ゴブリンvsフェリシア

 一行は、暗くなる前に進むのを止めて、道から少し外れた林の中で夜営の準備に入った。

 この街道筋には、宿はないものの、旅人のための小屋がいくつかある。だが、その小屋で夜を明かす人はあまりいない。なぜなら、山賊たちの格好の的になってしまうからだ。しっかりとした護衛のいる商隊以外は、目立たない場所で野宿をするのが普通だった。

 フェリシアが、夜営で使う道具をマジックポーチから取り出していく。ミナセとフェリシアの実力は伏せられていたが、マジックポーチの存在は隠さなかった。これが使えないと、旅が不便で仕方なかったからだ。


「凄い! これってどんな物でも入るの?」


 目を輝かせるアルバートに、フェリシアが答える。


「ここを通る物なら、何でも入れることができます」


 ポーチの口を広げるフェリシアは、こちらもまた、違う意味で目を輝かせていた。


 やっとこの時が来たわ!


 屋敷を出発して以来最大のチャンス。

 ここぞとばかりに、フェリシアがポーチの説明を始めた。


「マジックポーチは、とても貴重なアイテムなのです。その中は特殊な魔力が満ちていると言われていて……」


 滔々とフェリシアが語る。

 その話に、突然魔術師が食い付いてきた。


「それに生き物を入れることはできるのか?」

「いいえ、それは……」

「それをどこで手に入れたのだ?」

「えーと……」

「ポーチにも性能の差はあるのか?」


 中をのぞき込みながら、次々と魔術師が質問を浴びせてくる。

 気が付くと、アルバートがいない。見れば、夕飯の準備をするクロエの横にくっついて、その手元を感心したように見ている。

 顔を引きつらせながら説明するフェリシアに、ミナセが同情の視線を送っていた。


 夕食が終わったみんなは、焚き火を囲んでお茶を飲んでいた。お腹が満たされて、誰もが何となくぼうっとしている中、アルバートだけはどこか落ち着かない様子だった。


「山には賊がいると聞いたが、大丈夫なのか?」


 初めての夜営。しかも、ここは山の中。子供でなくとも不安になるのは当然だ。

 剣士が、努めて穏やかに説明をする。


「この街道沿いで、山賊の被害に逢ったという話はほとんど聞きません。仮にいたとしても、私一人で討伐できる程度の小さな集団でしょう」

「魔物はいないのか? 獣はどうなのだ?」

「この先一カ所だけ、魔物の発生場所の近くを通ることになります。ただ、そこには弱い魔物しかおりません。山賊同様問題にはならないでしょう。獣については、焚き火を絶やさない限り襲ってくることはありません」


