第十四章 武術大会

終わりなき道

 リリアが、地面に座り込んだまま呆然としている。

 隣には、ぐったりと横たわるシンシアがいた。

 その二人から少し離れて、ヒューリが剣を構えている。真正面を見据えたまま、ヒューリは動かない。何かを睨み付けたまま、ヒューリはピクリとも動かなかった。

 目は大きく見開かれ、額には脂汗が滲んでいる。

 普通ではなかった。まばたき一つせず、呼吸さえしていないように見えるその姿は、どう考えても異常だった。


 空気が止まっていた。時間が、止まっていた。

 ふと。


「ふぅ……」


 息が吐き出される。緊張が解けていく。

 時が、流れ始めた。


 直後。


 ドサッ!


 腰が砕けたように、ヒューリはその場にへたり込んでしまった。


「はあ、はあ……」


 息が荒い。動いていた訳でもないのに、呼吸が大きく乱れていた。


「こんなのを受けて……はあはあ……動ける奴がいたっていうのが……私には信じられないよ」


 両足をだらんと伸ばし、両手を後ろにして体を支えながら、ヒューリが目の前を見上げる。


「私が未熟だったということもあるだろうが、やっぱりあいつは強かったんだろうな」


 ゆっくり息を整えながら、ミナセが言った。


 奥義、明鏡止水。

 相手の心と同調し、相手を支配する究極の秘技。流派の始祖と、父と、そしてミナセだけが会得できた至高の秘術。

 父の仇、ストラースとの戦いでミナセはそれを使った。だが、その奥義はストラースに破られている。形見の太刀の力で勝つことはできたが、ミナセにとってあの戦いは、苦い経験として胸に刻まれていた。

 だからミナセは、技を磨き続けた。その修行に、ヒューリとリリア、そしてシンシアが協力していたのだった。


「こいつを食らうと、精神力を根こそぎ持っていかれるんだよなあ」


 心を支配される恐怖。それは、技を解かれた後でも簡単に振り払うことはできない。


「みんな、いつもすまない。だけど、おかげでだいぶ掴めてきたよ」


 ミナセが笑った。


「そりゃあよかった」


 ヒューリがどうにか笑う。

 リリアとシンシアは、かろうじて片手を上げてミナセの声に答えていた。


 ストラースに奥義が破られた理由は、心の同調が不完全だったためだとミナセは考えていた。相手を完全に支配するためには、完全なる同調が必要となる。ヒューリたちを相手に繰り返し訓練することで、ミナセはその質を徐々に高めていった。


 同時にミナセは、技の弱点克服にも挑んでいく。

 奥義、明鏡止水の弱点。それは、発動までに時間が掛かることだった。

 先の戦いでは、ストラースの中の記憶、父との戦いの記憶が、ストラースの動きを封じてくれた。心を支配された恐怖の記憶がストラースを縛り付けてくれたのだ。だからミナセは、技の発動に集中することができた。

 しかし、初見の相手にそれを期待することは難しいだろう。技が発動するまで待ってくれる相手など、普通はいない。


 ミナセは、素早く奥義を発動する方法、あるいは戦いながらでも発動できる方法を模索した。

 答えを求めて、ミナセは、無詠唱かつ動きながらでも魔法を発動できるフェリシアに意見を聞いている。フェリシアからは、貴重なアドバイスをもらうことができた。

 生真面目なミナセは、同じ事をミアにも相談していた。

 しかし。


「無詠唱で魔法を発動するコツですか?」


 聞かれたミアは、ちょっと考えた後、得意げに答えた。


「頭の中のイメージがピカピカって光って、ドカーンって広がっていく瞬間があるんです。その時に、フンッて気合いを入れるとですね……」


 ミアは、ダメだった。


 仲間の意見を聞き、仲間に支えられながら、粘り強くミナセは挑戦を続けていく。

 そしてミナセは、ついに弱点を克服した。リリアやシンシア、そしてヒューリと戦いながらでも、奥義を発動することに成功したのだった。


「お前に勝てる奴なんて、もうこの大陸にはいないんじゃないのか?」


 ヨロヨロと立ち上がりながら、ヒューリが言う。


「剣の道に終わりはないよ。私が止まってしまったら、今この瞬間も努力しているほかの誰かに、私は抜かされてしまうかもしれないんだ」


 真面目な顔でミナセが答える。

 そしてミナセは、にこりと笑って続けた。


「ミアにも、負けていられないからな」

 

 それを聞いた途端、リリアとシンシアが勢いよく立ち上がる。


「シンシア、やるよ!」

「分かった!」


 カンカンッ!


 乾いた木刀の音が響き始めた。

 ヒューリが、それを見て微笑む。


「あいつの努力、実るといいな」


 別の場所で、フェリシアと一緒に修行をしているミアのことを思いながら、ヒューリがつぶやいた。



 数日後の夜。

 宿屋の食堂は今日も混んでいる。最近はミナセとヒューリだけしかいないこともあるのだが、それでも、この食堂に空席があることはない。しかも、今日は久し振りに四人が揃っている。客足が途切れることなどあるはずがなかった。

 たくさんの視線を集めながら、四人が話をしている。


「ねえねえ、聞いてくれる?」


 お疲れ様の乾杯が終わるなり、フェリシアが身を乗り出すように話し出した。


「何だ?」


 ヒューリが答える。ミナセも、何事かとフェリシアを見た。


「あのね、私たち、今修行をしているでしょう?」


 フェリシアとミアの二人は、ミアの攻撃魔法修得のために、時間を作っては修行をしていた。アルミナの町を出て、人気のない荒れ地までフライで飛び、そこで特訓を繰り返している。


