クッキーと笑い声


 アパートの中庭にできた新たな設備を遠目に見ながら、社員たちがシンシアの背中に注目している。


「見たら、だめ」


 シンシアに強く言われて、仕方なくみんなは離れたところからその作業を見守っていた。


「お菓子って、自分で作れるんだな」

「でも、石窯とか型とか、普通の人は持ってませんよね」


 ミナセとリリアが話している。


「楽しみだな!」

「楽しみですね!」


 ヒューリとミアは、早くも食べる気満々だ。

 マークは、穏やかな顔でシンシアを見ている。その隣のフェリシアは、真剣な表情でシンシアの動きを見つめていた。


 石窯は、輻射熱で調理をする設備だ。熱せられた石窯自体が上下左右から熱を放出することで、直火では調理しにくい料理も作ることができる。

 完成した石窯は、二層式。下層で石窯を熱しながら、上層で調理をすることが可能だ。

 石窯本体は小さいものの、土台も屋根も風除けも、しっかりとしたものが作られている。全体で見ると、なかなかの大きさだ。

 支払い方法に妥協のなかった職人だったが、石窯作りにも一切妥協はしなかった。


「思ったより大きいですよね」

「そうだな。よく大家さんが許してくれたと思うよ」


 リリアとミナセが言葉を交わす。

 移動不可、しかも火を使う設備の設置など、普通は認められないのではないだろうか。そうでなくても、体を洗うための小屋がすでに二棟も建っているのだ。この中庭は、もはやエム商会のためにあるようなものだった。

 感心している二人に、マークが言う。


「ここの大家さん、いい人だからね。ちゃんとお裾分けしますからって言ったら、じゃあいいよって許してくれたんだ」


 にこやかなマークを、呆れ気味にミナセが見る。


「まあ、煙が出ないっていうのが大きかったんだろうね」

「その理由なら、納得です」


 今度はミナセも頷いた。

 石窯を熱するために、一般的には薪を使う。よって、通常はそれなりに煙が出る。だが、シンシアは薪を使っていない。シンシアが使う熱源は、発動させっ放しのファイヤーの魔法だ。


 誰もが使える生活魔法、火の魔法の第一階梯ファイヤー。だが、石窯を熱するだけの火力を維持するにはかなりの魔力が必要となる。フェリシアやミアならそれも可能だろうが、ファイヤーの炎は指先に出現する。つまり、石窯に腕を差し込んだまま大きな炎を作り出さなければならないので、とても現実的とは言えなかった。

 術者の体から離れたところで簡単に現象を起こすことができる、シンシアならでは魔法の使い方。

 それは、もはや第一階梯などとは呼べない、それどころか名前すらない未知の魔法と言えるのかもしれなかった。


「精霊使いが作るクッキーなんて、大陸中探してもここにしかないわよね」

「そうですね」


 フェリシアのつぶやきに、リリアが微笑んだ。


 みんなに注目されながら、シンシアはクッキーを焼いていた。作るのは、一口大のしっとりクッキー。手順もコツも掴んではいるが、初めて使う石窯で、初めて一人で作るクッキーにシンシアは緊張していた。

 心配そうに、何度も石窯の中を覗き込む。石窯が小さいせいで、温度が下がるのも早い。時々火力の調節を”お願い”しながら、眉間にしわを寄せるほど集中している。

 やがて、シンシアが動いた。石窯の中から、ヘラを使って慎重にクッキーを取り出していく。

 そして。


「できた!」


 嬉しそうな笑顔で振り返り、シンシアが高々とお皿を掲げた。


「おぉっ!」

「すごーい!」


 みんなが駆け寄る。

 シンシアを囲んで、焼きたてのクッキーに熱い視線を送る。


「うまそうだな!」


 ヒューリがさっそく手を伸ばした。それを、シンシアがひらりとかわす。


「何だよ、いいじゃんか!」


 口を尖らせるヒューリを無視して、シンシアは、なぜかミアの前に立った。


「何、かな?」


 不思議そうにミアが聞く。さすがのミアも、社長や先輩たちを差し置いて一番に食べようとは思っていない。

 首を傾げるミアに、シンシアが言った。


「ミアに、食べてほしい」


 真っ直ぐにミアを見て言った。


「ミアに、最初に食べてほしい」


 言われたミアが、目を丸くする。


「いやいやいや、私じゃないでしょ! 最初に食べていいのは、社長とかミナセさんとかリリアとか、そんな感じでしょ!」


 言いながら、ミアは後ずさった。

 下がった分だけ、シンシアが前に出る。


「私、ミアに感謝してる。私が変われたのは、ミアのおかげ」


 シンシアが話す。


「私、ミアを尊敬してる。私がチャレンジできたのは、ミアのおかげ」


 怯むミアに、シンシアが迫る。


「ミアは、私の先生。だから、感謝の気持ちを、受け取ってほしい」

「ちょっと待って! 私、シンシアになんて何も……」


 その時突然、リリアが横から入ってきた。


「そんなことないです!」


 シンシアの隣にリリアが立った。


「ミアさんは、あの高原で、シンシアのことを励ましてくれました。私のことを叱ってくれました。ミアさんがいなかったら、シンシアも私も変わることができなかったんです!」


