人探し

「こ、これは、父ちゃんの形見なんだ!」

「えっ、形見?」


 驚いたように、ミナセが少年を見つめた。

 その表情が急速に引き締まる。


「そうか、それは悪かった。ひどいことを言ってすまない」


 ミナセは、少年に向かってきっちりと頭を下げた。


「えっ、いやっ、まあ、別に、いいってことよ」


 しどろもどろで少年が答える。


「だが」


 ミナセが、真面目な顔で言った。


「それが形見だというのなら、お前はその剣をもっと大事にするべきだ」

「うっ!」

「そして、それを無闇に抜かないほうがいい」

「何でだよ!」

「お前の腕では、剣をだめにしてしまうからだ」

「……」


 ミナセのまっとうな言葉に、少年は黙ってしまった。

 

「でも!」


 少年が顔を上げる。

 

「俺は強くなりたいんだ! 強くなって、悪い奴をやっつけるんだ!」

「悪い奴?」

「俺の父ちゃんを殺した奴だ。俺はそいつに復讐がしたいんだ!」

「お父さんは、殺されたのか?」


 ミナセの目が険しくなる。


「そ、そうだよ。刀傷のある男に殺されたんだ」

「刀傷のある男?」

「その男が、この町にいるかもしれないんだ。だから俺は、そいつを探して……」

「刀傷のある男が、この町にいるのか?」


 ミナセの声が、一段低くなる。

 ミナセの気の質が変わった。


「いや、その、もしかしたらいるかも、くらいで……」

「その男の傷は、体のどこにあった?」


 ミナセが迫る。

 少年が後ずさる。


「えっと、右の頬に、大きな傷が……」

「右の頬……。ほかにはないのか? 例えば腕とか足とか」

「な、ないよ! 右の頬だけだよ!」


 少年が答える。

 それを聞いて、ミナセの纏う空気が和らいだ。

 少年が、ホッとしたように息を吐き出す。

 その少年に、ミナセが真剣な表情で問い掛けた。


「その男を探してどうするつもりだ? たとえ見付かったとしても、今のお前では返り討ちにされるのは分かっているだろう?」

「そんなの分からないじゃないか!」

「……」

「俺は探すのをやめないからな! 絶対に仇を打つんだ!」


 またもや顔を真っ赤にして少年が主張する。


「まったく、頑固な奴だな」


 ミナセが、大きくため息をついた。

 そして、少年をじっと見つめ、やがて意外なことを言い出す。


「仕方がない。今日一日、私がその男を探すのを手伝ってやる」

「えっ? い、いいよ、そんなことしてくれなくても」

「お前一人では、その男を見付けたとしても、何もできないだろう?」

「それは、そうかもしれないけど……」

「見付けた相手がお前でも何とかなりそうなら、仇討ちを手伝ってやる。勝てない相手なら、衛兵の詰め所に連れて行って、きっちり裁きを受けさせる。お前が返り討ちになることなんて、亡くなったお父さんは望んでいないはずだ」


 先ほどの一件もそうだが、この少年はかなり無鉄砲なところがある。そのくせ、剣の腕は素人以下。仇討ちどころか、下手をするとつまらない喧嘩で命を落としかねない。

 ミナセは、この少年に、少なくとも今は仇討ちを諦めさせたいと思っていた。

 

