追跡者

「膝は痛くない?」

「はい、大丈夫です」


 アルバートが、隣を見上げて問い掛ける。

 クロエが、隣を向いてこやかに答える。

 そんな二人に、フェリシアが明らかな嫉妬を向けている。

 剣士と魔術師は黙々と歩いている。

 みんなの意識を捉えるミナセの顔には、苦笑が張り付いてしまっていた。


 クロエの傷を治した後、アルバートはずっとクロエと並んで歩いた。段差があればクロエに手を貸し、木の根があればそれを教える。クロエが恐縮してしまうほど、アルバートはクロエを気遣った。


「やっぱりクロエさんには勝てないのね」


 薪を探しながらフェリシアがこぼす。

 夜営の準備をしている今も、アルバートはクロエのそばを離れる様子はなかった。


「まあ仕方ないさ」


 同じく薪を拾いながら、ミナセが言った。


「最初に比べたら、間違いなく仲良くはなれたんだ。それでよしとしておけ」


 ミナセに言われて、フェリシアは顔を上げた。


「そうよね。私、よく頑張ったわよね」

「ああ、お前はよく頑張った」

「そうよ、そうなのよ。この旅で、私は子供と仲良くなるスキルを手に入れたんだわ!」


 急激にフェリシアのテンションが上がる。


「次はロイ様ね。それと孤児院の子供たち。みんなと仲良くなれるように、私頑張るわ!」

「そ、そうだな。頑張れよ」


 今回と同じ方法が使える場面は、おそらくほとんどないだろう。

 やっぱり苦笑いのまま、ミナセは薪を拾い続けた。



「今日の昼頃には街道に出られるはずです」

「分かった」


 ミナセの説明に剣士が頷く。


「足元に気を付けてね」

「はい」


 アルバートにクロエが答える。


「では、出発しましょう」


 山の中での最後の夜営を終えて、一行は歩き出した。

 道なき道は歩きにくいことこの上なかったが、気を付けてさえいれば転ぶようなことはない。木に遮られて先は見えないが、格段に緩やかになった山の傾斜は、平地が近いことを予感させた。


 一行が夜営地を出てから三十分ほど歩いた頃。


「すみません、ちょっと休みたいのですが」


 少しうつむきながら、ミナセが言った。


「出発したばかりだぞ」

「申し訳ありません」


 厳しい顔で剣士が振り返るが、ミナセの様子を見て、舌打ちしながら言った。


「早く済ませてこい」

「はい。フェリシア、一緒に来てくれないか?」

「分かったわ」


 ミナセに頼まれて、フェリシアはすぐに頷いた。

 一行から離れ、二人はもと来た方向へと戻っていく。山肌の小さなコブを超えた二人は、一行から見えず、魔術師の魔力が届きにくい窪地へと移動した。


「どうしたの?」


 フェリシアが鋭く聞く。


「南の方向を探ってくれ。地上と、そして空だ」

「えっ?」


 驚きながらも、フェリシアは即座に集中を始めた。

 そして。


「魔物ね。地上に二体、空は、十くらいかしら」


 ちょっと悔しそうにフェリシアが言った。


 見通しの悪いこの場所では、フェリシアと言えども索敵範囲は限られる。さらに垂直方向については、意識をしない限りそれほど高い位置までは探れない。

 索敵魔法とはまったく異なる、危険を察知するミナセの能力。


 何か来る


 ミナセは、鍛え抜かれた感覚でそれを捉えたのだった。


「地上のやつは私が倒す。空は頼んだ」

「了解よ」


 答えた直後、フェリシアの体がふわりと浮いた。

 そして、敵と魔術師に気付かれぬよう、隠密魔法を併用しながら、地上スレスレの高度を保って南に飛んでいった。

 少し遅れてミナセも走り出す。魔力を抑え、気配を殺して、ミナセも緩やかな斜面を駆け上っていった。



「地上はともかく、空からって、ちょっと反則じゃない?」


 文句を言いながらフェリシアは飛ぶ。

 飛びながら、フェリシアは考えていた。


 翼を持つ魔物は手強いものが多い。だが、魔力反応の大きさから考えて、フェリシアなら苦戦することはないだろう。

 地上の魔物も問題ない。ミナセなら何の苦もなく倒せるはずだ。

 問題は、魔物の種類や強さではなく。


「どうして真っ直ぐこっちに向かってくるのかしら」


 好戦的な魔物が、人を見付けて襲ってくることはある。現に数日前には、匂いを嗅ぎ付けたブラッディベアが一行に襲い掛かってきた。

 しかし、今魔物がやってくる方向は南だ。フェリシアたちが通ってきたその方向に、魔物の反応などなかった。

 つまり魔物は、さらに南からフェリシアたちを”追ってきた”ことになる。

 そんなことを、普通の魔物がするはずがない。


「あれね」


 前方に二体の魔物が見えた。


「あれは……ヘルハウンド!」


 真っ黒な体をした大きな犬がこちらに向かってくる。

 腐り掛けているとしか思えない、おぞましく崩れた顔。血のように真っ赤な二つの目。

 気持ち悪いその姿に、フェリシアが顔をしかめた。


「匂いを辿って来たのかしら」


 ヘルハウンドも、非常に嗅覚の発達した魔物だ。


「自分の意志で追って来た、なんてことは、ないわよね」


 つぶやいたフェリシアが、今度は上を見る。

 その目が、木立の間から上空の魔物を捉えた。


「あれは……ワイバーン?」


 ワイバーンは、二足の飛竜だ。ドラゴンよりはずっと小型で、ブレスによる攻撃もない。ミアが入社する前、ロロの実採取の護衛をした時に戦っていた。

 その時と同じく、数は十。その時と違ってヒューリの援護はないが、当時より進化した今のフェリシアなら問題ないだろう。

 

「地上はミナセに任せるとして」


 接近してくるヘルハウンドを軽く睨む。

 魔物に聞いたところで、追ってきた理由を教えてくれるはずもない。じっくり観察してみたい気もするが、アルバートたちを待たせている以上、あまり時間を掛けてはいられない。

 フェリシアが、上空を見上げた。


「速攻で全滅よ!」


 ギュイン!


