神の石

「ずいぶん手間取ったな」

「も、申し訳ありません。まだあの辺りには同志が少なく……」

「まあよい。で、アルバートは北東の裏街道に入ったのだな?」

「はい。宿屋の下男が、それらしき一行を見ておりました」

「護衛の規模は?」

「目立たないようにするためか、護衛は男が二人で、あとは女ばかりだったとか」

「ふむ……。よし、お前はこいつらを使って、空と地上からアルバートを追え」

「私で、これらを扱えるでしょうか?」

「訓練は済んでおる。お前に牙を剥くことはない。その上、並の動物よりこいつらは賢いぞ」

「承知いたしました」

「アルバートと石以外に用はない。ほかの者は始末してこい」

「はっ!」


 指示を終えると、仮面が後ろを向いた。そして、何かの呪文を唱え始める。

 やがて詠唱が終わると、それらに向かって仮面が命じた。


「行け、子供たちよ。この者に従い、アルバートと石を持ち帰るのだ」


 返事のかわりに唸り声がした。

 バサバサと、いくつもの重い羽音がした。

 恐ろしい姿をその目で見ながら、楽しそうに仮面が笑った。



「フェリシアは何でも屋なんだよね?」

「はい、そうです」

「何でも屋って、どんな仕事をするの?」

「はい、いろいろな仕事がございます。例えば……」


 アルバートが、隣を見上げて質問をする。

 フェリシアが、隣を向いてにこやかに答える。

 そんな二人に、クロエが軽い嫉妬を向けている。

 剣士と魔術師は黙々と歩いている。

 みんなの意識を捉えながら、ミナセは何度目かの苦笑を浮かべていた。


 魔物を倒した一行は、無事に峠を越えてイルカナ領内へと入っていた。

 山を下って平地に出れば、旅の危険はぐっと減る。エルドアと違って、イルカナの統治は盤石だ。街道を進む限り、魔物の群や盗賊の集団に遭遇する可能性は低い。

 しかし、残念ながら一行には最後の難関が待っていた。


「この先から、街道を外れるんだな?」

「はい。山小屋を過ぎた辺りから、林の中を下ることになります」


 先頭の剣士にミナセが答えた。

 このまま道を進むと、イルカナを東西に貫く街道にぶつかる。道と道が交わるところには町がある。そして、そこには衛兵の駐屯所があった。

 エルドアに向かう者と、エルドアからやってきた者は、駐屯所で検問を受けなければならない。

 イルカナの検問は緩やかだ。怪しい素振りを見せない限り、簡単な質問と荷物検査だけで通過できる。

 とは言え、衛兵にはできるだけアルバートの姿を見られたくなかった。ミナセとフェリシアを見て、イルカナの衛兵たちが騒ぎ出すようなことも避けたかった。

 そのため一行は、途中から街道を離れて、道なき道を進むことにしていた。


 街道に何カ所か設置されている無人の山小屋。その小屋を過ぎたところでミナセが言った。


「この辺りから山を下りましょう」


 ほかに人がいないことを確認して、一行は林の中へと足を踏み入れた。

 最初は歩きやすかった山肌も、徐々に角度がきつくなる。木や岩につかまりながら、みんなは慎重に山を下っていった。

 どうにか無事に尾根の麓まで辿り着くと、そこからは多少歩きやすくなった。少し安心したのか、アルバートがまた話し始める。


「フェリシアは凄いね。あんな斜面を、スイスイ下りていけるんだから」

「アルバート様も、大きくなればできるようになりますわ」


 アルバートに褒められて、嬉しそうにフェリシアが答えた。


「僕は、早く大人になりたい」

「時の流れは変えられません。今できることをきちんと行うことが、アルバート様にとって大切なことなのではないでしょうか」


 数日前とは大違い。フェリシアは、余裕を持ってアルバートと話をしていた。

 その会話を、後ろでクロエが聞いている。少し寂しそうに、二人の背中を見つめていた。

 その時。


「きゃあ!」


 クロエが悲鳴を上げた。

 木の根につまずいて転んだクロエが、膝を押さえてうずくまる。


「クロエ!」


 振り向いたアルバートが、誰よりも早く駆け寄っていった。


「大丈夫?」

「申し訳ございません」


 痛みをこらえてクロエが答えた。

 剣士が、クロエの横にしゃがみながら言う。


「傷を見せてみろ」


 少し躊躇った後、クロエはズボンをまくり上げた。

 見れば、膝に血が滲んでいる。それだけでなく、傷の周りが腫れていてかなり痛そうだ。膝をついたところに、運悪く石があったのだろう。


「ポーションを飲んでおけ。全快は無理でも……」

「僕が治す!」


 剣士の言葉を遮って、アルバートがクロエの横に膝をついた。


「アルバート様、そんな畏れ多いこと」

「いいから!」


 恐縮するクロエを見向きもせずに、アルバートが小さな声で詠唱を始めた。


「ヒール?」


 フェリシアがアルバートの手元を見る。

 八才と言えば、ミアがヒールを覚えた年と同じだ。その年齢でヒールが使えるとしたら、それは大したものだと言っていい。

 だが。


 アルバート様の魔力では、あまり効果は見込めないわね


 アルバートも、子供にしては高い魔力を持っている。初めて会った時からフェリシアはそう感じていた。

 それでも、効果的なヒールを使うには少し足りない。今のアルバートでは、出血を一時的に止めるくらいが限界だろう。


 みんなが見つめる中で、アルバートが詠唱を終えた。

 両手をクロエの膝に添えて、アルバートが魔法を発動する。


「ヒール!」


 瞬間。

 アルバートの胸から光が溢れ出した。まばゆいばかりの光が、アルバートの体を包み込んでいく。


「なにっ!」


 ミナセが思わず声を上げた。

 フェリシアは、目を見開いたまま動けない。


 突然、強力な魔力が発生した。アルバートの全身から、あり得ないほどの魔力が溢れ出す。

 それは、フェリシアやミアの全力には及ばなかった。

 しかし、一般的な魔術師のレベルなどははるかに超えていた。


 クロエの傷が治っていく。

 みるみるうちに腫れが引いていく。


 アルバートが、魔力の放出を止めた。

 同時に光も消えていく。


 クロエが、恐る恐る膝に触れた。

 すでに痛みはない。そっと傷をこすると、固まり始めていた血がボロボロと剥がれ落ちていった。


「あ、ありがとうございます」


 驚きながら、クロエが礼を言う。


「気を付けてね。クロエが痛い思いをするの、僕、いやだ」


 笑いもせず、真剣な顔でアルバートが言った。


「アルバート様」


 クロエが頬を染める。

 ズボンを慌てて下ろして、嬉しそうに微笑んだ。


 そんな二人を、ミナセとフェリシアが目を見開いたまま見つめる。


「これが、神の石の力……」


 ミナセもフェリシアも、それ以外に言葉が出てこなかった。


 建国以来エルドアを守り続けてきた力。

 エルドアの民を癒してきた神の力。


 影の老人が言っていた通りだった。


「神の石は、魔力を大きく増幅させる。似たような効果を持つ秘宝もいくつか存在するが、それらとは比べものにならんほどの、強力な魔力を得ることができる」


 神の石の力は、まさに絶大と言ってよかった。

 我に返った二人が、小声で会話を交わす。


「フェリシアかミアがあれを使えたら、とんでもないことになるだろうな」

「私は遠慮しとくわ。何だか、ちょっと怖いもの」


 リリアの大剣を目にした時と同じような驚きと畏れ。

 神秘の力を目の当たりにして、その後しばらくの間、二人は無口なままだった。

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