 淀みない剣士の答えに、アルバートは少し安心したようだ。

 その顔を、ほかの大人たちが静かに見つめている。それを見て、怖がっていたのが自分だけだと気付いたアルバートは、恥ずかしそうにうつむいた。

 その目が、胸のやや下にあるふくらみを見る。首からぶらさげて、服の下に隠してあるそれを、アルバートがそっと取り出した。


「何かあった時は、僕の命より、この石を守ることを優先してほしい」


 母が作ってくれた、小さな巾着袋。それを握り締め、ちょっと取り繕うようにアルバートが言った。

 王の一族に生まれた者が、幼い頃から教えられること。


 神の石は、王の命よりも重い


 それが当然と言われて育ったアルバートに悲壮感はない。周りにいる五人の方が、その言葉で顔を引き締める。

 健気なその姿に、フェリシアが思わず言った。


「ご安心ください。アルバート様もその石も、私が必ずお守りいたします!」


 気迫のこもった表情で、フェリシアが身を乗り出した。

 みんなが驚く。

 ミナセがすかさずフォローする。


「という覚悟を持って、ご案内をさせていただきます」


 フェリシアがハッとする。

 苦笑を抑えてミナセが微笑む。


 頑張り続けたフェリシアの一日が、こうして終わった。



 翌日。

 山道は、徐々に傾斜がきつくなっていった。アルバートの歩くペースも自然と遅くなる。一行は、昨日よりさらにこまめに休憩を取りながら、ゆっくりと山越えに挑んでいった。

 何度目かの休憩の時、フェリシアがぼそっとこぼす。


「これでも私、ミアといる時は、結構しっかりしているのよ」

「?」


 ミナセが首を傾げた。


「それなのに、今回は全然ダメダメ。きっと、ミナセが一緒だからよね」

「人のせいにするな」


 冷たく言われて、フェリシアが頬を膨らまる。

 フェリシアも、もちろん本気で言っている訳ではない。半分は冗談だ。

 だが、半分は本当のことなのかもしれなかった。

 ミナセといると安心できる。ミナセには何となく頼ってしまう。

 それが全てでないにせよ、この旅のフェリシアは、どこか油断をしているところがあるようにも見えた。

 ため息をついて、フェリシアがつぶやく。


「何かきっかけはないのかしら」


 落ち込みながらもまだチャンスを狙っているフェリシアに、ミナセは掛ける言葉を見付けられない。


「そろそろ出発だ」


 剣士の声で、ミナセが立ち上がった。

 拳を握り、気合いを入れ直して、勢いよくフェリシアも立ち上がった。


 そんなフェリシアに、とうとうビッグチャンスが訪れる。

 それは、山の中腹に差し掛かった頃。先頭を行く剣士が、後ろを振り向いて言った。


「まもなく魔物が発生する場所の近くを通ります。怪しいものを見付けたら、すぐに教えてください」


 アルバートとクロエが堅い表情で頷く。


「索敵を頼むぞ」

「了解だ」


 最後尾の魔術師が、魔力を引き上げながら答える。

 一気に緊張感が高まる中、フェリシアが小声でミナセに言った。


「二百メートル先、道の右側に反応。数は五くらい。人じゃなくて、たぶん魔物ね。でも、大して強くないと思うわ」


 ミナセが目だけで頷く。


「それと」


 フェリシアが、少し集中してから続けた。


「同じく二百メートル先の左側に、反応が一つ。私かミナセなら瞬殺レベルだけど、あの二人だと、ちょっと苦戦するかも」


 同じく目で頷いて、ミナセも集中を始めた。

 後ろを歩く魔術師の索敵範囲は、半径百メートル。だが、ここは両側に林が続く山道。魔力の届く範囲はどうしても狭くなる。フェリシアでさえ、二百メートル先までしか索敵できなかった。魔術師が魔物に気付くのは、かなり接近してからになるだろう。

 この後予想される展開を、ミナセが考える。アルバートたちとは違った意味の緊張感を漂わせながら、ミナセは山道を登っていった。


 ペースを落として一行は進む。不審な影、物音、気配に注意しながら一行は進んでいった。

 やがて。


「前方五十メートルに反応! 左に一つ、右に……およそ五!」


 最後尾から鋭い声が聞こえた。


「魔物か? 強さは?」


 歩みを止めて、剣士が振り返る。


「両方とも、おそらく魔物だ。右の五体は大したことないが、左の一体は手強いかもしれん」

「分かった」


 前に向き直って、剣士が考え込む。その後ろで、ミナセは辺りの地形を確認していた。

 道は、これまでと変わらずやや急な登り。斜面では、上から攻める方が有利だ。戦うなら、魔物の間をすり抜けて上に位置を取る必要がある。

 両側は、木の間隔がまばらな林。位置取りさえ間違わなければ戦うのに支障はない。


 さて、剣士はどう判断する?


 ミナセがその背中に注目した、その時。


「ちょっとまずいわね」


 フェリシアが、眉間にしわを寄せた。


「左の魔物は匂いに敏感みたい。私たちに気付いているかもしれないわ」

「なに?」


 驚いたミナセが先を見上げる。

 その黒髪が、風に揺れていた。


 谷風か!


 山では、夜になると風が下に向かって吹くことがある。これを山風という。

 逆に昼間は、下から上に向かって風が吹くことがある。これを谷風という。


 風はそれほど強くない。それでも、ミナセの髪を揺らすほどには吹いている。匂いに敏感な魔物なら、五十メートル先からでも気付く可能性は十分あった。


「左の魔物が近付いてくるわ。釣られて右の魔物たちも下りてくる」


 フェリシアが言った、直後。


「まずいぞ。魔物たちが近付いてくる!」


 魔術師が叫んだ。


「左のやつが走り出した。かなり速い!」

「くそっ!」

 