 エム商会に入社してから学んだこと。

 相手の気持ちを動かすためには、相手に心を開いてもらわなければならない。


 行きずりのミナセが、今の少年に何を言っても無駄だろう。理詰めにせよ、力ずくにせよ、そんなことで”うん”と言わせたとしても、それは一時的にすぎない。

 一日で何とかなるかは分からなかったが、少年とちゃんと話をして、ミナセの言うことをちゃんと受け止めてくれるようにしたい。


 買い物のことがチラリと頭をかすめたが、ミナセに迷いはなかった。


「さあ、行くぞ」

「あ、ちょっと!」


 少年の手を取って、ミナセは歩き出す。

 突然のことに驚いていた少年は、しかし、おとなしく手を引かれて歩き出した。


 前を行く黒髪が風に舞う。

 鼻をくすぐる不思議な香りに、少年はうつむき、頬を染めていた。



「右の頬に刀傷ねぇ」


 露店の店主が顎に手を当てて考える。


「物語でならよく聞くけどな。実際にはそういうの、見たことねぇな」

「そうですか。ありがとうございました」


 丁寧に礼を言って、二人は次の店に向かう。

 露店や通りに面した店を中心に聞き込みを行うが、これと言って有力な情報はなかった。

 ミナセのおかげで、誰にものを尋ねても邪険に扱われることはない。二人のことも、少し年の離れた姉弟とでも思われているのか、胡乱な目で見られることはなかった。


「なあ、姉ちゃん」

「なんだ?」

「そろそろ、手、放してほしいんだけど」


 ずっと黙ってついてきていた少年が、うつむきながら言った。

 放してと言っている割には、その手を振り払う訳でもなく、ミナセに握られたままにしている。


「あ、そうか。ごめん」


 ミナセが手を放す。

 解放された手をちょっと見つめた後、少年はこっそりため息をついた。


「そう言えば、そろそろ昼だな。腹減っただろう?」

「え、ま、まあね」


 最初の勢いはどこにいったのか、すっかり静かになった少年が曖昧に答える。


「じゃあ食堂に行こう。私のおごりだ」


 にこっと笑って、ミナセはまた歩き出した。



 食堂には、旅人らしき客が大勢いた。あえてそんな店をミナセは選んでいる。


「ところで、お前のお母さんはご健在なのか?」

「え? えーと、その……母ちゃんは、だいぶ前に、死んだ」

「そうか。いやなことを聞いた、すまない」


 謝るミナセから目を逸らして、少年が答えた。


「その……姉ちゃんの親は、生きてるのか?」


 気まずい雰囲気を変えようとしたのか、今度は少年がミナセに聞く。


「いや、私の両親も、だいぶ前に亡くなっている」

「そ、そうなんだ」


 残念ながら、気まずい雰囲気は続いた。


「まあ気にするな」


 ミナセが笑う。


「もう昔のことだし、それに、今の私は毎日が充実している」

「そうなのか?」

「ああ。尊敬できる人に出会えた。素晴らしい仲間とも巡り会えた。剣士としても人間としても、成長できていることを実感している」

「ふーん」

「私にも、いろいろあったんだ。お前の気持ちがちょっとは分かるくらいの経験は、たぶんしている」

「それって……」

「少し前まで、私はある目的のために旅をしていた。目的を果たすために、死に物狂いで剣の修行をしてきた。でも、その頃の私は、すごく狭い世界で生きていたんだと思う」


 窓の外を眺めながら、ミナセが話す。


「自分の小さな了見の中で、自分の見える範囲でしか世界を見ていなかった。自分は必死で生きているのに、周りの人たちは暢気に暮らしている。そんな風に人を見ていた」


 大きな荷物を抱えた行商人。

 足早に通り過ぎていく職人風の男。

 嬉しそうに父親を見上げる、小さな女の子。


 穏やかな顔で、ミナセは通りを眺める。


「でもね、ぜんぜん違ったんだ。世界は、ずっとずっと広かった。人は誰もが一生懸命生きていて、そして、優しかった」


 ミナセが少年を見た。


「それに気付いてから、私は変わった。幸せを感じるようになった」


 その黒い瞳は、とてもきれいだ。


「私は、目的を忘れた訳じゃない。だけど、今は旅に出るつもりもない。今日みたいな明日がまた来ることを、毎日願っているんだ」


 黒い瞳が語る。

 少年の心が、その瞳に吸い込まれていく。


「人はね、幸せになるべきなんだ。私を育ててくれた両親も、きっとそれを願っている」


 ミナセが、テーブルの上の少年の手を握った。

 

「死ぬのはいつだってできる。でも、死んでしまったら幸せにはなれない。嫌なことからは逃げられるかもしれないけど、それは幸せとは言えない」


 手を握られた少年は、驚き、それでも目を逸らすことなくミナセを見つめ続けた。


「亡くなったご両親だって、お前に死ねなんて言わなかっただろう?」

「それは……言ってない」

「なら、お前は生きるべきだ。幸せになるべきなんだ」


 少年を握る手に力がこもる。


「仇討ちを諦めろなんて言わない。でも、死ぬことを前提にした仇討ちなんて、しないほうがいい。人生の優先順位は間違えちゃだめだ。一番優先しなきゃいけないのは、幸せになることなんだから。そしてそれが、お前のご両親の願いだと思うから」


 ミナセの手から優しさが伝わってくる。

 少年がその手を見つめ、そして顔を上げた。

 ミナセは、微笑んでいた。

 その微笑みは、教会で見た聖母の絵のように慈愛に満ちていた。


 ふいに少年がうつむく。

 その目にじわりと涙が滲む。


「亡くなったご両親のためにも、お前は生きろ。いいな」

「……うん」


 涙をこぼしながら、少年が頷く。

 ミナセが手を伸ばして、その頭をポンと叩いた。


「さあ、お腹いっぱい食べて、午後も頑張ろう!」


 ちょうどやってきたウェイトレスが、料理をテーブルに並べていく。

 少年は、涙を拭いて、黙々とその料理を食べていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る