作戦開始!
「先王の遺志を継ぎ、我が国の繁栄と国民の安寧のために、全身全霊を捧げることをここに誓う。エルドアに、神のお導きのあらんことを!」
「新国王陛下、ばんざーい!」
「ばんざーい!」
石を掲げて宣誓する新国王に、広場を埋め尽くした群衆が熱狂する。
その人混みの中に、異質な影が二つあった。
「あの石は偽物だな」
「まさか!」
「神器には、独特の気配がある。だが、あれからは何も感じない。おそらく、あの王も選ばれし者ではないだろうよ」
「では、本物の王は……」
「先王が死んだ後、領地を離れた王族はいるか?」
「そう言えば、先王の甥のアルバートが、療養のために屋敷を出たと聞きました」
「アルバート? たしか、まだ七、八才の子供だったな」
「はい」
「うーむ、これは思わぬ副産物かもしれぬ」
にやり
フードの奥の仮面が笑う。
「小僧がどこに向かったのかを探れ。おそらく、そいつが石を持っている」
「アルバートが?」
「石が王宮を出ることなどそうはない。この好機を逃してはならぬ」
「かしこまりました」
「わしは北西の牧場で待っておる。急げ」
「はっ!」
広場から、影が一つ消えていった。
「王は石が選ぶ。その仕組みが分かれば、神器は操れる」
つぶやきながら、もう一つの影も動き出した。
「相手は神、一筋縄ではいかぬだろう。だが」
仮面がまた笑う。
「だからこそ、研究のしがいがあるというものだ。何と言っても、時間はたっぷりあるのだからな」
群衆に背を向け、ぶつぶつとつぶやきながら、密やかに影は消えていった。
山道とは言え、いちおうは街道と呼ばれている道。馬車は無理でも、歩くのに支障ない程度には整備がされている。
前にも後ろにも人はいない。それでも一行は、念には念を入れて、フードや帽子で顔を隠しながら進んでいた。
「アルバート様、お疲れではありませんか?」
「大丈夫。僕のことは気にしないでいい」
気遣うクロエに、アルバートが笑ってみせる。
「かしこまりました。でも、決して無理はなさらないでください」
「分かった」
気丈な答えにクロエも笑顔を返すが、その目はやはり、心配そうにアルバートを見つめていた。
アルバートはまだ八才。その体力は、大人に遠く及ばない。先頭を歩く剣士も、アルバートとの距離に気を付けながら歩いている。
山越えには危険が付き物だ。できるだけ早くイルカナ側の平地に出たいところだが、あまりペースを上げる訳にもいかない。一行は、こまめに休憩を取りながら、時間を掛けて山を登っていった。
その状況を、密かに歓迎しているメンバーが、一人いた。
「ミナセ、大丈夫?」
村を出てしばらく経った頃、フェリシアがミナセに声を掛けた。
「大丈夫だ。心配掛けてすまない」
フェリシアを見て、しっかりとミナセが答える。
すでにミナセは、未練を断ち切って仕事に集中し直していた。
「何かあったら何でも言ってよね」
「ありがとう」
「ほんとにほんとだからね」
「分かった。必要な時は、ちゃんとフェリシアを頼るようにするよ」
フェリシアが、しつこいくらいに確認をする。
ミナセが、いつもの顔で笑ってみせる。
その顔を見て、安心したようにフェリシアも笑った。
そしてフェリシアは、心置きなく行動を開始した。
位置を後ろに下げて、フェリシアが言った。
「アルバート様、お疲れではありませんか?」
「……大丈夫。心配しないでくれ」
やや間を空けてアルバートが答える。
その会話を聞いて、ミナセは苦笑い。
アルバートは、ほんの少し前に、同じ事をクロエに答えたばかりだ。心の動きを感じることのできるミナセには、後ろにいるアルバートの顔が目に見えるようだった。
しかし、そんなことで弱気になるフェリシアではない。
「アルバート様は、普段どんなご本を読まれるのですか?」
仲良くなる作戦、本格始動である。
アルミナの教会で、フェリシアは子供たちに本の読み聞かせをすることが多かった。おとぎ話や童話の類は、かなりの数が頭に入っている。
どんな題名が出ても、盛り上げてみせるわよ!
気合いの入ったフェリシアに、アルバートが答えた。
「最近読んだのは、”政治と民衆”という本だ。上に立つ者としての心得を学ぶことができる、とてもいい本だった」
「そ、そうですか」
第一弾不発。
だが、フェリシアは諦めない。
アルバート様は次期国王。普通の子供とは違うんだわ
それなら!
「さすがはアルバート様。よくお勉強をされていらっしゃるのですね」
と、切り返しておいて。
「では、”統治と謀略”という本はもうお読みになりましたでしょうか? 国民感情を操作するための情報の広め方や、諜報活動のあり方、権力を維持するための様々なノウハウが書かれた、とても参考になる本なのですが」
「……いや、読んでいない」
第二弾失敗。
アルバートが渋い顔をする。
クロエが目を丸くする。
ミナセが慌て出す。
フェリシアの闘志に、火がついた。
これもだめなの?
でも、まだまだ!
「では、アルバート様……」
「ところでっ!」
突然ミナセが割って入っていった。
これ以上続けては、フェリシアが”変な人”認定されてしまう。そうなったら挽回不可能だ。
そうなる前に、流れを断つ!