 剣士が抜剣した。


「魔法で牽制しろ! ほかのみんなは下がって!」


 魔術師が前に出る。ほかのみんなが後ろに下がる。

 剣士と並んだ魔術師が詠唱を始めた。それと同時に、二十メートル先の左側から魔物が道に飛び出してきた。


「熊!」


 アルバートが叫ぶ。


「正確には、ブラッディベアね」


 フェリシアが冷静に訂正した。

 この街道筋でも、ブラッディベアの目撃情報は時々あった。

 ブラッディベアは獲物を追う習性がある。何かを追ってたまたまこの場に現れたのだと思われるが、一行にとっては運が悪かった。

 向かってくる朱色の顔は、まるで鮮血を浴びたかのようだ。おぞましい姿からその名があるが、実際には、見た目よりその性格が問題だった。


「あの子、凶暴な上に、絶対逃げてくれないのよねぇ」

「ということは?」

「倒さないといけないってこと」


 その言葉が終わらぬうちに、魔術師の声が響き渡る。


「ファイヤーボール!」


 直径三十センチを超える炎の玉が放たれた。それは、突進してくるブラッディベアを見事に直撃した。


「ガアアァァァ!」


 うなり声を上げながら、ブラッディベアがもんどり打って地面に倒れ込む。


「やったか!?」


 剣士が身を乗り出した。


「無理ね。あの子、頑丈だから」


 小さな声でフェリシアが言う。

 その言葉通り、ブラッディベアは、ふらつきながらも立ち上がった。

 魔物に血は流れていない。顔面の血のようなものはあくまで模様なのだが、魔法の直撃を受けてなお立ち上がるその姿は、見る者に恐怖を感じさせた。


「クロエ!」

「アルバート様!」


 名を呼び合いながら、二人が抱き合う。


「近付けさせるな!」

「おう!」


 剣士と魔術師が走り出す。

 ブラッディベアに向かう二人を見ながら、またもや冷静にフェリシアが言った。


「右から五体来るわ」

「そうだな」


 林の中を、魔物がやってくる。その気配をミナセも捉えていた。

 前方で戦う二人は、ブラッディベアに集中していて気付いていない。


 さて、どうするか


 ミナセが考え始めたその時。


「任せて!」


 フェリシアが言った。

 キラキラな目で言った。


「フェリシア、いったい何を……」


 言い掛けたミナセの前で、フェリシアが、太い木の枝を拾う。


「おい、それ腐り掛けて……」

「いいの!」


 嬉しそうに腐り掛けの枝を握る。

 そして。


「アルバート様、右手から魔物が来ます!」

「えっ!」


 驚くアルバートの目に、魔物の姿が飛び込んできた。

 それはゴブリン。それが五体。


「ご安心ください。私がお守りいたします!」


 フェリシアがゴブリンへと向かう。とっても嬉しそうに向かっていく。

 駆け出したその背中を、ミナセが冷たい目で見つめていた。


 五体のゴブリンが、棍棒を振り上げながらフェリシアに向かってくる。


「ここは通さない!」


 ちらりとアルバートを振り返ってから、フェリシアが木の枝を構えた。

 アルバートもクロエも、目を見開いたまま動けない。

 案内役でしかないフェリシアが、勇敢にも武器を取って魔物に立ち向かっている。自分たちを守るために、女性の身でありながら魔物と戦おうとしている。

 剣士たちは、ブラッディベアに掛かり切りだ。とても助けに来られないだろう。


「フェリシア!」


 アルバートが叫んだ。


「はい!」


 フェリシアが答えた。

 そのフェリシアに、ゴブリンの棍棒が振り下ろされた。フェリシアがそれを、木の枝ではなく、なぜか左腕で受け止める。


 ドゴッ!


 鈍い音がした。


「フェリシア!」


 アルバートの悲痛な声がした。


「痛い!」


 フェリシアが悲鳴を上げた。


「嘘をつけ」


 ミナセが、呆れたようにつぶやいた。

 無防備に見えるフェリシアの左腕には、しっかりとシールドが張られている。シールドは、一面または全方位に張るのが普通だ。それをフェリシアは、器用にも左腕だけに集中させていた。

 そもそも、そんな面倒なことをしなくても、フェリシアならゴブリンの攻撃くらい楽勝で避けられるはず。

 それなのにフェリシアは、シールドを張った左腕でゴブリンの棍棒を受け止め続けていた。

 五体のゴブリンに囲まれて、フェリシアが殴られ続ける。フェリシアの左腕だけがひたすら殴られ続ける。

 一方的に殴られていたフェリシアが、木の枝を振り回した。突然の反撃に、ゴブリンたちが後ずさる。

 ゴブリンたちの中心で、フェリシアが木の枝を振り上げた。


「負けないわ!」


 木の枝が、正面のゴブリンに振り下ろされた。


 バキッ!


