夜の太陽

 宿屋の前に人だかりができる。

 その中心に、四人の男とフェリシアがいた。


「四人のうち、誰か一人でも私の体に触れることができたらあなたたちの勝ち。四人全員が降参したら、私の勝ち。こんなルールでいいかしら?」

「結構です」


 答えた男の頬が紅潮していった。

 とんでもなく自分たちに有利なルールだ。相手は一人で、武器も持っていない。どう考えても自分たちの勝ちだ。


 男も仲間の男たちも、今夜が人生で最高の夜になることを確信していた。

 男も仲間の男たちも、これほどのチャンスをくれた神様に感謝していた。


「ミアの出番がないことを祈るよ」

「えっ? 私の出番なんて……」

「あいつがやり過ぎたらって話さ」


 フェリシアの背中を見守る三人が、小さな声で話している。


「いつでもいいわよ」


 構えもせず、余裕の表情でフェリシアが言う。

 横一列に並び、互いの顔をチラリと見やった後、男たちが答えた。


「では」

「遠慮なく」

「ありがたく」

「行かせていただきます!」


 男たちが動いた。フェリシアに向かって四人が一斉に突撃していく。


 いくらなんでもあれじゃあ……


 ギャラリーたちが、残念そうな顔を浮かべた。難攻不落だった城が、城の住人の気まぐれのせいでついに陥落してしまう。


 残念だ

 とてつもなく残念だ


 誰もが落胆の表情を浮かべ、肩を落としたその時。


 ゴゴゴゴッ!


 突如として、男たちの目の前に土の壁が現れた。


 ドカッ!


「うっ!」


 まったく想定していなかった出来事に、体が反応できるはずがない。思いっ切り壁に激突した男たちは、鼻や額を押さえてその場にうずくまった。


「何だ!?」


 ギャラリーがどよめく。


「アースウォール!」


 誰かが驚きの声を上げた。

 地の魔法の第二階梯、アースウォール。その名の通り、土の壁を作り出す魔法だ。多くの魔術師が攻撃を防ぐために使っている、取り立てて珍しくもない魔法。

 だが。


「早過ぎる!」

「しかも高い!」


 二メートルはあろうかという壁が、フェリシアと男たちの間に一瞬にして現れた。


「何が起きた?」


 鼻血を拭きながら、男の一人が言った。

 その途端。


 パラパラパラ……


 見上げていた壁が崩れていく。舞い上がる砂埃の向こうから、美しい声が聞こえた。


「まさか、それで終わりじゃないわよね?」


 フェリシアが笑っている。自分たちを見下ろしながら、楽しそうに笑っていた。


「終わらせるかぁ!」

「うおぉっ!」


 男たちが雄叫びを上げた。爽やかな仮面を投げ捨てて、鬼の形相で立ち上がる。

 その男たちに、フェリシアが右手を向けた。


「次は氷が行くわよ」

「氷?」


 一人がつぶやいた、次の瞬間。


 ズバババババババババババッ!


 とんでもない数の小さな氷針が、男たちに向かって放たれた。


「うわぁ!」

「いてぇ!」


 男たちが慌てて背中を向ける。

 その背中に、無数の氷の針が刺さっていった。まるで霜が降りたかのように、それが男たちの背中を埋めていく。

 しかし、それは男たちの体温であっという間に溶けていった。服に多少血が滲んではいたが、大したケガをしている訳ではなさそうだ。

 しかし。


 ズバババババババババババッ!


