乱れる心

 ビリビリッ!


 着ていた服を、ストラースが破り捨てた。

 露わになったその上半身を見て、ミナセが息を呑む。


 その体には、無数の刀傷があった。


 いったいどんな戦い方をしたら、あれほどの傷を負うというのだろうか?

 いったいどうしたら、あれほどの傷を負ってなお生き残れるというのだろうか?


 若い頃のウィルも無謀だったらしいと、ミナセはミズキから聞いたことがある。だがあの傷は、無謀などという言葉で表現できるものではない。


「俺は、この道場を出てからいろんな奴らと戦ってきました。この傷は、そいつらと命を懸けて戦ってきた証なんですよ」


 ストラースの低い声がする。


「その戦いの中で、俺は気付いたんです。俺の剣は、剛の剣だってね」


 剛剣と柔剣。

 正剣と変剣。


 剣風を表す言葉としてミナセも教わっていた。

 そのいずれの要素も剣の上達には必要だと、ウィルから聞いた覚えがある。


「俺に必要なのは、冷静な心ではなかった。相手を焼き尽くすほどの、熱くたぎる心だったんですよ」


 ストラースの声が、その言葉通り熱を帯びていく。


「この剣、分かりますか? あの時鉱山を襲った賊が持っていたものと同じ、アダマンタイトの大剣です。ダンジョンの奥深くで手に入れました」


 右手の剣を、ウィルに突きつける。


「いったいあの賊長は、どうやってこいつを手に入れたんでしょうねぇ。この俺が死に掛けたほどの魔物がいたっていうのに」


 アダマンタイトの大剣。


 それは、もしかして……


 ミナセの胸に、いやな予感が走った。


「俺はね、先読みを凌駕するほどの速さと力を手に入れました。先生の持っている、彼女が作った太刀とやらでは防ぐことのできない剣も手に入れた」


 不気味な笑みが、より一層深くなっていく。


「ついでに言うとね、俺は魔法もずいぶん勉強したんですよ。強くなるために、何だってやったんです」


 ストラースの体は、魔力で満たされている。

 身体強化魔法。

 速さ、力、反応、瞬発力を引き上げるその魔法は、地力の高い者ほど高い効果を発揮する。

 生半可な相手なら、ウィルにとってそれは都合のいい状況と言えるが、ストラースの場合は果たしてどうなのだろうか。


「先生が勝てるとしたら、俺には一度も見せてくれなかった、奥義ってやつを使うしかないんじゃないですか?」


 挑発するような言葉に、だがウィルは動かない。


「じっとしてても勝てませんよ。それともすでに負けを……」


 突然、饒舌だったストラースが黙った。

 目の前でウィルが、ゆっくりと刀を鞘に納めていく。


「先生、いったいどういう……」


 その行動をいぶかしみ、その動きを確認するように、ストラースが瞬きをする。

 その瞬間、ウィルが出た。

 流れるように、鮮やかなまでにストラースに迫る。

 ストラースが瞬きをするその一瞬。瞼が閉じ始めたその瞬間に、ウィルは出た。


 達人同士の戦いでは、一瞬の隙が命取りになる。

 その一瞬をウィルは作り出し、その一瞬を、ウィルは逃さなかった。


 しかし。


「そんなんじゃあ俺は」


 ストラースが驚異的な反応を示す。

 叫びながら、剣を振り上げた。


「倒せませんよ!」


 刀を抜きながら高速で迫るウィルの、さらにその上の速さでストラースが剣を振り下ろす。


 勢いのついたウィルに向かって、避けようのない一撃が放たれた。

 ウィルが、その剣撃を自分の刀で迎え撃つ。


「言ったでしょう! そいつじゃあこの大剣は防げない!」


 轟音とともに落ちてくる大剣と、下から振り上げるウィルの刀がぶつかり合った。

 だが。


「なにっ!」


 ぶつかり合ったその瞬間から、ストラースの剣が横に流されていく。

 刃先を遅らせ、柄を先行させて、刃を斜めに当てたウィルの刀は、その豪剣を見事に受け流していた。


 火花を散らし、その身を削りながら、刀が大剣を横に流していく。

 同時に、ウィルの体がストラースに急接近していった。


 大剣を流し切った刀が、ウィルより遅れてストラースに迫る。

 ストラースの上半身はむき出し。刀は確実にその体を斬る。

 ウィルもそう思い、ミナセもそう確信した、直後。


 剣を握っていた片方の手を、ストラースが放した。

 同時に、体を強引にひねりながら、ウィルの顔面目がけて裏拳を放つ。


