。

 石を持った山賊と、ヒューリは一緒に過ごしていたのだ。


「それらしき石を、見たことはないか?」

「……分かりません」

「そうか」


 伯父はそれ以上問わなかった。

 ヒューリもそれ以上答えなかった。

 シンシアも、掛けるべき言葉を見付けられなかった。


 息苦しい時間が過ぎていく。

 やり切れない思いが膨らんでいく。


 ふと。


「これまでわしは、運命というものを信じていなかった。すべての出来事は、一つ一つの選択の結果だ。奇跡のように思える出来事も、偶然が重なった結果であって、何かに導かれたものなどではない。そう思っていた」


 二人が顔を上げた。


「だがな」


 ヒューリを見つめて、伯父が言った。


「山賊と共に暮らすという、普段のお前ではあり得ない選択をしたからこそ、今の会社に入ることができた。だからこそ、お前はロダン殿とのつながりを得た。そしてお前は、神殺しを知った」


 大きな手がヒューリの手を握る。


「ハミルがなぜロダン殿に神殺しのことを話したのか、今となっては分からぬ。しかし、こんな経緯でお前に伝わることなど、ハミルは想像すらしていなかっただろう」


 ヒューリが頷く。


「ヒューリは、シンシア殿とも巡り会った」


 大きな手が、シンシアの手を握る。


「二人を見ていれば分かる。二人には、強い絆がある。絆を結ぶことのできる相手と出会えたことは、それだけで非常に幸運なことなのだ。この絆は、二人が困難にぶつかった時に、それを打ち破るための大きな力になるだろう」


 シンシアが大きく頷く。


「ヒューリが今ここにいること、シンシア殿と二人でここにいるということは、選択の結果などではない。偶然の積み重ねなどという小さなことではないのだよ」


 やつれた頬に赤みが差す。

 赤い瞳に輝きが宿る。


「わしは、今確信している。二人が共にここにいること、それはな」


 力強い手が二人を包んだ。

 

「奇跡なのだ。人知を超えたお導き。これは、本物の奇跡なのだ」


 力強い声で伯父が言った。


「信じなさい。お前たちは導かれている。お前たちなら、必ず石に辿り着ける」


 二人の目が大きく広がっていく。

 神官が告げる宣託のように、言葉が心を震わせる。


「さあ、行きなさい」


 二人の手をとり、二人を立ち上がらせて、伯父が微笑んだ。


「表の騒ぎも収まってきた。ここを離れる機を失ってはならない」


 二人が伯父を見つめた。


「気を付けてな」

「はい」


 ヒューリが答えた。


「ヒューリのことを、頼みます」

「はい」


 シンシアが答えた。

 伯父と抱き合い、微笑みを交わして、二人はバルコニーに出る。

 見守る伯父を振り向くことなく、先程と反対の順序で二人は尖塔の下に降り立った。


「行くぞ」

「うん」


 頷き合った二つの影は、あっという間にその場から消えていった。

 二人が消えていった暗闇を見つめて、伯父がつぶやく。


「あの二人に、神のご加護があらんことを」


 小さく言って、伯父は静かに目を閉じた。

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