手掛かり
宿を出た馬車は、北東に進路を変えて裏街道に入った。この道は、ミナセもフェリシアも通ったことがない。頭に叩き込んできた地図を思い起こしながら、ミナセは手綱を握っていた。
今日のフェリシアは、文句を言うこともなく、フードを被っておとなしく座っている。馬車で移動できるのは今日の昼までだ。山の麓の村で馬車を降りたら、そこから先は徒歩となる。そこから先がチャンス(?)だと、頭の中でいろいろ考えているのかもしれない。
ふと、後ろの客車から剣士の声がした。
「怪しいものを見付けたらすぐに教えてくれ」
「分かりました」
振り返ってミナセが答える。
見れば、魔術師が目を閉じて集中していた。おそらく、魔力反応を見逃すまいとしているのだろう。
魔術師の索敵範囲は、半径百メートルだと言っていた。軍の偵察兵で五十メートル、優秀な兵で百メートルと言われる中、偵察の専門職でない魔術師が百メートルの索敵範囲を持っているのは大したものだと言っていい。
だが、残念ながらと言うべきか、フェリシアの索敵範囲はその三倍。反則級の、半径三百メートル。目を閉じて集中している魔術師よりも、はるかに早く危険を察知できる。
「尾行は?」
ミナセが小声で聞いた。
すると、フェリシアが慌てて答える。
「えっ? な、ないわよ」
やはり、アルバートと仲良くなる方法を考えていたらしい。
「フェリシア、分かってるよな?」
「分かってるわよ!」
ちょっと気まずかったのか、ミナセと視線を合わせずにフェリシアが言った。
集中している百メートルと、雑念の多い三百メートル。
「どっちが役に立つのやら」
ため息をついて、ミナセは手綱を握り直した。
馬車は、予定通り昼には村に到着した。ここからはいよいよ山道。フェリシアお待ちかねの、徒歩移動となる。
ここから先のエルドア領内に人は住んでいない。出国する者も入国する者も、この村の駐屯所で手続きをする必要がある。
アルバートの素性を知られたくない一行は、しかし剣士が持っていた貴族の紋章のおかげで、あっさり手続きを免れることができた。
特権階級の力、恐るべしである。
馬車を降りた一行は、小さな食堂に入る。馬車と馬は、その食堂に寄付をした。
普通の馬と、オンボロの幌馬車。貴族にとっては大したものではないのだが、食堂の主人はいたく感激していた。
主人のもてなしを受けてお腹一杯食べた一行は、食休みの後、山へと向かうことにした。
その休憩中、フェリシアに護衛を任せて、ミナセは村の中を歩き回る。
エルドアに来た時に、ミナセが必ずしていること。
少女の知り合いを探すこと。少女の故郷を探すこと。
「クレアという子を知りませんか?」
「うーん、知らないなぁ」
「六、七才の、可愛らしい女の子なのですが」
「女の子ねぇ」
誰に聞いても芳しい答えは返ってこない。
露店の主人、井戸端にいた女性たちなど、目に入った人に片っ端から聞いて回ったが、クレアを知る人は一人もいなかった。
今回もだめか……
商隊護衛の仕事で来る時よりも、今回はずっと東にいる。
クレアのことが何か分かるかもしれない。クレアの住んでいた家、クレアの家族が見付かるかもしれない。
ミナセはそう期待していたのだった。
だが、今回も見付からなかった。今回も、クレアのことは何も分からないままだった。
そろそろ休憩時間も終わりだ。もう戻らなければならない。
視線を落としてミナセは歩く。肩を落としながら、ミナセはみんなのところに戻っていった。
その途中、ふと家の軒先で日向ぼっこをしている老夫婦が目に留まる。
これで最後!