 うなりをあげる裏拳が、ウィルの顔面を捉えた。その顔を歪ませながら、ストラースの拳が振り抜かれる。

 それでも、ウィルは動きを止めない。殴られているというのに目を閉じることもしない。

 刀は走る。ストラース目がけて滑るように走った。


 だが。


 拳の衝撃でわずかに失速した刀は、ストラースの胸の皮一枚を斬るのみで、空を切った。


 体を回転させながら後ろに跳んだストラースが、剣を構え直す。

 振り切った刀を再び正面に据えて、ウィルがストラースを見る。


「強く、なりましたね」


 唇から流れる血を拭いながら、ウィルが言った。


「実戦じゃあ、何でもありなんでね」


 胸の傷を気にすることもなく、ストラースが言った。


 その攻防を、ミナセは瞬きもせずに見ている。


「すごい」


 達人同士の戦い。

 ミナセがまだ到達していない未知の領域。


 でも。


 ミナセは感じていた。


 このままでは、ウィルは勝てない


 剛と柔の違いはあれど、技術は互角。

 しかし、体力はおそらくストラースが上。

 そしてウィルは、相手の剣をまともに受け止めることができない。

 先ほどの奇襲で、ウィルは決着を付けたかったに違いない。


 こうなったら、奥義を使うしか……


 あれを使えば、ウィルは勝てるはずだ。あれを受けた時、少なくともミナセには何もできなかった。

 あれを受けて、何かができる人間がいるとは思えない。


 奥義を使ったところで、自身がダメージを負う訳ではなかった。使える回数が制限されている訳でもない。

 使うことで不利にはならないはず。


 それなのに、なぜ?


 その時ミナセが、ウィルの視線を捉えた。

 その視線は、門下生に向けられていた。

 目を開いたまま、無念の表情を浮かべて事切れている門下生たち。

 

 お父様の心が乱れている!


 ミナセの観察は当たっていた。

 ウィルは、己の心を鎮めることができずにいた。


 奥義を使うには、心と体を究極の状態に引き上げる必要がある。

 だが、今の自分では……。


 その苦悩を察知したのか、ストラースがにやりと笑う。


「先生、さっきの攻撃はさすがでしたよ」


 そう言って、ストラースは剣を構えた。


「でもね、先生は俺に勝てない。そんな心の状態じゃあ、俺に勝てるはずがない!」


 直後、ストラースの猛烈な攻めが始まった。鋭く重い剣撃が連続して繰り出される。

 それをかわし、あるいは受け流しながらウィルが防戦する。


「一方的……」


 ミナセは焦った。

 ウィルはすでに五十近い。ストラースとの体力差は歴然。

 驚異的な先読みで攻撃を防ぎ続けているが、あれではいずれウィルが力尽きてしまう。


 ミナセがそう考えた、まさにその時。


 ウィルの体が、何かにつまずいたように右側に倒れ込んだ。足の支えを失い、重力に引かれて、ウィルの体が真横に倒れていく。

 そこに、ストラースの剣が襲い掛かった。


「あっ!」

「もらった!」


 ミナセとストラースが叫んだのは、同時。


 終わった!


 ミナセとストラースが思ったのは、同時だった。


 刹那。


 キィーン!


 甲高い金属音がした。

 ウィルが地面に転がる。転がったウィルは、信じられないことに、素早く起き上がって再び刀を構えていた。

 そのウィルを、ストラースが忌々しげに睨んでいる。


「あなたって人は、まったくとんでもない人ですね」


 ストラースが、左の頬から血を流しながら唸った。


「ストラース。君は、本当に強くなりましたね」


 ウィルが静かに言った。


 ミナセが忘れていた呼吸を始める。

 止まっていた心臓も、どうにか動き出していた。


 あの瞬間ウィルは、いつも忍ばせているナイフをストラースの顔面に向けて投げていた。

 防御を捨て、ストラースの隙を作り、そして放った一矢。

 ウィル渾身の、ウィル最後の攻撃。


 それをストラースは、信じられないことに、防いだ。

 振り下ろす剣の軌道を力でねじ曲げてナイフを弾く。それでもナイフは、ストラースの顔面目がけて突き進む。

 その方向は、だがわずかにずらされていた。


 ウィルが肩で息をしている。

 追い詰められたその姿を、泣きそうになりながら、ミナセはただじっと見つめていた。

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