 腐り掛けていた木の枝が、当然の如く砕け散る。


「あっ!」


 アルバートの声がした。


「何ですって!?」


 フェリシアの驚く声がした。


「あはは……」


 ミナセは半笑い。

 殴られたゴブリンは、一瞬ふらついただけで、ダメージなどほとんどない。それを見て、仲間のゴブリンが再び攻撃に出た。

 ピンチを迎えたフェリシアは、周りを素早く見回すと、近くに落ちていた木の枝を拾った。それは、先の尖った細い枝。それを、最も近くにいたゴブリンに向ける。


「やあぁ!」


 気合いと共に、フェリシアが体ごとゴブリンにぶつかっていった。


 ザクッ!


 木の枝が、見事にゴブリンに突き刺さる。

 次の瞬間。


「ギャアァ!」


 断末魔の声を上げて、ゴブリンが地面に崩れ落ちた。

 微かな光を放ちながら、ゴブリンが魔石へと姿を変えていく。


「やった!」


 歓喜のアルバートを、フェリシアが振り返った。

 めちゃめちゃ得意げな顔で、フェリシアが振り返った。


 あんな細い枝を刺したくらいで、ゴブリンは倒せない。フェリシアは、間違いなく攻撃魔法を使っている。

 細い枝を折らずに突き刺すことも、ミナセでさえ種類を特定できないほど瞬間的に魔法を放つことも、とんでもなく高次元な技術と言えるのだが、それがアルバートたちに分かるはずもなかった。


「フェリシア、右!」

「はい!」


 フェリシアが、右のゴブリンに枝を突き刺す。


「後ろ!」

「はい!」


 アルバートの声に答えながら、フェリシアが振り返る。

 フェリシアは、間違いなく敵の位置を把握している。それなのに、アルバートの声を待ってから動いている。


「あいつって、やっぱり凄いな」


 ここまで来ると、ミナセも感心するしかない。

 左腕で攻撃を受け止め、細い枝でゴブリンを倒しながら、フェリシアは戦い続けていた。


「さてと、あちらは」


 ミナセが視線を変える。その先では、剣士と魔術師が戦っている。

 だが、それもそろそろ終わりのようだ。


「とどめだ!」


 剣が、ブラッディベアの腹に深々と突き刺さった。

 同時に、魔術師がゼロ距離から魔法を放つ。


 どさりと音を立てて、巨体が地面に横たわった。その体が魔石へと姿を変える。

 肩で息をする二人は、しかし休むことなくフェリシアの助けに向かった。

 それを、まさに待っていたかのように。


「これで終わりよ!」


 最後の一体をフェリシアが倒した。

 五体いたゴブリンが、ついに全滅した。


「フェリシア!」


 アルバートが駆け寄ってくる。


「はい!」


 両手を広げてフェリシアが迎え入れる。

 大きな胸に飛び込んで、ひとしきりフェリシアを抱き締めた後、顔を上げてアルバートが聞いた。


「大丈夫なの? 腕は痛くない?」


 思いっ切り抱き締め返していた両腕を、ちょっと残念そうに緩めながら、フェリシアが答える。


「大丈夫です。それより、アルバート様におケガはありませんか?」

「僕は大丈夫。だって、フェリシアが守ってくれたから」


 かあぁぁぁっ!


 フェリシアの頬が歓喜に染まる。


「そ、そんな。剣士様たち方が、もっと大変な思いを……」

「そうだね。でも、フェリシアも凄いよ!」

「は、はいっ!」


 フェリシア、絶頂。


「クロエ、フェリシアにポーションを」


 クロエが慌てて動き出す。


「二人とも、よくやってくれた」


 剣士と魔術師がアルバートにひざまずく。

 厳しい戦いを乗り越えたみんなを、半笑いのままミナセが眺めていた。

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