父の決断

「ご無事で何よりです、伯父上」

「ヒューリ!」


 ひらりと部屋に入ってきたヒューリを、伯父が抱き締めた。


「よかった、よかった!」


 声は抑えている。それでも、溢れる感情は抑え切れない。溢れる涙が、ヒューリの頬をとめどなく濡らていく。

 伯父は、痩せていた。最後に会った時より明らかに痩せていた。その苦難を思い、その暖かさに再び触れることができた喜びで、ヒューリも泣いた。


 泣きながら抱き合う二人が、部屋に入ってきたシンシアを見て身体を離す。


「ヒューリ、こちらは?」

「私の同僚で、シンシアと言います」


 紹介されて、シンシアがぺこりと頭を下げた。


「同僚? ヒューリ、お前は今……いや、まずは座ろうか」


 小さなテーブルからイスを二つ持ってきて、ベッドの近くにそれを置く。


「すまないが、私も座らせてもらうよ。どうにも体力が落ちてしまってね」


 苦笑いとともに、伯父がベッドに腰掛けた。

 イスに座る二人に向かって伯父が言う。


「表の騒ぎは、お前たちが起こしたのか?」

「そうです。クランの常識を、キルグの奴らに教えてやりました」


 不敵に笑うヒューリに、伯父が苦笑する。


「騒ぎに驚いて、扉の向こうにいた見張りも慌てて下りていったよ。今なら声を潜めなくても大丈夫だろう」


 二人が頷く。


「末の王子もご無事と聞いたのですが」


 ヒューリの言葉に、驚きながら伯父が答えた。


「そうだ。東の塔に幽閉されている」

「やっぱり」


 東西にある二つの尖塔。人を閉じこめておくならそこしかないと、ヒューリは睨んでいた。


「わしや王子のことなど、お前はいろいろ知っているようだが」


 伯父の声が、一段低くなる。


「ヒューリ。まずは、ここに忍び込んできた経緯を聞かせてくれ」


 ヒューリと同じ赤い瞳が鋭く二人を見た。

 ヒューリが小さく微笑む。


 伯父の目は、まだ死んでいない


「分かりました」


 ヒューリが話し出す。軟禁されていた山荘が暴徒に襲われてから今に至るまで物語を、手短に説明していった。

 聞き終えた伯父が、ヒューリに聞いた。


「そうか……。ではヒューリ。お前は今、幸せなのだな?」


 自信を持ってヒューリが答えた。


「はい。私は、幸せに生きています」


 伯父が、ゆっくりと息を吐き出していく。その目に再び涙が滲む。

 それを指で拭って、伯父は顔を上げた。


「お前をここに差し向けたロダン殿には、感謝半分恨み半分というところだが」


 姿勢を正して伯父が言う。


「キルグがお前の幸せを再び奪う可能性があるというのなら、やはり話さなければならんのだろうな」


 引き締まる顔を見て、二人も姿勢を正した。


「ロダン殿の言う通り、お前の父ハミルは、神殺しを受け継ぐ者だった。そしてわしは、たしかに石を持っていた」

「持っていた?」


 ヒューリが問う。

 それには答えずに、伯父が言った。


「ヒューリ、その双剣を貸してくれ」

「はい」


 ヒューリから双剣を受け取ると、鞘に剣を納めたままで、その柄頭をヒューリに見せる。


「ここに窪みがあるのはお前も知っているだろう?」

「はい」


 双剣のそれぞれの柄頭。そこに、少しずつ形の違う窪みがある。


「ここに石をはめるのだ。すなわち、石は二つある」

「やはりそうだったんですね」


 ロダン公爵から聞いた通りだった。これまであまり気にしてこなかったその窪みを、ヒューリが見つめる。


「二つの石を正しくはめると、双剣が輝き始めると言われておる。そして役目を果たした時、剣は輝きを失い、石が外れる」

「役目を果たした時?」


 首を傾げるヒューリに、伯父が頷いた。


「クランから見て西北西、カサールもイルカナも、コメリアの森も超えたその先に、いくつかの国がある。その中の国の一つが、神器を持っていたのだ」


 驚きながらも、ヒューリは黙って続きを待つ。


「神器は杖だった。その杖は、ひと振りするだけで、第五階梯級の火の魔法が発動できるという代物だったらしい」

「ひと振りで第五階梯!?」

「そうだ。しかもそれは、単体の敵に向けることも、広範囲を攻撃することもできたという」


 火の魔法の第五階梯は、ヒューリも目の前で見ている。フェリシアが使った範囲攻撃魔法、メテオバースト。半径百メートル内の魔物が、炎に包まれながら吹き飛んでいった。

 それを単体の敵に向けたすれば、その威力は想像に難くない。

 範囲攻撃魔法だとしても、単体対象の魔法だとしても、それをたったのひと振りで発動できるなど、考えただけでも恐ろしい。


「その神器の持ち主、すなわちその国の王を監視するために、我が一族は、その国の王都に住んでいたのだ」

「そうなのですか?」


 それも初耳だった。

 父も伯父も、一族の歴史について語ることはなかった。ゆえにヒューリは、一族が代々クランに住んでいるものと思い込んでいたのだ。


「神器は、その使い方が人間の側に委ねられている。結果的に神器は、過去幾度も暴走を繰り返してきた。それを見て、神は神器を作ったことを悔いた。ゆえに神は、神殺しを作り、それを我が一族に授けた。以来、神は人と話すことをやめた」