 急激に向きを変え、猛スピードで上空へと向かう。

 直下の森から突然飛び出してきたフェリシアに、ワイバーンたちは驚いて隊列を乱した。上下左右に秩序なく飛ぶその中から、手前にいた二体が、果敢にもフェリシアに向かって降下してくる。

 だが。


 ズバッ!


 その二体が、一瞬で真っ二つになった。


「次!」


 落ちていくワイバーンを見向きもせずに、フェリシアが次の獲物を探す。

 標的を定めたフェリシアが、魔力を引き上げて両手を前方に向けた、その時。


「えっ!?」


 突然フェリシアが動きを止めた。

 大きく開いたその目で、視界の中のあり得ない光景を見つめる。


 残り八体のワイバーン。

 その中の一体に、男が乗っていた。

 

 男もフェリシアを見ている。

 驚愕の表情でフェリシアを見ていた。


 空中で二人が睨み合う。

 だが、それは長く続かなかった。


「女を殺せ!」


 男が叫んだ。

 その声に、ワイバーンたちが反応した。


 男が乗る以外のワイバーンが、一斉にフェリシアに襲い掛かる。

 それをフェリシアは、攻撃することなく必死にかわしていた。


 人が魔物を操る。

 そんなことはあり得ない。ワイバーン乗って空を飛ぶことも、命令して人を襲わせることも、常識では考えられないことだった。

 あまりに非常識な出来事に、フェリシアは混乱している。頭がうまく回ってくれない。

 その混乱の中で、フェリシアは強く思っていた。


 あの男は、絶対に捕らえなければならない


 どうやってワイバーンを操っているのか

 どうしてフェリシアたちを狙っているのか


 聞きたいことがいくつもあった。

 それらの疑問が、過去の疑問を甦らせる。


 ロロの木の群生地に、いないはずのワイバーンがいたのはなぜか

 それらを倒した後に、どうしてワイバーンは再び発生することがなかったのか


 フェリシアの思考が、さらに記憶を遡る。


 不自然に発生した二千体の魔物たち

 逃げずに向かってくる魔物たち


 そして思考は現在へ。

 カイルから聞いた驚くべき事実。

 

 魔物が、徐々に賢くなっている


 たくさんの謎。

 たくさんの疑問。


 男を捕らえれば、それらが一気に解決するかもしれない。


「ちょっと、そこのあなた!」


 フェリシアが叫んだ。


「話を聞かせなさい!」


 迫り来るワイバーンをかわしながら、フェリシアが叫んだ。

 しかし、当然男は答えない。


「殺せ!」


 再び男がワイバーンに命じる。

 ワイバーンが恐ろしい声を上げる。


「もう!」


 苛立つフェリシアが男へと向かった。その目の前に、ワイバーンたちが壁を作る。

 いつものフェリシアなら、そんな壁など問題にしないはずだった。男の乗った個体を除けば、残りのワイバーンはたったの七体。その程度なら、ものの数十秒で全滅させられるはずだった。

 しかし、さすがのフェリシアも冷静ではなかった。


 第四階梯のフライを使いながら、別の魔法を発動する。それは非常に繊細な作業。

 武術大会後のピクニックで、フライを使いながら第五階梯を発動させたフェリシアが、今はフライを維持すること以外何もできない。


 落ち着くのよ


 心でつぶやいて、フェリシアは集中する。


 まずは一つ


 ワイバーンから距離をとりながら、呪文を唱え始める。

 普通なら詠唱など必要としない、第三階梯。それをフェリシアは、はっきりと声に出して唱えていた。


 逃げるフェリシアをワイバーンが追う。

 迫り来るワイバーンに、フェリシアが、魔法を放った。


「ウィンドカッター!」


 ズバッ!


 正面のワイバーンの首が飛んだ。


 もう一回!


 再びフェリシアが呪文を唱える。


「ウィンドカッター!」


 ワイバーンが、魔石に姿を変えて落ちていく。

 フェリシアは冷静さを取り戻しつつあった。呪文を唱えながら、一体一体確実にワイバーンを倒していく。


 それを見ていた男が、唇を噛んだ。

 ワイバーンが全滅するのは時間の問題だ。気が付くと、ここまで追い掛けてきた地上の二つの魔力反応も消えていた。

 かわりにあるのは、人間のものと思われる反応が一つ。


「くそっ、失敗だ。逃げろ!」


 男の乗ったワイバーンが反転した。

 フェリシアに背を向け、全力で南へと逃げていく。


「これで最後!」


 フェリシアが七体目を倒した時、男の姿は、すでに索敵範囲内にも視界の中にもなかった。


「はあ、はあ」


 肩で息をしながら、フェリシアが南を睨む。


「もう、何なのよ」


 泣きそうな顔で、フェリシアは南の空を睨み続けていた。

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