ほんの一瞬、フェリシアが怯むほどの鋭い気を放って、ミナセはクロエに話し掛けた。
「クロエさんは、ご実家にはよくお戻りになるんですか?」
強引に話題を変えるべく、クロエに話を振る。口を尖らせるフェリシアを、ミナセが目で黙らせる。
二人の様子にちょっと驚きながらも、クロエが答えた。
「いいえ。じつは私、エルドアに来てから一度も実家に帰ったことがないんです」
恥ずかしそうにクロエがうつむく。
「手紙は時々送っていました。実家からも返事が来ていて、互いに近況は知らせ合っていたんですけど」
隣のアルバートをちらりと見て、クロエが話し始めた。
コメリアの森には、国と呼ぶにはあまりに小さな、しかしどこにも属せずに自治を保っている小国が五つほどある。その中の一つ、森の中では比較的栄えている国にクロエは生まれた。
栄えていると言っても、その生活水準は、イルカナの王都アルミナとは比ぶべくもない。幼い頃はそれが当たり前で育ったクロエも、時々やってくる商人たちの話を聞いているうちに、いつしか大きな町での生活に憧れるようになっていった。
好奇心が旺盛で、女の子の割に冒険心が強い。
十五才になって自分の将来を選ぶ時期が来た時、クロエは、家を出ると両親に宣言した。そして、顔見知りだった商人に頼み込んで、商隊と一緒に旅に出たのだった。
「今考えると、両親もよく承諾してくれたものだと思います」
懐かしむようにクロエが笑う。
アルバートは、その話を知っていたのだろう。時々頷きながら、クロエの話を聞いていた。
「でも、どうして隣国のイルカナではなく、エルドアに?」
ミナセが聞く。
フェリシアも、今はおとなしくクロエの話を聞いていた。
「それは」
二人をちらりと見て、少し言いにくそうにクロエが言う。
「森の人たちの、イルカナに対する感情は複雑なんです」
首を傾げるミナセに、クロエが説明した。
十年前、北の強国ウロルと東のイルカナの戦争が始まると、森の住人たちは、追い立てられるように西へと逃げていった。イルカナが、自国から出てコメリアの森に防衛線を張ったためだ。大国同士の戦場は、どちらの国の領土でもなく、コメリアの森だったのだ。
イルカナは、事前に森の住人たちに告知をした。補償金を払い、避難を支援するために軍も動員した。
納得しない者はもちろんいたが、イルカナ側が森の統治者たちを説得して、住民の大移動が始まったのだった。
一年にも及ぶ戦いの末、戦争はイルカナの勝利で終わった。しかし、その後結ばれた両国の条約によって、森は非武装地帯とされる。
もともと、コメリアの森はどちらの領土でもなかった。そこを非武装地帯とするなど、森の住人たちからすればふざけた話なのだが、この時も、イルカナは条約締結前に説明をしている。
ウロルが森に侵略してくることを防ぐために、どうか承諾してほしい
最初からウロルは、距離の離れたイルカナではなく、森の統治権を狙っていると言われていた。
イルカナの説得に、森は、またも頷いた。それは苦渋の決断だった。
森の東側、イルカナとウロルを結ぶ街道筋にはいくつかの宿場町が再建されたが、そこはイルカナとウロルの共同管理とされ、両国から派遣された役人が統治をしている。
宿屋とごく限られた店のみが営業を許されたその町に、大きな労働力は必要ない。加えて、イルカナの支援を受けている森の住人たちは、ウロルから疎まれていた。
戦争が終わってからも、住人たちのほとんどは、森の奥、西の地域での暮らしを余儀なくされたのだった。
「あの戦争で、森の住人に死者はほとんど出ませんでした。だから、森の人たちはイルカナに感謝をしています。でも一方で、どうしてもイルカナへのわだかまりを消せずにいるんです」
クロエは避難生活を経験していない。それでも、逃げてくる人たちの悲しそうな目はたくさん見てきた。
理屈では分かっていても、イルカナのやり方に納得できてはいなかったのだ。
「エルドアは、昔から治安が良いことで知られていました。だから私は、隣のイルカナではなく、初めからエルドアを目指したんです」
「そうだったんですね」
ミナセが申し訳なさそうに相づちを打った。
ミナセもフェリシアも、イルカナの出身ではない。十年前の戦争のことも、イルカナと森の関係についてもよく分かってはいなかった。
「すみませんでした。私、何も知らなくて」
「いいえ、お気になさらないでください」
頭を下げるミナセにクロエが微笑む。
「でも、私はエルドアに来てよかったと思っています。私にはもったいないお仕事に就くことができましたから」
クロエがアルバートに仕えることになったのは、一緒に旅をしていた商人が、アルバートの母親にクロエを紹介したことがきっかけだった。
アルバートの世話役を探していたところにやってきた異国の少女。不穏な空気が流れ始めていた当時、国内の誰ともつながりのないクロエは、まさに適任だったのだ。
「僕も、クロエがエルドアに来てくれてよかったと思っている」
真っ直ぐにクロエを見て、アルバートが言った。
「アルバート様……」
クロエが、恥ずかしそうに頬を染める。
「私も、アルバート様にお仕えできたことを光栄に思っています」
互いに微笑む二人を見て、ミナセとフェリシアも穏やかに微笑んだ。
「クロエ。これからも、ずっと僕のそばにいてくれるよね?」
「まあ」
八才の子供の無邪気な問いに、クロエは少し困り顔。
そこに、フェリシアの無邪気な言葉が放たれた。
「正室は無理でも、側室っていうことならいいんじゃないかしら」
「フェリシア……」
ミナセが呆れる。
クロエが顔を真っ赤にする。
アルバートが首を傾げる。
会話を聞いていた剣士と魔術師が、揃って前後で苦笑いをしていた。
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