諦め切れないミナセは、二人に向かって歩いていく。そして、少しこわばった顔で問い掛けた。
「すみません、お尋ねしたいのですが」
「ほい、なんですかな?」
のんびりとおじいちゃんが答える。
「クレアという子を探しているんです。六、七才の、可愛らしい女の子なのですが」
「クレアちゃんねぇ」
記憶を辿るように、おじいちゃんが首を傾げた。
しばしの後。
「知らないのぉ」
これまでと同じ、残念な答えが返ってくる。
「……そうですか。ありがとうございました」
落胆を隠して、丁寧にミナセは頭を下げた。
その時。
「おじいさん。もしかして、あの子のことじゃないかしら?」
おばあちゃんが、隣のおじいちゃんの肩をポンポンと叩いた。
「お姉ちゃんと一緒に薬草を売りに来てた、可愛い女の子」
おじいちゃんが、おばあちゃんを見る。
ミナセも、目を見開いておばあちゃんを見た。
「”お姉ちゃん、お姉ちゃん”って、嬉しそうについて歩いてたじゃない? そのお姉ちゃんが、妹さんを呼ぶ時、たしかクレアって……」
「本当ですか!?」
おばあちゃんの目の前に両膝をついて、ミナセが大きな声を上げた。
「ああ、そう言えばそうだな。ちょっと年の離れたお姉ちゃんと、二人で時々来ていたのぉ」
おじいちゃんも思い出したようだ。
「じゃが」
おじいちゃんが、また首を傾げる。
「ありゃあ、何年も前のことだと思ったがな」
おばあちゃんに向かって言った。
「まあ、そうだねぇ。その頃はたしかに六、七才に見えたけど、今はもう少し大きくなってるんじゃないかねぇ」
おばあちゃんも首を傾げる。
何年も前のこと。
それがどれくらい前なのか、二人は思い出せないようだった。ただ、少なくともここ数年は、姉妹を見掛けていないという。
「その姉妹がどこに住んでいたか、ご存知でしょうか?」
縋るようにミナセが聞く。
それに、おばあちゃんが答えた。
「ここからもう少し東に行ったところだよ。山の中の小さな村さね」
「村までどのくらい掛かりますか?」
「まあ、若いあんたでも、歩いて二、三時間は掛かるじゃろうなぁ」
「二、三時間……」
それなりに距離はある。
だけど。
私にできることがあったら何でもするわよ。遠慮しないで言ってね
フェリシアに頼めばきっと行ってくれる。
空を駆ければ、大して時間は掛からない。
ずっと探してきたクレアの情報。
初めて見つけた有力な手掛かり。
そこに行けば、クレアのことが分かるかもしれない。
その村に行けば、クレアの家族がいるかもしれない。
ミナセがうつむく。
ミナセが考える。
ミナセが、迷う。
だいぶ長い間、ミナセは黙っていた。
老夫婦が、不思議そうにミナセを見つめていた。
やがて。
「ありがとうございました」
立ち上がって、ミナセが頭を下げる。
「お役に立てましたかな?」
「はい、とても」
短く答えて、ミナセは微笑んだ。
「また来なされ」
「はい。いつかまた、必ず」
答えてミナセは踵を返す。
二人の視線を背中に受けて、ミナセは歩いた。みんなのところに向かって、ミナセは真っ直ぐに戻っていった。
戻ってきたミナセを見て、心配そうにフェリシアが声を掛ける。
「何かあったの?」
その声に驚いたように目を開き、そしてミナセは笑った。
「いや、何でもない」
フェリシアに預けていた荷物を受け取って、ミナセが言う。
「お待たせして申し訳ありませんでした」
アルバートたちの準備はできていた。
荷物を背負い、剣を腰に差して、剣士が歩き出す。
「では行くぞ」
「はい」
剣士が先頭、その後ろにミナセとフェリシア、続いてアルバートとクロエ、最後に魔術師。
フェリシアが、ちらりちらりとミナセを見ている。それはミナセにも分かっていた。
フェリシアに笑ってみせたその顔が、徐々に険しくなっていく。それをミナセはどうすることもできなかった。
一行は北へと向かう。
視線を北に向けたまま、想いを東に向けたままで、国境の山々を睨み付けるように、ミナセは前へと歩いていった。
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