 

 信じられないような話ばかりだ。ヒューリの隣でシンシアも目を丸くしている。


「神殺しが作られた時点で、この世界には七つの神器があった。それが暴走する度に、我が一族はそれを滅してきた。三つ目の神器を破壊した後、一族は先ほど話した国に移り住んだ。当時の一族は、その王とその神器を危険な存在と判断したのだ」


 第五階梯をひと振りで発動できる杖。たしかにそれは、人を狂わせる可能性があったに違いない。


「今から百十五年前、ある事件をきっかけに、その国が隣国に攻め入った。王は容赦なく杖を振るい、兵士ばかりか、町や村、そこに住んでいた多くの民をも焼き払った。圧倒的な力の前に、隣国はなす術がなかったそうだ。王族はどこかへと落ちていき、そして隣国は滅んだ」


 百十五年前。西の国。

 頭の片隅で何かが引っ掛かったような気がしたが、ヒューリはそのまま話を聞き続ける。


「我が一族は、それを見て決断した。当時の受け継ぐ者が、凱旋してきた王を急襲して神器を破壊し、そしてその地から去ったのだ」


 伯父の視線が落ちる。

 悲しげに、手に持つ双剣を見つめた。


「神器を破壊してしまえば、それは二度と元に戻らない。だから、どうしても破壊を躊躇う。しかし、その躊躇いが多くの人の命を奪うことになってしまった。事が起こる前に神器を破壊していれば……。我が一族は、ずっとそんな後悔をしながら生きてきたのかもしれぬ」


 神器を使うのも人なら、神殺しを使うのも人。

 使い方も使う機会も、すべてを人が判断しなければならない。常に最良の判断をできる人間などこの世にはいないだろう。


「神器を破壊した時、双剣から石が離れた。輝きを失った剣と石を持って、一族はこの地にやってきた。お前が生まれたのは確かにこのクランだが、もともと我が一族に、定住の地というのはないのだよ」


 知らなかった。ヒューリは、本当に何も知らないまま生きてきた。

 複雑な表情のヒューリを見て、しかし伯父は、声を掛けることなく話を続けた。


「現在の監視対象は、キルグの皇帝が持つ神の鎧だ。しかし、鎧という性質上、どんなにそれを悪用しようとも、一度に多数の命が奪われることはない。ゆえに先祖の方々は、キルグの帝都ではなく、少し離れたこの場所からそれを見ていようと考えた」


 神器を纏う皇帝は誰も傷付けることができない。皇帝がいることで、キルグの兵士の士気は上がる。それがキルグの版図拡大の源泉となっているのは間違いないが、それだけで神器が暴走しているとは言い難い。

 神の鎧は、評価の難しい神器と言えた。


「残っている神器は三つある。一つは神の鎧。もう一つは、エルドアの神の石。そして最後の一つは、北の国の民に授けられたという神の剣だ」

「神の剣?」


 ヒューリが思わず聞き返す。

 シンシアが無意識に身を乗り出す。


「そうだ。しかし神の剣は、北の国の伝承に残るのみで、誰もその在処を知らぬ。わが一族でさえ、その形すら分かっていない幻の神器なのだ」


 二人が顔を見合わせた。

 それを不思議そうに見て、だが特に問うことをせずに、伯父が続ける。


「今わしが話したことは、本来なら、お前やお前の弟にすべて伝えるべきだったのだろう。だが」


 話が途切れた。伯父が、手元の双剣をじっと見つめて黙り込む。

 やがて。


「ハミルは、ずっと迷っていた」


 小さな声で、伯父が話し始めた。


「キルグの神の鎧は、破壊するという判断に至らないかもしれない。エルドアの神の石は、長い間平和のために使われていて、破壊の対象になることはないだろう。残る神の剣は、所在すら分かっていない。つまり、神殺しを使う機会はもう来ないのではないか。神殺しはもう不要なのではないか。そんなことを、幾度もわしに話していたのだ」


 伯父が、寂しそうに微笑んだ。


「だからハミルは、お前にも、お前の弟にも伝えなかった。そして結局、伝えることなくあいつは死んでしまった」


 ヒューリは、父から”家宝”として双剣を受け継いだ。

 最後まで迷い、そして父は、伝えないことを決めたのだ。


「受け継ぐ者としての責任を、ハミルは放棄した。それをわしも受け入れた。ハミルが処刑されたのも、わしがこうして囚われているのも、その報いなのかもしれぬな」

「そんなことは……」

 

 ヒューリが言い掛けるが、続く言葉はない。


 神の鎧を破壊していれば、父がキルグに謀殺されることも、クランが滅びることもなかったのかもしれない。

 だが、西の国の杖と違って、神の鎧が暴走した訳ではないのだ。

 キルグと戦い続けてきた父が、悩み、迷い、そして下した決断。


 伯父がうつむく。ヒューリもうつむく。

 伯父もヒューリも、口をつぐんだまま、自分の手元をじっと見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る