 シンシアが続く。


「ミアは、イザベラ様のために、頑張った。私には、あんなことできない。私には、絶対真似できない」


 二人が揃ってミアを見る。


「ミアさんは、私たちの恩人なんです!」

「ミアは、すっごくすっごく、凄い人」


 熱い言葉と熱い視線。ミアがのけぞるほどの熱い想いを、二人はミアに向けていた。


「えっと……」


 ミアは困っていた。完全に困っていた。

 すると。


「ミア、ありがたく頂いておけ」


 ミナセが言った。


「そうだな、お前にはその資格がある」


 ヒューリも言った。


「そうよ。あなたは凄い子なのよ」


 フェリシアが笑う。

 マークが微笑んだ。みんなも微笑んだ。

 全員に見つめられて、ミアが立ちすくむ。

 やがて、ミアがうつむいた。うつむいたまま、そっとクッキーに手を伸ばす。


「じゃあ、もらうね」


 焼きたてのクッキー。温かくて、しっとり柔らかなクッキー。その中の一枚を、ミアが手に取った。

 それを、口の中へそっと入れる。

 その味と、その温かさを噛み締める。


「美味しい」


 飲み込んで、ミアが言った。


「美味しいね」


 言いながら、ミアが泣いた。

 ミアが、リリアとシンシアを抱き締める。


「美味しいね! 嬉しいね!」


 笑いながらミアが泣く。嬉しそうにリリアとシンシアが笑う。

 みんなが微笑んだ。フェリシアが涙を拭った。


「シンシア、ありがとね!」


 二人の前にちゃんと立って、ミアが言った。


「リリアもありがとね!」

「今度お礼に、美味しい料理を作りますね!」

「うん!」


 子供みたいに返事をして、ミアが笑う。

 微笑ましいやりとり。心温まる光景。それをニコニコと見ていたヒューリが、今度こそとばかりに手を伸ばした。


「じゃあ儀式も済んだところで……」


 ひらり


 またもやシンシアが、ヒューリをかわす。


「何だよ! まだダメなのか!?」


 口を尖らせるヒューリを無視して、シンシアが今度はマークの前に立った。


「社長にも、お礼がしたい」


 シンシアがうつむく。ミアに話す時と違って、とても恥ずかしそうだ。


「私、社長に感謝してる。一生掛かっても返せないくらい、お世話になってる」

「あははは。そこまでじゃないさ」


 笑いながらマークは言うが、シンシアは強くかぶりを振った。


「そんなことない。社長は、私の恩人。だから」

 

 そう言うと、シンシアはお皿のクッキーを数枚寄せて、中から一枚だけ形の違うクッキーを取り出した。


「特別なクッキー、食べてほしい」


 ちょっと驚きながら、マークがそれを見る。

 ほかのみんなも、シンシアが特別と言ったクッキーを覗き込んだ。


「ちょっと、失敗した。だけど、気持ちは込めた」


 そのクッキーは、ほかのものより少しだけ大きかった。そしてそのクッキーは、何かを模しているようだった。

 だが、シンシアの言う通り、それは間違いなく失敗だったのだろう。それが何を表しているのか誰にも分からなかった。


「お花、だよね?」


 リリアがつぶやくが、そうとも見えるし、違うようにも見える。


「社長のために、作った。一生懸命作った」


 シンシアの顔が、なぜか赤くなっていく。そこまで恥ずかしがることもないように思えるが、シンシアは必死だ。


「これを……その……食べてください!」


 そのクッキーを捧げるようにマークに差し出すと、シンシアは下を向く。妙に緊張感のあるシーンだった。


「分かった。ありがたくいただこう」


 そのクッキーを、マークが受け取った。

 シンシアが、顔を上げた。


「いただきます」


 マークが、クッキーを口に入れる。

 ゆっくりとそれを味わう。


 マークがクッキーを飲み込んだ。

 シンシアが、ごくりと喉を鳴らした。


 マークが目を細める。そして言った。


「うん、美味しい」


 マークが笑った。

 シンシアが、ほっとしたように笑った。


「シンシア。是非また作ってくれ」

「はい!」


 大きな声でシンシアが答えた。

 微笑ましいやりとり。ニコニコとそれを見ていたヒューリが、またもやそろりと手を伸ばす。


「じゃあ、今度こそ……」


 ひらり


 シンシアが、今度もヒューリをかわす。


「次は誰の番なんだよ!」


 口を尖らせるヒューリに、シンシアが言った。


「お手」

「はい」


 思わずヒューリが手のひらを出す。そこに、シンシアが一枚クッキーを載せた。


「くっ! 犬か、私は」


 無意識に反応してしまったヒューリが、恥ずかしさで顔を赤くした。


「まあいいや。じゃあいただき……」

「待て!」

「うっ!」


 ヒューリの手がぴたりと止まった。


「ほんとにワンちゃんみたいね」


 フェリシアが呆れる。ヒューリがさらに顔を赤くする。

 そんなヒューリを放置して、シンシアは、ミナセ、リリア、フェリシアにそれぞれクッキーを手渡した。


「みんなにも、感謝してる。本当に、ありがとう」


 深く頭を下げ、そしてシンシアが顔を上げる。


「これからも、よろしくお願いします」


 そう言って、ちょっと恥ずかしそうに笑った。


「こちらこそ!」


 シンシアの周りで笑顔が弾ける。


「食べるぞ!」

「いただきます」

「これ美味しい!」


 中庭に楽しげな声が響いた。


「もう一枚!」

「あ、それ私の!」

「どれでもおんなじだろ」


 中庭に甘い香りが広がっていった。


 七人が笑う。その中で、一番笑っているのは、シンシア。

 いつもは静かなシンシアが、一番楽しそうに、一番嬉しそうに、声を上げて笑っていた。



 第十三章 了

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