シンシアの課題
シンシアが精霊使いだと分かってからも、シンシアの日常が変わる訳ではなかった。マークをはじめ、社員たちは今まで通りに接していたし、仕事も今まで通りで変わらない。
そしてシンシアの謎の行動も、相変わらず謎のままだった。夜な夜などこかに出掛けていっては、甘い香りを漂わせて帰ってくる。
「シンシア、本当に大丈夫でしょうか?」
「気にすることないって!」
脳天気なミアに、リリアはちょっと不満顔。
「尾行してみるか?」
「やめなさいよ」
ヒューリをフェリシアがたしなめるが、その顔も、やっぱりちょっと心配そうだ。
「シンシアが、おかしなことをしているとは思えない。もう少し信じてみよう」
ミナセの言葉で、結局その日も解散となった。
マークとミアを除く四人が、シンシアのことを気にしながら過ごしていく。何となく落ち着かない日々が過ぎていく。
そんなある日の、とある夜。
「お嬢ちゃん、ほんとに覚えるのが早いな」
「教え方が、上手なだけ」
「嬉しいこと言ってくれやがる!」
焼き上がったマドレーヌを前に、二人が話している。
「見た目は上々だ。味は……ふむ、悪くない」
「じゃあ……」
「クッキーも焼けるようになった。マドレーヌも問題ない。お嬢ちゃん、合格だよ」
店長が、にかっと笑う。
「まあ、うちの”花言葉シリーズ”みたいな凝ったやつは無理だとしても、基本的なところは大丈夫だろう」
タオルで手を拭きながら、店長が言った。
「ここから先は、お嬢ちゃんの努力と工夫次第だ。何せ、俺たちとは違うものを目指してるんだからな」
店長の言葉にシンシアが頷く。
「店長、ありがとう」
言いながら、深く頭を下げた。
「いいってことよ。お嬢ちゃんの秘密も教えてもらったしな」
「そのことは……」
「誰にも言わねぇよ。安心しな」
もう一度にかっと笑って、店長がシンシアの肩を叩いた。
「材料は町で買ってもいいし、何だったらうちの仕入先を紹介する。型もいくつか持っていっていい。だが、石窯だけは作るしかねえ」
店長が、まじめな顔になった。
「そんなに大きくなくてもいいとは思うが、石窯を素人が作るのは難しい。職人は紹介してやるから、費用と設置場所だけはお嬢ちゃんが何とかするんだ」
「何とかする」
「困ったことがあったらいつでも来い。で、完成したら、俺にもぜひ食べさせてくれ」
「分かった」
店長が手を差し出した。
シンシアが、それをしっかりと握った。
「頑張れよ」
「頑張る」
こうしてシンシアは、お菓子作りのノウハウを手に入れた。
そしてシンシアは、石窯を作るという課題と向き合うことになったのだった。
数日後、シンシアは、店長に紹介された石窯職人に会って話を聞いた。
一度にたくさん作ることはないので、石窯は小さくてもよかった。ただ、小さいと石窯の温度が下がるのも早いため、扱いは難しくなる。シンシアは、温度調節をしながら調理ができる、二層式の石窯を注文することにした。
「で、設置場所だが」
職人が、設置場所選びの注意点を伝える。
なるべく風が当たらないこと。
地面が平らで固いこと。
できれば屋根があること。
燃えやすいものが近くにないこと。
煙が出ても迷惑にならないこと。
などなど。
書き取ったメモを読み返しながら、シンシアは考える。
石窯を設置できそうな場所は……
説明を終えた職人が、続けて言った。
「設置する場所によって料金も変わるから、場所が決まったら教えてくれ。店長の紹介だからな、値引きはもちろんしてやるが、最低でも……」
金額を聞いて、シンシアはさらに考え込む。
シンシアの今の貯金だけでは難しい金額だ。頑張って毎月の貯金額を増やしていっても、注文できるのは少し先になってしまう。
シンシアが、上目遣いで職人を見る。
弱々しい声で、揺れる瞳で、とっても遠慮がちに聞いてみる。
「分割払いは……」
「だめだ」
即座に断られた。
「代金は、石窯が完成した時に一括で払ってもらう。お前を信用しないってことじゃあねぇ。これは、仕事をする上での俺のポリシーだ」
様々な場面で威力を発揮してきた、シンシアの上目遣い。
残念ながら、今回はそれがまったく通用しなかった。
「……分かった」
シンシアが肩を落とす。
だが。
「何とかする」
顔を上げて、シンシアが言った。
その顔を見て、職人が笑う。
「場所と、費用の算段がついたらまた来い。俺も暇じゃあねぇが、なるべくお前の注文を優先してやる」
「ありがとう」
職人に礼を言い、握手を交わしてシンシアは店を出た。歩きながら、シンシアは考える。
自分の家を持っていない以上、設置できる場所は非常に限られてしまう。
いくら雨風が防げるからと言っても、アパートの中に作るのはさすがに無理だ。とすると、やっぱり中庭か?
あの小屋が二つも設置できたくらいだから、大家さんは許してくれるかもしれない。でも、そんなことをシンシアの独断では頼めない。
費用の捻出もなかなかに難題だ。
シンシアが目指すお菓子は、そう簡単には作れない。間違いなく試行錯誤の連続となる。だから、シンシアとしてはなるべく早くお菓子作りを始めたい。
だけど、無いものは無い。
眉間にしわを寄せて、シンシアは歩く。
露店から漂う美味しそうな匂いにも、空を染めるきれいな夕焼けにも気付くことなく、シンシアは、アパートに向かって黙々と歩いていった。
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