「朝早くとか週末とか、結構な時間を使って頑張ってるんだけどね」


 フェリシアはとっても盛り上がっている。

 その横で、ミアがとっても落ち込んでいた。


「フェリシアさん……」


 ミアの弱々しい声を聞いても、フェリシアのテンションは下がらない。その声も、訴え掛けるような視線も無視して、フェリシアが言った。


「この子ね、第一階梯の攻撃魔法さえ使えないことが分かったの」


 ミアの首が、ガクンと落ちた。


「ファイヤーとかウォーターとかね、生活魔法は使えるのよ。治癒とか医療魔法に限って言えば、私なんて足下にも及ばないくらいの達人だわ。でも攻撃魔法はね、何にも使えないの。凄いと思わない?」


 カタンと食器が音を立てる。ミアのおでこがテーブルの上に落っこちていた。


「火も水も風も地も全部ダメ。闇の魔法なんてもちろん論外。相性がいいはずの光の魔法でさえ、攻撃魔法は発動できないの。本当に徹底しているわよね!」


 ミアの涙がテーブルを濡らす。打ちひしがれたミアの体から、魂が抜けていくのが見えた気がした。

 ミナセもヒューリも、何と答えていいのか分からない。どうしてフェリシアがこんなに楽しそうなのかも分からない。


「まあ、そう簡単にはいかないんだろ? シンシアだってきっと苦労を……」

「ううん、シンシアは順調よ。魔力量も増えてきているし、結構いろんな魔法を使えるようになっているわ」

「そ、そうなのか」


 フェリシアに魔法を習い始めたシンシアは、どうやら順調に成長しているようだ。

 二人がますます困った顔をする。その二人を見ながら、突っ伏しているミアの頭に手を載せて、フェリシアがさらに身を乗り出した。


「そのかわり、この子ね……」


 嬉しそうにフェリシアが言い掛けた、その時。


「皆さん、もしよろしければ、同席させていただけませんか?」


 すらりと背の高い男たちが、四人に声を掛けてきた。

 周りのテーブルが、自然と静かになる。


 宿屋の広告塔の四人。この食堂にいる大半の客は、四人目当ての来店だ。だが、その客のほとんどが分かっていた。


 この四人は、難攻不落。


 近くでその姿を見て、その声を聞いて、その笑顔を瞼の裏に焼き付けるだけで満足する。それだけのために、たくさんの客が早い時間から席を確保しにやってくるのだ。

 それでも、一晩に最低一度は誰かが声を掛けていた。流れ者の傭兵や、この町に来て日の浅い冒険者。あるいは、ただの酔っぱらい。

 誰が声を掛けても、やんわりと、あるいは冷たく男たちは撃退されている。


 繰り返されるチャレンジは、今回どんな結末を迎えるのか。

 周囲の耳が、四人の反応に集中する。

 すると。


「あなたたち、最悪ね」


 フェリシアが、意外な言葉を発した。

 

 あれ、今日は機嫌が悪いのか?


 周囲がざわついた。

 いつもなら冷静に、かつ笑顔で軽くいなすフェリシアが、明らかに怒っている。離れた席にいる客までもが、その異様な空気に黙り込んだ。


「もしかして、怒らせてしまいましたか?」


 声を掛けた男が平然と尋ねた。場違いなほど爽やかな笑顔を浮かべたその男は、見ればなかなかのイケメンだ。


「そうよ。私今、スゴく怒っているわ」


 フェリシアが言った。プンプン怒りながら言った。

 しかし残念ながら、いつもの通り、その怒り方はとても可愛らしい。怒っているのに、その姿が男心を妙にくすぐる。


 あいつ、間違いなくよそ者だよな

 フェリシアが怒ってるって、分かってないよな


 あちこちからヒソヒソと声がする。

 そんな声は耳に入ってこないのか、男が言葉を続けた。


「すみませんでした。この通りお詫びします。どうしたら俺は、あなたに許していただけるでしょうか」


 スマートに頭を下げて、男が詫びる。詫びてはいるが、男はまったく引く気がないようだ。

 男の目には、可愛く口を尖らせている美女の姿が写っていた。

 男の胸には、かつてないほどの熱い炎が燃え上がっていた。


 顔を上げて、男がフェリシアを見つめる。


 美しく波打つ紫の髪。

 深い輝きを放つアメジストの瞳。


 絶対にこの女を落としてみせる!


 決意を秘めた熱い瞳が、紫の瞳を強く見つめていた。


「許してと言われたって、許す気なんてないのだけれど……」


 そう言って、フェリシアも男をじっと見る。その顔に、蠱惑的な微笑みが浮かび上がった。

 それを見て、ミナセが眉をひそめる。ヒューリの目が輝く。赤いおでこのミアが体を起こす。

 そしてフェリシアは言った。ミナセの心配した通りの言葉を、ヒューリが期待した通りの言葉を、艶やかな笑顔と共に言った。


「私と勝負して勝つことができたら、ここにいる四人全員で、一晩お付き合いしてあげてもいいわ。でももしあなたたちが負けたら、この店にいる全員に一杯おごってちょうだいね」

「おおぉっ!」


 店内にどよめきが広がっていく。


 久し振りだ!

 久し振りのパターンだ!


「その勝負、もちろんお受けいたします」


 喜びを隠すように、丁寧に頭を下げて、男がニヤリと笑う。後ろの仲間たちは、小さくガッツポーズをしていた。


 ミナセが頭を抱える。

 ヒューリが楽しそうに手を叩く。

 ミアが、涙を拭きながら男たちに言った。


「ありがとうございますぅ。おかげで話題が逸れてくれましたぁ」


 立ち上がって歩き出すフェリシアに、ミナセが言う。


「おい、分かってるよな?」


 言われたフェリシアは、妖しい笑顔と共に答えた。


「もちろんよ、任せて!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る