 氷の針は、絶え間なく、容赦なく飛んでくる。


「やめろ!」


 悲痛な叫びがした。


「やめてくれ!」


 泣きそうな声がした。

 それを聞いて、フェリシアが残念そうに右手を下ろす。


「アイスニードルなんて、水の魔法の第一階梯なんだから、ウォーターレジストで威力を相殺できるでしょう? 何ですぐに発動しないのよ」


 不満いっぱいでフェリシアが言う。


「無理だよな……」

「無茶だよな……」


 ギャラリーからつぶやきが聞こえた。

 ウォーターレジストは第二階梯。こちらも珍しくはない魔法だが、あれほどの攻撃を受けている状態で、冷静に発動できる者などそうはいない。


「じゃあ次は……」

「降参だ!」


 フェリシアの言葉を遮って、男の一人が叫んだ。


「俺もだ!」

「俺も!」


 さらに二人が続く。


「くっ!」


 人の輪に逃げ込んでいく仲間を見て、残った一人が唇を噛んだ。

 あっという間に一人になってしまった。圧倒的に有利だと思っていた自分たちが、じつは最初から勝つ可能性などなかったことに、今さらながら気付く。


 それでも。


「男には」


 男が前を向いた。


「目を背けちゃいけない時が」


 フェリシアを正面から睨み付ける。


「背中を向けたらいけない時があるんだよ!」


 男が叫んだ。

 全身全霊で叫んだ。


 ギャラリーから、またもつぶやきが聞こえてくる。


「さっき、目を背けてたよな」

「背中、向けてたよな」

「あいつ、ナンパに命賭けてんな」


 ギャラリーの声は、興奮した男には届かない。


「うおぉぉぉっ!」


 謎の炎を燃え上がらせて、男はフェリシアと向かい合う。たらりと垂れる鼻血をすすり、強く拳を握り締め、男はフェリシアを睨み付けた。


「うふふ、いい目だわ」


 嬉しそうにフェリシアが言った。


「じゃあ私も、本気でいくわよ!」


 フェリシアの右手が天を向く。その手のひらが、夜空に向かって高々と掲げられた。


「何をする気だ?」

「本気って何だ?」


 興味半分、恐れ半分のざわめきが広がっていく。

 ギャラリーに注目され、男に睨まれ、ミナセたちに呆れられながら、フェリシアは魔力を引き上げていった。


 ボォッ


 右手に小さな炎の球が生まれる。


「あれは、もしかして」


 冒険者らしき男が言った。

 炎の球が膨らみ始めた。


「でも、それにしては」


 ロッドを持つ女が言った。

 炎の球が膨らみ続ける。魔力が膨れ上がっていく。


「ちょ、ちょっと」


 商人風の男が後ずさる。

 炎の球が輝きを放つ。


「やばいよ、あれはやばいよ」


 人の輪が広がり始めた。

 まばゆいばかりの炎の球が、周囲を明るく照らし出す。


「うそだ……」


 フェリシアの前で、男が言った。

 見たこともないほどの大きな炎の球が、男を見下ろしている。


「まだまだこれからよ!」


 フェリシアが大きな声を上げた。

 直径一メートルをゆうに越える炎の球が、その直径をさらに広げていく。


 男が腰を抜かしてへたり込む。

 ギャラリーが右往左往し始めた。


「さあ行くわよ! 私の本気のファイヤーボール、受けてみなさい!」


 フェリシアが叫んだ。炎の球が、一気に膨張した。

 直径三メートル超の炎の球。それは、もはやファイヤーボールなどという次元ではなかった。

 フェリシアの瞳が爛々と輝く。途方もない魔力が男の体にのし掛かる。


 ふと、男の胸に幼い頃の記憶が甦ってきた。


 俺は、ナンパに失敗して死んでいくのか


 懐かしい顔を思い浮かべながら、男は詫びた。


 父さん、母さん、こんな情けない息子でごめんなさい


 赤々と照らされたその頬を、涙が濡らしていく。


 生まれ変わることができたなら、次は絶対にナンパなんてしないよ


 男は誓った。

 今度の命はもっと意義のあることに使うことを、心の底から男は誓った。


「やあぁっ!」


 気合いとともに、フェリシアがそれを放った。

 夜空に打ち上げられた太陽をその目に焼き付けながら、男の意識は、遠く離れた故郷へと飛んでいった。


 ギャラリーたちは、一言も発しない。へたり込み、あるいは地面に伏せ、あるいは立ち尽くす。

 その異様な空気の中で、平然と会話をする者たちがいた。


「漆黒の獣と魔物討伐した時って、フェリシア本気じゃなかったのか?」

「いやあねぇ、あれはあれで本気だったわよ。だって何十発も打つ予定だったんだもの。直径一メートルがいいところだわ」

「やっぱりお前って凄いな」

「やっぱり、攻撃魔法って必要ですよね」


 この事件以降、四人は落ち着いて夕食を取ることができるようになった。四人に声を掛けようとする愚か者を、周りの客が必死に止めるようになったからだ。


 夜の太陽事件。


 この夜の出来事は、アルミナの町の庶民の間で長く語り継がれる伝説となったのだった。

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